後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

13 取り残されて

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 *
 
 その日の夕暮れ。いつものように李園に向かおうと、支度を整えていたレイラは、突如、宦官長に呼び出されました。
 誰かが、彼女の噂を皇帝の耳に入れたことで、〝ならば噂の姫を一目見たい〟などと、ほんのきまぐれに少女を御前に呼んだのです。

 そして――
 
『ほう……、これは……』
 彼女の美しさに、皇帝は一目見て心を奪われました。
 
 対面には、私も居合わせていましたが、その光景をとてもよく覚えています。

 夢見心地で玉座を降りた皇帝は、怯える少女の前に膝を折ると、逃げ場を失った少女の顎に指をかけました。
 
『陛下、どうかお許しを、どうか……あ』
 
 そうして、

『怖がるな』

 その声に、広間の空気が、ひたりと凍りつきました。
 誰も、諫める事はできませんでした。
 
 皇帝は、彼女を抱き上げると、多くの家臣団が控える中、堂々と玉座の奥へと連れ去ったのです。

 後に残ったのは翡翠の瞳からこぼれた涙と、来るはずのない恋人を待つ、月夜の李園の影ばかり――。

 *

「そんな――!」
「ある日突然、何の先触れもないまま、互いを半身のように思っていた二人は、権力によって引き裂かれてしまいました」
 春明は、長いまつげをすっと伏せた。

「陛下はレイラに『黎妃リーフェイ』の名を与え、誰にも見せぬよう、宮殿の奥深くに隠してしまわれた。後宮ここの庭は色を失くし、人々は笑いを失った」

「蒼龍は、蒼龍はどうなったの?」
「そのことを知った蒼太子は最初、狂わんばかりに嘆き悲しみ、そして怒りに吼えていました。だが――」

 春明は、大きく見開かれた小蘭の目を、真っ直ぐに見つめた。

「どうにもならないことを知ると、姫を想ってさめざめと泣いてばかりいました」
「そんなの、酷すぎる……」
 
 ――実のお父さんなのに、恋しい人を……奪うだなんて。
 
「大きな力を前に、若いふたりは為す術がなかった。太子は、痛いほどに己の無力を悟ったのでしょう。誰よりも強くありたいと願い、変わろうとし、そして変わられた」

 俯く小蘭の頭に、春明はそっと手をやった。

「今、あなたが見ている――強く逞しく、少しばかりやんちゃでわがままな、そんな彼に」

 話を終えると、春明は乾いた喉を茶で潤した。
 
「どうされました――桃饅頭はお嫌いでしたか」
 
 小蘭は首を横に振った。
 眼の周りから、顔に熱が広がってゆく。

「そんなの、レイラが……太子が」
 
 小蘭の、膝に置いた拳の上に、ポタリとぬくもりのある雫が落ちる。

「蒼龍が……」

 それは、遠い過去の他人の恋。なのに小蘭の胸には、言いようのない不安が芽生えていた。
 
 無遠慮に、次々に頬を流れる涙。
 春明は、小蘭の傍らにそっと身を寄せた。頭を自分の膝に寝かせ、緩やかに背をさすってやる。

「よしよし、本当にいい子だね――小蘭は」

 どこか遠くの国や、はるか昔の物語ならば、儚く美しい悲恋だと胸を熱くすることができただろう。
 
 でも、それが一度でも出会った、ましてや身近に思う人ならば――。

 小蘭は、春明先生の膝の上で、日が暮れるまでいつまでも泣き続けていた。
 
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