後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第二章 華燭

32 幸福な寝息

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 窓を閉めることも灯りを消すことも、頭からすっかり抜けていた。緊張のためか、小蘭の動きは壊れかけの玩具のようにぎこちない。
 
「おい、右足と右手が一緒に出てるぞ」
「エエ、ソウデスネ」
 
「おーい、大丈夫かよ」
「ハハハ、ダイジョウブデスヨ、ソレデハ、シツレイシマス」
 まるで機械からくりのような不自然な仕草で、後ろ向きに布団の中に身体を突っ込む。

「こら、そんなんじゃ向こう側に落ちてしまう。ほら、もっとこっちにおいで」
 甘さを含んだ囁きとともに、蒼龍は小蘭の肩に手を伸ばす。
 指先が肩に触れた瞬間――。
 
「はひゃんっ」
 小蘭は妙な叫び声をあげ首をひっこめる。

「何だよ、変なやつ。そんなに俺が嫌なのか?」
「や、違う、違うのっ」
 蒼龍が眉をひそめると、焦った小蘭は氷が溶けたみたいに一気にしゃべり出した。
「あの、あのね。立場的にも覚悟・・はしてたのよ? でも……心の準備ってあるじゃない」
 小蘭の顔は、耳まで赤く染まっていた。脳髄まで痺れてしまったように、意味のある言葉が話せているか分からない。
 
「そ、それに私、実はこういうのって初めてで……ちょっぴりだけど、怖いな~、とか思っちゃったり。だから別に、あんたのことがイヤとかじゃなくて」

 ぐるぐる目を回しながら、思いついたことを次々と口に出す小蘭。
 その様をしばらくポカンとして見ていた蒼龍は、やがて大口を開けて笑い出した。

「ぶ……ははっ、アッハハハ」
「な、何がおかしいのよ、人が恥を忍んで打ち明けてるってのに!」
「はははっ、だって。君一体、俺に何されると思ってたんだ?」

「そ、そんなの決まってる……蒼龍、前に『ジジイより上手い』だとか『結婚したらこんなんじゃすまない』とか、言ってたじゃない!」

 彼はようやく笑いを止めた。

「何だよ、期待してたのか? そりゃあ残念だったな」
 蒼龍は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
 
「俺、ガキと子づくりしようとは思わないから。……そうだな、もし俺とどうにかなりたいのなら、もうちょっと胸のあたりを成長させて……イタッ、こらっ、何するんだ」
「もう、バカバカっ、このエロ皇子っ」
「わっ! ちょっと、落ちるから止めろって」

 行き場がなくなった羞恥心を打ち消すように、小蘭は、そのまま蒼龍に飛びかかった。寝台に膝立ちになり、蒼龍の長い髪に掴みかかる。
 手足を振り回し、防戦一方の彼を気が済むまで叩いた後、遂に疲れて背を向けた。

「フンッ、ちょっとでも触ったら許さないからね」
「だから言っただろ? 触んねえし。あ、でも。もうちょっと成長したらあるいは……いぃっ!」

 小蘭は綺麗な後ろ蹴りを蒼龍に命中させた後、上布団を全部奪って芋虫みたいに巻きつけた。

「おい、布団全部取るなよ。俺が風邪引くだろ!?」
「だってこれは私のだもん」
「譲り合いの精神は大切だろ?」

 取り合いの末に小蘭は、漸く彼に半分を渡してやる。

「絶っっ対、こっち向かないでね。向いたらまた暴れてやる」
「はいはい、分かりました」

 寝返ろうとした蒼龍を軽く蹴り上げ、背中を向けたのを確認した後に、小蘭は枕元の灯りを消した。
 
 部屋に、急に静けさが戻る。
 
 暗がりの中、ひとつの蒲団に背中合わせの小蘭と蒼龍。
 小蘭の意思に反して、心臓が早鐘を打ちはじめている。
 それを悟られるのがイヤで、モゾモゾと身体を端に寄せると、蒼龍はおかしそうに言った。

「そんなに離れたら落っこちるだろ。安心していい、本当になにもしないから」
「……」

 黙ったまま、少しだけ身体を内に寄せると、ほんの少しだけ触れる背中が、思った以上に温かい。長い間、二人とも黙ってそうしていた。

 心地よい温かさに、やがて小蘭の心音もおさまり、訪れた微睡みの中で、蒼龍はポツリと呟いた。

「……ここからはずっと遠い、海の真ん中にある島ではな。結婚したら、男から妻の部屋を訪れる習わしがあるんだって」
「え?」
 眠りに落ちかけていた小蘭がぼんやり返すと、彼は呟くように続けた。

「いいと思わないか? 金魚のアレみたいに引き連れてきた宦官どもの監視の中、宦官やつらの決めた妃と夜を過ごすよりも。俺は……逢いたい時に、逢いたい女に会いに行きたい」

「……なら蒼龍は、今日は私に”逢いたい”なんて思ってくれたわけだ。でもいいの? そんな勝手なことして」

 後宮のルールは息苦しいほどに厳しい。
 表向きは、皇后様(皇帝の正妃)の配下でも、実権は宦官が握っている。彼らの決め事は細部にわたり、誰であろうと従わなくてはならないと、後宮ここへ来た時から小蘭は嫌というほど知らされている。

 トロリと眠たそうな声で尋ねた小蘭に、蒼龍もまた眠たそうな声で答えた。
「だからさっき、窓からこっそり入っただろ? つまり、非公認、秘密ってこと。理由は……行列つくるのは嫌なのと、ここはすっげえ居心地がいい」

「そっかぁ……、ふふ」

 相変わらずのわがまま。でも、ちょっとだけ嬉しい。
 小蘭が幸せな気分で眠りに落ちかけた時、彼がモゾモゾと動く気配がした。

「それでさ。もうひとつついでに――ここからずっと西、絹の道の向こうでは、寝る前にがあるんだって」
「なあに?」
「その、恋人や夫婦、兄妹、親しい者は、眠る前に軽くキスするのが……「おやすみ」の挨拶なんだそうだ。だからさ、ちょっとだけ。そっち向いてもいい?」
「ん……いい……よ」

 本当は半分くらい起きている。だが小蘭は寝ぼけたふりをして、そっと内側に寝返った。
 うっすらと目を開くと、彼のまなざしは真っ直ぐにこちらを見つめている。
 
(だめだ、顔が熱い……。どうか、起きてることがバレませんように)
 
 眠ったふりでぎゅっと目を閉じると、小蘭の唇に、湿り気を帯びた温かい感覚が押し当てられた。

「おやすみ、小蘭」

 優しい声とともに、小蘭の頭に掌がかざされた次の瞬間には、静かな寝息が聞こえてきて――。

 その吐息に、小蘭は胸の奥が何とも言えず、くすぐったくなるのを感じていた。
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