腐男子♥異世界転生

よしの と こひな

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10話~相談~

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~相談~


 階段を上りきると、寮の三階はしんと静まり返っていた。
 ――きっと、みんなもう自室にこもっているのだろう。明日のボンシャンの授業に備えて、予習に余念がないに違いない。

 彼の「正しい怖さ」は、卒業生たちの間で語り草だ。本当に厳しいのは第二寮『レスポワール』の寮監ジャン・ピエール・カナードではない。それは、も入学前からサロンで何度も耳にしたし、むしろ教え込まれたことのひとつだった。辺境から来た貴族や、右も左も分からない留学生には、必ずグラン・フレールが基礎知識として伝える。それは、この学院で生き残るための礼儀作法の一部ですらある。

 オベールからあんな話を聞かされた今なら、なおさら、彼――ボンシャンのことを畏怖する。
 ルシアン・ボンシャンは、ただの優秀な教師でも、学院きっての魔法の達人でもなく、命を削ってでも他人を生かす覚悟を、迷いなく実行に移せる人間だった。
 そして、それを声高に語るでもなく、功績として誇るでもなく、ただ当たり前のように背負っている。腕前の問題じゃない。生き方そのものが、常人の尺度を超えているのだ。

 デュボアやカナード、二人の寮監ですら、彼に対しては一目置いている――それは、ただ年上だからという理由だけではなかった。
 だからこそ、俺は彼の授業で気を抜くことなどできない。勿論、ボンシャン以外の授業でも手を抜くつもりは毛頭ないが――彼の前では、緊張感の質そのものが違う。その「正しい怖さ」に、抗いようもなく身が引き締まる。

 他の生徒は、この背景を知らない。だが、それでもみな、ボンシャンの前では無意識に背筋を伸ばす。教壇に立つその姿だけで、空気が変わるのだ。理由はわからなくても、触れてはいけない領域を本能で察する――それはきっと、俺が今知っていることの影の、ほんの一端にすぎないけれど。

 ……しかし、これからその準備をしなければならないというのに、なんてことだ。
 今、俺の頭の中は、アルチュールが俺に向けてくる好意への、対処方法のない問題でいっぱいだ――。

 廊下を見渡すと、壁の灯りが淡く床を照らし窓の外では風が樹を揺らしていた。
 ナタンが反対方向へ歩き出す前に、俺は「おやすみ」と短く声をかける。彼は微笑み、軽く手を振って「おやすみなさい、セレスさま、みなさん」と答え、そのままくるりと背を向け、足早に自室へ消えていく。余程、『日記』を書く時間を作りたいのだろうか……。

 残ったのは、リシャールとアルチュール、それに俺。俺たち三人は無言のまま廊下を並んで歩き、隣同士の部屋の前に順に立ち止まる。
「おやすみ、セレス、アルチュール。今日は流石に疲れた。よく眠れそうだ」
「おやすみなさい、リシャール、アルチュール」
 リシャールが微笑んで部屋に入る。
 アルチュールは視線を落としたまま、わずかに唇を動かしたが、それ以上は何も言わずに部屋に入り扉を閉めた。
 ひとり残った廊下で俺は深く息を吐き、自分の部屋の扉を押し開けた。
 ――その瞬間。

 白い羽毛の塊がデスクの上から身を乗り出し、真っ赤な瞳をぎらりと光らせた。ネージュだ。くちばしには木の実をくわえたまま、足を組んで机の縁に腰をかけている。
「ただいま」
 そう言って俺が眉尻を下げベッドに腰を下ろすと、黙っていたネージュが待っていましたとばかり口を開いた。

「おかえり。さあ――聞かせてもらおうか、セレスタンの今の“気持ち”とやらを」

 ネージュは木の実を飲み込んでから、わざとらしく低い声で言い、俺をじろりと見つめる。
 その仕草があまりにも芝居がかっていて、俺は思わず顔をしかめた。
「……全部聞いてたくせに」
 奇石の通信は、常にオープンの状態だった。
「もちろん。逐一聞いていた。アルチュールに本当に勝ってしまうとは……、さらにできるようになったな、セレス。見事だったよ、フッ、いやぁ、青春ってやつは――」
「いや、誰だよ、お前」
「その顔。羞恥と苛立ちが半々といったところか」
「……あのなあ」俺は額に手を当てる。言い返せばきっと倍になって返ってくるのは分かっているのに、反論したくなるのが悔しい。「こっちは今、いっぱいいっぱいなの。分かれよ」
「分かってるって」ネージュは羽をぱたつかせ、妙に上機嫌な声で続けた。「お前ぇさんって元の伊丹トキヤのとき、剣道とオタ活に全振りで"恋愛経験"ゼロだったもんな。こういうことに疎いというのはよく分かっている」
「っゼロじゃない!」
「彼女いない歴、年齢」
「居たもん! 彼女、居たもん!」
「一緒に同人誌を作る相手を彼女とは言わない。それは、アンソロジーの主宰者と参加者だ」
 言葉に詰まる。あの時の彼女は、確かに原稿の締切日しか会わなかった。
「社会人一年目は仕事漬けで、帰って寝るだけ。土日も疲れて引きこもって出会いなんて皆無。で、気づけば童貞更新記録を着々と――」
「焼き鳥にすんぞ!」
「しかも顔はシュッとしてスポーツ万能なのに、だ。見た目だけならそこそこモテただろ? ぜーんぶ自分でチャンス潰してきた」
「一度、卵に魔力を流しただけで、よくもそこまで俺の過去を……」
 ネージュはにやりと嘴を歪め、少し声を落とす。

「アルチュールに勝ちたかったのは、あれだろ? お前ひとりじゃないって叩き込むためだろ」

「……ただの興味だよ。一応、剣術ヲタクとして、どれほどの腕前か実際に戦って確かめたかったんだ」
 ネージュはくちばしを鳴らし、ふわりと羽を震わせた。
「強がりめ。セレス、俺はお前ぇさんの相棒だが、分身でもあるんだぞ? 幸運なのか残念なのかは分からないが、兎に角、考えている事は手に取るように分かっちまう。何も隠すことはないだろう。アルチュールのために本気を出した。それは、なかなか悪くなかったけどな」
「別にそんな殊勝なもんじゃない」
「この場合、殊勝じゃなくてお節介だな。……まあ、実にお前ぇさんらしい。いい男だよ、セレス、いや、トキヤは」
「……ありがとう」
「素直で宜しい」
「でも、それでこんなことになるとは思ってなかった」
 俺は深く息を吐いた。

 好意――しかもあのアルチュールから向けられるなんて、まったくの想定外だ。唯一の救いは、本人がまだその感情の正体に気づいていないこと。

「毎朝、学校に行こうとセレスを迎えに来るアルチュールを見ていたが、お前ぇさんのことずっと目で追っていたぞ?」
 ネージュは何でもない調子で言う。その声に、どうしようもなく動揺してしまった。
「……俺は、彼の同年代の初めての友達だ。見ていたとしても、今までのはただの友情だろう」
 自分でも驚くほど、声が硬くなっていた。

 俺はこの世界の基になった小説の設定――アルチュールとリシャールが結ばれる未来――を壊すわけにはいかない。
 この体はのものであって、そこに転生して入り込んだ俺――トキヤが、己の感情のまま好き勝手に突っ走るわけにはいかないのだ。

 ネージュは肩をすくめて、面倒そうに俺を見る。
「けどよ、この世界、もう元の小説からけっこう外れてんだぜ? 先ず、受け殿下が攻め殿下だ。結構おかしな現象起きてるだろ? そもそも、俺みたいな美の集大成みたいなコルネイユカラスだって元の小説には出てこねぇし」
「おいおい」
「レオだって、お前ぇさんのグラン・フレールじゃなかっただろ? ここは、本当にアルチュールとリシャールがくっつく世界なのか? 怪しいもんだ」

 その一言に、胸の奥がざわめいた。
 ネージュは、じっと俺を見据えたまま続ける。

「それと……セレス、この先ずっと、元のセレスタンのために、自分の気持ちを全部犠牲にするつもりか?」
 何も言い返せなかった。

 喉が詰まり、答えを探す間に、ネージュの視線だけが静かに俺を突き刺してくる。
「転生前からアルチュールのこと、好きだっただろ?」
「二次元の推しとしてな」
「推しに好意を持たれてるんだぞ?」
「そんなの、元のセレスタンの美貌のせいだろ。それは、俺じゃない」
「はあ? アルチュールがお前ぇさんを最初に見つけたのは、その見た目のせいかもしれないけどさ」ネージュは眉をひそめる。「あの男が、外見だけで人を好きになると思ってんのか? 本気で? まさか、そうじゃないだろ?」
 その言葉に、俺は思わず目を逸らす。
「そもそも、俺はこの体に転生して入ったばかりだ。感情だってごちゃ混ぜだし、何が本物かなんてわからない」

「だからって、目を背けるのは違うだろうが」ネージュは声を落とし、真剣な眼差しで続けた。「分かるよ、セレス。お前ぇさんが混乱してるのも、怖がってるのも。だって相手は生身の人間で、感情が絡む難しい話だ。しかも、過去も今も背負ってるものが多いしな。でもさ、そんな複雑なものだからって逃げるのは違うと思うんだよ」

 その問いかけに、俺は答えを持てなかった。
「……まだ、この世界で知り合って一か月も経ってないんだぞ」
 言い訳のように口をついて出た言葉に、ネージュは片眉を上げた。
「一か月弱だな。朝から陽が暮れるまで、ほぼずっと一緒にいた一か月弱だ」
「そんな短い期間で、まともな判断なんてできるかよ」
「考える時間が足りないってか?」ネージュは肩をすくめた。「人なんざ、一瞬で恋に落ちる奴もいる。一目惚れって言葉、知らねぇわけじゃねぇだろ?」
 俺はむっと口をつぐむ。
「……さっき、自分でアルチュールは外見だけじゃ人を好きにならないって言ったくせに」
「おう、言ったな」ネージュは悪びれもせず笑う。「つまりだ。お前ぇさんの外見から入って、そっから先に進んだってことだろうが」
「……ああ言えばこう言う」

 ネージュは小さくため息をついた。
「めんどくせぇなー、セレスは」
「あー、もう、……なあネージュ。なんで俺、生まれたての雛鳥にこんな話を聞いてもらってんだ?」
「おっ、無理・しんどいラインを突破したな?」
「……いや、突破してねぇ。お前がぐいぐい押してきただけだ」

 俺は部屋義に着替えてベッドの上に仰向けになり、天井をにらむ。ネージュは机からぴょんと飛び降り、ふわりと羽ばたいて枕の端に着地した。軽いはずなのに、妙に圧がある。

「セレス。俺は別にお前ぇさんに“すぐ答えを出せ”なんて言ってねぇ。ただ、逃げっぱなしはやめとけって言ってんだ」
「逃げてるつもりはない」
「じゃあ何だ? “原作通りじゃなきゃダメ”って自分を縛って、わざわざ遠回りしてんじゃねぇのか?」
 くちばしの先が、俺の額を軽くつつく。痛くはないが、妙に心臓に響く。
「俺は……」
 言いかけた言葉が、喉の奥で止まった。

 本当は分かっている。アルチュールの視線の重さも、リシャールの笑みの意味も――俺が、この世界の人たちから“トキヤ”としてではなく“セレスタン”として向けられている感情も。

 でも、その全部を受け止めてしまったら、俺は“原作の向こう側”に進んでしまう。
 一度進んだら、戻れない。

 ネージュは俺の表情を見て、小さくため息をついた。
「ま、いいさ。どうせお前ぇさんは、追い詰められねぇと決心しねぇタイプだ」
「決めつけんな」
「決めつけだよ。だが、当たってんだろ?」
 その挑発的な目が、妙に腹立たしい。

 しばしの沈黙。窓の外で風が強く吹き、枝葉が窓硝子を軽く叩いた。
「……シャワーと予習は明日の朝にして、今日はもう寝ろ、セレス」
 ネージュはそう言って枕から飛び降り、羽音を立てながら窓辺へ移動する。
「お前ぇさんが夢の中でぐるぐる考え込むの、俺は嫌いじゃねぇからな」
 最後の一言がやけに茶化していて、思わず苦笑がこぼれた。
「ほんっと、お前は……」
「相棒だからな」
 赤い瞳がちらりとこちらを振り返る。

「……聞いてくれてありがとう、ネージュ」
 小さくそう言うと、ネージュの嘴の端がわずかに上がった。
「俺はお前ぇさんを誇りに思ってるぜ、セレスタン」
 唐突で、真っすぐで、逃げ場のない言葉。胸の奥が、ふっと温かくなるのを感じた。

「……今度、オベール警備官、描いてやるよ」
「まじか!?」ネージュが一気に羽をばたつかせ、目を輝かせる。「スケブに描いてくれ! 宝物にするから!」
 興奮冷めやらぬ様子のネージュに、俺は肩を揺らして笑った。
「……ほら、そろそろ寝るぞ」
「……ああ。エンドゥ消灯
「おやすみ、セレス」
「おやすみ、ネージュ」

その夜は、久しぶりに深く眠れなかった。
アルチュールの瞳と、ネージュの言葉が、いつまでも俺の頭の中で反芻され続けていた。


  ༺ ༒ ༻



 それから五日が過ぎた夜、まるで示し合わせたかのように、初日の授業で配られた卵が、アルチュール、リシャール、ナタンの順に次々とかえった。
 翌朝になって知ったことだが、その晩は、ほかの生徒たちの伝書使クーリエの卵も、何羽か孵化していたらしい。

 伝書使クーリエとなるコルネイユカラスの卵は、最初にボンシャン、デュボア、カナードの三人の魔力で従者としての資質を整えられているため、彼らは野生の個体とはまるで性質が異なり、孵化からわずか数時間で短距離なら飛べるようになる。
 そのため、殻の中で雛の影が透けて見え始めた頃、授業では一人につき一つずつ金属製の小さな鳥籠ゲージが配られた。
 寝床のバスケットごとその中に入れ、魔力を注ぐ時以外は必ず扉を閉めておく――それが鉄則。
 俺の場合、ネージュが孵化してからレオがわざわざ部屋まで持って来てくれたやつだ。
 留守中や就寝中に孵ってしまえば、雛はまだ制御がきかずに部屋中を飛び回り、家具の隙間に転落したり、もしも窓が開いていれば誤って外に出てしまう危険がある。だからこそ、最初の数日は特に注意するよう、授業でも強く念を押された。

 ……そう考えると、ネージュが俺のいない時に孵化しなくて、本当に助かった。
 いや、でも――あいつの場合、殻を割った瞬間から、どういうわけか、達観した中間管理職みたいな自我が備わっていた節がある。俺の留守中に孵っても、まずは羽を乾かし、クッションの中央にふわふわの綿菓子みたいなケツを下ろして、室内を眺めながら「ああ、ここが新しい棲み家か」ぐらいのことは普通に考えていたに違いない。
 下手をすれば、「いやいや、俺の誕生時に不在で外出なんざ無粋だろう」とか言って、そのまま大の字になって寝ていた可能性すらある。

 今、俺はあの卵から出てきたのが、ネージュで本当に良かったと、心底思う。

 カナード曰く、「雛は好奇心が旺盛で、目を離せばすぐどこへでも飛んでいく」。
 決して大げさではないことは、俺も身をもって知っている。孵ったその日のうちに、ネージュは部屋中を飛び回っていた。しかも、こいつはその日のうちにペラペラと落ち着いたバリトンボイスで喋り出し、中身にオッサンでも入っているのではと本気で疑ったほどである。
 ――今も疑っている。

 アルチュール、リシャール、ナタンの部屋からほぼ同時に小さな鳴き声が響き、その後、何故か俺の部屋が一気に賑やかになった。
 理由は単純。生まれたばかりの雛鳥を鳥籠に入れた三人が、次々と俺の部屋を訪ねてきたからだ。
 それぞれが手にしたその中では、ふわふわの黒い雛が好奇心いっぱいに動き回っていた。扉を開けるや否や、羽音を立てて外へ飛び出し、机や棚の上へと移動してくる。
 ネージュが二回りほど大きな体で追いかけ、落ちそうになった雛を咥えて戻す――その動きはまるで熟練の保育士で、すでに二度、三度と繰り返されていた。

 前もって授業で餌や必需品も配られていたので、受け取った翌日にいきなり殻を割って出て来てしまい慌てふためきグラン・フレールに助けを求める――なんて混乱はなく、みんな、既に卵殻もきれいに集め終わり、瓶に入れていた。そして、全員の卵が無事に孵化を終えた後、授業の一環として、その卵殻を使った奇石の生成が順次行われることになっている。

 一方、この五日間、表面的にはぎこちなさを残したままだったが、アルチュールと俺との間に目に見えるほどの距離の変化はなかった。互いに言葉少なに剣術の稽古を重ねる日々が続く。だが、今のところ、俺は一度も敗北を喫していない――全戦全勝の負け知らず。

 剣と剣がぶつかるたびに、彼の瞳はただの剣士のそれを超え、どこか熱を帯び、強い意志と期待を滲ませていた。冷静を装う俺の心も、知らず知らず揺さぶられているのを感じる。剣先がぶつかるたびに走る衝撃だけでなく、彼の呼吸、体温、そして間合いの取り方に至るまで、全てが語りかけてくるようだった。

 稽古が終わる頃には、彼は息を切らしながらも、どこか名残惜しげに俺を見つめている。無言のまま、剣を鞘に納めたあとも、視線が離れない。まるで言葉を交わすよりも深い何かがそこにあるかのように。俺もまた、その視線を避けられず、胸の奥に知らぬ感情がじわりと広がっていくのを感じていた。

 そんな空気が、彼の伝書使クーリエ胚子はいしにまで伝わってしまったのだろうか……。
卵は抱かれて温められるのではなく、主人の魔力を注がれて育つ。注ぎ込まれるのは単なる力だけではない。記憶の断片や、心の奥底に沈んだ感情までもが、少しずつ卵殻の内側に染み込んでいくのだ。

 そして結果として――今、アルチュールの伝書使クーリエの雛は、俺の手に飛び乗って離れない。
 まるで、彼の心の一部がこっそり俺に寄り添うように。

「……おい、シエル」
 俺はそっと手を揺らすが、真っ黒な雛は小さな爪でしっかりと指を掴み、丸い瞳でじっと見上げてくる。
「やっぱりセレスのところに行くな……」アルチュールは呆れ半分、諦め半分の顔で言った。「俺よりも落ち着くのか?」
「……たぶん、ただの好奇心だろ」
「そうなのか?」
 その問いには、何となく答えづらくて黙る。雛の小さな体温が、やけに掌に残る。

 ……と、不意に右肩にふわっと重みが乗った。
 視線をやると、艶やかな黒羽を持つ妙に威風堂々としたリシャールの雛――「マルス」が、俺の肩の上で胸を張っている。
「見ろ、セレス。羽の艶、尾羽の形、すでに将来有望だ」
「その台詞、親バカって言いませんかね」
「王家の血筋に相応しい伝書使クーリエだ。名の由来は軍神マルス。強く、高貴に育つよう願いを込めた」

 ……伝書使クーリエに血筋なんてあるのか?

 さらに反対側の左肩にも、いつの間にかナタンの伝書使クーリエ「オグマ」が止まっていた。
 この名は彼が自ら命名したもので、「知恵」を意味する言葉に由来するという。
 礼儀正しい仕草とは裏腹に、オグマの動きは俊敏で、気がつけば俺の耳の後ろでちょこんと落ち着いている。

 ただ、人の首筋に軽やかに鼻を押し当てて匂いを嗅ぐのだけはやめてくれ。

「賢さは居場所の選び方に現れますね」
 ナタンは満足そうに微笑む。
 残念な中身は、やはり主に似てしまったのか……。

 ちなみに、アルチュールの伝書使クーリエの名前「シエル」の由来は、俺と出会ったとき、空にスリジエの花びらが舞って綺麗だったからだという。
 そのことを、ついさっき、何気ない口調でさらりとアルチュール本人から告げられた。まるで天気の話でもするように、あまりにも自然で、あまりにも簡潔に。

 最初に俺の部屋にやって来たのが彼だったので、リシャールが自分の雛を連れて現れるまでの間、ほんの少しだけ二人っきりの時間があったのがまずかった。

 ……いや、正確には二人きりではない。ネージュが横で聞いていた。
 いや、「聞く」というよりも、「全身で受信していた」と言ったほうが正しいかもしれない。

 そのとき、ネージュは声を出さず、赤い瞳をまん丸にして潤ませ、片翼を胸に当てて小さく震えながら、腐ったヲタク特有の無言の「尊い」を全身で表現していた。
 それは横目で見た俺が、うっかり吹き出しそうになるほどの全力感で、まるで場の空気ごとパッケージにして抱きしめる勢いだった。

 アルチュールとリシャールが結ばれると思われていたこの世界で、俺は当初、ネージュの居る立ち位置で二人をそっと傍で見つめ萌えを供給される側に居たかったのに、どうして、俺が萌えを供給する側にいるんだ、ああ、ちくしょう。

 けれどその後、俺の視線はいつの間にかネージュではなく、アルチュールに引き戻されていた。
 卓上の灯りが彼の横顔の輪郭をやわらかく縁取り、わずかに目を細めた微笑みに、息が喉で詰まる。
 口ごもり、何か言わなければと思案する俺の横で、アルチュールは特に深追いするでもなく、ただ静かにシエルの頭を撫でていた。
 その手つきは優しく羽毛の柔らかさを確かめるように、同時に何かを大切に包み込むように。

 それは雛鳥に向けられた仕草なのに、見ている俺の方が妙に意識させられるのが腹立たしかった。なんだか、常にイライラしている気分になる。いや、これはイライラではないな。小さな棘のようなものが体のどこかに引っかかっている感じだ。

 けれど、その伝書使クーリエの名が、俺と彼の出会いに結びついていると知ってしまった今、シエルの小さな瞳を見るたび、胸の奥がどうしようもなく、ざわつく。

 あー、どうすりゃいいんだ、と思っていたところに、現実に引き戻すバリトンボイス――。

「セレス、お前ぇさん、止まり木みたいになってるぞ」

 ネージュがペラペラと人の言葉をしゃべることは、今ここに居る三人とレオはすでに知っている。
 このことはデュボアにも報告済みで、その流れでボンシャンとカナードも知ることになった。
 二人は「やはりな」とでも言いたげに目を細めただけで、それ以上は何も聞かなかったらしい。
 もっともネージュは、あくまで「最近饒舌に喋り始めた」体で、彼は今日まで少しずつ語彙を増やしているふりをしていた。

「早く、うちの子も喋らないですかねえー」
 ナタンが、俺の左肩に乗るオグマの黒くつぶらな瞳を覗き込みながら言う。
「ついさっき生まれたばかりだろう」
 アルチュールが軽く肩をすくめる。

 ……そうだよな。生まれてすぐに『ぐふぅ、尊い』とか、普通は言わないよな……。

 俺は内心で頷く。

 というか、まず喋らないよな……。

「いや、例外もいる」と、ネージュが妙に達観した声で言った。「誕生からわずか三分で、世界の"尊さ"に気づく者もいる」
「お前だよ!」
 思わず俺は突っ込む。
 その瞬間、両肩の雛たちが一斉に羽をばたつかせた。俺の顔に黒い羽毛がふわっとかかり、口の中にまで入りそうになる。
「うわっ、驚かせてごめん!」
 机上に飛んだマルスをネージュが背中で受け止め、リシャールのところへ連れて行く。
「おいオグマ、ベッドに着地しろ、床はやめろ」
 ネージュが鋭く注意を飛ばすと、オグマは素直にふわりとベッドの端に降り立ち、そこでちょこんと座り込んだ。

 ……おいおい、もう人語を理解してるのか?

