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第十一部
三章-5
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ゴガルンと共に北へ向かっていた蝙蝠は、ふと後ろを見た。
森林の上空、約一〇〇マーロン(約一二五メートル)の高度を飛んでいるためか、鳥の影は遙か下方にしかない。
最初のうちは蝙蝠についてこられたゴガルンだったが、徐々に遅れ始めていた。漆黒の翼は無事だが、四肢に深い傷がある。
そこから滴り落ちる血が、体力を奪っているようだ。乾いた息を繰り返しながら、大きく上下に揺れ始めていた。
地上を見回して、山の中腹にある崖に洞穴があるのを見つけた。
〝丁度良い。あそこで、一休みしようじゃないか〟
「休み……だが、それじゃあ、奴らに追いつかれるぞ」
〝それには……ひとつ、考えがある〟
蝙蝠の返答に、ゴガルンは渋々従った。早く不死を得たかったが、体力が保たないのも事実だ。
蝙蝠のあとを追うように洞穴の中に入ったゴガルンは、腰を降ろすと肩で息をし始めた。
そんなゴガルンに近寄ると、蝙蝠は左手にある白い杖に触れた。
〝こいつを借りるよ〟
「それは……おまえの言った作法で召還をしても、最初の一匹以外は雑魚しか出ねぇじゃねぇか」
〝それは、あんたの魔力不足が原因だねぇ〟
蝙蝠は小馬鹿にするように答えると、白い杖を口に咥えた。
そのまま洞穴から飛び去ると、崖の上に舞い降りた。そこで蝙蝠は白い杖を地面に置いた。
〝まったく世話の焼けること〟
忽然と虚空に現れたのは、妖艶なドレスに身に纏った、濃い紺色の肌の女だ。頭に角を生やした女――テンタトレス・マリゲニーは、白い杖を手にすると、高らかに掲げた。
〝さあ、おいで――我が愛しい子よ。我が瘴気を糧に、この世界に姿を現せ。我が下僕――マリド!〟
テンタトレス・マリゲニーが杖を振りかざすと、《門》が開いた。
漆黒の《門》が開ききると、闇の中から巨大な影が姿を現した。四本の腕を持つ、マリドはテンタトレス・マリゲニーの前で跪いた。
全高は、跪いた姿勢で二マーロン(約二メートル五〇センチ)もある。立ち上がれば、四マーロン(約五メートル)以上にもなる。
皮膚は濃い緑。頭部は人や獣にはまったく似ておらず、どちらかといえば昆虫に近い。黒い瞳には白目はなく、複眼が五つもある。
鋭い歯のある口は円状で、頭部からは長い触角が生えていた。
手足は人の物に似ているが、指はそれぞれ三本しかない。腕や背中には、フジツボのようなブツブツが無数にあり、その口に似た開口部からは、瘴気が漏れていた。
〝お呼びでしょうか――偉大なる母よ〟
〝ああ、愛しい子。愛しい下僕よ。おまえの力を借りたいの〟
テンタトレス・マリゲニーは指先を、王都タイミョンの方角へ向けた。
〝ユバンラダケや、その周囲にいる人間、天竜族を足止めしておくれ。怪我人がいるが――そいつが生きていたら、殺さない程度にいたぶっておやり〟
〝承知〟
魔族であるマリドは、深々と頭を下げてから、崖から飛び降りた。
ゴガルンのいる洞穴の横を通り過ぎ、そのまま地上へと落下していく。背中から地表に衝突する寸前、マリドの身体がフワリと浮いた。
腕や背中の突起から瘴気を噴射したマリドは、音もなく地面に着地した。
〝さて――戦いだ〟
マリドは姿勢を低くすると、南へ向けて駆け出した。
*
崩れた砦では、怪我人の手当が行われていた。
気を失ったゲルシュはそのまま寝かされ、テレサはリリンの手によって止血のためのリネンを巻かれていた。
俺はというと、床に寝かされている状態で、瑠胡と唇を重ねていた。
俺の頭の下には、セラの膝がある。その上で瑠胡とイチャついているわけじゃない。これは治癒の効果がある瑠胡の血を与えられている。
ゴガルンの瘴気の刃は、俺の腹部をほぼ貫通していた。留めなく流れていた血も、瑠胡の血の効果か、今は止まっている。
だが激痛が消えたわけではないので、立ち上がるのも辛い。最低限の止血はしたようだが、傷が完全に癒えるまではしばらくかかるだろう。
「ランド、まだ無理をしてはいけません」
「でも瑠胡、ハイム老王を待たせておくのは、流石に拙いですから」
俺は瑠胡とセラに支えられながら立ち上がると、リリンへと近寄った。
テレサの止血は、終わったらしい。床に寝かされたその顔は真っ青で、ただ苔の生えた天井を眺めていた。
「リリン、彼女の容体は?」
「怪我は、大したことはありません。ですが、お兄様。心の傷は、かなり大きいようです」
「……だろうな」
兄であるゴガルンに、後ろから斬られかけた――しかも囮のような扱いをされた上で、だ。テレサの負った心の傷は、横腹よりも大きかったはずだ。
目から下――後頭部に向かって、涙が乾いた跡があるのが、その証拠だ。かける言葉も見つからず、だからといって無音で離れる気にもなれないでいると、ハイム老王が近づいて来た。
「ランド、この娘は知り合いか?」
「鉱山で少し。あと、ゴガルンの妹だということです。それがどうかされましたか?」
「うむ……残念だが、目の前で王家への背信行為を見てしまっては、罰せねばならん」
気難しそうな顔をするハイム老王に、俺は首を振った。
「罰なら、もう受けているでしょう。ゴガルン……兄に斬られたんですから。父親であるゲルシュの意識がなかったのは幸いでした。起きていたら、彼がテレサを罰していたかもしれません」
命を以て償え――とか言い出しかねない。そうなれば、不要な揉め事を引き起こすことになっただろう。
そんな俺の意見に、ハイム老王は納得しきれない顔をした。
「しかし……おまえとて、この娘のせいで怪我をしたのだぞ?」
「それは……まあ、俺が勝手に庇った結果ですから」
「甘いな、御主」
「……わたくしも同意見です。あのとき邪魔されなければ……それで終わりでしたのに」
瑠胡が不満を口にした。
ジッと見上げる瑠胡の瞳には、嫉妬混じりのジットリとした雰囲気があった。セラも似たような目をしていたけど……別に浮気心ってわけじゃないんだけどなぁ。
そう思いはしたが、今は言い訳とかしないほうがいいだろう。
俺が力なく苦笑してみせるが、ハイム老王は口をへの字に曲げていた。立場的に納得はできてないようだが、老王が悪人ではないことは知っている。
説得ができないわけじゃない。
「……ハイム老王陛下を救いに来られたのも、彼女がこの場所を知っていたお陰ですから。それで相殺ってことにしませんか?」
「ううむ……まあ、今回の件で理解もしただろうしな。ゴガルンと言ったか……あれが、もう姿だけでなく、心も魔に堕ちたことに」
「……魔に堕ちた?」
「左様だ。食事と称して、わたしに生の心臓らしい肉の塊を差し出してきたくらいだ」
……心臓、か。
狩りをした経験があるなら、その部位の意味は知っている。どんな動物にせよ、心臓は一つだけ、しかもそれほど大きくない。
それだけ貴重な部位を差し出したってことは、それなりに人間らしい――そして王族への敬意も残っていることになる。
それを説明しても、獣を解体したことのない王族には、理解が難しいかもしれない。
――しかし……生で差し出した、か。
確かに、かなり人間性が欠如しているようだ。
そして思う。一階の惨状を造り出したのは、ゴガルンなのか――と。
「ハイム老王陛下は……一階の惨状をご存知ですか?」
「無論――あれは、奴の仕業で間違いが無い。人に対して、弄んだあともあった」
「……そう、ですか」
そこまで、魔の領域に堕ちているのか。
そんな俺たちの会話を聞いていたのか、テレサが目だけをこちらに向けた。
「もうしわけ……ありませんでした。ハイム老王陛下様。それに、ランド……さんも。わたしはただ、兄と昔みたいに……家族として、暮らしたかったのです。父も母も、兄のことを家の恥、過ちだったと。そんな存在自体を否定するようなこと、もう聞きたくなかったんです。それだけ、だったのに……」
俺たちへの謝罪、そして気持ちの吐露を告げながら、テレサの目には再び涙があふれ出していた。
微かな嗚咽が聞こえ始めたころ、近寄って来たレティシアがハイム老王に敬礼した。
「老王陛下、こちらへ……下に、馬を御用意しております」
「それは有り難い――だが、それはランドが使ったほうが良かろう。彼奴の傷は、深いはずだ」
「いえ……気になさらないで下さい。俺は、自力で歩け……ますから」
瑠胡やセラから離れながら、俺はそう進言した。傷はかなり痛むが、我慢できないほどじゃない。肩で息をするのは抑えられないが、森の端まで行けば馬車が待機している。
そこまでは、なんとか行けるはずだ。
問題は、一階にいた魔物、ウィンキーをユバンラダケが斃してくれているかどうか、だ。
様子を見に行こうと俺は階段へ向かったが、それをレティシアが止めた。
「怪我人は下がっていろ。下の様子は、わたしが見に行く」
「……悪い」
俺がレティシアに先を譲ったとき、階下から足音が聞こえて来た。それも、二組。
残っていたのは、ユバンラダケだけだから、足音が二つ聞こえてくるのはおかしい。俺とレティシア、それにセラが剣の柄に手を伸ばした。
足音に警戒する中、階段を昇ってきたユバンラダケが、俺たちの様子を見て目を瞬かせた。
〝なん――だ、これは?〟
「なんだ……驚かすな」
俺が安堵の声を漏らすと、ユバンラダケは不服そうな顔で階段を昇りきった。
〝驚いたのは、こちらだ。裏切ったのかと思ったぞ〟
〝どうしたんだい?〟
続けて昇ってきたウァラヌが、俺たちを見回した。二組目の足音は、彼女だったのか。
二人がここに来たということは、ウィンキーは斃したわけだ。これで安全に一階に降りられる。
となると気を失ったままのゲルシュはともかく、問題は止血を終えたばかりのテレサか。今すぐ動かすと、傷口が開く危険がある。
担架で運びたいところだが、もちろん持ち合わせなどない。ここで作るしかないわけだが……材料を探すのも一苦労だ。
レティシアは少し考えながら、リリンとハイム老王を順に目を向けた。
「先に、ハイム老王陛下を王城へお連れしたい。リリンとセラ、それに……ユバンラダケと言ったか。同行をしてくれ。王城へは、わたしとハイム老王陛下だけで向かい、リリンとユバンラダケは担架に使えそうなものを探しつつ、砦に戻る。ハイム老王陛下を王城へお連れしたあと、わたしは馬車で戻ってくる――その手筈でいいか?」
〝問題だ。なぜ、我がおまえたちの警護をせねばならん。様子を見るに、ゴガルンは逃げたのだろう。我は、それを追う〟
「ですが、彼らの行く先はわかりません。闇雲に探すのは、効率がわるいです」
リリンが、ユバンラダケに異を唱えた。
軽く睨むユバンラダケにまったく動じないリリンが、俺たちを見回した。
「彼らは不死を得ると行っていました。そして、北に向かっています。魔術師ギルドにある書物から、その二つの情報に合致する場所を調べることを提案します」
なるほど、リリンらしい提案だ。それに闇雲に探したところで、この砦を囲っていた結界を使われたら、ゴガルンを差し出すことは困難だ。
ユバンラダケはまだ不満げだが、ウァラヌは微笑みながら頷いた。
〝なるほど。良い考えね。ユバンラダケ、ここは彼女らと協力しましょう。ねえ、あなた。手伝いたいのだけど、いいかしら〟
「それは――はい。喜んで」
リリンが頷くと、ユバンラダケはもう反論を口にしなかった。
それで、俺たちのやることが決まった。レティシアやハイム老王が下に降りようとしたとき、砦が揺れた。
階下でなにかがぶつかった――のか?
こうなると、傷の痛みどころじゃない。ハイム老王をレティシアやリリンに任せ、俺や瑠胡、セラ、それに魔霊の二体が階下に向かった。
二階は、無事だ。
一階に降りたとき、血まみれの室内に馬の姿をしたままのジココエルが倒れていた。
「ジココエル!?」
〝すまん――油断をしていた〟
なんとか勝ち上がったジココエルが、入り口へと首を向けた。
出入り口のところに、昆虫のような頭部を持つ異形の姿があった。緑の皮膚を保つ四本腕の異形は砦の中を覗き込み、視線を俺で止めた。
〝怪我人――なるほど。これは嬲り甲斐がありそうだ。さあ、このマリドを失望させてくれるな〟
愉悦混じりの声を発しながら、マリドと名乗った異形が砦に入ってきた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
今回でたマリドですが、悪魔の辞典によればイスラムの悪魔らしいです。外見の資料は見つからなかったため、外見はオリジナルでございます。
余談ですが、ジココエルが馬のまま吹っ飛ばされているのは、変身する間もなくやられたからです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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