後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第一章 

24 皇帝の罠

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 さて、午前の予選試合は全て終わり、午後は決勝戦のただ一戦を残すのみとなった。
 
 蒼龍は、闘技場の中央に立っていた。身体こそ細かな切り傷で覆われていたが、呼吸は整い、目には鋭い光を放っている。
 対峙するのは南の拍国の勇者、孫岳良スンユエリャン。十二尺を超える巨体が背負う大槍は、常人ならば持つことすら精一杯だろう。
 彼は今日、拍国の正規兵として国の面目を担い、己の名にも恥じぬ戦いを誓っていた。

 観衆が熱狂する中、皇帝が玉座からゆるりと立ち上がった。気付いた兵士が、慌てて銅鑼を打ち鳴らす。
「静まれ、天子様からの御言葉だ!」

 ざわめきが、潮のように引いて行く。会場がしんと鎮まると、皇帝はゆっくり言葉を放った。

「さて、いよいよ残すは一試合のみ、決勝戦と相成った」
 覇帝はまず、孫岳良に目を向けた。
「南は拍国の勇者、孫岳良よ。遠路はるばるご苦労であった。そちの奮戦、拍侯も鼻が高かろう」
 
 孫岳良が槍の柄をひと突きすると、地がうねるように揺れた。戦士としての無骨な一礼に、覇帝は満足そうにうなずく。
 強敵だと、蒼龍は一目で感じた。

「そして我が子蒼龍よ」
 覇帝は妙に優しい声で呼びかけた。
 
「本当によくやった。お前がここまで残ったこと、檻の中の娘もさぞや安心していることだろう」
 
 蒼龍の眉がぴくりと動く。
(くそっ、外道め……だが、あんな奴でも俺の親父だ。許せないが、逃げられない)
 
 その挑発に、玉座に向かって声を張り上げた。
「親父、約束は守るんだろうな」
「朕は皇帝。約束は違えぬ」
 
 ムッとして吐き捨てた覇皇帝は、次に観衆へと向き直った。
「さて、ここで皆に問いたい」
 覇皇帝は一度言葉を切った。
 
「これは、本日最後の試合となる。蒼龍が勝ち上がったため、勝っても負けても賞金は孫岳良のものとなるわけだが――。ここに若干の不公平が生じている」
 覇皇帝は、片手を大げさに広げて見せた。
 観衆から、ざわめきが沸き起こる。

「片や〝愛する姫の命〟を賭す戦。片や、勝っても負けても変わらぬ戦。こんなもの、勝負になるまい」
 孫岳良が驚いて目を見開いた。
 
「また、孫岳良は清き戦士ゆえ、神聖なる戦いの場を、処刑の血で汚したくないと、手心を加えぬとも限らぬ」
 
「そんなことは――!」
 抗議を挟みかけた孫岳良だが、覇皇帝の一睨みで再び口を閉ざす。瞳には〝賞金が目当てではない〟、〝戦いそのものを守りたいのだ〟という怒りが宿っている。
 
 覇皇帝はわざと視線をそらし、孫岳良の反応を無視したまま言葉を続けた。
 
「ましてや……此度の相手は帝国の皇子。報復を恐れ、“本気を出せぬ”こともあるやもしれぬ」
 
〝八百長試合など絶対にしない〟
 カチャ……。孫岳良は槍をわずかに前へ傾けたが、皇帝はさらに高らかな声を上げる。
 
「そんな試合が優勝戦となっては、伝統ある御前試合の名折れというもの。皆も面白くもないであろう? よって、対戦相手を変える」
 覇皇帝は、両腕を大きく広げた。

(胸騒ぎがする……一体、誰を出すつもりだ?)
 理屈は分かるが、しかし――
 背中に寒気が走り、蒼龍は無意識に拳を握りしめた。

 嫌な予感が――形を成し始める。
 
(皇帝が、この展開をあらかじめ読んでいたとすれば……ここで出す手駒は――まさか!)
 
「優勝戦をより公平で、より激しく、格調高いものとする、我が国最大の英雄にして、最強の剣士。その名は――」
 観衆が息を呑んで見守る中、闘技場の中央に、一人の剣士が進み出た。
ハン将軍!」
 
 わあああああ、という歓声が一気に弾けた。
 
 その熱狂にも眉一つ動かさず、樊将軍はまっすぐ蒼龍を見据えている。まるで、大地そのものが歩いているような威風。彼の周囲だけは、風すらも凪いでいる。
 
「樊……将軍……」
 嫌な予感が、的中した。
 これが――皇帝おやじの罠。
 
 師であり、越えるべき壁であり、そして――今、この場でもっとも出会いたくなかった相手。
 蒼龍が、かつて一度も勝てたことのない男。

(そうだ、だから控え室に来たのだ。俺の仕上がりを見るために)
 
 彼が一歩踏み出した瞬間、全身に血潮が巡り、全身の毛が逆立つのを感じた。
 
 ――この男は、まだ剣すら抜いていない。
 それなのに、すでに斬られているような威風。
 
 もう逃げられない。だが……。
(超えるしかない。小蘭を守るために――!)
 
 一瞬、風が止んだ。
 剣の柄を握る拳に、力がこもる。

 その姿を、孫岳良は、歯を食いしばったまま見つめていた。
 そこにあったのは、敵意ではない。
 ――同じ駒として使い捨てにされる者の、静かな悔恨だった。
 
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