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第二章 華燭
31 初めての夜
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「どうしたのよ蒼龍。こんなところに、一体何をしに来たの」
「何しにって……。ふうん、全体的に色が明るい。北の国の調度品って暖色が多いのか? 何だか気持ちまで暖かくなるな」
「ねえ、蒼龍」
「この椅子も、フカフカしてる。寝台は……う~ん、ふたりではちょっと狭いよな」
「ちょっと、蒼龍ってば!」
いきなりの訪れは、小蘭の胸を騒がしくした。
例の御前試合からひと月がたち、ようやく部屋が仕上がったばかりの頃だ。それまでのアプローチは一切なし。
(皇子が妃の房に来るなんて、普通じゃない。……どうしたのよ蒼龍、何があったの?)
戸惑うあまり、ついキツい口調になる小蘭に、蒼龍は一向に答える気もなく、ただもの珍しそうに部屋を見渡すばかり。彼の後ろを付いて回りながら、同じ質問を繰り返していた小蘭は、ついに声を大きくした。
「ねえ、蒼龍ってば。いい加減質問に答えてよ!」
「ん?」
その声に、ようやく蒼龍が振り返る。
「さっきから聞いてるんですけど。ここに一体何しに来たのよ」
「えー……。〝何しに来た〟とは連れないな。もちろん、“ツマ”に逢いに来たに決まってるじゃないか。いわゆる妻問ってやつだ」
「ツツ、ツマァ!?」
「今さら何を言ってるんだよ。元々そういう約束だっただろ」
「そ、それはそうだけど……。でも、今までずーっとほったらかしで……」
蒼龍の影がいつの間にやら間近にあった。
小蘭に向かって、艶然と微笑む。と思うと――。
「きゃあっ」
次の瞬間、小蘭の腰が抱き寄せられていた。
「逢いたかったよ、小蘭」
「ひゃ……あ、あの」
喉が引きつったようなおかしな声で返事をするうちに、二人が初めて出会った時と同じように、ゆっくりと顔が近づいてくる。ただし今回は、灯りに照らされた部屋の中で、互いを認識したうえでのこと。
く、くる!
小蘭は思わずギュッと瞳を閉じた。
が――。
「…………。あれ?」
いつまでもあの、柔らかい感触は訪れない。
沈黙のあと、小蘭が薄目を開けると。
蒼龍は耐えきれないとばかりに口元を押さえて笑っていた。
「っ、蒼龍…」
「ふふっ、もしかして期待した?」
蒼龍は小蘭の手を引いて立たせると、扉に向かって声をあげた。
「おーい袁婆さん、外で待ってないで、入ってきてもいいですよ」
「……」
やや間を置き、扉が開いた。
そこには、盆にたくさんの料理と酒器を乗せ、何食わぬ顔で婆やが立っていた。
「なっ……」
小蘭は、怒りを露にしてドカッと寝台に腰掛けた。そんな小蘭とは目を合わせずに、婆やはささっと食卓を整えて、蒼龍の杯に酒を注いだ。
そうして、
「では、婆はこれにて失礼を。……(小蘭様、ご首尾よく)」
小蘭だけに分かるよう母国語で囁き、素早く部屋を去っていった。どうやら、変な気を利かせたらしい。
その後ろ姿にべっと舌を出すも、早々にふたりきりにされた小蘭の胸はざわめくばかり。
蒼龍を振り返ると、よっぽどお腹が空いていたのか、ものすごい勢いで箸を動かし、がっついている。
(もう、一体何なのよ! 皇太子って、もっとこう優雅にさ。『美味しゅうございます』とか言いながら食べるんじゃないの?)
意地を張った小蘭は、ずっと寝台に座りこんでいたのだが、さっきから漂っている、良い香りが気になってしかたがなかった。
思わず生唾を飲み込んだ時、彼がしみじみと呟いた。
「しかし、この時間によくこれだけの料理を調達できたな。優秀なんだな、君の婆やは」
「……まあね」
小蘭は、鼻高々に返事した。
確かに、厨房はもう閉じている時間だっていうのに。いつもの強引さで料理番の宦官を叩き起こしたのだろうか。小蘭が頬を緩ませたところで、タイミング良く蒼龍が声をかけてきた。
「なあ小蘭。これ、食べたことあるか? ダックの皮。贅沢な宮廷料理の逸品だぞ~、ほら~」
蒼龍は、長い鉄の箸の先に黄金色の鴨皮をつかみ、ヒラヒラ~ッと持ち上げる。
「私は……、夜ご飯はもう済ませたし、お腹なんて空いてないし、別に」
口ではそう言いながらも、身体が勝手に吸い寄せられていく。
(だ、駄目よ小蘭。……私はもうお腹いっぱい。食べたくない……食べたくない……のに!)
対面に座ろうと、円卓に近寄ったかと思うと。
「んんッ!?」
ぐいっと蒼龍の腕が伸び、口の中にダックの香ばしい香りが広がった。
「どうだ、美味しいだろ?」
「おいし……」
その日、宮廷の美味にあっさり懐柔された小蘭は、それからは嘘のように楽しい時間を過ごすことになった。
お酒で饒舌になったのか、蒼龍は小蘭に色々な話をした。政務の内容や宮廷の仲間の話……中でも、賑やかな城下街の話が気に入った小蘭は、何度も彼に質問をした。
やがて夜も更け――。
「ふぁっ」
欠伸をした小蘭に、蒼龍はとんでもないことを言い出した。
「ああ、悪い。遅くなってしまったな。そろそろ寝るか」
「え? 眠るって、……ここで?」
「当たり前だろ。そのためにここに来たんだぜ、俺」
「あ……」
小蘭の頭が、一瞬で真っ白になった。
あっけらかんとしている彼を前に、小蘭はガチガチに固まってしまった。
そんな小蘭をよそに、蒼龍はドサッと寝台に沈み込む。
「はー、疲れた。『皇帝の生誕を祝う祭』についての、下らない会議が全く終わらなくてさ。うーん、やっぱり二人だと狭いな寝台。一回り大きいものに入れ替えてもらうか。……ん、どうした小蘭、来ないのか」
「た、ただいま参り――」
胸の鼓動のせいで、声が震える。
「何しにって……。ふうん、全体的に色が明るい。北の国の調度品って暖色が多いのか? 何だか気持ちまで暖かくなるな」
「ねえ、蒼龍」
「この椅子も、フカフカしてる。寝台は……う~ん、ふたりではちょっと狭いよな」
「ちょっと、蒼龍ってば!」
いきなりの訪れは、小蘭の胸を騒がしくした。
例の御前試合からひと月がたち、ようやく部屋が仕上がったばかりの頃だ。それまでのアプローチは一切なし。
(皇子が妃の房に来るなんて、普通じゃない。……どうしたのよ蒼龍、何があったの?)
戸惑うあまり、ついキツい口調になる小蘭に、蒼龍は一向に答える気もなく、ただもの珍しそうに部屋を見渡すばかり。彼の後ろを付いて回りながら、同じ質問を繰り返していた小蘭は、ついに声を大きくした。
「ねえ、蒼龍ってば。いい加減質問に答えてよ!」
「ん?」
その声に、ようやく蒼龍が振り返る。
「さっきから聞いてるんですけど。ここに一体何しに来たのよ」
「えー……。〝何しに来た〟とは連れないな。もちろん、“ツマ”に逢いに来たに決まってるじゃないか。いわゆる妻問ってやつだ」
「ツツ、ツマァ!?」
「今さら何を言ってるんだよ。元々そういう約束だっただろ」
「そ、それはそうだけど……。でも、今までずーっとほったらかしで……」
蒼龍の影がいつの間にやら間近にあった。
小蘭に向かって、艶然と微笑む。と思うと――。
「きゃあっ」
次の瞬間、小蘭の腰が抱き寄せられていた。
「逢いたかったよ、小蘭」
「ひゃ……あ、あの」
喉が引きつったようなおかしな声で返事をするうちに、二人が初めて出会った時と同じように、ゆっくりと顔が近づいてくる。ただし今回は、灯りに照らされた部屋の中で、互いを認識したうえでのこと。
く、くる!
小蘭は思わずギュッと瞳を閉じた。
が――。
「…………。あれ?」
いつまでもあの、柔らかい感触は訪れない。
沈黙のあと、小蘭が薄目を開けると。
蒼龍は耐えきれないとばかりに口元を押さえて笑っていた。
「っ、蒼龍…」
「ふふっ、もしかして期待した?」
蒼龍は小蘭の手を引いて立たせると、扉に向かって声をあげた。
「おーい袁婆さん、外で待ってないで、入ってきてもいいですよ」
「……」
やや間を置き、扉が開いた。
そこには、盆にたくさんの料理と酒器を乗せ、何食わぬ顔で婆やが立っていた。
「なっ……」
小蘭は、怒りを露にしてドカッと寝台に腰掛けた。そんな小蘭とは目を合わせずに、婆やはささっと食卓を整えて、蒼龍の杯に酒を注いだ。
そうして、
「では、婆はこれにて失礼を。……(小蘭様、ご首尾よく)」
小蘭だけに分かるよう母国語で囁き、素早く部屋を去っていった。どうやら、変な気を利かせたらしい。
その後ろ姿にべっと舌を出すも、早々にふたりきりにされた小蘭の胸はざわめくばかり。
蒼龍を振り返ると、よっぽどお腹が空いていたのか、ものすごい勢いで箸を動かし、がっついている。
(もう、一体何なのよ! 皇太子って、もっとこう優雅にさ。『美味しゅうございます』とか言いながら食べるんじゃないの?)
意地を張った小蘭は、ずっと寝台に座りこんでいたのだが、さっきから漂っている、良い香りが気になってしかたがなかった。
思わず生唾を飲み込んだ時、彼がしみじみと呟いた。
「しかし、この時間によくこれだけの料理を調達できたな。優秀なんだな、君の婆やは」
「……まあね」
小蘭は、鼻高々に返事した。
確かに、厨房はもう閉じている時間だっていうのに。いつもの強引さで料理番の宦官を叩き起こしたのだろうか。小蘭が頬を緩ませたところで、タイミング良く蒼龍が声をかけてきた。
「なあ小蘭。これ、食べたことあるか? ダックの皮。贅沢な宮廷料理の逸品だぞ~、ほら~」
蒼龍は、長い鉄の箸の先に黄金色の鴨皮をつかみ、ヒラヒラ~ッと持ち上げる。
「私は……、夜ご飯はもう済ませたし、お腹なんて空いてないし、別に」
口ではそう言いながらも、身体が勝手に吸い寄せられていく。
(だ、駄目よ小蘭。……私はもうお腹いっぱい。食べたくない……食べたくない……のに!)
対面に座ろうと、円卓に近寄ったかと思うと。
「んんッ!?」
ぐいっと蒼龍の腕が伸び、口の中にダックの香ばしい香りが広がった。
「どうだ、美味しいだろ?」
「おいし……」
その日、宮廷の美味にあっさり懐柔された小蘭は、それからは嘘のように楽しい時間を過ごすことになった。
お酒で饒舌になったのか、蒼龍は小蘭に色々な話をした。政務の内容や宮廷の仲間の話……中でも、賑やかな城下街の話が気に入った小蘭は、何度も彼に質問をした。
やがて夜も更け――。
「ふぁっ」
欠伸をした小蘭に、蒼龍はとんでもないことを言い出した。
「ああ、悪い。遅くなってしまったな。そろそろ寝るか」
「え? 眠るって、……ここで?」
「当たり前だろ。そのためにここに来たんだぜ、俺」
「あ……」
小蘭の頭が、一瞬で真っ白になった。
あっけらかんとしている彼を前に、小蘭はガチガチに固まってしまった。
そんな小蘭をよそに、蒼龍はドサッと寝台に沈み込む。
「はー、疲れた。『皇帝の生誕を祝う祭』についての、下らない会議が全く終わらなくてさ。うーん、やっぱり二人だと狭いな寝台。一回り大きいものに入れ替えてもらうか。……ん、どうした小蘭、来ないのか」
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