後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第二章 華燭

45 微熱

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 これなら確かに、皇后様の目論見どおりに曹丞相の思惑は頓挫しそうだ。
 
 凛麗と蒼龍はそもそも、最初から別々の方向を向いている。長い年月をかけてできた溝はきっと、埋めようがないほど深い――そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなった。
 
 今、凛麗にとって、私は最大の邪魔者だ。となれば皇后様の言う通り、どんな手を使って排除されたって不思議じゃない。
 蒼龍だって、いつでもそばにいて護ってくれるわけじゃない。
 よしんば蒼龍の子を身ごもったとして、この後宮で、自分と自分の中の命、ふたつまとめて護り切る自信なんてない。

「うーん……」
 
 いつしか小蘭は、手持ち無沙汰に叩いていた布団の端を握りしめていた。

 喉が渇く。呼吸が浅い。
 帳の向こうで、夜灯が不穏に揺れたように見える。

 そして、第二の懸念。
 もしも、蒼龍と凛麗との婚姻が潰えたと曹丞相が知り、追い詰められたら――。
 
 夜の宮城に響く剣の音を聞いた気がした。蒼龍を取り巻く黒い影。やがてその輪がじりじりと狭まり――。
 
 小蘭はぞっとして身を震わせた。
 今は何とか保たれているギリギリの均衡。崩れるか崩れないかは、皇帝の老いの早さ次第、時間はそう長くない。

(皇后様、やはり無理です。こんな難しいこと……私には担えないよ)
 
「はぁ……詰んだ」
 小蘭が、ため息とともに羽根布団に顔を潜らせかけた時。

 蒼龍が、低い声でぽつりといった。
「一体何が『詰んだ』んだ?」
 低い声に驚いて、小蘭の肩がびくんと跳ねた。
 気がつくと、蒼龍がいぶかしそうに小蘭を見ている。
 
「……え? ああ、別に何でも――」
「つかさ」
 そのまま布団に潜ろうとすると、彼がぐっと身を寄せてきた。
 
「さっきから何かおかしくないか? 何でそんなに凛麗と俺との話を聞くんだよ。まさか小蘭、俺が凛麗と結婚してほしいとでも思ってるのか?」
「え、やだな、そんなワケ……」
 
「だとしたら、だ。俺はいたく傷ついたぞ。日々これでもかというくらい純愛と、貞節を君に捧げているっていうのに」

「は? 純愛? どこにそんなものが?」
 わざとキョロキョロ辺りを見渡す小蘭に、蒼龍がすっと腰を上げた。
 
「何だとこら、聞き捨てならんな。そんな悪い妻には……お仕置きだ!」
「え、ちょっと、ま……!」

 言わんや否や、蒼龍は小蘭に覆いかぶさってきた。脚が絡まり、逃げ場がなくなる。
 心臓がどきりと跳ねた。
 さっきまでの恐怖とは違う脈動が、胸の奥を叩いている。

 そうして――。

「ぎゃっ、あはは……あははっ、ちょっとやめて、くすぐったいったら!」
 
 脇腹を容赦なくくすぐりはじめた蒼龍に、小欄は身をよじって逃げまどう。
 笑い声が弾けるたびに、息が震える。
 
「もう許さん。さあ言え、誰に吹き込まれた? 皇后か、それとも宦官長か!」

 身をよじって逃げようとするも、しっかりと脚に挟まれて動けない。
 息が苦しい。
 それなのに、身体の奥のほうの熱が、どんどん増してゆく。

 一瞬、全ての音が止んだ気がした。
 
(あれ? これ……何か変)

 手の重みだけが身体に残り、くすぐったさに妙な高揚がまざりだす。
 笑い声に混じる息づかいが、次第に甘く変容していく。

 体の芯が熱い。

「……っ、あぁ」
 笑い声に懸命に隠したその声が、とうとう漏れ出した瞬間――。
 蒼龍の手が、ぴたりと止まった。目が大きく見開かれて、弾かれたように小蘭から身体を離す。

「悪い。……少し、調子に乗りすぎた」
「え……あ、ううん」

(止めなくたって……いいのに)
 小蘭の、心の声が蒼龍に聞こえるはずもなく。
 蒼龍は、広い寝台の向こう側へと転がった。

 広い背中が、自分を拒絶しているように見える。自分の熱だけが、取り残されたようで少し哀しい。
 小蘭の胸はきゅんと疼いた。

「そうだ、こんな事してる場合じゃなかった。明日は朝早くから、新しい娯楽施設の視察があるんだ」
「娯楽施設? 何それ、何だか面白そう」
 
「うん、『劇場』って言うらしい。なんでも西の砂漠を渡った国から……って、もうダメ! さすがにこれ以上君と遊んでたら、明日遅刻しちまう。お休み」

「えー、途中でやめたら気になるじゃない、教えてよ~」
「ダメ!」

 くるりと背を向けた蒼龍に向かってわめきながらも、さっきまでの寂しさはすっかり消えてなくなっていた。
 
 頭上の灯りをふっと消し、小蘭は布団に潜り込んだ。さっき、蒼龍に触れられた場所がまだ脈を打っている。

 今宵は新月、真っ暗な中に、蒼龍の吐息だけが聞こえてくる。

 それなのに身体の芯に残った熱は、まだ埋火うずみびのようにくすぶっていた――。
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