大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる

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第1章

権藤家の病

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 私は、はっと息を呑んだ。

 彼の身に起こった話はあまりに奇抜、かつ救いがない。
 
 私が言葉に詰まったのを、戸惑いと捉えたのか、宿禰様のお声がふっと乾いた。
 
「ええ、全てを真に受けて頂かなくとも構いませんーーにわかには、信じがたい話ですから」

「いいえ、いいえ! 信じております。宿禰様はこれまで、私に嘘を申されたことはございません」

 私は、机の角に目を落とした。
 
「でも、これでようやく解りましたわ。お義母様は、宿禰様を元にもどそうと必死なのですね。なのに、ご自身では出来ない歯痒さに、ついきつい態度を取って」
 
 その言葉を聞いた途端、宿禰様のお顔が険しく歪んだ。
 葉柄の紺座布団の端を、無意識に固い拳で掴んでいらっしゃる。
 
「残念ながら……それは、少し性質が違うように思います」
「――それは一体」
 口元を押さえた着物の袖が、ちろちろ揺れる行灯の灯りに鈍く光った。

「母はおそらく、私を治したいのではありません。〝元に戻したい〟のでもない。母が恐れているのは――〝跡取りとしての価値が失われること〟なのです」

「そんな……」

 さすがに被害妄想ではないのか。そう考えた私は、やはり甘かったのだ。
 悲しみに歪むその表情のまま、彼は言葉を紡ぎ始めた。
 
「『巽巳家』の再興のため――母は、父の、権藤家の財産をあてにしています」

 彼は、再び天井を仰ぎ見た。
 まるで、人であれば流れ落ちる涙を止めようとしているかのように。
 
「一方で父は豪快な男、あちこちにめかけや隠し子もある……母は、不安なのです」

 ふと、声を詰まらせる。
 
「外へ出せない今の僕を、父が、いずれ廃嫡してしまうのではないかと。そうなれば実家の再興どころか、己の立場さえ危うい」

「そんな! お腹を痛めて、あなた様を産んだのですよ? それだけではないはずです」
 
 思わず声を大きくした私に、宿禰様は、ゆるやかにかぶりを横に振った。
 
「……残念ながら。あの後母は、高名な祈祷師を呼びつけて、僕の姿を使用人に移す事を試みました。母の愛を持つ女がーー人の子に、我が子と同じ苦しみを与えようとするでしょうか」
 
 口を噤み、私は眉根をぎゅっと寄せた。
 
「陽毬さんは……使用人の幾人かが僕について悪し様に云うのを、聞いたことないですか?」
「あ……」
 
 哀しい表情に、乾いたお声。
 そうか。彼の語りに、何ひとつ妄想はないのだ。
 
「彼らが僕の姿を嫌い、恨むのにも事情があるのですよ」

「でも、それは宿禰様の望んだ事ではないのでしょう? お義母様が勝手に……!」

 彼は、再び首を振った。
 
「その頃の僕は、失意のどん底にいました。母の所業を止められもせず、ただなすがままの木偶でく人形。彼らにとっては僕もまた、非道な雇用主、ということです」
「そんな……」
 
 彼はまた、淡々と続けた。
 
「三年ほどは、それが続いたと思います。しかしこの通り、全ての目論見は上手くいかず。次に母は、ふたつ目の方法を試みました。すなわち」
「宿禰様に、花嫁を」
 
「そう。母は、男の言った『真心を込めて僕に尽くす乙女』というのを、そのように解釈したのです」
「それでしたら! 私の聞き及んだこの契約婚の条件にも符号します」
 
 宿禰様は、ほう、とため息をついた。
「そう、ですか。……いずれにしろ酷い話です。自分たちの失態を、全く落ち度のない他人に担わせようというのですから」

 ――なぜだろう。
 宿禰様のお話は、筋が通っているはずなのに。
 本音が――少しも見えてこない。
 
 語られる内容に比べて、いやに淡々としているから?
 いや、怒りや悲しみは伝わってくる。なのに――。
 
 胸の奥で、何かが静かに拒んでいる。

 私は、知らずのうちに腹のあたりに手を当てていた。
理由は分からない。ただ、冷えたように感じた。

 しばらくの間、黙っていた宿禰様が、再び口を開く。
 
「……母は」
 そこで、言葉が一瞬、途切れた。
「え?」
 尋ね返した私に、にわかに彼の声が強張る。
 
「……母の目論見は、それだけではない。母の用意した次の一手……陽毬さん、これを話せばあなたはきっと、権藤家ぼくらを軽蔑すると思います」
 
 いつもとは違う、低く唸るような声を、私は恐いと感じた。ビクッと揺らした肩に気づき、彼は幾分声を和らげる。

「本音を言えば隠したい。それでも僕は、あなたにこそ、打ち明けなくてはいけないと思うのです」

 宿禰様の声が、震えている。
 その怯えが、私の中にまで伝わってくる。

 ――これは、もう他人事ではない。
 
 そう考えた瞬間、行灯の灯りが、暗く揺れた。
 
 

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