花の舞う海〜倭寇に勝った女の物語

堀井九太郎

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【第四章 王江涇】第一節 嘉靖大倭寇の始まり

明対倭寇 最初の遭遇

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 明朝による瀝港奇襲の日、杉沢庄次郎もそこにいた。
 嘉靖三十二(一五五三)年の閏三月九日に杉沢は、温州に集結していた明の軍船が三日前に出撃したという情報を得た。
 杉沢はすぐにそれを王直に知らせ、明軍の攻撃目標は不明だが瀝港である可能性もあり、念のためにすぐに港から船を出すべき、と唱えた。
 ところが官と良好な関係が続いていると信じる王直は腰を上げなかった。
 杉沢は王直の配下というよりは盟友という関係であり、自分の船だけで出港することもできた。しかしもし明軍が瀝港に攻め寄せた場合、ひとりで逃げたとあっては恥となると思いそのまま瀝港に残ることにした。
 明軍が瀝港に突入したのは翌々日の早朝である。
 急ぎ出港しようとした杉沢の春風丸は明の闘艦の体当たりを受けて大きな損傷を被った。
 午後から強風が吹き始め、明軍は高波を避けて攻撃をいったん休止する。春風丸は満身創痍ながらもその隙に港外へ脱出し、島伝いに北東に向かって、かろうじて嵊泗しょうし列島の小島まで逃げおおせたのだった。

 五年前に浙江巡撫朱紈により双嶼が閉鎖され、いったん四散した海商たちは王直の開いた瀝港に集まってきた。その後は、王直が明朝の招撫を受けて海賊を取り締まっていたこともあって、海は比較的平穏だった。しかし、いままた瀝港が閉鎖され、拠点を失った海商は再び散り散りとなって、その多くが海賊化して杭州湾岸の町や村を襲い始める。
 杉沢については他の日本人や王直とともにいったん日本に帰ることにしたのだが、遠洋に出る前に食料などの物資や船を修理するための資材を調達しなければならない。
 杉沢は、瀝港から持ち出した銀を元手に交易して必要なものを揃えるために、嵊泗列島で中型のジャンク船を借り上げて、日本人を中心とする六十人を乗せて船を出した。六十人のうち約半数が杉沢の配下で、残りは助左衛門という博多出身の海商とその配下である。
 杭州湾内を西に向かい始めて二日目の午後に天候が崩れ、強い風と波浪に揉まれるうちに舵が損傷し使い物にならなくなってしまった。
 ゆき先を潮の流れに委ね、ひと夜明けた四月二日、着いたのは杭州湾最深部の海塩かいえんだった。

 そこはたまたま軍の教練場のすぐそばであり、すぐに王彦忠おうげんちゅうという者が兵百余を率いてやってきた。
 とはいえ王彦忠にも、杉沢と助左衛門にも、すぐに戦闘になるという緊張はなかった。この年の後半は杭州湾岸で倭寇の害が相次ぐのだが、瀝港奇襲から一ヶ月も経っていないこの時点ではまだ活発な活動が始まっておらず、王彦忠は突如現れた船が賊とは決めつけずに、まずはなにものであるかを調べに来たのだった。杉沢と助左衛門もそうであろうと思っており、いきなり攻められるとは考えていない。
 助左衛門は筆をとり、通じはするが明人が読めば多少奇妙に思う漢文で、
〈私は日本人であり、わが地より来たのですが舵が壊れてしまいました。応急の食料を調達でき、船を修理できたならばすぐに立ち去ります〉
と記した。さらに、
〈幸いわれわれを攻撃されませんでしたが、もし攻撃があればわれわれは応戦します。その場合は命はないものと思ってください〉
と、強いことばを付け加え、それを小さな木箱に入れて王彦忠に渡した。
 王彦忠は判断を仰ぐため、備倭把総指揮びわはそうしき(省レベルの武官の沿海部防衛副長官)の王應麟おうおうりんにその文書を送った。
 両者に動きなくときが過ぎた。徐々に海塩城内の住民たちが集まってきて、芝居をみるかのように両者の対峙を眺めた。

 夕刻になり王應麟より王彦忠に対し「賊を速やかに捕縛せよ」との回答がある。
 明兵が隊伍を組まずに船に近づき始めた。
 杉沢と助左衛門の配下が一斉に立ち上がって弓を構えた。
 杉沢の配下が矢を放つ。
 矢尻は燕尾えんび型の雁股かりまたで、矢は魔物の遠吠えのような高く単調な音を響かせて飛び、敵兵の前に落ちた。
 威嚇のための射撃である。
 明兵が混乱状態に陥り秩序なくうしろに下がった。
 しばらくして明兵が、腰が引けた状態ながらも再び船の方に近づき始める。
 杉沢がもう一度威嚇の矢を撃たせるタイミングを見計らっていると、今度は助左衛門の配下が一斉に矢を射った。
 戦闘を想定していなかった王彦忠の兵は頭を除いて防具を身につけていない。矢は胴を貫き、王彦忠の兵百余のうちの半数近くが一瞬のうちに倒れた。
 残る兵は弓矢の射程のそとまで潰走し、遠巻きに眺めていた住民たちも走って海塩城内にはいり城門を閉じた。

 夜になった。
 助左衛門とその配下は明兵を易々と追い返したことを喜び大いに沸き、嵊泗列島から持参した酒で宴を始めた。
 到底楽観できる状況にはないと思う杉沢は助左衛門にいった。
「明兵は必ずまたやってくる。一刻も早くここを出るべきだと思うが」
 助左衛門は酒で赤らめた顔でいった。
「心配するな。あのざまをみただろう。あのような腰抜け、何度でも追い返してくれる」
「次は人数を大きく増やして来るだろう。今日のようにはいかんぞ」
「そうかもしれんが、来るにしても早くとも明日の朝だ。逃げるのは明日の夜明け前だな。だからいまは飲め。飲んで眠って力をつけろ。明日夜明け前に起きるさ。考えるのも動くのもそれからだ」
 助左衛門はそういって杯を杉沢に差し出した。
「悪いが、そんな気にはなれん」
と、杉沢は出された杯を手で押し戻した。

 夜半、酔って寝入った助左衛門とその配下を横目に、杉沢は自身の配下を連れて密かに船を降りた。

 翌四月三日、杭州湾に太陽が昇り始めると同時に明軍は戻ってきた。率いるのは備倭把総指揮王應麟で兵数は三百。
 杉沢がいった「次は人数を大きく増やして来る」ということばも、助左衛門のいった「来るとしても早くとも明日の朝」ということばもそのとおりになった。しかし助左衛門の「明日夜明け前に起きる」ということばは果たされず、そのことが命取りとなる。
 王應麟は寝静まっている船に向かって一斉に火矢を射掛けさせた。
 慌てて飛び出してくる助左衛門の配下は船から出てきたところで討ち取られた。
 火だるまになりながらも二刀を振って王應麟軍に突っ込んでいった者があり明兵数人を斬ったが、至近から多数の弓矢を浴びてまもなく倒れた。
 六人が捕縛され、獄に送られた。その他の者はみな死んだ。助左衛門も炎のなかに消えた。


 夜明け前に脱出した杉沢たちは塩平塘えんぺいとうに沿って真北へ走った。海に沿って逃げたと考えるに違いない明軍の裏をかき内陸にはいることにしたのだ。
 白苧はくじょ橋を過ぎて、そこから北東方向に流れを変える塩平塘と別れてさらに北上する。
 この小集団は食料を持たずに逃げている。走り続けるためには食料が必要であり、食料を得るためには途上にある民家を襲撃するしかない。抵抗されれば殺すしかなかった。
 杉沢集団の営業部長といった位置付けの堺の豪商の息子新五郎が、配下が襲撃している最中の民家の前に杉沢と並んで立って、
「庄次郎さんもいっぱしの海賊になりましたねぇ。いつだったか田州の女将軍を船に乗せたとき、明人の物を奪ったりする者を倭寇というのなら自分はそれには当たらない、なんていってましたねえ」
と皮肉をいった。
 杉沢は気まずそうな顔をして、
「ああ、ちょうどそのことを思い出していた。そうだよな。一ヶ月前にはこうなるとは思ってもみなかったのに、どうしてこうなっちゃったんだろうな」
といって、民家に向かって手を合わせ、頭を垂れた。

 王應麟は、海塩の浜で倒した数が当初目撃された六十名の半数ほどであったことから残りは夜半のうち逃げだしたと考え、すぐに捜索の兵を出している。
 翌四月四日。
 杉沢たちは明軍の捜索の網にかかった。
 まだ陽が昇り切らないうちに明軍に追いつかれ、戦闘となった。
 とはいえ明軍の兵数は三十ほどと杉沢たちとほぼ同数であり難なく撃退できた。
 戦っては逃げ、戦っては逃げということを繰り返す。追う明軍の兵数はそのつど増え、逃げる杉沢の配下はひとり、ふたりと減っていく。
 北へ北へと逃げる杉沢の小集団は矮婆わいば橋に至った。
 ここで王應麟自らが率いる兵二百に追いつかれた。杉沢のほうは二十人にまで人数を減らしている。
 杉沢は配下を二隊に分けた。
 十人で敵を矮婆橋の上へと誘い込む。
 敵が矮婆橋を渡っているときに、伏せておいた十人で側面から攻撃した。
 この策は当たり、数では大きくまさる王應麟軍は退却した。王應麟は倭寇に戦術などあろうほずがないと油断していたのだ。
 この戦いで明兵十八人が命を落とした。

 北へ向かって逃げ続けた杉沢は矮婆橋で方向を大きく変えた。南東に向かって海に出るのだ。
 矮婆橋から海まではおよそ十五キロメートル。幸いにしてその間一度も明軍に遭遇することなく海に出ることができたのは四月五日の夜だった。
 杉沢の小集団は乍浦じゃふの浜辺に建つ天妃宮てんひきゅう(海の女神媽祖まそを祀る廟)にはいって眠った。

 ところが、早くも翌六日の正午前に備倭把総指揮王應麟の軍が現れ、天妃宮は包囲された。
 この一帯は平地が続き、どこへいっても農家がある。明人からみれば異様な出で立ちの小集団は農民たちの目にとまり、多数の通報がなされた。杉沢たちの逃げた道をたどることは難しいことではなかったのだ。
 陽が傾き始めている。
 ここまで逃げ延びてきたのは十五名。しゃがみ込み、顔には絶望の色を浮かべている。
 新五郎がいった。
「庄次郎さん。もう逃げられん。ここで敵を斬れるだけ斬って討ち死にしよう」
 他の者がみなうなずく。
 杉沢のみは顔に微かに笑みをを浮かべている。
 杉沢は中央に祀られた媽祖に手を合わせ、そのまましばらく動かなかった。
 新五郎が
「この期に及んで神頼みですか。明の神様がわれわれを救ってくれるんですかねぇ」
と、いらついた声でいった。杉沢は、
「彼女は明人だろうが日本人だろうが気にしないだろうよ。海の人間かそうじゃないかだけさ。海の人間には優しいはずだよ」
といって、媽祖に供えられた林檎を手に取り、がぶりと噛み付いた。そして、祭壇を囲むように立てられた色とりどりのばん(祭祀に用いられるのぼり旗)をみて、祭壇の裏にまわり、仏具を手にとってみたり、祭壇を材質を確かめるように叩いてみたりした。
 この天妃宮は浜辺に建てられており、その正面は海に向いている。
 杉沢は開け放たれた扉からそとに少し出て周囲の様子をみてみた。
 王應麟の兵が百メートルほどの距離を空けて取り囲んでいる。兵数は約三百。海側を除けば包囲に手薄なところはないようだ。
 天を見上げた。雲のない青空が広がり、東の低いところに半月に近い月が微かにみえている。
 砂浜に明軍の小型の哨船(哨戒船)が乗り上げている。満潮のあいだにそこまで来たのだろう。潮が引いていまは動けそうにない。乗員が数人残っており、残りは王應麟の隊に合流したのか。
 そして風をみた。穏やかな風が海から陸に向かって吹いている。
 王應麟の陣から射られた矢が一本、砂浜に突き立った。
 矢に紙が結わえ付けられている。
 明軍からの投降勧告だった。武器を捨てて出てくれば命は取らないと書かれている。
 杉沢は天妃宮のなかに戻り、新五郎に紙をみせていった。
「向こうは数百も兵がおり、こちらの数は二十にも満たないことを知っているのだから一気に攻めればよさそうなものを。われらを相当に恐れているとみえる」
 紙を読み終えた新五郎は、
「わあ、どうやら死なずに済みそうじゃないですか。よかった、よかった」
 と喜んだ。となりで新五郎の読む紙を覗きみていた男は、
「そんなもの、信じられん。どうせ死ぬのだから、騙されて死ぬより最後まで戦って死ぬ道を俺は選ぶ」
 杉沢を除く七名と七名とが投降と討ち死にとに分かれていい争いとなった。杉沢は論争に加わらず、懐から筆と紙を取り出した。
 議論が尽きたころ、新五郎がいった。
「もういいよ。海塩についた日の夜と同じように二手に分かれよう。ここで死にたい者は死ねばいい。生きたい者は投降することにしようじゃないか」
 杉沢がようやく口を開き、いった。
「新五郎、まあまて。投降しても死ぬか、死ぬような思いをするだけだよ。投降しても死、ここに残っても死ぬのだったら、第三の道を採るしかないだろう」
「第三の道なんてありませんよ」
「逃げるのだよ」
「逃げる?無理ですよ。完全に包囲されているじゃないですか」
「策はこうだ――」
 杉沢はいつもの笑みを浮かべた。

 杉沢は王應麟の陣から撃ち込まれた矢に紙を結び、射返した。
 そこにはこう書いてある。

〈我等不敢與將軍戰 乞退舍 俟海潮至 各願自投海死 是為兩全 勿作刀下鬼〉
(われわれは将軍と戦いたくはありません。陣を下げていただければ、満潮に至るのを待って海に身を投げたく思います。それが両者のためでしょう。刀で殺された亡霊をつくることはありますまい)

 王應麟は「倭人は妙な考えをする」とはいいつつも、その言を信じて包囲を下げる。
 天妃宮を包囲する輪が半径二百メートルほどになった。
 杉沢は祭壇を囲んで立てられた幡を全て引き倒し、
「これで帆と綱を作るぞ」といった。「急げ。次の満潮までにやるんだ」

 この日の満潮は午後九時頃である。
 満潮とともに杉沢たちは天妃宮を出た。
 昼に東の空に微かにみえていた月はまだ沈んでおらず西の空で輝いている。それゆえ杉沢たちの姿は王應麟の監視の兵にみられているだろうが、約束通りに海に身を投げようとしているように映っているだろう。
 杉沢たちは突如走り出し、砂浜を駆けて満潮で半分以上が海に浮かんでいる哨船に乗り込んだ。
 船に残っている明兵はわずか三人。制圧は簡単だった。
 昼に海から陸に向かって流れていた風は、いまは向きを真逆に変えて吹いている。
 幡でつくった帆を掲げた。
 月明かりを受けて色とりどりに輝く派手な帆が陸風を孕み、哨船を海へと力強く押しだした。
     §
 瀝港奇襲のおよそ二十日後に起きたこの一連の出来事は、明と倭寇との最初の遭遇として歴史書に記されることになった。こうして嘉靖大倭寇の幕が切って落とされたのである。
 このあと倭寇の大火が猛然と燃え上がる。嘉靖三十二(一五五三)年を通じて数十人から百人程度の集団による杭州湾岸や揚子江流域の町村に対する襲撃が繰り返された。
 翌嘉靖三十三(一五五四)年、倭寇は一層荒れ狂った。集団の人数は徐々に増え、組織的とみられる活動も増えていく。
 海防の責任者であった巡撫の王忬は責任を問われ弾劾された。
 王忬の後任の巡撫には李天寵りてんちょうが就任するのだが、大きな危機感を抱いた明朝は巡撫よりも上の浙直せっちょく総督というポストを新設した。明朝はついに本気になって倭寇対策に乗りだしたのである。
 その浙直総督には兵部尚書(防衛大臣)の張經ちょうけいが任じられた。張經は岑猛討伐軍の五方面軍のうちの一軍を率い、盧蘇・王受の乱において盧蘇が田州城を奪還したときに田州城の守将だった。
 田州軍と花蓮の強さを誰よりも知る人物である。
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