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105話 シルエット家領地へ -26-
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「セレス」
穏やかで、少しだけ張りのある声。
聞き慣れたその呼び方に顔を上げると、前方からアルチュールが歩いてきていた。
その隣にはナタンとリシャール、少し後ろにドワーフの兄弟。
アルチュールの足元にはノアールが寄り添い、静かな足取りで並んでいる。
どこか誇らしげな様子だった。
「主役だったね。お疲れ、アルチュール。ノアールも」
そう言いながら、俺は空になった器をテーブルに戻し、腰を落としてノアールに手を伸ばす。
厚い毛並みに指を埋めると、ノアールは喉の奥で低く鳴き、目を細めた。
「お疲れさまです」
隣に来たマルセルも、慣れた様子で首元を撫でる。
二人がかりで撫でられて、ノアールの尻尾がゆったりと地面を打った。
そこへ、ドワーフの兄弟が並んで一歩前に出る。
「皆さん、今日は、えらいもん見せてもろて、ほんまおおきにやで。立派な馬車に、こんな豪勢な宴まで。いやぁ、最高やったわー」
ガルムがにかっと笑う。
「シャーはんもな。あんさん、手先がほんま器用や。明日も椅子の革張り、気張ってや」
ベルンが続けて、軽く顎をしゃくる。
「いやいや、そんな大したもんやあらへんですよ」
シャーは照れたように頭を掻き、少しだけ肩をすくめた。
――っていうか、イントネーション、うつってる……?
「お二人さんの腕がええから、形になるだけでして。明日も、しっかり仕上げさせてもらいますわ」
「期待してまっせ、シャーはん! おっと、ナタンはんもな」
「今日の拡張魔法、見事やったわぁ」
ナタンは一瞬にこりと笑い、それから小さく背筋を正して頷いた。
「ありがとうございます。お二人の仕事ぶりも、勉強になりました」
「相変わらず堅い兄ちゃんやなぁ」
「まあ、そこがええとこやけどな。ほな、お先に失礼しますわ。また明日、来させてもらいますよってに」
二人はそう言って手を振り、星明りの下、軽い足取りで広場を後にした。
「……じゃあ、そろそろ、俺たちも部屋に戻りましょうか」
少し名残惜しそうに、ジュールが言った。
「そうだな」
ルクレールも頷き、空になったグラスを置く。
広場を離れ、屋敷へ向かって歩き出す。
夜気はひんやりとして、祝宴の熱をゆっくり冷ましてくれた。
並んで歩きながら、俺はアルチュールの方を見る。
「なあ、さっきのドワーフ兄弟……、かなり信用できる?」
アルチュールは即答した。
「ああ。子供の頃からの付き合いだ。日用品から武器、細工物まで、色々と彼らに委託してきた。口も堅い。仕事の線引きも分かっている」
ノアールが足元を歩くのに合わせて、歩調を少し緩める。
「……なら、大丈夫かな」
胸の中で一つ、石が落ちた。
そこへ、ナタンが静かに言葉を挟む。
「例の、大型バリスタと連射式ポリボロスの件ですね?」
俺は頷く。
「ああ。参加してもらうのが無理でも、設計図が出来たら意見だけでも欲しい。ただ……他国に情報が漏れるのは、避けたい」
「なるほど。だが、いい人選だと思うな。あの兄弟なら、信用度は高い」
リシャールが言った。
「じゃあ明日、俺が街でさらっと情報を集めてきますよ。セレスは、彼らの貴族向けの顔だけじゃなくて、普段の様子も知りたいんでしょう?」
ジュールが、肩をすくめて笑う。
「おいジュール、……魚に化けて、川で泳ぐのを回避しようとしてるな」
ルクレールがぼそっと突っ込む。
「それは、できれば」
なぜかジュールはキリっとした真顔だった。それほど嫌なのだろうと推測できる。
俺は思わず笑ってしまった。
「頼みます、ジュール」
廊下の分岐に差しかかり、皆がそれぞれの方向へ散っていく。
短い「おやすみ」が交わされ、足音が遠ざかる。
アルチュールは、そのまま俺をバラの部屋の前まで送ってくれた。
扉の前で立ち止まり、少しだけ視線を落とす。
「セレス……、今日は、ありがとう」とアルチュール。
「力になれて嬉しいよ。この子が無事で何よりだ」
ノアールが、俺の足元で一度だけ尾を打った。
アルチュールは俺に一歩近づき、軽く額を寄せるようにして、唇に短いキスを落とした。
「今夜は、ノアールと二人で、ゆっくり過ごす」
「うん」
俺は小さく笑う。
「行ってらっしゃい」
彼は頷き、ノアールと共に自室の方へと歩いていった。
扉を閉め、バラの香りに満ちた部屋に一人きりになる。
足音が完全に遠ざかってから、少しだけ時間を置いた。
「さて……」
俺は小さく呟き、部屋を出た。
以前から考えていた。
もし、スタンピードが本来より早く来るのだとしたら――相談相手は、ルクレールしかいない。
魔物。戦場。異常事態。
現場の判断力と勘、その両方を持っているのは、彼だ。
今夜は、いい機会だ。
廊下を進み、目的の扉の前に立つ。ノックしようと手を上げた、その瞬間。
――かちゃり。
扉が、内側から開いた。
「……さすがだな」
思わず呟く。
足音も、気配も、完全に察していたのだろう。ノクターンの騎士らしい反応だ。
「こんばんは。お邪魔します」
「ああ、入ってくれ」
部屋に足を踏み入れた瞬間、視界の端に違和感……。ソファーに、誰かいる。
……いや。
「……ジュール?」
深く沈み込み、完全に寝落ちして薄手のブランケットがかけられている。
いや、正確には、もう寝落ちを超えて沈没していた。
片手はだらりと垂れ下がり、多少の物音では起きそうにない。
いいのか、これで。諜報部員だろ?
