“熟年恋愛”物語

山田森湖

文字の大きさ
2 / 8

第2話「仮面の笑顔たち」

しおりを挟む
第2話「仮面の笑顔たち」


「初めまして。よろしくお願いします」

「……どうも、初参加です」

会場のあちこちで、名刺交換のようなやりとりが交わされていた。
お互いに探り探りで、でもどこか少し、笑顔が浮かぶ。

年齢を重ねれば、誰しもそれなりの過去を持つ。
傷もある。手放したものもある。
けれど、そのすべてを隠して、笑って過ごすこともまた、人生の一部なのだろう。

圭介は、ワインを一口飲みながら、周囲の様子を静かに眺めていた。

佳奈美と会話を交わしたあと、不思議と緊張がほどけていた。
彼女の話し方は柔らかく、どこか包み込むような空気がある。
無理に近づこうとはしない。それが逆に心地よかった。

「……ひとりでいると、やっぱり人恋しくなるわね」

近くのテーブルにいた女性がふと漏らした声が、圭介の耳に届いた。
その女性は、鮮やかなスカーフを首に巻き、朗らかに笑っていたが——
目の奥には、どこか影があった。

名前は杉浦律子(すぎうら りつこ)。
60歳を越えているとは思えないほど姿勢が美しい。
元教師で、退職後にこうしたイベントに参加し始めたという。

「若いときはね、恋なんてもう十分って思ってたの。でも今は、誰かとごはんを食べたいだけなのよ。特別な関係じゃなくてもいい、会話がある日常がほしいのよ」

律子は、そう言って笑った。

その近くでは、控えめな雰囲気の男性が小さな声で自己紹介をしていた。
松下洋一(まつした よういち)。
52歳。早期退職したばかり。
話すのが得意ではないようで、グラスを持つ手もどこかぎこちない。

「……今日は、来るのをやめようかと何度も思ったんですけどね」

と、洋一は圭介にぽつりと話しかけた。

「でも、来てよかったかもしれないです。誰かと目を合わせて、話すだけでも違いますね」

圭介はうなずいた。
似たような気持ちを抱えていたから、わかる気がした。

イベントが始まって一時間ほど。
それぞれが会話に少しずつ慣れ、空気がほどけてきたころ——

佳奈美が再び圭介のそばに来た。

「……あ、さっきはどうも。圭介さん、どんなお仕事されてたんですか?」

「建設関係の営業をしてました。30年以上ですね。先月で定年でした」

「お疲れさまでした。それだけ長く続けられるって、すごいことですよ」

「いえ、家族のために働いてたようなもんです。今はもう……娘も遠くに嫁いで、ひとり暮らしですけど」

「私も、同じような感じです」

佳奈美は、カップを両手で包み込みながら言った。

「二十代で結婚して、三十代で離婚。娘が一人います。しっかり者で、母親の私より大人みたい。先月、『お母さん、もう自分の時間を大事にして』って言われて……。なんだか拍子抜けして、ここに来たんです」

そこには照れくささと、少しの寂しさが混ざっていた。

「そういうの、いいですね」
と、圭介はふと口にした。

「ん?」
佳奈美が首をかしげる。

「……そうやって、誰かが『行っておいで』って背中を押してくれるの、羨ましいなって。俺は誰にも言われなかったから、自分で決めるしかなくて。…怖かったです」

佳奈美は、一瞬黙って、優しく笑った。

「でも、来てよかったじゃないですか。こうして、お話できたんですから」

その言葉に、圭介の胸の中に、小さな温もりがともった。

会場の照明が少し落とされ、音楽が流れ出す。
次のプログラムは「ペアで行う簡単なゲーム」と司会が案内する。

まるで若者向けの合コンのように思えて、少し戸惑いもあるが——
どこか、胸の奥が高鳴るのを、圭介は感じていた。

「組みませんか?」

そう声をかけてきたのは、佳奈美だった。

彼女の手元にあるカップには、まだ少しだけ紅茶が残っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

夫婦交錯

山田森湖
恋愛
同じマンションの隣の部屋の同い年の夫婦。思いの交錯、運命かそれとも・・・・。 少しアダルトなラブコメ

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様を書いたストーリーです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

心のすきまに【社会人恋愛短編集】

山田森湖
恋愛
仕事に追われる毎日、でも心のすきまに、あの人の存在が忍び込む――。 偶然の出会い、初めての感情、すれ違いのもどかしさ。 大人の社会人恋愛を描いた短編集です。

処理中です...