【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

文字の大きさ
21 / 228
Chap.2 ちいさなアリス

Chap.2 Sec.7

しおりを挟む
 食事を終えようとしていると、せっけんの香りをまとったセトがリビングに戻ってきた。

「セト君も、食べる?」
「ん」

 私の向かいにセトが腰を下ろした。カトラリーケースからスプーンを取り出し、角皿ごと引き寄せて食べ始める。口の中だけで、いただきますと言った気がした。

 イシャンはとっくに食べ終えて、ディスプレイの前でサクラと話をしていた。セトが座ったのを見て、奥の部屋へと向かっていった。シャワーだと思う。
 サクラがディスプレイの前のイスに座った。軽い振動。車(とみなしていいと思う)が動きだした。

「お茶でも淹れようか。アリスちゃん、後ろ通るね」

 ティアが席を立った。食べ終えた私の食器も持っていこうとするので、あわててその手を止めた。

「気にしないで、座ってて」

 立ち上がろうとした私の肩を、しっかりと押さえるティア。動けないまま、ティアを見送るしかなかった。
 待っていろということなのだろうか。とても居づらいのに。いっそ私もキッチンで片付けをしたい。

 所在なげに目線をさまよわせていたが、視線を感じて前を向く。セトがじっとこちらを見ていた。なんだろう。うかがうように首をかしげてみせるが、金の眼は微動だにしない。手だけ動かしてぱくぱくとご飯を食べている。もしかすると私を見ているのではなくて、ただぼんやりしているだけかも知れない。それにしては眼光が鋭いけれど。どちらにせよ、いたたまれない。

 逃げるように目を下に向けて、テーブルを見つめた。まだ見られている。いや、見てはいないのかも知れないけれど、こっちを向いている。余計なことを思い出しそうだから、やめてもらえないだろうか。そうか、私が席を移動すればいいのか。

 思いたって、そっと立ち上がった。ティアが座っていた壁ぎわに移動する。……ダメだ。金の眼もついてきた。やはり私を見ているらしい。

『……あの』
「お前さ、」

 思いきって声をかけようとしたところ、同時に声をあげたセトと、かぶった。セトの片眉が上がる。

「……あ? なんだよ」

 ……私の話を促されているのだろうか。私のほうは話すことなんてない。可能であれば見ないでほしいと言いたいけれど、言葉も分からなければそれを言う度胸もない。

 考えて、懸命に考えて、尋ねる。

「……オイシイ?」

 手持ちのカードがあまりにも少なすぎて、こんな言葉しか出てこなかった。セトのほうも、(何言ってるんだこいつ)みたいな顔をしている。……消えてしまいたい。

「まぁな」

 怪訝けげんな顔のまま、それでも律儀に返してくれた。しかし、そこから話題を広げられるほどの力は、私にない。

 結局また、沈黙のなか見つめられる。トレイにティーポットとカップを乗せたティア(この光景は再三見ている気がする)が隣に戻ってくるまで、その苦行が続いた。

「お茶の時間だよ。セト君も要るかな?」
もらう」
「アリスちゃんも要るよね?」
「……はい」

 そういう儀式なのかと思うほど、ティアがお茶を持ってくる頻度が高い。恒例なのか、セトは取りたてて気にしたふうもなく、お茶のカップを受け取っていた。が、

「は? なんだこれ」
「チャイだよ。コテージパイに合わせて、ナツメグとクローブを効かせてみました」

 カップに入っていたのは、キャラメル色の液体。紅茶にしてはミルク感が強く、ミルクティーにしては色みが濃い。甘くて癖のある香り。

 飲んでみると、茶葉を濃いめに煮出したミルクティーだった。加えて複数のスパイスの香味。甘い香りがしたが、味に甘さはない。先ほど食べた料理と香りが似ている。

「なんで急に変わったことすんだよ……」
「気分転換だよ」
「まぁ……美味いけど」
「ふふふ。砂糖を入れるとセト君好みになるよ」
「貰う」

 小さな瓶を見せたティアは、セトに促されて手渡した。セトは中から茶色の金平糖のような物を取り出し、カップの中へと落としていく。見ていると、その星たちはとろりと溶けた。あれはなんだろう。

「ほら、やるよ」

 もの欲しげなまなざしを向けていたわけではない。けれど、セトが私にも小瓶を回してくれた。小瓶というよりはケースか。近くで見ると、星の形をした小さな角砂糖にも見える。まねをしてカップに少量落としてみると、氷のように一瞬で溶けた。
 飲んでみる。ほのかに甘い。

「ね、甘くて美味しいでしょ。〈甘い〉ね。あまい」

 ティアが私の方を向きながら、同じ単語をくり返した。きっと発語を促されている。

「……アマイ」
「そう。甘くて美味しいね」
「アマクテオイシイ」

 ティアがゆっくり発音するので、その言葉をくり返す。セトが「こいつの語彙、食に偏ってねぇか」カップに口をつけながら、ぼそっと言った。褒めてはいないと思う。

「ん~……じゃ、もうすこしレベルアップ。セト君は、甘いものが、好き」
「……せと、アマイモノが、スキ」
「うん、いいねいいね」

 指導は続くらしい。ティアがはっきりと丁寧に発音する言葉を拾っていく。ところで、隣どうしで話しているとなかなか距離が近い。とても気になる。
 いつのまにか食べ終わっていたセトが、ミルクティーを飲みながら私たちを眺めている。

「僕は、紅茶が、好き」
「……てぃあ、コウチャが、スキ?」
「うん、一人称はきちんと理解してるね。じゃ、次ね」

 ティアが、にこりと微笑んだ。

「君は、僕が、好き」

 私を指さしたあとに、自分自身を指さした。文法を読み解くように、思考しながら言葉をつむぎ返す。

「……ワタシ……アナタが、スキ?」

 口にしてから、頭のなかで意味を理解しようとして、

「——おい」

 ガンっとテーブルの下で重い音がした。「わっ」ティアのびっくりした声も重なる。

「ちょっとセト君! イス蹴らないでよ」
「お前が変なこと吹き込んでるからだろ」
「共通語を教えてるだけでしょ」
「普通に教えろよ」
「教えてるよ。〈私〉と〈あなた〉。人称代名詞の、主格と目的格を教えてるんだよ」
「……もっと他の動詞あるだろ」
「流れでつかっただけでしょ? ……分かりやすかったよね? ね、アリスちゃん」

 セトと話していたティアが、私の方を向いた。なにか尋ねられている。あるいは、同意を求められている。

「……はい」

 なんとなく、肯定あるいは同意しておいた。

「ほら、ね?」
「……そうかよ」

 ふたりのやりとりを聞き流しながら、教わった言葉を脳裏で反芻はんすうする。

 英語の文法と一緒だ。ずっと思ってはいたが、やはり基本は英語みたいなものなのだろう。聞き取れないのは、記憶がないからではなく、知っている英語と発音がかなり違うからだと思う。やわらかいというか、曖昧あいまいというか。単語も変わったものが多い。音の感じからなんとなく推測できるものもあるが、集中していないと頭に入ってこない。
 これはすべて私の考えであって、確証はない。記憶うんぬんではなく、私本来の英語力に問題があった、という可能性も否めない。

「さて。そろそろイシャン君も来るだろうし……お茶も飲み終わったよね? アリスちゃん、よかったら一緒にシャワー浴びようよ」

 思考に割り込むように、ティアが私の肩を抱いた。
 唐突すぎて理解していない。『え』口から変な声がもれたと思う。ティアの方を向くと、すぐそばにその美しい顔があった。近い。近すぎて頭が回らない。
 なぜ肩に手を回されているのだろう。親愛の情を示されている、にしても脈絡が無さすぎて理解できない。今なにか言われたような?

「シャワー、一緒に、行こう?」

 間近で顔を突き合わせたまま、ゆっくりした発音。ティアの長い指先が、奥の部屋を示した。昨日から何度か耳にする、シャワーを意味する単語だけ、拾えた。

(……シャワーへ、どうぞ?)

「……なんでそうなるんだよ」

 回りきれていない私の思考を遮るように、セトがため息をついた。彼の方を見る。眉根をぎゅっと寄せた顔。セトはよくこの表情をしている。

「セト君は一緒に入ったんでしょ? 僕も入りたいな」
「俺は洗ってやっただけだろ」
「じゃ、僕も洗ってあげよっと」
「だからなんでそうなる……」
「ね、サクラさん! いいよね?」

 ティアが急に、セトから目を外してサクラへと声をかけた。そういえば彼もディスプレイの所にいたのだ。静かすぎて忘れかけていた。

 サクラがイスを回して振り返る。

「私に訊かなくてもいいだろう?」
「そう? ま、本命は、もうひとつのお願いだから」
「そっちも好きにしてくれ」
「ありがとう。じゃ、今夜はもらうね?」

 注意深く聞いてみたが、話の内容はさっぱり分からない。ティアによる感謝の言葉だけが、かろうじて聞こえた。
 気になったのは、ふたりの応酬に剣呑けんのんな雰囲気はなかったのに、セトの表情だけがひどく怖くなったこと。

 会話を終えたティアが、席を立った。それから、私に手を差し出す。握手? と、既視感があった。記憶から浮かんだのは、出会ったときのセトだ。今、この場面では、なにが正解なのか。

「——おいで」

 握手かと迷って出しかけていた私の手を、ティアが取った。握手とは違い、指だけをまとめて掴み、引き上げられる。

「今夜は、君は、僕のだからね?」

 ゆるやかな言葉の意味を。
 考えるよりも先に、ティアがすみれ色の眼でウィンクした。セトの舌打ちが響く。

 石膏せっこうのような肌触りの指先は、あいかわらず冷たい。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。

クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。 3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。 ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。 「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...