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第一章
11 燻る想いと過去の名
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「蒼太子」
とうとう春明は、厳しい口調で彼を呼んだ。片眉だけを上げた彼は、面倒そうに春明を見る。
その態度の悪さに少し怯んだ春明だが、キッと視線を上げると、厳しい言葉を放った。
「もういいでしょう。いい加減に黎妃様を追うのはお止しなさい」
「……あ?」
蒼龍が、ようやく上体を起こした。
あれ、また黎妃様の話……え?
小蘭が思った時にはもう、蒼龍は席から立ち上がっていた。
「黎妃は――最初っから俺のものだった。取り戻して何が悪い」
「その黎妃様が、迷惑だと申しているのです。あの娘はもう、とっくの昔に理不尽を受け入れているというのに。あなた様が、いつまでも追いかけてどうするのです」
「……なんだと」
一瞬の沈黙のあと、蒼龍は踏み込んだ。
次の瞬間、春明の襟元が強く引き寄せられる。
怒りに燃えた眼差しが、春明の間近に迫った。
「きゃ……」
あまりのことに、思わず目を見開く小蘭。
けれど、春明は哀しみに満ちた目線で怒りを受け止めた。
「……貴方が追えば、あの娘の立場はつらくなる。それが分からない貴方ではないでしょう。父子の板挟みになったあの娘が、皇帝からどんな呵責を受けるのか」
蒼龍の手が震えた。
それでも離さなかった。
――離せば、全てを認めてしまう気がしたからだ。
蒼龍は、怖い顔で春明を睨んだまま、強がるように言い放った。
「……フン、大人の詭弁だ。黎妃の気持ちは変わらない。今でも俺を待っている」
春明が、ふと視線を逸らした。伏せた目に長い睫毛が陰をつくる。
「蒼太子、貴方にはショックだと思いますが。あの娘は昨夜、貴方が来るのを知っていて、私に「仮病」を頼んだんですよ。貴方に会わなくて済むように」
にわかに、蒼龍の顔から血の気が引いた。
春明の襟元を掴んだ指が、震えている。
「な、なんで」
春明が、深いため息をついた。
「蒼太子。貴方は昨夜、黎妃が伽に出る話を一体誰から聞いたのです」
「そ、それは……」
口をつぐんだ蒼龍に、春明は冷やかに言い放つ。
「蒼太子、この世にはね。下らぬ意地悪を楽しむ輩がいるんですよ。貴方に情報を流した者は恐らく、その口で貴妃の女官にでも、注進したのでしょうね」
「あいつ……!」
唇を噛む蒼龍に、春明が畳みかけた。
「……それだけでは済まなかった。黎妃に拒まれた陛下は、苛立ちをどこへ向けたと思います?」
蒼龍が息を呑んだ。
「……まさか」
「その〝まさか〟です」
「あ……」
――じゃあ、私は。
最初から、皇帝の感情の後始末のために――?
青ざめる小蘭に、絶句する蒼龍を見てとると、春明はさらに語調を強くした。
「ご自覚なさい。その挙げ句が〝今〟の状況だ。貴方の浅はかな行動が、小蘭の命を危険に晒している」
蒼龍の顔がみるみる青ざめてゆく。
ゆっくりと春明の襟元を掴んでいた手を離すと、力なく項垂れた。
唇を噛み、視線を伏せる。
「……悪かった」
春明の紫色の瞳が、哀切を湛えていた。
「少し強く言いすぎましたが……黎貴妃こそ、貴方を護りたいのです。貴方が陛下の機嫌を損ねないよう、他の誰を犠牲にしてでも」
数秒の沈黙の後。
「……親父に侘び入れてくる」
弱々しくそう告げると、蒼龍は戸口へと向かった。
小蘭は声も出せず、ただ、その背中を見送って――やがて、静かに戸の締まる音がした。
蒼龍が去って。
「どういう事?」
小蘭は、すぐさま春明に尋ねた。
扉の前で突っ立っていた春明が、ゆるりと小蘭を振り返る。
「ああ、そう言うと思っていたよ。少しここで待っておいで。回診の後、話してあげよう」
とうとう春明は、厳しい口調で彼を呼んだ。片眉だけを上げた彼は、面倒そうに春明を見る。
その態度の悪さに少し怯んだ春明だが、キッと視線を上げると、厳しい言葉を放った。
「もういいでしょう。いい加減に黎妃様を追うのはお止しなさい」
「……あ?」
蒼龍が、ようやく上体を起こした。
あれ、また黎妃様の話……え?
小蘭が思った時にはもう、蒼龍は席から立ち上がっていた。
「黎妃は――最初っから俺のものだった。取り戻して何が悪い」
「その黎妃様が、迷惑だと申しているのです。あの娘はもう、とっくの昔に理不尽を受け入れているというのに。あなた様が、いつまでも追いかけてどうするのです」
「……なんだと」
一瞬の沈黙のあと、蒼龍は踏み込んだ。
次の瞬間、春明の襟元が強く引き寄せられる。
怒りに燃えた眼差しが、春明の間近に迫った。
「きゃ……」
あまりのことに、思わず目を見開く小蘭。
けれど、春明は哀しみに満ちた目線で怒りを受け止めた。
「……貴方が追えば、あの娘の立場はつらくなる。それが分からない貴方ではないでしょう。父子の板挟みになったあの娘が、皇帝からどんな呵責を受けるのか」
蒼龍の手が震えた。
それでも離さなかった。
――離せば、全てを認めてしまう気がしたからだ。
蒼龍は、怖い顔で春明を睨んだまま、強がるように言い放った。
「……フン、大人の詭弁だ。黎妃の気持ちは変わらない。今でも俺を待っている」
春明が、ふと視線を逸らした。伏せた目に長い睫毛が陰をつくる。
「蒼太子、貴方にはショックだと思いますが。あの娘は昨夜、貴方が来るのを知っていて、私に「仮病」を頼んだんですよ。貴方に会わなくて済むように」
にわかに、蒼龍の顔から血の気が引いた。
春明の襟元を掴んだ指が、震えている。
「な、なんで」
春明が、深いため息をついた。
「蒼太子。貴方は昨夜、黎妃が伽に出る話を一体誰から聞いたのです」
「そ、それは……」
口をつぐんだ蒼龍に、春明は冷やかに言い放つ。
「蒼太子、この世にはね。下らぬ意地悪を楽しむ輩がいるんですよ。貴方に情報を流した者は恐らく、その口で貴妃の女官にでも、注進したのでしょうね」
「あいつ……!」
唇を噛む蒼龍に、春明が畳みかけた。
「……それだけでは済まなかった。黎妃に拒まれた陛下は、苛立ちをどこへ向けたと思います?」
蒼龍が息を呑んだ。
「……まさか」
「その〝まさか〟です」
「あ……」
――じゃあ、私は。
最初から、皇帝の感情の後始末のために――?
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「ご自覚なさい。その挙げ句が〝今〟の状況だ。貴方の浅はかな行動が、小蘭の命を危険に晒している」
蒼龍の顔がみるみる青ざめてゆく。
ゆっくりと春明の襟元を掴んでいた手を離すと、力なく項垂れた。
唇を噛み、視線を伏せる。
「……悪かった」
春明の紫色の瞳が、哀切を湛えていた。
「少し強く言いすぎましたが……黎貴妃こそ、貴方を護りたいのです。貴方が陛下の機嫌を損ねないよう、他の誰を犠牲にしてでも」
数秒の沈黙の後。
「……親父に侘び入れてくる」
弱々しくそう告げると、蒼龍は戸口へと向かった。
小蘭は声も出せず、ただ、その背中を見送って――やがて、静かに戸の締まる音がした。
蒼龍が去って。
「どういう事?」
小蘭は、すぐさま春明に尋ねた。
扉の前で突っ立っていた春明が、ゆるりと小蘭を振り返る。
「ああ、そう言うと思っていたよ。少しここで待っておいで。回診の後、話してあげよう」
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