後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

文字の大きさ
55 / 66
第二章 華燭

53 約束の口づけ

しおりを挟む
 それからの小蘭は、何かと忙しかった。
 目を覚ましたと知れ渡り、見舞い客が押し寄せたのだ。

「ゴメンなさい、協力しないと、天ゞてんてんちゃんを殺すぞって脅されて……だから私!」

 天ゞてんてんちゃんとは、尚真が国から連れてきた、獅子狗シーズーの名前だ。

「いいよもう。必死で助けようとしてくれたって聞いたから。こっちこそゴメン、悩んでたの知ってたのに」
「わ、私……う、うわぁ……んっ」
「ち、ちょっと、落ち着いて」

 泣き出した尚真をようやく追い返したと思ったら、お次は婆やや仲のいい女官や妃が、しまいにはあの雲流までが枕元に現れた。
 
「頼むよぉ。バレたらオレ、殺されちまう……!」
 
 その後も、ひっきりなしに人が訪れ――それは、春明が夕食を運んでくるまで延々と続いた。

 だが。

「ねえ、先生」
「少し疲れましたか。さあ、あとはゆっくり休んで」

 枕元に置かれた卵粥が、何とも言えない芳香を漂わせ、小蘭の食欲を刺激する。

「ううん、たくさん寝たから平気よ」

 一匙を口に含むと、えも言われぬほどの甘みが広がる。
 しばらくそれを味わった後、小蘭はおもむろに切り出した。

「あの……私が眠ってる間、蒼龍は来た……?」
「ふふ、気になりますか?」

 茶を入れる手を止め、春明が柔らかく微笑んだ。
 
「べ、別に! そういうわけじゃないんだけど。助けてもらったお礼くらいは……さ」

「ご安心なさい。蒼太子は、あなたを忘れていませんよ?昨日も一昨日も来られましたし。……ただ、今は少し忙しいのでしょうね」
 先生の顔が、ふと曇った。

「何か……あったの?」
 一瞬、春明が何かをためらったように見え、小蘭は首を傾げた。
 
「いえ、大したことではありません。何なら、あなたが目覚めたと、伝令をやりましょうか。きっと、飛んできますよ?」
「い、いいっ! 大丈夫、いらないっ」
 
 からかう口調は、もういつもの春明と変わらない。
 小蘭は、目の前の粥にがっつくことで、胸のざわつきを誤魔化した。

 それから更に二日が経った、真夜中――

(小蘭、小蘭)
「うん、うるさいな……何」

(起きろ、俺だ)
「うーん……何よもう……え、蒼龍!」

 揺り起こされ、無理やり開いた寝ぼけ眼に、青藍せいらんの衣装が映った。

「蒼龍!」
 小蘭は蒲団を跳ねのけて起き上がった。

「どうしたの、こんな真夜中に。どうやって入ってきたの? 火傷とかしなかった? 忙しいの終わったの?」

 小蘭の慌てふためいた様子を、蒼龍はただ黙って微笑みながら見下ろしている。

「ねえ、蒼――」

 と、朱色の格子窓から、にわかに白い月が顔を出した。
 月光が、憂いを帯びた切ない微笑みを照らし出す。
 
 そこにあるのは、失うかもしれなかった恐怖からようやく解放された安堵、後悔、再び逢うことが叶った喜び。
 
 まるで夢幻ゆめまぼろしのような美しさに、小蘭が思わず息を止めたその刹那。

「良かった、生きてて」
 
 蒼龍の腕が、小蘭をふわりと包み込む。
「何するのよっ」
 普段なら、悪態をついて突き放す場面だ。
 でも、今宵はどうしたことか、ひとつとして声にならない。

 ドクン、ドクン。

 重なり合った胸の音が、同調シンクロしてさらに大きく振れている。
 二人はしばらくそのままでいた。

 やがて蒼龍は、ゆっくりと小蘭の身体を離すと、顎にそっと指をかけ、おもむろに口を塞いだ。

「よかった、本当に」
「蒼――」

 いつもなら、軽く合わせて終わる口づけ。
 だが、今夜、蒼龍はさらに唇を開かせて、深く口づけた。
 それは、いつものふざけ合いの「おやすみの口づけ」とは違う接吻キス
 
 あたかも三年前、初めて出会った夜に、蒼龍が自分を黎妃様と間違えてそうしたような。
 でも今宵のは、黎妃の身代わりにではない、確かに、蒼龍皇子が小蘭自身にくれたもの。
 
 最初のうちはぎこちなく、頑なだった小蘭も、いつしかそれをうっとりと受け入れていた。
 なんて甘くて切なくて、そして哀しいんだろう。
 
 そんな二人を、淡く白い月光が柔らかに照らし出す。

 もう、後戻りは出来ない。そう思うと、少しだけ怖い。
 それでも手放したくないと、小蘭は、錦糸青藍の裾を握りしめた。
 ――私はもう、この温もりを知ってしまったから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

冷たい王妃の生活

柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。 三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。 王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。 孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。 「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。 自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。 やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。 嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。

処理中です...