13 / 16
第1章
権藤家の病
しおりを挟む
私は、はっと息を呑んだ。
彼の身に起こった話はあまりに奇抜、かつ救いがない。
私が言葉に詰まったのを、戸惑いと捉えたのか、宿禰様のお声がふっと乾いた。
「ええ、全てを真に受けて頂かなくとも構いませんーーにわかには、信じがたい話ですから」
「いいえ、いいえ! 信じております。宿禰様はこれまで、私に嘘を申されたことはございません」
私は、机の角に目を落とした。
「でも、これでようやく解りましたわ。お義母様は、宿禰様を元にもどそうと必死なのですね。なのに、ご自身では出来ない歯痒さに、ついきつい態度を取って」
その言葉を聞いた途端、宿禰様のお顔が険しく歪んだ。
葉柄の紺座布団の端を、無意識に固い拳で掴んでいらっしゃる。
「残念ながら……それは、少し性質が違うように思います」
「――それは一体」
口元を押さえた着物の袖が、ちろちろ揺れる行灯の灯りに鈍く光った。
「母はおそらく、私を治したいのではありません。〝元に戻したい〟のでもない。母が恐れているのは――〝跡取りとしての価値が失われること〟なのです」
「そんな……」
さすがに被害妄想ではないのか。そう考えた私は、やはり甘かったのだ。
悲しみに歪むその表情のまま、彼は言葉を紡ぎ始めた。
「『巽巳家』の再興のため――母は、父の、権藤家の財産をあてにしています」
彼は、再び天井を仰ぎ見た。
まるで、人であれば流れ落ちる涙を止めようとしているかのように。
「一方で父は豪快な男、あちこちに妾や隠し子もある……母は、不安なのです」
ふと、声を詰まらせる。
「外へ出せない今の僕を、父が、いずれ廃嫡してしまうのではないかと。そうなれば実家の再興どころか、己の立場さえ危うい」
「そんな! お腹を痛めて、あなた様を産んだのですよ? それだけではないはずです」
思わず声を大きくした私に、宿禰様は、ゆるやかに頭を横に振った。
「……残念ながら。あの後母は、高名な祈祷師を呼びつけて、僕の姿を使用人に移す事を試みました。母の愛を持つ女がーー人の子に、我が子と同じ苦しみを与えようとするでしょうか」
口を噤み、私は眉根をぎゅっと寄せた。
「陽毬さんは……使用人の幾人かが僕について悪し様に云うのを、聞いたことないですか?」
「あ……」
哀しい表情に、乾いたお声。
そうか。彼の語りに、何ひとつ妄想はないのだ。
「彼らが僕の姿を嫌い、恨むのにも事情があるのですよ」
「でも、それは宿禰様の望んだ事ではないのでしょう? お義母様が勝手に……!」
彼は、再び首を振った。
「その頃の僕は、失意のどん底にいました。母の所業を止められもせず、ただなすがままの木偶人形。彼らにとっては僕もまた、非道な雇用主、ということです」
「そんな……」
彼はまた、淡々と続けた。
「三年ほどは、それが続いたと思います。しかしこの通り、全ての目論見は上手くいかず。次に母は、ふたつ目の方法を試みました。すなわち」
「宿禰様に、花嫁を」
「そう。母は、男の言った『真心を込めて僕に尽くす乙女』というのを、そのように解釈したのです」
「それでしたら! 私の聞き及んだこの契約婚の条件にも符号します」
宿禰様は、ほう、とため息をついた。
「そう、ですか。……いずれにしろ酷い話です。自分たちの失態を、全く落ち度のない他人に担わせようというのですから」
――なぜだろう。
宿禰様のお話は、筋が通っているはずなのに。
本音が――少しも見えてこない。
語られる内容に比べて、いやに淡々としているから?
