18 / 18
第18話:醸された愛と未来への乾杯
しおりを挟む
あれから、三年という月日が流れた。
かつて流刑地と恐れられた北の辺境、ダリウス領は、今や大陸有数の美食と観光の聖地としてその名を知られていた。
特産品のダリウス・ブルーを求めて商人が列をなし、街の市場にはチーズ、ハム、魚醤、味噌といった多種多様な発酵食品が並ぶ。
レストランでは、新鮮な素材と巧みな発酵技術を融合させた料理が振る舞われ、王都からも多くの貴族が足を運んでいた。
皮肉なことに、かつてエリアナを追い出した者たちが、こぞって彼女の作り出した味を求めてやってくるのだ。
そして今夜、ダリウス城の大広間では、領地の更なる発展と、豊作を祝う盛大な祝賀会が開かれていた。
「エリアナ様! 今年のワインの出来は最高ですよ!」
「奥様のおかげで、孫も元気に育っております!」
煌びやかなドレスに身を包んだエリアナの周りには、笑顔の領民や来賓たちが絶え間なく訪れる。
彼女は少し照れくさそうに眼鏡の位置を直し、謙遜していた。
そんな彼女を、少し離れた場所から見守る男がいた。
辺境伯ギルバートだ。
彼は相変わらず仏頂面で、近寄りがたいオーラを放っているが、その瞳はエリアナの姿を追う時だけ、信じられないほど柔らかく緩んでいる。
「……人気者だな」
彼は手に持ったグラスを揺らし、誰に言うでもなく呟いた。
宴もたけなわとなった頃。
エリアナとギルバートは、喧騒を抜け出し、城の最上階にあるバルコニーへと避難していた。
眼下には、灯りに彩られた城下町と、月明かりに照らされた広大なブドウ畑が広がっている。
「……ふぅ。酸素濃度が回復しました」
エリアナは夜風を胸いっぱいに吸い込み、手すりにもたれかかった。
「……ほら、これを」
ギルバートが差し出したのは、一本のワインボトルと、二つのグラス。
そして、美しく盛り付けられた一口サイズのおつまみだった。
スモークサーモンのクリームチーズ添え、イチジクと生ハム、そしてレバーペーストのカナッペ。
どれも発酵食品と相性抜群の品々だ。
「これは……、私たちが結婚した年に仕込んだ、最初のワインですね?」
「ああ。三年熟成のダリウス・ルージュだ。……今日という日のために、取っておいた」
ギルバートは慣れた手つきでコルクを抜き、真紅の液体をグラスに注いだ。
ふわっ、と芳醇な香りが広がる。
カシスのような果実味に、熟成による複雑なスパイスの香り、そして樽由来のバニラ香。
「……いい香りです。完璧な熟成ですね」
エリアナがグラスを受け取り、二人は静かに乾杯を交わした。
チン、と澄んだ音が夜空に吸い込まれていく。
一口含むと、ベルベットのような滑らかな舌触りと共に、濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
「ああ。……悪くない」
ギルバートは満足げに頷き、そして遠い目をした。
「……不思議なものだな。最初はただのブドウジュースだった。それが時間をかけ、環境を整え、時には厳しい寒さに晒されることで、こんなにも深い味わいに変わる」
彼はエリアナの方を向き、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「お前が王都で味わった辛い過去や、俺たちがここで乗り越えてきた苦労も……。今のこの幸せを醸成するための、必要な熟成期間だったのかもしれないな」
エリアナは目を丸くした。
あの不器用な彼が、こんな詩的なことを言うなんて。
彼女は口元を手で覆い、くすくすと笑った。
「ふふっ。……ギルバート様、随分と上手いことを仰るようになりましたね? 詩人の才能まで開花してしまったのですか?」
「茶化すな。……本心だ」
ギルバートが少し拗ねたように視線を逸らす。
その耳が赤いのが、月明かりの下でもよく分かった。
エリアナは愛おしさを噛みしめるように、もう一口ワインを含んだ。
渋みも、酸味も、甘みも。
全てが渾然一体となって、体に染み渡っていく。
「……そうですね。あなたのおっしゃる通りです」
エリアナはギルバートに近づき、そっと彼の腕に身を寄せた。
「私も、あの辛い過去があったからこそ、あなたという最高のパートナーに出会えました。……一人では決して醸せなかった幸せの味です」
彼女は見上げ、いたずらっぽく微笑んだ。
「ですが、油断は禁物ですよ? ワインは開栓した後も変化し続けます」
「ほう?」
「この幸せが酸化してお酢にならないよう、これからも徹底的に温度管理……、いえ、愛の育みをお願いしますね?」
ギルバートは一瞬きょとんとし、やがて声を上げて笑った。
「ハハッ、お前は本当に、ブレない女だ」
彼はエリアナの腰を引き寄せ、その額に優しくキスをした。
「任せておけ。俺の人生をかけて、お前を最高の状態で守り抜いてやる。……腐らせる隙など、一ミリも与えん」
「ふふ、期待しています」
二人は再びグラスを重ねた。
夜空には満天の星。
かつて腐った女と罵られた彼女は今、世界で一番、芳醇で幸福な時間を醸している。
その愛の熟成は、これからも止まることなく、時と共に深みを増していくことだろう。
かつて流刑地と恐れられた北の辺境、ダリウス領は、今や大陸有数の美食と観光の聖地としてその名を知られていた。
特産品のダリウス・ブルーを求めて商人が列をなし、街の市場にはチーズ、ハム、魚醤、味噌といった多種多様な発酵食品が並ぶ。
レストランでは、新鮮な素材と巧みな発酵技術を融合させた料理が振る舞われ、王都からも多くの貴族が足を運んでいた。
皮肉なことに、かつてエリアナを追い出した者たちが、こぞって彼女の作り出した味を求めてやってくるのだ。
そして今夜、ダリウス城の大広間では、領地の更なる発展と、豊作を祝う盛大な祝賀会が開かれていた。
「エリアナ様! 今年のワインの出来は最高ですよ!」
「奥様のおかげで、孫も元気に育っております!」
煌びやかなドレスに身を包んだエリアナの周りには、笑顔の領民や来賓たちが絶え間なく訪れる。
彼女は少し照れくさそうに眼鏡の位置を直し、謙遜していた。
そんな彼女を、少し離れた場所から見守る男がいた。
辺境伯ギルバートだ。
彼は相変わらず仏頂面で、近寄りがたいオーラを放っているが、その瞳はエリアナの姿を追う時だけ、信じられないほど柔らかく緩んでいる。
「……人気者だな」
彼は手に持ったグラスを揺らし、誰に言うでもなく呟いた。
宴もたけなわとなった頃。
エリアナとギルバートは、喧騒を抜け出し、城の最上階にあるバルコニーへと避難していた。
眼下には、灯りに彩られた城下町と、月明かりに照らされた広大なブドウ畑が広がっている。
「……ふぅ。酸素濃度が回復しました」
エリアナは夜風を胸いっぱいに吸い込み、手すりにもたれかかった。
「……ほら、これを」
ギルバートが差し出したのは、一本のワインボトルと、二つのグラス。
そして、美しく盛り付けられた一口サイズのおつまみだった。
スモークサーモンのクリームチーズ添え、イチジクと生ハム、そしてレバーペーストのカナッペ。
どれも発酵食品と相性抜群の品々だ。
「これは……、私たちが結婚した年に仕込んだ、最初のワインですね?」
「ああ。三年熟成のダリウス・ルージュだ。……今日という日のために、取っておいた」
ギルバートは慣れた手つきでコルクを抜き、真紅の液体をグラスに注いだ。
ふわっ、と芳醇な香りが広がる。
カシスのような果実味に、熟成による複雑なスパイスの香り、そして樽由来のバニラ香。
「……いい香りです。完璧な熟成ですね」
エリアナがグラスを受け取り、二人は静かに乾杯を交わした。
チン、と澄んだ音が夜空に吸い込まれていく。
一口含むと、ベルベットのような滑らかな舌触りと共に、濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
「ああ。……悪くない」
ギルバートは満足げに頷き、そして遠い目をした。
「……不思議なものだな。最初はただのブドウジュースだった。それが時間をかけ、環境を整え、時には厳しい寒さに晒されることで、こんなにも深い味わいに変わる」
彼はエリアナの方を向き、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「お前が王都で味わった辛い過去や、俺たちがここで乗り越えてきた苦労も……。今のこの幸せを醸成するための、必要な熟成期間だったのかもしれないな」
エリアナは目を丸くした。
あの不器用な彼が、こんな詩的なことを言うなんて。
彼女は口元を手で覆い、くすくすと笑った。
「ふふっ。……ギルバート様、随分と上手いことを仰るようになりましたね? 詩人の才能まで開花してしまったのですか?」
「茶化すな。……本心だ」
ギルバートが少し拗ねたように視線を逸らす。
その耳が赤いのが、月明かりの下でもよく分かった。
エリアナは愛おしさを噛みしめるように、もう一口ワインを含んだ。
渋みも、酸味も、甘みも。
全てが渾然一体となって、体に染み渡っていく。
「……そうですね。あなたのおっしゃる通りです」
エリアナはギルバートに近づき、そっと彼の腕に身を寄せた。
「私も、あの辛い過去があったからこそ、あなたという最高のパートナーに出会えました。……一人では決して醸せなかった幸せの味です」
彼女は見上げ、いたずらっぽく微笑んだ。
「ですが、油断は禁物ですよ? ワインは開栓した後も変化し続けます」
「ほう?」
「この幸せが酸化してお酢にならないよう、これからも徹底的に温度管理……、いえ、愛の育みをお願いしますね?」
ギルバートは一瞬きょとんとし、やがて声を上げて笑った。
「ハハッ、お前は本当に、ブレない女だ」
彼はエリアナの腰を引き寄せ、その額に優しくキスをした。
「任せておけ。俺の人生をかけて、お前を最高の状態で守り抜いてやる。……腐らせる隙など、一ミリも与えん」
「ふふ、期待しています」
二人は再びグラスを重ねた。
夜空には満天の星。
かつて腐った女と罵られた彼女は今、世界で一番、芳醇で幸福な時間を醸している。
その愛の熟成は、これからも止まることなく、時と共に深みを増していくことだろう。
149
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様
恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。
不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、
伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。
感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、
ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。
「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」
足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。
「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」
一度凍りついた心は、二度と溶けない。
後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、
終わりのない贖罪の記録。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
騎士団長を追放した平和ボケ王国は、七日で滅びました
藤原遊
ファンタジー
長らく戦のなかった王国で、
騎士団長の父を病で失った令嬢は、その座を引き継いだ。
だが王城に呼び出された彼女に告げられたのは、
騎士団の解体と婚約破棄。
理由はただ一つ――
「武力を持つ者は危険だから」。
平和ボケした王子は、
非力で可愛い令嬢を侍らせ、
彼女を“国の火種”として国外追放する。
しかし王国が攻められなかった本当の理由は、
騎士団長家が持つ“戦況を覆す力”への恐れだった。
追放された令嬢は、即座に隣国帝国へ迎えられ、
軍人として正当に評価され、安泰な地位を得る。
――そして一週間後。
守りを捨てた王国は、あっけなく陥落した。
これは、
「守る力」を理解しなかった国の末路と、
追放された騎士団長令嬢のその後の物語。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
病弱令嬢…?いいえ私は…
月樹《つき》
恋愛
アイゼンハルト公爵家の長女クララは生まれた時からずっと病弱で、一日の大半をベッドの上で過ごして来た。対するクララの婚約者で第三皇子のペーターはとても元気な少年で…寝たきりのクララの元を訪ねることもなく、学園生活を満喫していた。そんなクララも15歳となり、何とかペーターと同じ学園に通えることになったのだが…そこで明るく元気な男爵令嬢ハイジと仲睦まじくするペーター皇子の姿を見て…ショックのあまり倒れてしまった…。
(ペーターにハイジって…某アルプスの少女やんか〜い!!)
謎の言葉を頭に思い浮かべながら…。
このお話は他サイトにも投稿しております。
婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜
nacat
恋愛
婚約者に裏切られ、蔑まれ、全てを失った公爵令嬢リリアナ。
「あなたのような女、誰が愛すると?」そう言い放った王太子と元友人に嘲られても、彼女は涙を見せなかった。
だが、冷たく美しい隣国の公爵セドリックと出会った瞬間、運命は静かに動き出す。
冷酷と噂された男の腕のなかで、彼女は再び自分を取り戻していく。
そして――彼女を捨てた者たちは、彼女の眩い幸福の前に膝をつく。
「これは、ざまぁを通り越して愛された令嬢の物語。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる