後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

16 君を賜る 

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「娶る」

 一瞬、沈黙が流れた。
 
(え?)
 小蘭の頭の中で、何かが崩れ落ちてゆく。
 怒りでも驚きでもない。
 胸の奥に、熱い何かが落ち、じわじわと広がっていく。
 それが何という感情なのか、小蘭にはまだ分からなかった。
 
 ポカンと口を開けて固まっている小蘭に代わり、先に反応を示したのは春明だ。
 
「そ、それはまた。……一体、どういうことなんです?」
 春明の静謐な眼差しが、今は少しだけ大きく見開いている。
「ああ、細かく言うとな――」

 蒼龍は、得意げな様子で語り出した。

 *

 俺、戻ってすぐ、朝礼の後に親父に掛け合ったんだよ。
 しばらくの間は、歯牙にもかけられず、相手にもされなかったが――三日目。

『……あー、わかったわかった。そこまで言うならくれてやろう』
 そう言って、親父は盛大にため息をついた。
 
『まったく。お前が本気を出すのは、いつも女のことだ』

 *

「だって。最後は嫌味まで言われたけな」
「なるほど、それでしばらく姿を見せなかったのですね」
 
「まあな。……結構大変だったんだぜ? 親父に気に入られるよう、つまらない儀礼の式もサボらず、街へも繰り出さず、ただ毎日を真面目に過ごし」
「……ほほう」

「夜毎、可愛がる……」
 身を固くしたままで、ブツブツと何か繰り返していた小蘭が、ハッとして大声を張り上げた。

「ちょっと、待って……!」

 向かい合っていた蒼龍と春明が、同時に振り返る。
 
「さっきの作り話にも、ツッコミどころは満載だけど.....『娶る』って何? 私と蒼龍、結婚するってこと?」
「勿論そのつもりだが。……何か問題があるか?」

 彼は不思議そうに首を傾げた。
「ある、あるわ、大ありにきまってるでしょ! って、私を妃にするって事よ? その、そういうのは……、す、好きなひととするものでしょう!」

 しどろもどろにうつむく小蘭に、蒼龍は快活に笑った。
「アッハッハ、だからいいんじゃないか。何なら俺、君のことは嫌いじゃないし」
 
 一瞬だけ、蒼龍の笑みに影が差す。
「……いや、嫌いなわけがないだろ」
「え?」
 
「あ、ああ、いや。……ちなみに俺、未婚だから、君は第一夫人だぜ。どうだ、悪くない話だろう。そもそも、君が助かる道はこれしかない」
 
「それは、好条件じゃないですか」
 間髪入れず、春明が横から口を出した。

「で、でも私、蒼龍と結婚だなんて。まだ私達、そういうのは早いっていうか」
 小蘭は指先の震えをごまかすように、両手で茶碗を包んだ。その様を、ポカンとして春明が見つめた。
 
「いやいや、人質目的とはいえ、そもそも貴女は皇帝の側室でしょう。そういう意味で、結婚は既にしていますよ?いわば、皇帝から太子の妾に変わるだけです」
「そ、そっか。でも……!」
 
「それにさ、七十を超えた親父の世より、俺の治世はずっと長い。子でも産めば後宮では大出世だぞ」
 
「な、なるほど……じゃなくて!」
 
 先ほどの李園でのことが、小蘭の脳裏をふとかすめた。
(そういえば、蒼龍はなぜあそこを通りかかったんだろう)
 不自然に足を速めたり、どことなく私を早くあそこから遠ざけようとしていた――気もする。

 胸の奥がぎゅっと痛んだ。
(おかしな私。蒼龍なんて、ムカつく奴だと思っているはずなのに)
 どうして、言葉一つで、こんなにも胸がざわつくのだろう。
 
 と、さっきまで一緒になって笑っていた先生がやけに真面目な顔つきで尋ねた。
 
「そういえば小蘭は、さっきからやけに「妾妃のお努め」を意識しているようですが……」
「ばっ、違うわ! そんなんじゃないってば! ……ん?」
 よく見ると、ふたりは腹を抱えながら笑いを堪えている。悔しい、からかわれたんだ!

 ドンッ。
 小蘭は、乱暴に椅子に腰掛けた。

「分かった、分かったわよ! なるわ、蒼龍のお妃様に。し、死ぬよりはマシだもんね」
 
 そうよ、ただ所属が変わるだけ。――の、はずなのに。
 
『小蘭、愛してる』
『蒼龍、私だって』

「あー、違う!」
 突如沸き起こった恥ずかしい妄想を慌ててかき消していると、見透かすように蒼龍が艶っぽい視線を投げてきた。

「安心しろ、小蘭妃シャオランフェイ。俺は、あの皇帝じじいよりもずっと優しく――そして、ずっと上手い」
「はい? な、なにがっ」
「こら、太子。あまりからかってはいけません。……おや、どうされました小蘭、林檎みたいに顔がまっ赤ですよ。……熱でもあるのかな」
 
「■☆☆★★☆③&△☆④◈!!」
 額にあてられかけた春明の手を振り払い、小蘭は顔を真っ赤にしながら、メチャクチャに蒼龍へ掴みかかった。
 
 その拳を、笑って受け止めながら、蒼龍はふと思い出したように言った。
 
「あ、でもさ。この話、実はひとつ条件があるんだ」
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