 オグマのあるじナタンは、一応、この四人の中で一番頭がいい。中身は残念であっても、知識や判断力に関しては間違いなくズバ抜けている。どうやら、その賢さはすでに伝書使クーリエにも受け継がれているようだ。

 ネージュはすぐにオグマの傍へ行き、その尾を軽く突いてから背に乗せ、ナタンのもとへと送り届けた。ナタンは目を細めて「いい子だ」と笑い、オグマの頭を撫でる。

 ……そんな中、シエルだけは俺の手の中から頑として動こうとしなかった。
 丸い瞳で真っ直ぐ俺を見上げ、爪を少しだけ食い込ませるように指を掴む。黒い瞳に映る俺の姿が何だかとても小さくて、それが妙に胸をくすぐった。

 部屋の中はすっかりネージュ先生率いる雛鳥の幼稚園状態。
 羽音と甲高い鳴き声が、壁に反響して重なり合う。まるで小さな音楽隊の演奏のようだ。そしてそれをあやす人間たち。ほんのすこし前まで静かだったはずなのに、今は命のざわめきで溢れている。

 ……本当にどうしたらいいんだろう。
 だけど、不思議と悪くない。

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久乃り
BL
ギンデル侯爵子息マルティンは、ウィンステン侯爵令嬢アンテレーゼとの婚約を破棄されて、廃嫡された。ようするに破滅エンドである。 男なのに乙女ゲームの世界に転生したことに気が付いたとき、自分がヒロインに意地悪をしたという理由だけで婚約破棄からの廃嫡平民落ちされ、破滅エンドを迎える悪役令息だと知った。これが悪役令嬢なら、破滅エンドを避けるためにヒロインと仲良くなるか、徹底的にヒロインと関わらないか。本編が始まる前に攻略対象者たちを自分の懐に入れてしまうかして、破滅エンド回避をしたことだろう。だがしかし、困ったことにマルティンは学園編にしか出てこない、当て馬役の悪役令息だったのだ。マルティンがいなくなることでヒロインは自由となり、第2章の社交界編で攻略対象者たちと出会い新たな恋を産むのである。 破滅エンド回避ができないと知ったマルティンは、異世界転生と言ったら冒険者でしょ。ということで、侯爵家の権力を利用して鍛えに鍛えまくり、ついでに侯爵子息として手に入れたお小遣いでチートな装備を用意した。そうして破滅エンドを迎えた途端に国王の前を脱兎のごとく逃げ出して、下町まで走り抜け、冒険者登録をしたのであった。 ソロの冒険者として活動をするマルティンの前になぜだか現れだした攻略対象者たち。特にフィルナンドは伯爵子息であるにも関わらず、なぜだかマルティンに告白してきた。それどころか、マルティンに近づく女を追い払う。さらには攻略対象者たちが冒険者マルティンに指名依頼をしてきたからさあ大変。 方やヒロインであるアンテレーゼは重大なことに気がついた。最短で逆ハールートを攻略するのに重要な攻略対象者フィルナンドが不在なことに。そう、アンテレーゼもマルティンと同じく転生者だったのだ。 慌ててフィルナンドのいる薬師ギルドに押しかけてきたアンテレーゼであったが、マルティン大好きフィルナンドに追い返されてしまう。しかも世間ではマルティンが聖女だと言う噂が飛び交い始めた。 聖女になることが逆ハールートの必須条件なのに、何故男であるマルティンが聖女だと言う噂が流れたのか。不審に思ったアンテレーゼは、今度は教会に乗り込んで行った。 そして教会で、アンテレーゼはとんでもない事実を目の当たりにした。そう、本当にマルティンの周りに攻略対象者たちが群がっていたのだ。しかも、彼らは全員アンテレーゼを敵視してきたのだ。 こんなの乙女ゲームじゃないじゃない!と憤慨するアンテレーゼを置いてきぼりにして、見事マルティンはハーレムエンドを手に入れるのであった。

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