余程、ルクレールのいる空間を「安全地帯」だと身体の奥で理解しているのだろう。
「……お邪魔だった?」
「おい、冗談にもほどがあるぞ」
ルクレールが、呆れたように息を吐いた。
「馬車に積んであった酒がまだ残っていたからな。『もう少し飲もう』とジュールが言い出した」
そこで、ちらりとソファーを見る。
「俺が『セレスが来るから部屋に戻れ』と言ったら、『なんて危険な! 絶対に二人きりにはさせません』と息巻いて付いて来た」
ルクレールの口元が、わずかに引きつった。
「……で?」
「一杯呷ったら、そのまま倒れ込んで今の状態だ」
俺は、ソファーのジュールを見下ろす。
静かな部屋に、規則正しい寝息だけが響く。
部屋の主は肩をすくめ、椅子を引いた。
「まあ、座れ。で。用件があるのはそっちだろ」
その一言で、空気が変わる。
冗談も、からかいも、ここまでだ。
穏やかで、少しだけ張りのある声。
聞き慣れたその呼び方に顔を上げると、前方からアルチュールが歩いてきていた。
その隣にはナタンとリシャール、少し後ろにドワーフの兄弟。
アルチュールの足元にはノアールが寄り添い、静かな足取りで並んでいる。
どこか誇らしげな様子だった。
「主役だったね。お疲れ、アルチュール。ノアールも」
そう言いながら、俺は空になった器をテーブルに戻し、腰を落としてノアールに手を伸ばす。
厚い毛並みに指を埋めると、ノアールは喉の奥で低く鳴き、目を細めた。
「お疲れさまです」
隣に来たマルセルも、慣れた様子で首元を撫でる。
二人がかりで撫でられて、ノアールの尻尾がゆったりと地面を打った。
そこへ、ドワーフの兄弟が並んで一歩前に出る。
「皆さん、今日は、えらいもん見せてもろて、ほんまおおきにやで。立派な馬車に、こんな豪勢な宴まで。いやぁ、最高やったわー」
ガルムがにかっと笑う。
「シャーはんもな。あんさん、手先がほんま器用や。明日も椅子の革張り、気張ってや」
ベルンが続けて、軽く顎をしゃくる。
「いやいや、そんな大したもんやあらへんですよ」
シャーは照れたように頭を掻き、少しだけ肩をすくめた。
――っていうか、イントネーション、うつってる……?
「お二人さんの腕がええから、形になるだけでして。明日も、しっかり仕上げさせてもらいますわ」
「期待してまっせ、シャーはん! おっと、ナタンはんもな」
「今日の拡張魔法、見事やったわぁ」
ナタンは一瞬にこりと笑い、それから小さく背筋を正して頷いた。
「ありがとうございます。お二人の仕事ぶりも、勉強になりました」
「相変わらず堅い兄ちゃんやなぁ」
「まあ、そこがええとこやけどな。ほな、お先に失礼しますわ。また明日、来させてもらいますよってに」
二人はそう言って手を振り、星明りの下、軽い足取りで広場を後にした。
「……じゃあ、そろそろ、俺たちも部屋に戻りましょうか」
少し名残惜しそうに、ジュールが言った。
「そうだな」
ルクレールも頷き、空になったグラスを置く。
広場を離れ、屋敷へ向かって歩き出す。
夜気はひんやりとして、祝宴の熱をゆっくり冷ましてくれた。
並んで歩きながら、俺はアルチュールの方を見る。
「なあ、さっきのドワーフ兄弟……、かなり信用できる?」
アルチュールは即答した。
「ああ。子供の頃からの付き合いだ。日用品から武器、細工物まで、色々と彼らに委託してきた。口も堅い。仕事の線引きも分かっている」
ノアールが足元を歩くのに合わせて、歩調を少し緩める。
「……なら、大丈夫かな」
胸の中で一つ、石が落ちた。
そこへ、ナタンが静かに言葉を挟む。
「例の、大型バリスタと連射式ポリボロスの件ですね?」
俺は頷く。
「ああ。参加してもらうのが無理でも、設計図が出来たら意見だけでも欲しい。ただ……他国に情報が漏れるのは、避けたい」
「なるほど。だが、いい人選だと思うな。あの兄弟なら、信用度は高い」
リシャールが言った。
「じゃあ明日、俺が街でさらっと情報を集めてきますよ。セレスは、彼らの貴族向けの顔だけじゃなくて、普段の様子も知りたいんでしょう?」
ジュールが、肩をすくめて笑う。
「おいジュール、……魚に化けて、川で泳ぐのを回避しようとしてるな」
ルクレールがぼそっと突っ込む。
「それは、できれば」
なぜかジュールはキリっとした真顔だった。それほど嫌なのだろうと推測できる。
俺は思わず笑ってしまった。
「頼みます、ジュール」
廊下の分岐に差しかかり、皆がそれぞれの方向へ散っていく。
短い「おやすみ」が交わされ、足音が遠ざかる。
アルチュールは、そのまま俺をバラの部屋の前まで送ってくれた。
扉の前で立ち止まり、少しだけ視線を落とす。
「セレス……、今日は、ありがとう」とアルチュール。
「力になれて嬉しいよ。この子が無事で何よりだ」
ノアールが、俺の足元で一度だけ尾を打った。
アルチュールは俺に一歩近づき、軽く額を寄せるようにして、唇に短いキスを落とした。
「今夜は、ノアールと二人で、ゆっくり過ごす」
「うん」
俺は小さく笑う。
「行ってらっしゃい」
彼は頷き、ノアールと共に自室の方へと歩いていった。
扉を閉め、バラの香りに満ちた部屋に一人きりになる。
足音が完全に遠ざかってから、少しだけ時間を置いた。
「さて……」
俺は小さく呟き、部屋を出た。
以前から考えていた。
もし、スタンピードが本来より早く来るのだとしたら――相談相手は、ルクレールしかいない。
魔物。戦場。異常事態。
現場の判断力と勘、その両方を持っているのは、彼だ。
今夜は、いい機会だ。
廊下を進み、目的の扉の前に立つ。ノックしようと手を上げた、その瞬間。
――かちゃり。
扉が、内側から開いた。
「……さすがだな」
思わず呟く。
足音も、気配も、完全に察していたのだろう。ノクターンの騎士らしい反応だ。
「こんばんは。お邪魔します」
「ああ、入ってくれ」
部屋に足を踏み入れた瞬間、視界の端に違和感……。ソファーに、誰かいる。
……いや。
「……ジュール?」
深く沈み込み、完全に寝落ちして薄手のブランケットがかけられている。
いや、正確には、もう寝落ちを超えて沈没していた。
片手はだらりと垂れ下がり、多少の物音では起きそうにない。
いいのか、これで。諜報部員だろ?
余程、ルクレールのいる空間を「安全地帯」だと身体の奥で理解しているのだろう。
「……お邪魔だった?」
「おい、冗談にもほどがあるぞ」
ルクレールが、呆れたように息を吐いた。
「馬車に積んであった酒がまだ残っていたからな。『もう少し飲もう』とジュールが言い出した」
そこで、ちらりとソファーを見る。
「俺が『セレスが来るから部屋に戻れ』と言ったら、『なんて危険な! 絶対に二人きりにはさせません』と息巻いて付いて来た」
ルクレールの口元が、わずかに引きつった。
「……で?」
「一杯呷ったら、そのまま倒れ込んで今の状態だ」
俺は、ソファーのジュールを見下ろす。
静かな部屋に、規則正しい寝息だけが響く。
部屋の主は肩をすくめ、椅子を引いた。
「まあ、座れ。で。用件があるのはそっちだろ」
その一言で、空気が変わる。
冗談も、からかいも、ここまでだ。
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