20 / 228
Chap.2 ちいさなアリス
Chap.2 Sec.6
しおりを挟む
「サクラさん」
別室から戻ってきたセトがサクラに声をかけた。ソファに横座りして端末を見ていたサクラは、彼に一瞥を投げる。
「どうかしたか?」
「ウサギの……いや、あいつの話だけどよ。あいつ、本当に娼婦なんだよな?」
「そう聞いている」
サクラは退屈そうな表情で答えを返した。セトは納得がいかないように横を向いた。
「——それが?」
「いや……あいつ、その……出血してる……みてぇだったから。……やってるときは……気づかなかった、けど……終わったあと、……血がついたから。まさか、初めてじゃねぇか、なんて思って……」
「摩擦による出血じゃないか?」
「乱暴には、してねぇぞ。それなりに……配慮は、した」
「お前の主張だけ聞いても、私に判断はできない。気に障るなら、次からは潤滑剤でも使えばいいだろう?」
「そういう問題じゃねぇよ」
咬み付くような低いセトの声音に、イシャンが何事かと振り返った。サクラは依然としてそっけない態度で、すでにセトから目を外し端末を操作している。
ただ、サクラもまたひどく冷ややかな声音で応えた。
「処女を装うための薬品もあるそうだよ。お前の気を惹きたくて使ったのなら成功だな」
「……それなら、べつに。俺は確認したいだけだ」
「あれは娼婦だ。本人がそう言ったのだから、それ以上確認しようがない」
「………………」
「あまりあれに振り回されないよう頼むよ」
「……なら、あいつが逃げちまっても、俺らは追わなくていいんだよな?」
「帰るまでに逃亡したのならば、要らない。ただ、お前が逃がした場合は、それなりの対応をしようか」
「……どういう意味だ?」
「私は連れて帰ると言ったからな。逃がすなら、私に背くということだろう?」
「なんでだよ? 俺が連れてこなきゃ、なんの関係もなかった人間だろ? 俺が逃がしたところで、なんになるんだ……?」
「——私に、反抗するのか?」
支配するような重圧のなか、響くその声は温度がない。閉鎖的な空間が、まるで牢獄のような息苦しさを生じさせる。セトもイシャンも、言葉を発せずに黙した。
§
「おはよぉう。そろそろ夜ごはんかな~? ……ん?」
ティアと共にリビングに入ろうとしたところ、急に立ち止まった彼の背中に頭をぶつけた。「あっごめんね?」ティアは顔だけ振り返って謝罪のような言葉をつぶやき、すぐに前を向いて進んだ。
「どうかしたの?」
ティアの背中越しにのぞく。ソファに座ったままのサクラと、その前に立つセト。ディスプレイの前にいたイシャンはイスごと回して身体をこちらに向けている。
セトがティアの方を向いた。
「なんでもねぇよ」
「そう? じゃ、ご飯食べる?」
「要らねぇ」
「どこ行くの?」
「シャワー」
私たちの横を通るセト。すれ違いざまに目が合ったが、すぐにそらされた。
「サクラさんは?ご飯食べる?」
「そうだな」
「イシャン君は?」
「……頂こう」
「うん。では、僕がメル君にお願いして作ってもらった、とっておきのコテージパイを出してあげよう」
ティアが大仰な感じで何か宣言した。しかし、サクラもイシャンも反応がない。
「もぅ。ノリが悪いな~?」
不満そうな顔のティアは、キッチンへと戻っていった。どことなく居場所がないリビングよりも、キッチンのほうが絶対に気が楽だと思えて私もついていくことにした。もしかすると夕食の準備かもしれない。手伝えることはないだろうか、という下心もある。
「あれ? アリスちゃんも来ちゃった?」
『夕食ですか?』
「そうだよ。もしかして手伝いたい?」
食べる仕草をしてみせると、頷いてもらえた。おいで、と手招きされる。
冷凍庫のような戸棚から取り出された、大きな深さのある角皿。ホワイトソースのような白いものが入っている。なかなかのボリュームだ。それを別の機械にいれてから、ティアは何か唱えた。電子レンジみたいなものだろうか。あるいはオーブンだろうか。
「野菜のスープも出そうね。あのひとたち、放っておくと加工食しか食べないから」
次にティアは、金属のような光沢がある円柱状の容器を棚から抜き出した。
「アリスちゃん、そこのカップを4つ出して」
指を4本立てて、彼は私の背後の棚を示した。示された場所にあったマグカップをひとつずつ取り出し、カップボードの上にならべる。
ティアはそれらに、とくとくと液体を注いでいった。スープだと思う。すでに温かいようだ。
「それ、あっちに持っていってね」
「はい」
運ぶよう指示されたと思う。マグカップを2つずつ、往復してリビングのテーブルへと運んだ。
戻ると、プレートとカトラリーセットが入ったケースを渡される。それも運んでいく。
「これは熱いから、近づかないでね」
大きな角皿はティアが運んでいった。こうばしいポテトのような匂いがする。それからミートソースのような香りも。
テーブルにはイシャンとティアが向かい合うように奥に座った。イシャンがディスプレイ側で、ティアはキッチン側。サクラも当然座るのだろう。私は座っていいものかどうか、分からずに立ち尽くす。
「どうしたの? 座っていいよ?」
ティアが着席を促すようにイスを引いてくれる。彼の隣に座った。サクラもソファから立ち上がって、私の向かいに着席した。正面でサクラと向かい合うのは緊張する。サクラのほうは私のことなど、まったく目に入れていないが。
サクラから逃げるように下を向いていると、ティアが、両の掌を顔の前でぱちんと合わせた。
「はい、では手を合わせて。いただきます」
「「いただきます」」
え。
思わず、顔をあげて全員の姿を見回してしまった。イシャンは中央にあった角皿から手許のプレートに中身を取り分け始める。サクラはスープを手に取る。ティアと目が合う。
「ん?」
「……いただきます?」
「うん、そう。上手だね」
手を合わせて同じ動作をしてみせると、褒めるように頷いてもらえた。
まただ。また、知ってる言葉。
〈おかえり〉や〈ただいま〉と同じ、私の知っている文化の言葉。なぜだろう。彼らには似合わない言葉のはずなのに、とてもなじんでいる。
「ほら、アリスちゃんも食べて」
私のプレートに、ティアが角皿のなかの食べ物をよそってくれた。いただきますの疑問を残したまま、目の前の美味しい香りにひかれて、フォークを手に取る。
勝手にグラタンかと思っていたが、違った。チーズがない。ホワイトソースだと思っていた物も異なる。ミートソースで味つけられたひき肉を敷きつめた上に、なめらかなマッシュポテトを重ねて焼いた物。味はハンバーグにすこし似ている。こんがりと焼けたマッシュポテトがひき肉と合わさると、ポテトの甘さが加わってとても美味しい。甘いスパイスも効いている。ひき肉には野菜も含まれている気がする。
「オイシイ」
「でしょ?」
美味しいことを伝えると、ティアが嬉しそうに笑ってくれた。彼が作った物なのだろうか。それか、彼の好物なのかも。
ご機嫌なティアとは対照的に、サクラとイシャンは粛々としている。イシャンにいたってはサクラの顔色をうかがっているようにも見える。どことなく雰囲気がおかしい。ティアは気づいていないのか……それとも、気づかないフリを、しているのだろうか。
ティアが、サクラを見た。
「サクラさん、もっとしっかり食べないと」
「必要ない」
どうやらサクラは食べ終わったらしい。使い終えた食器を持って立ち上がった。
食欲がないのか、スープしか口にしていない。ティアはそんなサクラを咎めている気がする。けれど、サクラは気にせず食器を片付けに行ってしまった。残されたティアが、小さく吐息した。
「……倒れても、僕は知らないよ」
ティアにしては冷淡な声音が、よそよそしく響いた。そのまま、気にせずに彼は食事を続ける。
なにか言いたげな顔をしたイシャンと、私の視線が重なった。彼はとりわけ何も言うことなく、視線をはずして食事を再開した。
もうすぐ、また、夜がくる。
別室から戻ってきたセトがサクラに声をかけた。ソファに横座りして端末を見ていたサクラは、彼に一瞥を投げる。
「どうかしたか?」
「ウサギの……いや、あいつの話だけどよ。あいつ、本当に娼婦なんだよな?」
「そう聞いている」
サクラは退屈そうな表情で答えを返した。セトは納得がいかないように横を向いた。
「——それが?」
「いや……あいつ、その……出血してる……みてぇだったから。……やってるときは……気づかなかった、けど……終わったあと、……血がついたから。まさか、初めてじゃねぇか、なんて思って……」
「摩擦による出血じゃないか?」
「乱暴には、してねぇぞ。それなりに……配慮は、した」
「お前の主張だけ聞いても、私に判断はできない。気に障るなら、次からは潤滑剤でも使えばいいだろう?」
「そういう問題じゃねぇよ」
咬み付くような低いセトの声音に、イシャンが何事かと振り返った。サクラは依然としてそっけない態度で、すでにセトから目を外し端末を操作している。
ただ、サクラもまたひどく冷ややかな声音で応えた。
「処女を装うための薬品もあるそうだよ。お前の気を惹きたくて使ったのなら成功だな」
「……それなら、べつに。俺は確認したいだけだ」
「あれは娼婦だ。本人がそう言ったのだから、それ以上確認しようがない」
「………………」
「あまりあれに振り回されないよう頼むよ」
「……なら、あいつが逃げちまっても、俺らは追わなくていいんだよな?」
「帰るまでに逃亡したのならば、要らない。ただ、お前が逃がした場合は、それなりの対応をしようか」
「……どういう意味だ?」
「私は連れて帰ると言ったからな。逃がすなら、私に背くということだろう?」
「なんでだよ? 俺が連れてこなきゃ、なんの関係もなかった人間だろ? 俺が逃がしたところで、なんになるんだ……?」
「——私に、反抗するのか?」
支配するような重圧のなか、響くその声は温度がない。閉鎖的な空間が、まるで牢獄のような息苦しさを生じさせる。セトもイシャンも、言葉を発せずに黙した。
§
「おはよぉう。そろそろ夜ごはんかな~? ……ん?」
ティアと共にリビングに入ろうとしたところ、急に立ち止まった彼の背中に頭をぶつけた。「あっごめんね?」ティアは顔だけ振り返って謝罪のような言葉をつぶやき、すぐに前を向いて進んだ。
「どうかしたの?」
ティアの背中越しにのぞく。ソファに座ったままのサクラと、その前に立つセト。ディスプレイの前にいたイシャンはイスごと回して身体をこちらに向けている。
セトがティアの方を向いた。
「なんでもねぇよ」
「そう? じゃ、ご飯食べる?」
「要らねぇ」
「どこ行くの?」
「シャワー」
私たちの横を通るセト。すれ違いざまに目が合ったが、すぐにそらされた。
「サクラさんは?ご飯食べる?」
「そうだな」
「イシャン君は?」
「……頂こう」
「うん。では、僕がメル君にお願いして作ってもらった、とっておきのコテージパイを出してあげよう」
ティアが大仰な感じで何か宣言した。しかし、サクラもイシャンも反応がない。
「もぅ。ノリが悪いな~?」
不満そうな顔のティアは、キッチンへと戻っていった。どことなく居場所がないリビングよりも、キッチンのほうが絶対に気が楽だと思えて私もついていくことにした。もしかすると夕食の準備かもしれない。手伝えることはないだろうか、という下心もある。
「あれ? アリスちゃんも来ちゃった?」
『夕食ですか?』
「そうだよ。もしかして手伝いたい?」
食べる仕草をしてみせると、頷いてもらえた。おいで、と手招きされる。
冷凍庫のような戸棚から取り出された、大きな深さのある角皿。ホワイトソースのような白いものが入っている。なかなかのボリュームだ。それを別の機械にいれてから、ティアは何か唱えた。電子レンジみたいなものだろうか。あるいはオーブンだろうか。
「野菜のスープも出そうね。あのひとたち、放っておくと加工食しか食べないから」
次にティアは、金属のような光沢がある円柱状の容器を棚から抜き出した。
「アリスちゃん、そこのカップを4つ出して」
指を4本立てて、彼は私の背後の棚を示した。示された場所にあったマグカップをひとつずつ取り出し、カップボードの上にならべる。
ティアはそれらに、とくとくと液体を注いでいった。スープだと思う。すでに温かいようだ。
「それ、あっちに持っていってね」
「はい」
運ぶよう指示されたと思う。マグカップを2つずつ、往復してリビングのテーブルへと運んだ。
戻ると、プレートとカトラリーセットが入ったケースを渡される。それも運んでいく。
「これは熱いから、近づかないでね」
大きな角皿はティアが運んでいった。こうばしいポテトのような匂いがする。それからミートソースのような香りも。
テーブルにはイシャンとティアが向かい合うように奥に座った。イシャンがディスプレイ側で、ティアはキッチン側。サクラも当然座るのだろう。私は座っていいものかどうか、分からずに立ち尽くす。
「どうしたの? 座っていいよ?」
ティアが着席を促すようにイスを引いてくれる。彼の隣に座った。サクラもソファから立ち上がって、私の向かいに着席した。正面でサクラと向かい合うのは緊張する。サクラのほうは私のことなど、まったく目に入れていないが。
サクラから逃げるように下を向いていると、ティアが、両の掌を顔の前でぱちんと合わせた。
「はい、では手を合わせて。いただきます」
「「いただきます」」
え。
思わず、顔をあげて全員の姿を見回してしまった。イシャンは中央にあった角皿から手許のプレートに中身を取り分け始める。サクラはスープを手に取る。ティアと目が合う。
「ん?」
「……いただきます?」
「うん、そう。上手だね」
手を合わせて同じ動作をしてみせると、褒めるように頷いてもらえた。
まただ。また、知ってる言葉。
〈おかえり〉や〈ただいま〉と同じ、私の知っている文化の言葉。なぜだろう。彼らには似合わない言葉のはずなのに、とてもなじんでいる。
「ほら、アリスちゃんも食べて」
私のプレートに、ティアが角皿のなかの食べ物をよそってくれた。いただきますの疑問を残したまま、目の前の美味しい香りにひかれて、フォークを手に取る。
勝手にグラタンかと思っていたが、違った。チーズがない。ホワイトソースだと思っていた物も異なる。ミートソースで味つけられたひき肉を敷きつめた上に、なめらかなマッシュポテトを重ねて焼いた物。味はハンバーグにすこし似ている。こんがりと焼けたマッシュポテトがひき肉と合わさると、ポテトの甘さが加わってとても美味しい。甘いスパイスも効いている。ひき肉には野菜も含まれている気がする。
「オイシイ」
「でしょ?」
美味しいことを伝えると、ティアが嬉しそうに笑ってくれた。彼が作った物なのだろうか。それか、彼の好物なのかも。
ご機嫌なティアとは対照的に、サクラとイシャンは粛々としている。イシャンにいたってはサクラの顔色をうかがっているようにも見える。どことなく雰囲気がおかしい。ティアは気づいていないのか……それとも、気づかないフリを、しているのだろうか。
ティアが、サクラを見た。
「サクラさん、もっとしっかり食べないと」
「必要ない」
どうやらサクラは食べ終わったらしい。使い終えた食器を持って立ち上がった。
食欲がないのか、スープしか口にしていない。ティアはそんなサクラを咎めている気がする。けれど、サクラは気にせず食器を片付けに行ってしまった。残されたティアが、小さく吐息した。
「……倒れても、僕は知らないよ」
ティアにしては冷淡な声音が、よそよそしく響いた。そのまま、気にせずに彼は食事を続ける。
なにか言いたげな顔をしたイシャンと、私の視線が重なった。彼はとりわけ何も言うことなく、視線をはずして食事を再開した。
もうすぐ、また、夜がくる。
20
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる