24 / 66
第一章
24 皇帝の罠
しおりを挟む
さて、午前の予選試合は全て終わり、午後は決勝戦のただ一戦を残すのみとなった。
蒼龍は、闘技場の中央に立っていた。身体こそ細かな切り傷で覆われていたが、呼吸は整い、目には鋭い光を放っている。
対峙するのは南の拍国の勇者、孫岳良。十二尺を超える巨体が背負う大槍は、常人ならば持つことすら精一杯だろう。
彼は今日、拍国の正規兵として国の面目を担い、己の名にも恥じぬ戦いを誓っていた。
観衆が熱狂する中、皇帝が玉座からゆるりと立ち上がった。気付いた兵士が、慌てて銅鑼を打ち鳴らす。
「静まれ、天子様からの御言葉だ!」
ざわめきが、潮のように引いて行く。会場がしんと鎮まると、皇帝はゆっくり言葉を放った。
「さて、いよいよ残すは一試合のみ、決勝戦と相成った」
覇帝はまず、孫岳良に目を向けた。
「南は拍国の勇者、孫岳良よ。遠路はるばるご苦労であった。そちの奮戦、拍侯も鼻が高かろう」
孫岳良が槍の柄をひと突きすると、地がうねるように揺れた。戦士としての無骨な一礼に、覇帝は満足そうにうなずく。
強敵だと、蒼龍は一目で感じた。
「そして我が子蒼龍よ」
覇帝は妙に優しい声で呼びかけた。
「本当によくやった。お前がここまで残ったこと、檻の中の娘もさぞや安心していることだろう」
蒼龍の眉がぴくりと動く。
(くそっ、外道め……だが、あんな奴でも俺の親父だ。許せないが、逃げられない)
その挑発に、玉座に向かって声を張り上げた。
「親父、約束は守るんだろうな」
「朕は皇帝。約束は違えぬ」
ムッとして吐き捨てた覇皇帝は、次に観衆へと向き直った。
「さて、ここで皆に問いたい」
覇皇帝は一度言葉を切った。
「これは、本日最後の試合となる。蒼龍が勝ち上がったため、勝っても負けても賞金は孫岳良のものとなるわけだが――。ここに若干の不公平が生じている」
覇皇帝は、片手を大げさに広げて見せた。
観衆から、ざわめきが沸き起こる。
「片や〝愛する姫の命〟を賭す戦。片や、勝っても負けても変わらぬ戦。こんなもの、勝負になるまい」
孫岳良が驚いて目を見開いた。
「また、孫岳良は清き戦士ゆえ、神聖なる戦いの場を、処刑の血で汚したくないと、手心を加えぬとも限らぬ」
「そんなことは――!」
抗議を挟みかけた孫岳良だが、覇皇帝の一睨みで再び口を閉ざす。瞳には〝賞金が目当てではない〟、〝戦いそのものを守りたいのだ〟という怒りが宿っている。
覇皇帝はわざと視線をそらし、孫岳良の反応を無視したまま言葉を続けた。
「ましてや……此度の相手は帝国の皇子。報復を恐れ、“本気を出せぬ”こともあるやもしれぬ」
〝八百長試合など絶対にしない〟
カチャ……。孫岳良は槍をわずかに前へ傾けたが、皇帝はさらに高らかな声を上げる。
「そんな試合が優勝戦となっては、伝統ある御前試合の名折れというもの。皆も面白くもないであろう? よって、対戦相手を変える」
覇皇帝は、両腕を大きく広げた。
(胸騒ぎがする……一体、誰を出すつもりだ?)
理屈は分かるが、しかし――
背中に寒気が走り、蒼龍は無意識に拳を握りしめた。
嫌な予感が――形を成し始める。
(皇帝が、この展開をあらかじめ読んでいたとすれば……ここで出す手駒は――まさか!)
「優勝戦をより公平で、より激しく、格調高いものとする、我が国最大の英雄にして、最強の剣士。その名は――」
観衆が息を呑んで見守る中、闘技場の中央に、一人の剣士が進み出た。
「樊将軍!」
わあああああ、という歓声が一気に弾けた。
その熱狂にも眉一つ動かさず、樊将軍はまっすぐ蒼龍を見据えている。まるで、大地そのものが歩いているような威風。彼の周囲だけは、風すらも凪いでいる。
「樊……将軍……」
嫌な予感が、的中した。
これが――皇帝の罠。
師であり、越えるべき壁であり、そして――今、この場でもっとも出会いたくなかった相手。
蒼龍が、かつて一度も勝てたことのない男。
(そうだ、だから控え室に来たのだ。俺の仕上がりを見るために)
彼が一歩踏み出した瞬間、全身に血潮が巡り、全身の毛が逆立つのを感じた。
――この男は、まだ剣すら抜いていない。
それなのに、すでに斬られているような威風。
もう逃げられない。だが……。
(超えるしかない。小蘭を守るために――!)
一瞬、風が止んだ。
剣の柄を握る拳に、力がこもる。
その姿を、孫岳良は、歯を食いしばったまま見つめていた。
そこにあったのは、敵意ではない。
――同じ駒として使い捨てにされる者の、静かな悔恨だった。
蒼龍は、闘技場の中央に立っていた。身体こそ細かな切り傷で覆われていたが、呼吸は整い、目には鋭い光を放っている。
対峙するのは南の拍国の勇者、孫岳良。十二尺を超える巨体が背負う大槍は、常人ならば持つことすら精一杯だろう。
彼は今日、拍国の正規兵として国の面目を担い、己の名にも恥じぬ戦いを誓っていた。
観衆が熱狂する中、皇帝が玉座からゆるりと立ち上がった。気付いた兵士が、慌てて銅鑼を打ち鳴らす。
「静まれ、天子様からの御言葉だ!」
ざわめきが、潮のように引いて行く。会場がしんと鎮まると、皇帝はゆっくり言葉を放った。
「さて、いよいよ残すは一試合のみ、決勝戦と相成った」
覇帝はまず、孫岳良に目を向けた。
「南は拍国の勇者、孫岳良よ。遠路はるばるご苦労であった。そちの奮戦、拍侯も鼻が高かろう」
孫岳良が槍の柄をひと突きすると、地がうねるように揺れた。戦士としての無骨な一礼に、覇帝は満足そうにうなずく。
強敵だと、蒼龍は一目で感じた。
「そして我が子蒼龍よ」
覇帝は妙に優しい声で呼びかけた。
「本当によくやった。お前がここまで残ったこと、檻の中の娘もさぞや安心していることだろう」
蒼龍の眉がぴくりと動く。
(くそっ、外道め……だが、あんな奴でも俺の親父だ。許せないが、逃げられない)
その挑発に、玉座に向かって声を張り上げた。
「親父、約束は守るんだろうな」
「朕は皇帝。約束は違えぬ」
ムッとして吐き捨てた覇皇帝は、次に観衆へと向き直った。
「さて、ここで皆に問いたい」
覇皇帝は一度言葉を切った。
「これは、本日最後の試合となる。蒼龍が勝ち上がったため、勝っても負けても賞金は孫岳良のものとなるわけだが――。ここに若干の不公平が生じている」
覇皇帝は、片手を大げさに広げて見せた。
観衆から、ざわめきが沸き起こる。
「片や〝愛する姫の命〟を賭す戦。片や、勝っても負けても変わらぬ戦。こんなもの、勝負になるまい」
孫岳良が驚いて目を見開いた。
「また、孫岳良は清き戦士ゆえ、神聖なる戦いの場を、処刑の血で汚したくないと、手心を加えぬとも限らぬ」
「そんなことは――!」
抗議を挟みかけた孫岳良だが、覇皇帝の一睨みで再び口を閉ざす。瞳には〝賞金が目当てではない〟、〝戦いそのものを守りたいのだ〟という怒りが宿っている。
覇皇帝はわざと視線をそらし、孫岳良の反応を無視したまま言葉を続けた。
「ましてや……此度の相手は帝国の皇子。報復を恐れ、“本気を出せぬ”こともあるやもしれぬ」
〝八百長試合など絶対にしない〟
カチャ……。孫岳良は槍をわずかに前へ傾けたが、皇帝はさらに高らかな声を上げる。
「そんな試合が優勝戦となっては、伝統ある御前試合の名折れというもの。皆も面白くもないであろう? よって、対戦相手を変える」
覇皇帝は、両腕を大きく広げた。
(胸騒ぎがする……一体、誰を出すつもりだ?)
理屈は分かるが、しかし――
背中に寒気が走り、蒼龍は無意識に拳を握りしめた。
嫌な予感が――形を成し始める。
(皇帝が、この展開をあらかじめ読んでいたとすれば……ここで出す手駒は――まさか!)
「優勝戦をより公平で、より激しく、格調高いものとする、我が国最大の英雄にして、最強の剣士。その名は――」
観衆が息を呑んで見守る中、闘技場の中央に、一人の剣士が進み出た。
「樊将軍!」
わあああああ、という歓声が一気に弾けた。
その熱狂にも眉一つ動かさず、樊将軍はまっすぐ蒼龍を見据えている。まるで、大地そのものが歩いているような威風。彼の周囲だけは、風すらも凪いでいる。
「樊……将軍……」
嫌な予感が、的中した。
これが――皇帝の罠。
師であり、越えるべき壁であり、そして――今、この場でもっとも出会いたくなかった相手。
蒼龍が、かつて一度も勝てたことのない男。
(そうだ、だから控え室に来たのだ。俺の仕上がりを見るために)
彼が一歩踏み出した瞬間、全身に血潮が巡り、全身の毛が逆立つのを感じた。
――この男は、まだ剣すら抜いていない。
それなのに、すでに斬られているような威風。
もう逃げられない。だが……。
(超えるしかない。小蘭を守るために――!)
一瞬、風が止んだ。
剣の柄を握る拳に、力がこもる。
その姿を、孫岳良は、歯を食いしばったまま見つめていた。
そこにあったのは、敵意ではない。
――同じ駒として使い捨てにされる者の、静かな悔恨だった。
0
あなたにおすすめの小説
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
冷たい王妃の生活
柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。
三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。
王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。
孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。
「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。
自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。
やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。
嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる