31 / 53
第四章
それから
しおりを挟む
「それから他にもあるんだ……」
出来レースだった王太子妃選への横槍の話が一旦終わると、クレトはバツが悪そうに再び言い出した。
出来レースの話も特段怒るような話ではなかったし、「なに?」と続きを促すと、クレトは空になった杯に自らワインを注ぎ、意を決したようにエステルを見た。
その様子が普段のクレトと違っておもしろく、エステルは思わずくすっと笑った。いつも大人っぽいと思っていたクレトにもこんな一面があると思うとうれしかった。
「……笑うことはないだろう? 私は一大決心をしてエステルに懺悔をしているんだから」
「懺悔だなんて大げさだわ」
「そう言ってくれると気が楽になるよ」
「それで? 他に何があるのかしら? クレト」
王宮諮問機関での質疑応答を真似、かしこまってエステルが促すと、クレトは「はい」と片手をあげ罪を告白した。
「君が初めて借りたアパートメントの件だ」
そう言われただけでなんとなくピンとくるものがあった。
「もしかして一週間で出なければならなくなったことかしら?」
「ああ。実はあのアパートメントのオーナー夫人とは知り合いでね。彼女に頼み込んでエステルがあの部屋から出るように仕向けた」
ここまでくればなんとなく察しはついた。上手いタイミングでブラスが来たことも決して偶然ではなかったのだろう。
「それにわたしがベルナルドさんからなかなか部屋を借りられなかったことも関係している?」
「―――している。君に邸を出て行ってほしくなかったんだ」
「でもそれはクレトに恋人がいるからだと思ったからで……」
本当はずっと一緒に暮らせるのなら暮らしたかった。
とにかくクレトに迷惑をかけてはいけないとその一心だったのだ。
「……もっと早く言ってくれればよかったのに」
思わず不満が口からこぼれた。そうすればエステルだって無用なことはしなかったはずだ。
「……そうだね。それに関しては全面的に私が悪い。ブラスにも怒られたよ。でもどうしても勇気がなくてね。君はまだそういうことよりも周りの環境に馴染むことに精一杯だっただろう? この上私が自分の思いを打ち明けたら、君は考えることが多すぎてしんどくなるかもしれないと思ったんだ」
「……それはそうかもしれないけれど…」
目に映るもの全てが新鮮で楽しく、確かにエステルの頭はいつも満杯だった。
でも心のどこかでは必ずクレトに向かっている一端があって、その動向はいつも気になっていた。
「マリナに言われたの。クレトがダナさんとホテルから出てきた時、わたし胸が痛かったの。でもその理由は自分で気が付かないといけないって。だからたぶん、それでよかったのよ。クレトから言われていたらきっとわたし自分の気持ちがよくわからないままだったかもしれない。お父様から言われるままに王太子妃になるために過ごしていたように、今度はクレトの言われるままに過ごすようになっていたかもしれないわ」
「大丈夫、エステルは変わったよ。前にも言ったけれど、今のエステルはアルモンテ公のもとにいたお人形さんとは違う。自分で考え、判断し、心のままに動ける女性だよ」
「……そんなふうに言われるとなんだか照れてしまうわ…」
「照れているエステルも素敵だよ」
火照った頬に心地よい海風が通り抜けていく。
父の屋敷という小さな空間でいつも夢想していた。この大陸中の国を巡って、海を渡って別の大陸にも行ってみたいと。クレトから話を聞くたび、叶わないと知りながら想像せずにはいられなかった。それが現実となり、これからもそれがエステルにとっての現実だ。クレトと共に歩める未来なら、どんなことをしても手に入れたい。クレトがエステルを手に入れるために手を尽くしたように、きっとエステルもクレトの側にいられるならどんなことも恥ずかしくはない。
「……ありがとう、クレト。わたしをあなたの恋人にしてくれる?」
好きと打ち明けた時のように自然と言葉がこぼれ出た。憶測するより、クレトから言われるよりも、まずは自分で自分の思いを伝えなければならない。
エステルは真っすぐにクレトを見た。クレトは真正面からその視線を受け止め、「こちらこそよろしく」とうっとりするほど素敵に笑った。
***
「ねぇマリナ」
「はい、なんでございましょう」
就寝前、エステルの自室へリネン類を届けに来たマリナにクレトとのことを報告し、エステルはひとつ気になっていたことを聞いた。
「マリナはクレトの気持ちを知っていたって言っていたけれど、あれって見ていればわかったというのはうそよね」
マリナは一瞬ぎくりとしたように動きを止めた。
「なぜそう思われるのです?」
「だってクレトに恋人がいるかもしれないって言いだしたのはマリナだったもの。ホテルで目撃した時も、マリナはダナさんがクレトの恋人だと思っていたみたいだし、そういうことには疎いって自分で言ったわ」
うーんとマリナは唸り、「白状いたします」と観念した。
「実はお嬢様がアパートメントを借りられてすぐ、クレト様から直接お伺いしたのです。その上でお嬢様の近辺を気を付けるようにと言われ、お隣の方がお嬢様のことをそういう目で見ておられることに気が付き、邪魔をいたしておりました」
「そうだったの?」
お隣さんのことは覚えているけれど、そんなそぶりはなかったと思うのだけれど。
