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第1章
陽毬の決意
しおりを挟む「陽毬さん、率直にお伺いします。あなたは、僕の子を授かりたいと思いますか」
ハッとして息を呑んだ。
それは夫婦である以上、避けて通れぬ問いだ。だが――。
問いかける彼の瞳は、真っ黒に澄んでいる。
よく考え、私はそっと首を横に振った。
「……正直にお答えしますね。私は、宿禰様のことを人として尊敬しております。慕っていると言ってもいいくらい。ですが――」
彼の瞳は、いまだ真っ直ぐに私を見、その中に落胆は見えない。
意を決して、胸につかえていた言葉を吐き出した。
「異性として好きかと問われれば、正直よく分かりません。ましてや、子を望むと仰られれば、少し恐ろしくも感じてしまいます。それは、あなたの容姿も含めて」
彼は、ふっと息を吐いた。
「それを聞いて安心しました。僕も同じ気持ちです。だが……」
彼は再び、苦い声を絞り出した。
「母は違う。僕が元に戻らない場合のことを見据えて、花嫁をあてがっているのです。即ち――」
「孫を授かれば、宿禰様の代わりに後継に据えられる?」
「その通り。そうすれば、ご自分の血統を残せるものと考えています」
「それで、私にあのような話を……」
「すみません……。どうです陽毬さん。こんな話を聞いても、まだあなたは権藤家に居ようと思いますか?」
私は、その問いには答えず、別の問いを宿禰様に投げた。
「お義父様は――どう受け止めていらっしゃるのです」
さっきのお話の中では、異様な存在感を放ちながらも、一向にそのお気持ちが浮かんでこないのが気になった。
私の問いに、宿禰様は目を伏せた。
「父、ですか」
少し考え、訥々と話し出す。
「……僕がこの姿とともに得た『慧眼』――商売の先を見通す力のことですが――これを使って、父は商売を大きくしました。そして、僕には月に一度、労わりのお手紙をくださいます。ですが……」
「五年間、一度も顔を見せに来たことはないのですね?」
「……ええ。父と母が、今の僕を見ようとしないのは、罪の意識から目をそらすためかと」
宿禰様は、恥じ入るように正座の膝頭を見つめた。
風ひとつ流れない地下の空間。
それでも空気が澱まず、澄んでいるように感じるのは、ただ宿禰様がここに在るからだろうか。
「――父は、本心を僕に明かしません。何を考えておられるのか……母以上に分からない」
「それは、〝愛しているか〟も含めて?」
「……はい。でもそんな父を、母は愛しています。裏腹な態度を取ることで、父の心に自身を留めおこうとなさる」
一息、つく。
「そして、母から逃げるように、父は外へ安らぎを求める……。その不器用さを見ていると、酷い仕打ちを恨みながらも、母を憎みきれないのです」
私と宿禰様の間には、長い沈黙が横たわった。
揺れる行灯の灯を、見るともなく見る。
――ああ、なんという話を聞いてしまったんだろう。
こんな呪われた一家からは、一刻も早く離れて、優しい父母の元へ戻りたい。
それでもなお、一番に私の心を占めるのは。
――何てこと!
自身に何の落ち度もなく、ただ真っ直ぐ生きてこられた宿禰様が。
ご自身の身を犠牲にして、一身に一家の愛憎を、欲望を、罪を請け負ってしまわれた。
そんなの、酷い。
そんなの、悲しい。
そんなの――
「ゆ、る……っせるかああぁーー!」
「!???」
思わず膝立ちになり、拳を握って叫ぶ私に、宿禰様は驚いて顔を上げた。
「ど、ど、どうしたのです陽毬さん。何かご様子が……」
「宿禰様!」
パシッ。
立ち上がった拍子に、私は宿禰様の両の手を硬く握っていた。
「宿禰様! 私、決意致しましたわ」
「はは、はい?」
急に手を握られ、焦っているのだろうか。その後ろ頭に、汗が飛ぶのを見た気がする。
「宿禰様。あなたには、何の落ち度もございませんわ。こんなのって不当です!」
「え……あ、あの」
私は、戸惑う彼の両手を握ったまま持ち上げると、ふたりの顔の間に据えた。
「絶対に直しましょうね、そのお姿を。大丈夫、私がお手伝い致しますから」
「陽毬……さん」
私は握った手を下ろすと、宿禰様と真正面に向き合った。
「さっき、お義母様にお話したとおり、私はこれまで、あなた様の姿がどうであれ、構わないと考えていました」
私は一旦言葉を切り、凛として背筋を伸ばした。
「人を見た目で判断するのは悪いことだと教わってきていますし」
ぎゅっと両手を握りしめる。
「何よりこのひと月ちょっと――宿禰様と過ごす時間は、とても楽しかったから」
「陽毬さん、それは僕も……」
「でも!」
彼の言葉をあえて遮り、私は語気を強めた。
「さっきのお話を聞いて、私の考えはがらりと変わりました。宿禰様、これはあなた様の病なんかじゃない。こんなものに、あなたが潰されていい理由はない」
宿禰様はぱちりと瞬きを二度した後、まじまじと私を見返した。
私はさらに強い視線をそれにぶつける。
「あなたは、あなたが選び取り、決めた道を往くべきです。――それは、私も同じ。伴侶を選ぶことだって、お家の事情で、自分で決めることを諦めてはいけません」
「ひ……まり、さん」
「一緒に頑張りましょう、ね?」
「……は……い。ありがとう陽毬さん。僕を見て恐れないばかりか、そんなことを言って下さった女性は初めてです」
再び握りしめた手を抜いて、彼は涙の流れぬ瞳をぬぐった。
――絶対に許さない。こんなに優しい、正しい人をこんな目に遭わせるなんて。
負けないわ。絶対に彼を救ってみせる。
強い決意は、ゆらゆらと揺れる行灯の灯よりもなお熱く、私の胸を焦がすのだった。
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