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第一章
新生活満喫しています
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「だめよ。それだと高すぎるわ。物がいいことは認めるけれど、その価格設定だと他の商品に負けてしまうわ」
並べられた羊毛の絨毯を前に、エステルは断固として言い張った。クレトの邸の応接間だ。絨毯の買い取りを希望する職人を前に、エステルは一つ一つ持ち込まれた絨毯の縫製や色合い、デザインを確かめ、買取価格を提示した。それへ職人は、それでは安すぎると高値をふっかけてきたのでやり返したところだった。
「染めにも織りにも自信はある。どれもこだわって作った絨毯だ。もう少しなんとかならないかい」
「ロエラ商会ではこれ以上出すのは無理よ。どうしてもというなら、他をあたってちょうだい」
話はこれで終わりだとエステルが立ち上がると、職人は慌てて手を振った。
「待ってくれよ。何も売らないとは言ってない。ただ、もう少しどうにかならないかと聞いてみただけなんだよ。わかったよ。おたくの言うとおりの言い値で売るよ。全部買い取ってくれるんだろう?」
「ええ、もちろんよ。どれもとてもいい品ばかりだもの。―――マリナ」
「はい、ただいま」
戸口に控えていたマリナが、職人をともなって部屋を出ていく。これから別の間に移り、契約書の取り交わしと金銭の授受が行われる。
これでよかったわよねと横に座るクレトを見ると、これまで一切口を挟まず静観していたクレトはにっこりと笑った。
「もちろん。完璧だよ。たった半年で、エステルはすっかり慣れたね。価格設定も問題ないし、いい取り引きができたよ」
褒められて悪い気はしない。
この半年ですっかり馴染んだ膝丈スカートの裾を整え、エステルは立ち上がった。
出来レースだった王太子妃選に落選しクレトに拾われたあの日から、半年ほどの時が流れた。
あの日、持ち金もなく、住むあても行くあてもなかったエステルに、クレトは自分の立ち上げたロエラ商会で働かないかと提案してくれた。給金はきちんと払うし、マリナも一緒に雇う。家も、この邸に住めばいいと言ってくれた。
働き口の提案は願ってもないことだった。正直、世間を全く知らない自分に、いきなり仕事ができるとは思えなかったし、そもそも仕事ってどうやって探すのか、どんな仕事につけばいいのかもわからない。マリナと一緒に雇ってくれるというのなら、これ以上の好条件はない。
でも、邸に住まわせてもらう話は丁重にお断りした。どう考えてもそれはあつかましい。クレトのいい人も、よその女が住み着いていたら不快に思うに違いないのだから。
クレトはそういうところ、鈍いのかもしれない。
だからきっぱりと断ったのだけれど、先立つ物がないのもまた事実。悲しいかな、持ち金のなかったエステルとマリナは、クレトのすすめるままにこの邸に住まわせてもらうことになった。ただし、家賃三ヶ月分が貯まり、いい物件が見つかれば即出ていくと約束して。
それから半年。エステルは、商品の買い付けにあちこちに出かけるクレトについて、世界中を巡った。それはもう刺激的な半年だった。クレトから聞いていた話を、実際この目で見たり触れたりして、世界はぐんっと広がった。王太子妃選の落選も、今はもう遠い昔の話みたいに他人事だ。世界はこんなに広いのに、自分はよく今まであんなせせこましい王都の、お父様の邸と王宮だけで過ごしてきたなと地団駄を踏みたい気分だ。見るべきものも、知りたいことも、ここには溢れている。その全部を知らないまま、この十八年間、狭い世界で生きていたなんて。
結局クレトについて回っていると、この半年で海辺の邸に滞在したのは数えるほどで、クレトのいい人とばったり、なんてこともなかった。
大体、これだけ忙しいクレトが、一体いつ女性と会っているのかと不思議なくらいだ。この半年、ほとんど、というか毎日エステルと一緒だし、エステルの知る限り、クレトがそういう女性と会っている様子はなかった。
そのことをマリナに言うと、「きっとお嬢様の知らない間に、上手くこっそりと立ち回っておられるんですよ」と言われた。何も隠すことないのに、とは思うけれど、それも大人の嗜みなのだろう。お相手の女性ってどんな方なのか。勝手な想像ばかりが膨らむのが最近のエステルの悩みだ。クレトはお金持ち出し、背も高くて見た目もいいからきっと素適な女性なのだろう。
「あら?」
エステルはちくりと感じた胸の痛みに思わずデコルテの辺りに手を置いた。
「どうかしたかい?」
クレトが怪訝そうに尋ねてくるので、エステルは「何でもないわ」と首を振った。
クレトからこの半年間で頂いたお給料(生まれて初めて自分の手で稼いだお金だ)の蓄えは十分なものになった。今回、こちらに帰ってきている間に、マリナと住む家を見つけようと、時間がある時に部屋を探している。
探し始めてわかったことがある。
クレトのくれるお給料が、破格であることにだ。どうやって家を探せばいいのかわからなかったエステルは、クレトの紹介してくれた不動産屋さんに行ったのだけれど、どれくらいの家賃まで払えますかと聞かれ、正直に「わからないわ」と答えると大体の月収を聞かれた。
お給料の値をその方に伝えると、「それならいい場所に住めますよ」と言う。この辺りで羽振りのいい方と同じくらいの場所に住めると言うので、「ええっ」と驚いた。
大抵の人は定職に付いていてもそんなにもらえないそうだ。あいたたた。この半年間なんて、クレトについて回って世界旅行しただけみたいなものなのに、そんなにお給料をくれていたとは。それもこれもお金の価値についてエステルが知らなかったせいだ。
そのことに気がついてから、エステルは普通のモノの値段や価値を勉強するべく、暇があれば街へ出て、市場調査することにした。
クレトの邸があるこの港町は、世界中から者や人が集まる場所で、金銭感覚を養うにはもってこいだった。クレトは今回はしばらく海辺の邸に滞在するというから、エステルはその間に家探しと金銭感覚を養うことを一番の目標にしている。
金銭感覚については、まぁ少し街を巡ればなんとなくわかった。それでその力を試したくて、さっきの買い取り交渉をクレトに頼んで任せてもらったのだ。もちろん、交渉が上手くいかない時や、間違っている時は、ちゃんとだめだと言ってねとお願いして。
並べられた羊毛の絨毯を前に、エステルは断固として言い張った。クレトの邸の応接間だ。絨毯の買い取りを希望する職人を前に、エステルは一つ一つ持ち込まれた絨毯の縫製や色合い、デザインを確かめ、買取価格を提示した。それへ職人は、それでは安すぎると高値をふっかけてきたのでやり返したところだった。
「染めにも織りにも自信はある。どれもこだわって作った絨毯だ。もう少しなんとかならないかい」
「ロエラ商会ではこれ以上出すのは無理よ。どうしてもというなら、他をあたってちょうだい」
話はこれで終わりだとエステルが立ち上がると、職人は慌てて手を振った。
「待ってくれよ。何も売らないとは言ってない。ただ、もう少しどうにかならないかと聞いてみただけなんだよ。わかったよ。おたくの言うとおりの言い値で売るよ。全部買い取ってくれるんだろう?」
「ええ、もちろんよ。どれもとてもいい品ばかりだもの。―――マリナ」
「はい、ただいま」
戸口に控えていたマリナが、職人をともなって部屋を出ていく。これから別の間に移り、契約書の取り交わしと金銭の授受が行われる。
これでよかったわよねと横に座るクレトを見ると、これまで一切口を挟まず静観していたクレトはにっこりと笑った。
「もちろん。完璧だよ。たった半年で、エステルはすっかり慣れたね。価格設定も問題ないし、いい取り引きができたよ」
褒められて悪い気はしない。
この半年ですっかり馴染んだ膝丈スカートの裾を整え、エステルは立ち上がった。
出来レースだった王太子妃選に落選しクレトに拾われたあの日から、半年ほどの時が流れた。
あの日、持ち金もなく、住むあても行くあてもなかったエステルに、クレトは自分の立ち上げたロエラ商会で働かないかと提案してくれた。給金はきちんと払うし、マリナも一緒に雇う。家も、この邸に住めばいいと言ってくれた。
働き口の提案は願ってもないことだった。正直、世間を全く知らない自分に、いきなり仕事ができるとは思えなかったし、そもそも仕事ってどうやって探すのか、どんな仕事につけばいいのかもわからない。マリナと一緒に雇ってくれるというのなら、これ以上の好条件はない。
でも、邸に住まわせてもらう話は丁重にお断りした。どう考えてもそれはあつかましい。クレトのいい人も、よその女が住み着いていたら不快に思うに違いないのだから。
クレトはそういうところ、鈍いのかもしれない。
だからきっぱりと断ったのだけれど、先立つ物がないのもまた事実。悲しいかな、持ち金のなかったエステルとマリナは、クレトのすすめるままにこの邸に住まわせてもらうことになった。ただし、家賃三ヶ月分が貯まり、いい物件が見つかれば即出ていくと約束して。
それから半年。エステルは、商品の買い付けにあちこちに出かけるクレトについて、世界中を巡った。それはもう刺激的な半年だった。クレトから聞いていた話を、実際この目で見たり触れたりして、世界はぐんっと広がった。王太子妃選の落選も、今はもう遠い昔の話みたいに他人事だ。世界はこんなに広いのに、自分はよく今まであんなせせこましい王都の、お父様の邸と王宮だけで過ごしてきたなと地団駄を踏みたい気分だ。見るべきものも、知りたいことも、ここには溢れている。その全部を知らないまま、この十八年間、狭い世界で生きていたなんて。
結局クレトについて回っていると、この半年で海辺の邸に滞在したのは数えるほどで、クレトのいい人とばったり、なんてこともなかった。
大体、これだけ忙しいクレトが、一体いつ女性と会っているのかと不思議なくらいだ。この半年、ほとんど、というか毎日エステルと一緒だし、エステルの知る限り、クレトがそういう女性と会っている様子はなかった。
そのことをマリナに言うと、「きっとお嬢様の知らない間に、上手くこっそりと立ち回っておられるんですよ」と言われた。何も隠すことないのに、とは思うけれど、それも大人の嗜みなのだろう。お相手の女性ってどんな方なのか。勝手な想像ばかりが膨らむのが最近のエステルの悩みだ。クレトはお金持ち出し、背も高くて見た目もいいからきっと素適な女性なのだろう。
「あら?」
エステルはちくりと感じた胸の痛みに思わずデコルテの辺りに手を置いた。
「どうかしたかい?」
クレトが怪訝そうに尋ねてくるので、エステルは「何でもないわ」と首を振った。
クレトからこの半年間で頂いたお給料(生まれて初めて自分の手で稼いだお金だ)の蓄えは十分なものになった。今回、こちらに帰ってきている間に、マリナと住む家を見つけようと、時間がある時に部屋を探している。
探し始めてわかったことがある。
クレトのくれるお給料が、破格であることにだ。どうやって家を探せばいいのかわからなかったエステルは、クレトの紹介してくれた不動産屋さんに行ったのだけれど、どれくらいの家賃まで払えますかと聞かれ、正直に「わからないわ」と答えると大体の月収を聞かれた。
お給料の値をその方に伝えると、「それならいい場所に住めますよ」と言う。この辺りで羽振りのいい方と同じくらいの場所に住めると言うので、「ええっ」と驚いた。
大抵の人は定職に付いていてもそんなにもらえないそうだ。あいたたた。この半年間なんて、クレトについて回って世界旅行しただけみたいなものなのに、そんなにお給料をくれていたとは。それもこれもお金の価値についてエステルが知らなかったせいだ。
そのことに気がついてから、エステルは普通のモノの値段や価値を勉強するべく、暇があれば街へ出て、市場調査することにした。
クレトの邸があるこの港町は、世界中から者や人が集まる場所で、金銭感覚を養うにはもってこいだった。クレトは今回はしばらく海辺の邸に滞在するというから、エステルはその間に家探しと金銭感覚を養うことを一番の目標にしている。
金銭感覚については、まぁ少し街を巡ればなんとなくわかった。それでその力を試したくて、さっきの買い取り交渉をクレトに頼んで任せてもらったのだ。もちろん、交渉が上手くいかない時や、間違っている時は、ちゃんとだめだと言ってねとお願いして。
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