「あと、部屋を出ることになることも知っておりました」
「だからあの時ブラスさんの言うようにしようってマリナは勧めたのね」
「……はい。申し訳ございませんでした」
「謝らないで。ありがとう、マリナ」
アパートメントを借りた頃から、マリナが変わったことにはなんとなく気が付いていた。
クレトの邸に戻ってすぐダナを紹介されたのも、クレトはマリナからエステルがダナのことを恋人と勘違いしたことを聞いたからなのだろう。
「……おやすみ、マリナ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
全てのことがすとんと胸に落ちて行った。
出来レースだった王太子妃選への横槍の話が一旦終わると、クレトはバツが悪そうに再び言い出した。
出来レースの話も特段怒るような話ではなかったし、「なに?」と続きを促すと、クレトは空になった杯に自らワインを注ぎ、意を決したようにエステルを見た。
その様子が普段のクレトと違っておもしろく、エステルは思わずくすっと笑った。いつも大人っぽいと思っていたクレトにもこんな一面があると思うとうれしかった。
「……笑うことはないだろう? 私は一大決心をしてエステルに懺悔をしているんだから」
「懺悔だなんて大げさだわ」
「そう言ってくれると気が楽になるよ」
「それで? 他に何があるのかしら? クレト」
王宮諮問機関での質疑応答を真似、かしこまってエステルが促すと、クレトは「はい」と片手をあげ罪を告白した。
「君が初めて借りたアパートメントの件だ」
そう言われただけでなんとなくピンとくるものがあった。
「もしかして一週間で出なければならなくなったことかしら?」
「ああ。実はあのアパートメントのオーナー夫人とは知り合いでね。彼女に頼み込んでエステルがあの部屋から出るように仕向けた」
ここまでくればなんとなく察しはついた。上手いタイミングでブラスが来たことも決して偶然ではなかったのだろう。
「それにわたしがベルナルドさんからなかなか部屋を借りられなかったことも関係している?」
「―――している。君に邸を出て行ってほしくなかったんだ」
「でもそれはクレトに恋人がいるからだと思ったからで……」
本当はずっと一緒に暮らせるのなら暮らしたかった。
とにかくクレトに迷惑をかけてはいけないとその一心だったのだ。
「……もっと早く言ってくれればよかったのに」
思わず不満が口からこぼれた。そうすればエステルだって無用なことはしなかったはずだ。
「……そうだね。それに関しては全面的に私が悪い。ブラスにも怒られたよ。でもどうしても勇気がなくてね。君はまだそういうことよりも周りの環境に馴染むことに精一杯だっただろう? この上私が自分の思いを打ち明けたら、君は考えることが多すぎてしんどくなるかもしれないと思ったんだ」
「……それはそうかもしれないけれど…」
目に映るもの全てが新鮮で楽しく、確かにエステルの頭はいつも満杯だった。
でも心のどこかでは必ずクレトに向かっている一端があって、その動向はいつも気になっていた。
「マリナに言われたの。クレトがダナさんとホテルから出てきた時、わたし胸が痛かったの。でもその理由は自分で気が付かないといけないって。だからたぶん、それでよかったのよ。クレトから言われていたらきっとわたし自分の気持ちがよくわからないままだったかもしれない。お父様から言われるままに王太子妃になるために過ごしていたように、今度はクレトの言われるままに過ごすようになっていたかもしれないわ」
「大丈夫、エステルは変わったよ。前にも言ったけれど、今のエステルはアルモンテ公のもとにいたお人形さんとは違う。自分で考え、判断し、心のままに動ける女性だよ」
「……そんなふうに言われるとなんだか照れてしまうわ…」
「照れているエステルも素敵だよ」
火照った頬に心地よい海風が通り抜けていく。
父の屋敷という小さな空間でいつも夢想していた。この大陸中の国を巡って、海を渡って別の大陸にも行ってみたいと。クレトから話を聞くたび、叶わないと知りながら想像せずにはいられなかった。それが現実となり、これからもそれがエステルにとっての現実だ。クレトと共に歩める未来なら、どんなことをしても手に入れたい。クレトがエステルを手に入れるために手を尽くしたように、きっとエステルもクレトの側にいられるならどんなことも恥ずかしくはない。
「……ありがとう、クレト。わたしをあなたの恋人にしてくれる?」
好きと打ち明けた時のように自然と言葉がこぼれ出た。憶測するより、クレトから言われるよりも、まずは自分で自分の思いを伝えなければならない。
エステルは真っすぐにクレトを見た。クレトは真正面からその視線を受け止め、「こちらこそよろしく」とうっとりするほど素敵に笑った。
***
「ねぇマリナ」
「はい、なんでございましょう」
就寝前、エステルの自室へリネン類を届けに来たマリナにクレトとのことを報告し、エステルはひとつ気になっていたことを聞いた。
「マリナはクレトの気持ちを知っていたって言っていたけれど、あれって見ていればわかったというのはうそよね」
マリナは一瞬ぎくりとしたように動きを止めた。
「なぜそう思われるのです?」
