25 / 66
第一章
25 絶体絶命
しおりを挟む
樊将軍の登場に会場が沸き、将軍と蒼龍が対峙した――その瞬間のことを、小蘭はまだ知らなかった。
「う、ん」
目を覚ますと、白いもやの向こう側に、縞のような影が微かに揺れている。さっきから身体が浮遊していて、まるで足が地についていないよう。
頭が……とても痛い。
やがて頭の奥で脈打っていた鈍い痛みが引くにつれ、意識が澄んでいく。
――その瞬間、小蘭は異常に気づいた。
風が全身を抜け、身体がぐらりと揺れる。
視界がはっきりした瞬間、小蘭は息をのんだ。
「え、何ここ!」
ガシャアンッ。
立ちあがろうとすると、覚束なく腰が砕けた。四つ這いになった身体を起こそうと、目の前の鉄格子を掴む。
ひやりと掌に冷たさが走る。
ここは、檻の中だ。そのうえ、宙吊りになっている。
(やだ、……足がついていない? 嘘、何で私、こんなことになってるの?)
ズキン。
まだ鈍く痛む頭を抱えつつ、小蘭はこれまでの記憶を手繰り寄せる。
(私、さっきまで何してたんだっけ)
稽古をしていた蒼龍と別れて、それから雲流に出くわして、それから?
頭から、記憶がすっぽり抜け落ちている。
ここは一体、どこなんだろう。
鉄格子を通して見えるのは、ぐるりと周囲、見渡す限りの人、人、人――。
まるで、見世物の獣にでもなったみたい。
遥か下の地面を見下ろすと、楕円形の広場の真ん中で、武装した二人の男が向き合っている。その周りを取り囲むような、擂鉢状の観覧席に、大勢の人が腰掛けている。
もしかして、ここが例の闘技場なのか。
であれば、今やっているのが御前試合で、真ん中で見合っているのは――。
蒼龍!
ガシャ、ガシャッ。
小蘭は再び、檻の格子にへばりついた。
やはりそうだ。
二人のうち、一人は蒼龍。
草原では、稜線近くにいる羊だって数えることができたのだ。その小蘭の目に、蒼龍の姿ははっきりと映った。
蒼龍は、確かに言っていた。
「優勝したら、娶る。それが助命の策だ」
と。
今、試合はどれぐらい進んだのだろうか。勝ってくれていればいいけれど。
ふと下を見、小蘭は思わず口を押さえた。
「!」
自分の真下には、黒い大きな穴がある。
その中にうねり蠢く黒い波から、湿った土と生臭い匂いが立ち上ってくる。
目の良いことがかえって仇となってしまった。あれらは無数の蛇、毒虫、蠍。もしくはそれらの集合体。
何かを察した小蘭は自分のいる檻の底を見た。真ん中に継ぎ目がある。
つまりは、そういうことなのだ。
蒼龍が負ければ、即座に自分はこの下に落とされる。
蛇や蠍は、怖くない。
故郷では珍しくもなく、幼い頃には触って遊んでいた。
――だからこそ分かる。
あれほどの数の蛇や蠍に落とされれば、助かる道はない。
これまでの記憶が、やっと繋がった。
今は、あれから丸一日が経っている。
自分は余興の見世物として、皇帝の命を受けた――あの意地の悪い目をした宦官、雲流に攫われ、眠らされていたのだ。
牛の股割きではなく、大勢の前で蛇や蟲に身体を千切られ、毒に侵される公開処刑の罪人として。
「う、ぐっ」
小蘭は、胸にせり上がってくる吐き気をかろうじて抑えた。
いくら蒼龍が憎いとはいえ、こんなことを考える皇帝は、やはりどこかおかしい。
もう、蒼龍に頼ってばかりじゃいられない。以前蒼龍にも言ったように、『自分の命は自分で守る』。
(私だって、戦わなくちゃ――)
小蘭は、頭を巡らせた。
(ここから逃げる方法は)
例えば、兵士たちが試合に熱中しているうちに、この下を、なんとかこじ開けられないだろうか。
小蘭は、頭から簪を引き抜き、その継ぎ目をいじってみた。
……ダメだ。どういう仕掛けか、さっぱり分からない。恐らくは、外にぶら下がっているあの紐で操作するのだろう。
もし蒼龍が敗け、床下が割れた瞬間に檻の端にぶら下がり、あの紐を伝って逃げる。――そんな策も頭をよぎる。
しかし、下にはたくさんの兵士が控えている。野山で鍛えた逃げ足になら自信はあるが……。
たとえ逃げ回ったとして、兵士百人を相手では、いつかは捕まり、穴に放り投げられるだろう。
逃げられない。ありえないことだが、そこに婆やが助けに来てくれでもしない限りは。
いずれにせよ、万事休すだ。
自分だけではどうにもならない。
(蒼龍……)
小蘭は檻の底にへたり込むと、試合場に対峙する、蒼龍の姿を見つめた。
今が何回戦目なのか分からないが、今の相手は随分と強そうだ。こんな遠くにいる自分にさえ、その身に纏う闘気を感じられるほどに。
(蒼龍、頑張ってよ。……私も最後まで足掻くからさ)
小蘭の小さな祈りを嘲笑うかのように。
シャアアァァァァァーーーンッ!
決勝戦を告げる銅鑼が、天を突き抜けるように高く鳴り響いた。
「う、ん」
目を覚ますと、白いもやの向こう側に、縞のような影が微かに揺れている。さっきから身体が浮遊していて、まるで足が地についていないよう。
頭が……とても痛い。
やがて頭の奥で脈打っていた鈍い痛みが引くにつれ、意識が澄んでいく。
――その瞬間、小蘭は異常に気づいた。
風が全身を抜け、身体がぐらりと揺れる。
視界がはっきりした瞬間、小蘭は息をのんだ。
「え、何ここ!」
ガシャアンッ。
立ちあがろうとすると、覚束なく腰が砕けた。四つ這いになった身体を起こそうと、目の前の鉄格子を掴む。
ひやりと掌に冷たさが走る。
ここは、檻の中だ。そのうえ、宙吊りになっている。
(やだ、……足がついていない? 嘘、何で私、こんなことになってるの?)
ズキン。
まだ鈍く痛む頭を抱えつつ、小蘭はこれまでの記憶を手繰り寄せる。
(私、さっきまで何してたんだっけ)
稽古をしていた蒼龍と別れて、それから雲流に出くわして、それから?
頭から、記憶がすっぽり抜け落ちている。
ここは一体、どこなんだろう。
鉄格子を通して見えるのは、ぐるりと周囲、見渡す限りの人、人、人――。
まるで、見世物の獣にでもなったみたい。
遥か下の地面を見下ろすと、楕円形の広場の真ん中で、武装した二人の男が向き合っている。その周りを取り囲むような、擂鉢状の観覧席に、大勢の人が腰掛けている。
もしかして、ここが例の闘技場なのか。
であれば、今やっているのが御前試合で、真ん中で見合っているのは――。
蒼龍!
ガシャ、ガシャッ。
小蘭は再び、檻の格子にへばりついた。
やはりそうだ。
二人のうち、一人は蒼龍。
草原では、稜線近くにいる羊だって数えることができたのだ。その小蘭の目に、蒼龍の姿ははっきりと映った。
蒼龍は、確かに言っていた。
「優勝したら、娶る。それが助命の策だ」
と。
今、試合はどれぐらい進んだのだろうか。勝ってくれていればいいけれど。
ふと下を見、小蘭は思わず口を押さえた。
「!」
自分の真下には、黒い大きな穴がある。
その中にうねり蠢く黒い波から、湿った土と生臭い匂いが立ち上ってくる。
目の良いことがかえって仇となってしまった。あれらは無数の蛇、毒虫、蠍。もしくはそれらの集合体。
何かを察した小蘭は自分のいる檻の底を見た。真ん中に継ぎ目がある。
つまりは、そういうことなのだ。
蒼龍が負ければ、即座に自分はこの下に落とされる。
蛇や蠍は、怖くない。
故郷では珍しくもなく、幼い頃には触って遊んでいた。
――だからこそ分かる。
あれほどの数の蛇や蠍に落とされれば、助かる道はない。
これまでの記憶が、やっと繋がった。
今は、あれから丸一日が経っている。
自分は余興の見世物として、皇帝の命を受けた――あの意地の悪い目をした宦官、雲流に攫われ、眠らされていたのだ。
牛の股割きではなく、大勢の前で蛇や蟲に身体を千切られ、毒に侵される公開処刑の罪人として。
「う、ぐっ」
小蘭は、胸にせり上がってくる吐き気をかろうじて抑えた。
いくら蒼龍が憎いとはいえ、こんなことを考える皇帝は、やはりどこかおかしい。
もう、蒼龍に頼ってばかりじゃいられない。以前蒼龍にも言ったように、『自分の命は自分で守る』。
(私だって、戦わなくちゃ――)
小蘭は、頭を巡らせた。
(ここから逃げる方法は)
例えば、兵士たちが試合に熱中しているうちに、この下を、なんとかこじ開けられないだろうか。
小蘭は、頭から簪を引き抜き、その継ぎ目をいじってみた。
……ダメだ。どういう仕掛けか、さっぱり分からない。恐らくは、外にぶら下がっているあの紐で操作するのだろう。
もし蒼龍が敗け、床下が割れた瞬間に檻の端にぶら下がり、あの紐を伝って逃げる。――そんな策も頭をよぎる。
しかし、下にはたくさんの兵士が控えている。野山で鍛えた逃げ足になら自信はあるが……。
たとえ逃げ回ったとして、兵士百人を相手では、いつかは捕まり、穴に放り投げられるだろう。
逃げられない。ありえないことだが、そこに婆やが助けに来てくれでもしない限りは。
いずれにせよ、万事休すだ。
自分だけではどうにもならない。
(蒼龍……)
小蘭は檻の底にへたり込むと、試合場に対峙する、蒼龍の姿を見つめた。
今が何回戦目なのか分からないが、今の相手は随分と強そうだ。こんな遠くにいる自分にさえ、その身に纏う闘気を感じられるほどに。
(蒼龍、頑張ってよ。……私も最後まで足掻くからさ)
小蘭の小さな祈りを嘲笑うかのように。
シャアアァァァァァーーーンッ!
決勝戦を告げる銅鑼が、天を突き抜けるように高く鳴り響いた。
0
あなたにおすすめの小説
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
冷たい王妃の生活
柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。
三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。
王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。
孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。
「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。
自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。
やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。
嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる