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第一章
12 裂かれたふたり
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「黎妃様はね、蒼太子が、戦場で拾ってきた娘なんです」
春明が小蘭に語ったのは、抗えぬ力に裂かれてしまった、若き日の皇子と姫の儚く哀しい恋物語――。
*
今から8年ほど前のこと。
後に黎妃と呼ばれる彼女は、国での名をレイラといいました。
その頃の夏皇帝――覇王様は戦に明け暮れていました。
レイラの祖国もまた、彼の軍勢に攻め落とされ、戦火の中に滅びゆく運命にありました。
当時、15歳になったばかりの蒼太子は、そこで初陣を飾ったのです。
初任務は、戦地に残された民の慰撫と治安の維持でした。
ですが――。
父王の滅ぼした王都には、瓦礫の山に略奪強盗、死骸累々が広がっている。愛馬を進ませる蒼太子は、瓦礫の間に倒れた人々から、何度も視線をそらしていました。
十五の少年には、あまりにも重い光景だったのです。
壊れた家屋の傍を通りかかった時、彼はふと、押し殺した泣き声のような音を聞きました。不審に思い、覗いてみると――
『誰かいるのか?』
『ひっ』
その目に映ったのは、壊れた家屋の片隅に隠れ震える少女の姿。
それがレイラ、今の黎妃様でした。
国の惨状とあいまって、その儚げな少女の姿に太子はひどく心を打たれました。
そして、その思いやりのままに、少女に手を差し伸べます。
『怖がらないで、大丈夫』
少女ははじめこそ怯えていましたが、太子の優しい面差しに、小さくうなずきそっとその手を取りました。
国境への遠征が終わると、蒼太子はレイラを後宮へ連れて帰りました。
ですが……。その時レイラは何も喋れなくなっていました。戦争のショックで声を全く失っていたのです。
太子は熱心に彼女の世話を焼きました。
毎日後宮に顔を出し、身ぶり手振りで懸命に言葉を教え、食事を共にし、根気よく彼女に話しかけていました。
が、その努力も空しく、レイラの心的外傷は癒えぬまま1年が経ち――。
それでも諦めなかった彼が、『彼女が笑った』と嬉しそうに言った日を、今でもはっきり覚えています。
季節が幾度巡ったか、誰も正確には覚えていません。
ただ、彼女がようやく声を取り戻し、太子の姿を見れば駆け寄って話しかけるほどになった頃――。
ここまでくれば、自然の成り行きだったのでしょうね。
落花が水に流れるかのごとく、ふたりは互いに惹かれ合い、恋に落ちてゆきました。
ふたりが逢瀬を重ねていたのは、後宮の李園。春には可愛らしい花を、晩夏には甘い香りの実をつける、とても美しいところです。
太子はその名を囁きながら、咲いたばかりの桃の花でレイラの髪を飾り、彼女はくすぐったそうにして、それに笑って応えていました。
*
先生はそこで言葉を切った。
「当時は、単に『レイラ』と、誰もがそう呼んでいた。まるで花が綻ぶように笑う彼女は、いつでも自然に人に囲まれていました」
春明は卓上の杯で、少し口を湿らせた。
熱心な様子で聞き入っている小蘭をチラッと見て、再び言葉を紡ぎはじめる。
「彼を狙う数多の姫にさえ、彼女を悪く言うものはありません。二人が寄り添っている姿は、この後宮にあって幸福の象徴そのものでした」
春明は、長い睫毛をすっと伏せた。
「レイラは、とても綺麗な娘です。瞳は翡翠の深い緑、髪は白金のように光に透け、異国の爽風をそこに運んでくれるような……。そういえば、小蘭は祖国が近いのかな? 髪と目の色が彼女に似ているね」
春明は、小蘭の髪をサラリと梳いた。照れくさいのとくすぐったいので小蘭が肩をすくめると、春明は優しく笑っている。
――確かに、そこだけは似てるかもしれない。もっとも、自分の髪は癖毛だし、あんなに綺麗じゃないけれど。
小蘭が考えていると、途端に先生の表情が曇り、声の調子が暗く沈んだ。
「ただ、彼女は美しくなりすぎました。噂が宮中に広く伝わり、皇帝の耳に入るほどに……」
春明が小蘭に語ったのは、抗えぬ力に裂かれてしまった、若き日の皇子と姫の儚く哀しい恋物語――。
*
今から8年ほど前のこと。
後に黎妃と呼ばれる彼女は、国での名をレイラといいました。
その頃の夏皇帝――覇王様は戦に明け暮れていました。
レイラの祖国もまた、彼の軍勢に攻め落とされ、戦火の中に滅びゆく運命にありました。
当時、15歳になったばかりの蒼太子は、そこで初陣を飾ったのです。
初任務は、戦地に残された民の慰撫と治安の維持でした。
ですが――。
父王の滅ぼした王都には、瓦礫の山に略奪強盗、死骸累々が広がっている。愛馬を進ませる蒼太子は、瓦礫の間に倒れた人々から、何度も視線をそらしていました。
十五の少年には、あまりにも重い光景だったのです。
壊れた家屋の傍を通りかかった時、彼はふと、押し殺した泣き声のような音を聞きました。不審に思い、覗いてみると――
『誰かいるのか?』
『ひっ』
その目に映ったのは、壊れた家屋の片隅に隠れ震える少女の姿。
それがレイラ、今の黎妃様でした。
国の惨状とあいまって、その儚げな少女の姿に太子はひどく心を打たれました。
そして、その思いやりのままに、少女に手を差し伸べます。
『怖がらないで、大丈夫』
少女ははじめこそ怯えていましたが、太子の優しい面差しに、小さくうなずきそっとその手を取りました。
国境への遠征が終わると、蒼太子はレイラを後宮へ連れて帰りました。
ですが……。その時レイラは何も喋れなくなっていました。戦争のショックで声を全く失っていたのです。
太子は熱心に彼女の世話を焼きました。
毎日後宮に顔を出し、身ぶり手振りで懸命に言葉を教え、食事を共にし、根気よく彼女に話しかけていました。
が、その努力も空しく、レイラの心的外傷は癒えぬまま1年が経ち――。
それでも諦めなかった彼が、『彼女が笑った』と嬉しそうに言った日を、今でもはっきり覚えています。
季節が幾度巡ったか、誰も正確には覚えていません。
ただ、彼女がようやく声を取り戻し、太子の姿を見れば駆け寄って話しかけるほどになった頃――。
ここまでくれば、自然の成り行きだったのでしょうね。
落花が水に流れるかのごとく、ふたりは互いに惹かれ合い、恋に落ちてゆきました。
ふたりが逢瀬を重ねていたのは、後宮の李園。春には可愛らしい花を、晩夏には甘い香りの実をつける、とても美しいところです。
太子はその名を囁きながら、咲いたばかりの桃の花でレイラの髪を飾り、彼女はくすぐったそうにして、それに笑って応えていました。
*
先生はそこで言葉を切った。
「当時は、単に『レイラ』と、誰もがそう呼んでいた。まるで花が綻ぶように笑う彼女は、いつでも自然に人に囲まれていました」
春明は卓上の杯で、少し口を湿らせた。
熱心な様子で聞き入っている小蘭をチラッと見て、再び言葉を紡ぎはじめる。
「彼を狙う数多の姫にさえ、彼女を悪く言うものはありません。二人が寄り添っている姿は、この後宮にあって幸福の象徴そのものでした」
春明は、長い睫毛をすっと伏せた。
「レイラは、とても綺麗な娘です。瞳は翡翠の深い緑、髪は白金のように光に透け、異国の爽風をそこに運んでくれるような……。そういえば、小蘭は祖国が近いのかな? 髪と目の色が彼女に似ているね」
春明は、小蘭の髪をサラリと梳いた。照れくさいのとくすぐったいので小蘭が肩をすくめると、春明は優しく笑っている。
――確かに、そこだけは似てるかもしれない。もっとも、自分の髪は癖毛だし、あんなに綺麗じゃないけれど。
小蘭が考えていると、途端に先生の表情が曇り、声の調子が暗く沈んだ。
「ただ、彼女は美しくなりすぎました。噂が宮中に広く伝わり、皇帝の耳に入るほどに……」
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