「だってクレトに恋人がいるかもしれないって言いだしたのはマリナだったもの。ホテルで目撃した時も、マリナはダナさんがクレトの恋人だと思っていたみたいだし、そういうことには疎いって自分で言ったわ」
うーんとマリナは唸り、「白状いたします」と観念した。
「実はお嬢様がアパートメントを借りられてすぐ、クレト様から直接お伺いしたのです。その上でお嬢様の近辺を気を付けるようにと言われ、お隣の方がお嬢様のことをそういう目で見ておられることに気が付き、邪魔をいたしておりました」
「そうだったの?」
お隣さんのことは覚えているけれど、そんなそぶりはなかったと思うのだけれど。
「あと、部屋を出ることになることも知っておりました」
「だからあの時ブラスさんの言うようにしようってマリナは勧めたのね」
「……はい。申し訳ございませんでした」
「謝らないで。ありがとう、マリナ」
アパートメントを借りた頃から、マリナが変わったことにはなんとなく気が付いていた。
クレトの邸に戻ってすぐダナを紹介されたのも、クレトはマリナからエステルがダナのことを恋人と勘違いしたことを聞いたからなのだろう。
「……おやすみ、マリナ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
全てのことがすとんと胸に落ちて行った。
64
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
【完結】聖女を害した公爵令嬢の私は国外追放をされ宿屋で住み込み女中をしております。え、偽聖女だった? ごめんなさい知りません。
藍生蕗
恋愛
かれこれ五年ほど前、公爵令嬢だった私───オリランダは、王太子の婚約者と実家の娘の立場の両方を聖女であるメイルティン様に奪われた事を許せずに、彼女を害してしまいました。しかしそれが王太子と実家から不興を買い、私は国外追放をされてしまいます。
そうして私は自らの罪と向き合い、平民となり宿屋で住み込み女中として過ごしていたのですが……
偽聖女だった? 更にどうして偽聖女の償いを今更私がしなければならないのでしょうか? とりあえず今幸せなので帰って下さい。
※ 設定は甘めです
※ 他のサイトにも投稿しています
初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。
豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」
「はあ?」
初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた?
脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ?
なろう様でも公開中です。
【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう
楽歩
恋愛
階段から落ちて三日後、アイラは目を覚ました。そして、自分の人生から十年分の記憶が消えていることを知らされる。
目の前で知らない男が号泣し、知らない子どもが「お母様!」としがみついてくる。
「状況を確認いたします。あなたは伯爵、こちらは私たちの息子。なお、私たちはまだ正式な夫婦ではない、という理解でよろしいですね?」
さらに残されていたのは鍵付き箱いっぱいの十年分の日記帳。中身は、乙女ゲームに転生したと信じ、攻略対象を順位付けして暴走していた“過去のアイラ”の黒歴史だった。
アイラは一冊の日記を最後の一行まで読み終えると、無言で日記を暖炉へ投げ入れる。
「これは、焼却処分が妥当ですわね」
だいぶ騒がしい人生の再スタートが今、始まる。
【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。
人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。
それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。
嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。
二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。
するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー
え?私、悪役令嬢だったんですか?まったく知りませんでした。
ゆずこしょう
恋愛
貴族院を歩いていると最近、遠くからひそひそ話す声が聞こえる。
ーーー「あの方が、まさか教科書を隠すなんて...」
ーーー「あの方が、ドロシー様のドレスを切り裂いたそうよ。」
ーーー「あの方が、足を引っかけたんですって。」
聞こえてくる声は今日もあの方のお話。
「あの方は今日も暇なのねぇ」そう思いながら今日も勉学、執務をこなすパトリシア・ジェード(16)
自分が噂のネタになっているなんてことは全く気付かず今日もいつも通りの生活をおくる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる