後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

文字の大きさ
29 / 66
第一章 

(おまけ)試合の後

しおりを挟む
 さて、試合後、春明先生の庵では――。

 御前試合では華々しい活躍を見せ、樊将軍から勝利をもぎ取った蒼龍だったが、今は診療台の上で身悶えしていた。

「痛って! ちょ、春明チュンミン。そこ、もうちょっと優しく」
 春明の指先が患部を押さえるたび、蒼龍の顔が苦痛に歪む。
 春明の深いため息が治療室にこだました。
蒼太子ツァンタイツ。痛むのは当たり前でしょう。全く、どれだけ無茶をしたと思ってるんですか」
「だからそれは、小蘭のために……、あ痛っつ、……!」
 
「そうだそうだー、情けないぞー」
 高椅子に逆向きに跨り、背もたれに顔を乗せた小蘭が、にまにま笑いながら茶化す。
 足をぶらぶらさせながら、のんびりと笑う彼女を、蒼龍はじろりと睨んだ。

「おい、誰のための怪我だと思ってる。あ! 春明、そこはもうちょっと優しく……」
「無茶の代償です。ちょっと黙っていなさい。……ここなんて折れる寸前ですよ。えいっ!」

バチン。
 盛大な破裂音がして、診療台から蒼龍が飛び上がる。
 
「ぐ、あぁっ!」

 蒼龍の悲鳴に、小蘭は思わず肩を震わせて目をつむった。

 
「大袈裟な。ちょっと元の位置に戻しただけですよ」
「……うう、俺、死んだ」 

 げんなりした様子の蒼龍に冷たく言った春明は、ふと話を切り替えた。

「でもまあ、結果的には良かったですよね。蒼龍も、それに小蘭も」
「そうだよ! 樊のヤツ、俺を本気で殺す気だったからな」

「うんホントに。蒼龍、よく勝てたよね。おかげで私は処刑を免れ、晴れて自由の身。完全に元どおり、ってわけよね」
 
 ん? 春明と蒼龍が、同時に小蘭を見る。
「え、私、なんか変な事言った?」
 
 春明がすっと言った。

「ええ。だって小蘭、蒼太子の妃になるんでしょう? 元どおり、ではないですよ」

 春明が目を向けると、蒼龍は一瞬目をそらし、妙にぎこちなく言った。

「……あーっと、そう言えば、そんな話もあったかな? 成り行きではあるけど、そういうコトだから……よろしく」
 その声には、いつもの軽口に紛れ、どこか照れが混じっている。
 小蘭の鼓動が、一気に跳ね上がった。
 
「そ、それって、まさか娶るとかなんとかの……あれ、まさか本気?!」
「……」

 蒼龍は、少しの間天井を見つめ、大げさに咳払いをした。

「ま、まあ、あれだけ大々的に公表したんだし? 今更、なしにはできない……よな」
 
「え、で、でも……」
 小蘭は、たちまちそわそわと膝を揺らしはじめた。

「ふふ、よくお似合いですよ、あなた達は」
 ふたりの動揺を見透かすように、春明が煽る。

 小蘭はすっかり慌てていた。
 
 勝ったら——そう、蒼龍は私を「きさきにする」って。
 
(じゃあ、私は今日から蒼龍の……ってこと?)

 百面相のように表情を変える小蘭に、すねたように視線を逸らし、顔を赤くする蒼龍。
 ふたりを交互に見、春明はふっと微笑んだ。

「さてと、大きな怪我の治療は終わり。あとは小さな傷だけです。小蘭、残りの手当ての続きを」
「え、ちょっと待っ……」

「午後の回診に出かけてきます、頼みましたよ」
 春明は、小蘭の返事を待たずにさっさと御簾を上げ、へやから出ていってしまった。

 取り残された二人の間に、ぎこちない沈黙が流れる。

「そうだ! 手当て。手当てをしなくっちゃ」
 気まずい雰囲気から逃れるように、小蘭はあたふたと動き出した。
 春明のいおりに隠れている間、助手をやっていたから、多少の心得はある。
 慣れた様子で消毒布を手に、診療台に半身を肌けた姿で腰掛ける彼の手前に回る。

「じゃ、じゃあ、やるね。ちょっと染みるけど」
「お、おう。頼むわ」
 手を震わせながら消毒布を肩に当てようとした時、蒼龍の指が、ふと、その手首を握った。
 強くはない、けれど逃げられない程度の、温かい力。
 
「小蘭」
「な、なに……?」
 視線を上げると、蒼龍が思いのほか真剣な顔をしていた。
 小蘭の心臓が一気に跳ねる。
 だが次の瞬間、彼は急にへらっと笑い、いつもの調子に戻っている。

「まあ、色々あったけど。とりあえず俺たち、"夫婦"ってことで。……接吻ちゅーでもしとく?」
 
「な、何よそれ! あんま調子に乗ってると」

 顔を赤くして拳を振り上げかけた小蘭は、ふとその手を止めた。見ると、蒼龍は腰をほんの少し浮かせて「逃げる姿勢」になっている。

 つまり、いつものパターン。
 蒼龍はきっと、自分をわざと怒らせようとしているのだ。
(よーし、ならこっちだって!)

「まあ、いいけど?」
 小蘭はわざと、上目遣いに囁いてみせた。
 蒼龍の喉が、ごくりと鳴った。
 
「え、マ、まじで……?」
「もちろんいいわ、命を助けてもらったんだもの。キ、接吻キスくらいは……。何せ私、勝利の女神様だもの」

 引くに引けなくなった二人は、正面を向いて睨み合う。
 
「よ、よし。いいんだな。もう冗談抜きでやるぞ、やるからな」
「う、うん」
 
 小蘭がほんの少し身を屈めただけで、寝台に腰掛けた蒼龍とは目線があう。

 顎に、彼の指がそっとかかると、小蘭は力の限りに瞳を閉じた。

 小蘭の、案外長い睫毛が細かく震えている。
 自分の鼓動が、彼女にまで伝わってしまいそうで、蒼龍は思わず息を潜めた。

 吐息が、互いに重なりあう距離までゆっくりと近づいてゆく。

 そして――。
 
「蒼龍、小蘭。そういえば……。あ」
 
 絶妙な瞬間で、春明がぱらりと御簾を上げた。
 
 3人の間に、妙な空気が流れ出す。
 その緊張を、淡々とした春明の声が破った。
 
「あ、すみません、私としたことが忘れ物を……しかし、そういうのはここではなく、別の場所でやってもらってもいいですか」

「は、……はい」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

冷たい王妃の生活

柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。 三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。 王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。 孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。 「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。 自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。 やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。 嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。

処理中です...