いや、怒りや悲しみは伝わってくる。なのに――。
胸の奥で、何かが静かに拒んでいる。
私は、知らずのうちに腹のあたりに手を当てていた。
理由は分からない。ただ、冷えたように感じた。
しばらくの間、黙っていた宿禰様が、再び口を開く。
「……母は」
そこで、言葉が一瞬、途切れた。
「え?」
尋ね返した私に、にわかに彼の声が強張る。
「……母の目論見は、それだけではない。母の用意した次の一手……陽毬さん、これを話せばあなたはきっと、権藤家を軽蔑すると思います」
いつもとは違う、低く唸るような声を、私は恐いと感じた。ビクッと揺らした肩に気づき、彼は幾分声を和らげる。
「本音を言えば隠したい。それでも僕は、あなたにこそ、打ち明けなくてはいけないと思うのです」
宿禰様の声が、震えている。
その怯えが、私の中にまで伝わってくる。
――これは、もう他人事ではない。
そう考えた瞬間、行灯の灯りが、暗く揺れた。
彼の身に起こった話はあまりに奇抜、かつ救いがない。
私が言葉に詰まったのを、戸惑いと捉えたのか、宿禰様のお声がふっと乾いた。
「ええ、全てを真に受けて頂かなくとも構いませんーーにわかには、信じがたい話ですから」
「いいえ、いいえ! 信じております。宿禰様はこれまで、私に嘘を申されたことはございません」
私は、机の角に目を落とした。
「でも、これでようやく解りましたわ。お義母様は、宿禰様を元にもどそうと必死なのですね。なのに、ご自身では出来ない歯痒さに、ついきつい態度を取って」
その言葉を聞いた途端、宿禰様のお顔が険しく歪んだ。
葉柄の紺座布団の端を、無意識に固い拳で掴んでいらっしゃる。
「残念ながら……それは、少し性質が違うように思います」
「――それは一体」
口元を押さえた着物の袖が、ちろちろ揺れる行灯の灯りに鈍く光った。
「母はおそらく、私を治したいのではありません。〝元に戻したい〟のでもない。母が恐れているのは――〝跡取りとしての価値が失われること〟なのです」
「そんな……」
さすがに被害妄想ではないのか。そう考えた私は、やはり甘かったのだ。
悲しみに歪むその表情のまま、彼は言葉を紡ぎ始めた。
「『巽巳家』の再興のため――母は、父の、権藤家の財産をあてにしています」
彼は、再び天井を仰ぎ見た。
まるで、人であれば流れ落ちる涙を止めようとしているかのように。
「一方で父は豪快な男、あちこちに妾や隠し子もある……母は、不安なのです」
ふと、声を詰まらせる。
「外へ出せない今の僕を、父が、いずれ廃嫡してしまうのではないかと。そうなれば実家の再興どころか、己の立場さえ危うい」
「そんな! お腹を痛めて、あなた様を産んだのですよ? それだけではないはずです」
思わず声を大きくした私に、宿禰様は、ゆるやかに頭を横に振った。
「……残念ながら。あの後母は、高名な祈祷師を呼びつけて、僕の姿を使用人に移す事を試みました。母の愛を持つ女がーー人の子に、我が子と同じ苦しみを与えようとするでしょうか」
口を噤み、私は眉根をぎゅっと寄せた。
「陽毬さんは……使用人の幾人かが僕について悪し様に云うのを、聞いたことないですか?」
「あ……」
哀しい表情に、乾いたお声。
そうか。彼の語りに、何ひとつ妄想はないのだ。
「彼らが僕の姿を嫌い、恨むのにも事情があるのですよ」
「でも、それは宿禰様の望んだ事ではないのでしょう? お義母様が勝手に……!」
彼は、再び首を振った。
「その頃の僕は、失意のどん底にいました。母の所業を止められもせず、ただなすがままの木偶人形。彼らにとっては僕もまた、非道な雇用主、ということです」
「そんな……」
彼はまた、淡々と続けた。
「三年ほどは、それが続いたと思います。しかしこの通り、全ての目論見は上手くいかず。次に母は、ふたつ目の方法を試みました。すなわち」
「宿禰様に、花嫁を」
「そう。母は、男の言った『真心を込めて僕に尽くす乙女』というのを、そのように解釈したのです」
「それでしたら! 私の聞き及んだこの契約婚の条件にも符号します」
宿禰様は、ほう、とため息をついた。
「そう、ですか。……いずれにしろ酷い話です。自分たちの失態を、全く落ち度のない他人に担わせようというのですから」
――なぜだろう。
宿禰様のお話は、筋が通っているはずなのに。
本音が――少しも見えてこない。
語られる内容に比べて、いやに淡々としているから?
いや、怒りや悲しみは伝わってくる。なのに――。
胸の奥で、何かが静かに拒んでいる。
私は、知らずのうちに腹のあたりに手を当てていた。
理由は分からない。ただ、冷えたように感じた。
しばらくの間、黙っていた宿禰様が、再び口を開く。
「……母は」
そこで、言葉が一瞬、途切れた。
「え?」
尋ね返した私に、にわかに彼の声が強張る。
「……母の目論見は、それだけではない。母の用意した次の一手……陽毬さん、これを話せばあなたはきっと、権藤家を軽蔑すると思います」
いつもとは違う、低く唸るような声を、私は恐いと感じた。ビクッと揺らした肩に気づき、彼は幾分声を和らげる。
「本音を言えば隠したい。それでも僕は、あなたにこそ、打ち明けなくてはいけないと思うのです」
宿禰様の声が、震えている。
その怯えが、私の中にまで伝わってくる。
――これは、もう他人事ではない。
そう考えた瞬間、行灯の灯りが、暗く揺れた。
1
あなたにおすすめの小説
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】偽りの華は後宮に咲く〜義賊の娘は冷徹義兄と食えない暗愚皇帝に溺愛される〜
降魔 鬼灯
キャラ文芸
義賊である養父を助けるため大貴族の屋敷に忍び込んだ燕燕は若き当主王蒼月に捕まる。
危うく殺されかけた燕燕だが、その顔が逃げた妹、王珠蘭に似ていることに気付いた蒼月により取引を持ちかけられる。
逃げた妹の代わりに顔だけは綺麗な暗君である皇帝の妃を決める選秀女試験に出て不合格になれば父の解放を約束するという密約を交わした。
記憶力抜群、運動神経抜群、音楽的才能壊滅の主人公が父のために無難な成績での選秀女試験不合格を勝ち取れるのか。
実は食えない性格の皇帝と冷徹だがマメな義兄蒼月に振り回され溺愛される燕燕は無事2人から解放されるのか。
後宮コメディストーリー
完結済
続編投稿予定のため完結設定はしていません
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜
高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀!
片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。
貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。
しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。
利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。
二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー?
曄琳の運命やいかに!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる