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しおりを挟む「ピィッ! ピッ!」
「お、戻りそうか?」
「ピィッ!」
使われていない講義室に、一人と一羽の声が響く。
そして小さなヒヨコがピィッともう一度鳴けば、ははっと笑いながらその人は後ろを向いた。
──涙を流すほど笑っていたその人が笑い終わった、あと。
地面に落ちた唯の服を丁寧に拾い畳んでくれ、助けてもらったのにそんな事までしてもらい申し訳なさと恥ずかしさで唯がピヨピヨと鳴きながらどうしたら良いのか分からずその人の周りをぐるぐると走り回っていれば、やはりまたしてもその人は楽しそうに笑った。
それから、靴下や下着まで「大丈夫大丈夫。俺は何も見てないから」なんて言いながら畳んでくれたその人に、……穴があったら入りたい。と唯が羞恥で死にかけていれば、唯の服を自身の鞄の中に仕舞い、唯の鞄も一緒に肩に掛けたその人が、唯に向かってそっと両手を差し出してきた。
「とりあえず元に戻れるまでどっかで待つしかないから、運ぶけど、良い?」
と言いながら、先程から小さなヒヨコになった唯とわざわざ目線を合わせようと努力してくれているその人が、両手をお椀形に開いて待っている。
踞り、汚れるのを一切厭わないのか膝も肘も地面に付け待っているその人に、……やっぱり物凄く優しい人なんだなぁ。なんて唯は感激しながら、小さな小さな趾をその掌の上に乗せた。
そうして空いている講義室に勝手に入り込んだあと、五分ほどした所で唯は体が戻る感覚にピヨピヨと鳴き、それから筋肉の流動を感じようと、ゆっくり目を閉じた。
細胞が分裂し、再構築されていく不思議な感覚。
趾先から徐々に上へ上へと意識が流れ、体の質感が変わり、唯は閉じていた目を開いては、ふぅ。と息を吐いた。
「──……戻りました!」
「なら早く服着ろよ」
「はい!」
戻れた! と明るい笑顔で報告し、いそいそと服を着替える唯。
それから、着替えました! と声をかければ、わざわざ後ろを向いていてくれたその人が振り返った。
「この度は二度も助けていただき、本当にありがとうございましたッ!!」
「ふっ、うん」
ビュンッ!と直角にお辞儀をした唯に、またしても笑うその人。
それに唯もへらりと笑いながら、改めて深くお辞儀をした。
「僕、鴻野唯って言います! 本当にありがとうございました!」
「もういいって。……俺、狐坂雫」
「……わぁ!」
「なに」
「いえ、名前、教えてくれなさそうだなぁって思ってたんで、嬉しいです!」
「……お前何気に失礼だな?」
「えっ!? す、すみません! 決して変な意味じゃなくて、何て言うか、僕が警戒されてそうだったから、だから教えてもらって嬉しいなって……、」
「……ふ、ほんと変な奴」
唯が必死に弁明すれば、随分と柔らかくなった雰囲気で笑うその人こと雫に、……綺麗な人だなぁ。なんて間抜けな感想を抱きつつ、これから先もずっと良い関係を築けていけそうな予感に、唯は胸を弾ませた。
「僕、芸術学部の二年、雫さんは?」
「……俺も二年、経済学部」
「えぇ! じゃあもしかして同じ年かな? 僕、今年二十歳になるんだ」
「俺も」
「わぁ! じゃ、じゃあ、雫くんって呼んでもいいかな?」
「……好きにすれば?」
「っ! あのっ、じゃあ雫くん!! 良かったら連絡先っ、連絡先とか交換してくれる!?」
名前で呼ぶな。とはね除けられるかなと思いきや、存外にも受け入れてくれる姿勢を見せた雫に、鼻息荒くしながら唯が近付く。
そんな図々しさに、こいつほんともしかして結構空気読めない奴なんじゃ……。と雫は引きながらも、仕方なさげに携帯を取り出した。
「えっ! い、いいの!?」
「……なんか教えるまでひたすら粘ってきそうだからな、お前」
「えぇ、そんな事しないよ!」
だなんて言う唯は、煌に構ってもらえるまでひたすら付いて回っていた幼少期を都合良く忘れたまま、新しい友人との縁に嬉しそうな表情を浮かべたのだった。
***
「唯、お疲れ様」
「煌くん!」
学校から少し離れた路地に停まっている車。
その車にもたれながら唯を待っていた煌が、近付いてくる唯をすぐに見つけ、穏やかに微笑む。
そんな優しい煌の姿に唯も幸せそうに笑いながら、腕を広げる煌の元へ飛び込んだ。
「迎えに来てくれてありがとう、煌くん」
「ん。今日はどうだった?」
「あのね、今日すっごく良い出会いがあったんだ!」
「ん?」
ぎゅうう、と抱きついてきた唯の匂いを嗅ぐようスンスンと鼻を鳴らしていた煌が、しかし唯の言葉にぴくりと眉を上げ、唯を見た。
「えっとね、今日、朝急いでて財布を落としちゃったんだけど、」
「……あぁ、」
「そしたら、」
──グウゥゥ……。
高揚感のまま話し始めていた唯のお腹が、突然盛大に鳴り響く。
その途端バクンッと口を閉じ恥ずかしそうにする唯に、煌は目を見開いたあと堪らず吹き出し、一度唯を強く抱き締めたあと「近くのカフェにでも行って何か食べながら話をしよう」と提案したのだった。
「──へぇ、そんな事があったのか……」
「うん! 凄く優しくてね、ほんと素敵な子で、」
夕食もあるからと、ミルクレープだけを注文しモグモグと美味しそうに食べながら喋る唯。
その口元にクリームが付いてるのに気付いた煌は、もうそろそろ二十歳になるというのに変わらず天真爛漫で愛らしく、そして美味しそうにケーキを頬張りながら話す子どものような唯の姿に目を細め、向かいの席から手を伸ばした。
「付いてる」
「へ? う、」
「ん。綺麗になった」
「っ、……あり、がとう」
唯のつんと尖った小振りで可愛らしい小さな唇に触れる、煌の指。
男性らしく節くれだった、けれども綺麗で大きな手と長い指が自身の唇に触れ、そして指に付いたクリームをぺろりと舐める煌の姿に、唯は目を見開き気恥ずかしさから顔を赤くした。
──唇と唇を重ねる行為は、相手の魂と自身の魂を繋ぎ相手へ自分の全てを捧げるという誓いであり、求愛の終わり、そして番としての始まりとされていた、その昔。
それなので二人はいつも散々お互いの匂いを絡ませあい、ハグをし、頬や額にキスをしているものの、唇へのキスは一度もしたことがなかった。
だからこそ、昔ながらの伝統的な求愛方法を律儀に守っていこう。と煌に言われ唯も勿論それに賛成したのだが、こうして不意に唇に触られた時、唯はどうしようもなくもどかしい気持ちになってしまうのだった。
「唯?」
「っ、う、ううん、何もないよ!」
煌の形の良い唇や、ちらりと覗いた舌先を思わず見つめすぎていた唯がぶんぶんと首を振れば、煌は不思議そうにしたあと、しかしそれから真剣な顔で口を開いた。
「それより、唯が無事で良かった。……側に居てやれなくてごめんな」
「僕の完全な不注意で煌くんは何も悪くないんだから謝らないでよ。僕の方こそ、心配させてごめんね。それに僕が元に戻るまでずっと雫くんが見守ってくれてたし、本当に怪我一つしてないから、安心してね」
「……ああ」
「むしろ雫くんと出会えたんだから、ラッキーな一日だったよ」
「っ、……そう、だな。……その雫って人と、仲良くなれたら良いな」
「うん!」
「……今度俺にも会わせてよ。今日のお礼も言いたいし」
「僕も何かお礼したいって言ったんだけど、そういうのむしろ迷惑って言われちゃって……。でも、雫くんが良いって言ってくれたら、いつか三人で遊びに行きたいね!」
だなんて、もうすっかり先ほどの邪な気持ちを忘れた唯が今日出会ったばかりの、けれどなんだか深く繋がりを感じれるような雫の姿を思い出し、ふふっと楽しげに笑う。
そんな唯を見て煌は何とも言えない表情をしたが、しかしそんな煌に気付かず、唯は美味しそうにミルクレープを頬張るばかりだった。
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