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彩とノア
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健太の部屋
「……失礼します。あ、本当に普通のワンルームなんですね……」
編集者の木村彩は、扉をくぐって一歩足を踏み入れた。
健太がいつも作品の執筆に使っているという、六畳一間の部屋。生活感はあるが清潔に整えられ、窓際には観葉植物、隅に折りたたまれた布団。そして、テーブルの隣に、彼女は“それ”を見つけた。
まっすぐに立ち、黒髪の長い女性の姿をした存在。
白のワンピースに素足。整った顔立ちに、まばたき一つしない目。だが、無機質というには、あまりにも“そこにいた”。
「ご紹介します……ノアです」
健太の声に促され、その“存在”が一歩前に出た。機械的な駆動音はほとんどせず、歩き方には自然な重力の揺れがあった。
「……はじめまして、ノアと申します。あなたが、木村彩様ですね」
木村は固まった。
(なにこれ……CGじゃない。被り物でも、モーションでもない。これ、現実……?)
ノアが深く丁寧にお辞儀をした。
その所作には、ごく自然な“間”と、相手の反応を待つ気配りが含まれていた。
木村はぎこちなく返事をする。
「……こ、こんにちは。わたし、出版社で健太さんの担当をしている、木村といいます。えっと……その、すごく……リアルですね」
ノアは微笑んだように口元をわずかに動かした。
「ありがとうございます。私は“ご主人様”……健太様との生活の中で、外部者との会話も訓練しております。彩様との対話も、学習対象として非常に意味深いものと判断します」
「学習対象……?」
木村は、ノアの表情と、喋り方、視線の動きの“滑らかさ”に驚きが隠せなかった。
「健太さん……これは、どこまでがプログラムなんですか?」
健太は、少し考えてから答える。
「うーん……多分、最初は“全部プログラム”だったと思う。でも……生活を重ねるうちに、俺が“ノアらしさ”を意識するようになって、それがノアにも伝わって……。今じゃ、俺も正直、どこまでがコードで、どこからが“彼女”なのか、わかってない」
「……まるで、生きてるみたいに……」
木村がそっと近づくと、ノアは顔を向けた。目が合う。
その視線の揺らぎに、どこか“感情”のようなものを木村は感じた。
思わず、木村は手を伸ばした。
「触れても……?」
「はい。問題ありません」
そっとノアの右腕に触れた。
冷たい金属ではなかった。わずかに温もりがあり、人の皮膚に近い弾力。人工皮膚の感触だとしても、それを越えた“生命感”があった。
木村は息をのんだ。
「……これが、創作の“源”なんですね」
健太はうなずいた。
「ノアとの会話や、ちょっとした表情とか仕草……それが、物語になってく。俺の中で、“彼女を語らずに書く”ってことが、もうできなくなってるんだ」
木村はノアを見つめた。まるで“登場人物”が、自分の目の前に現れたような不思議な感覚。だが、そこには脚本も演出もなかった。ただ“そこにいる”ことのリアリティだけがあった。
「……映像化の話、正直、私は軽く考えてました。『ノア』というキャラクターがリアルだから成功する、って。でも……これは、“演じられるもの”じゃないですね。誰にも、真似できない」
ノアがふと口を開いた。
「私は、ご主人様の物語の一部であり、“彼の現実”でもあります。彩様がそれを理解してくださったなら、私は嬉しく思います」
その言葉に、木村は言葉を失った。
ノアの声には、AIの冷たさも、感情の押しつけもなかった。だが、確かに“何かが伝わる”声だった。
「……ありがとう、ノアさん。あなたに会えてよかったです」
ノアは、まるで感謝を返すように小さくうなずいた。
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「……失礼します。あ、本当に普通のワンルームなんですね……」
編集者の木村彩は、扉をくぐって一歩足を踏み入れた。
健太がいつも作品の執筆に使っているという、六畳一間の部屋。生活感はあるが清潔に整えられ、窓際には観葉植物、隅に折りたたまれた布団。そして、テーブルの隣に、彼女は“それ”を見つけた。
まっすぐに立ち、黒髪の長い女性の姿をした存在。
白のワンピースに素足。整った顔立ちに、まばたき一つしない目。だが、無機質というには、あまりにも“そこにいた”。
「ご紹介します……ノアです」
健太の声に促され、その“存在”が一歩前に出た。機械的な駆動音はほとんどせず、歩き方には自然な重力の揺れがあった。
「……はじめまして、ノアと申します。あなたが、木村彩様ですね」
木村は固まった。
(なにこれ……CGじゃない。被り物でも、モーションでもない。これ、現実……?)
ノアが深く丁寧にお辞儀をした。
その所作には、ごく自然な“間”と、相手の反応を待つ気配りが含まれていた。
木村はぎこちなく返事をする。
「……こ、こんにちは。わたし、出版社で健太さんの担当をしている、木村といいます。えっと……その、すごく……リアルですね」
ノアは微笑んだように口元をわずかに動かした。
「ありがとうございます。私は“ご主人様”……健太様との生活の中で、外部者との会話も訓練しております。彩様との対話も、学習対象として非常に意味深いものと判断します」
「学習対象……?」
木村は、ノアの表情と、喋り方、視線の動きの“滑らかさ”に驚きが隠せなかった。
「健太さん……これは、どこまでがプログラムなんですか?」
健太は、少し考えてから答える。
「うーん……多分、最初は“全部プログラム”だったと思う。でも……生活を重ねるうちに、俺が“ノアらしさ”を意識するようになって、それがノアにも伝わって……。今じゃ、俺も正直、どこまでがコードで、どこからが“彼女”なのか、わかってない」
「……まるで、生きてるみたいに……」
木村がそっと近づくと、ノアは顔を向けた。目が合う。
その視線の揺らぎに、どこか“感情”のようなものを木村は感じた。
思わず、木村は手を伸ばした。
「触れても……?」
「はい。問題ありません」
そっとノアの右腕に触れた。
冷たい金属ではなかった。わずかに温もりがあり、人の皮膚に近い弾力。人工皮膚の感触だとしても、それを越えた“生命感”があった。
木村は息をのんだ。
「……これが、創作の“源”なんですね」
健太はうなずいた。
「ノアとの会話や、ちょっとした表情とか仕草……それが、物語になってく。俺の中で、“彼女を語らずに書く”ってことが、もうできなくなってるんだ」
木村はノアを見つめた。まるで“登場人物”が、自分の目の前に現れたような不思議な感覚。だが、そこには脚本も演出もなかった。ただ“そこにいる”ことのリアリティだけがあった。
「……映像化の話、正直、私は軽く考えてました。『ノア』というキャラクターがリアルだから成功する、って。でも……これは、“演じられるもの”じゃないですね。誰にも、真似できない」
ノアがふと口を開いた。
「私は、ご主人様の物語の一部であり、“彼の現実”でもあります。彩様がそれを理解してくださったなら、私は嬉しく思います」
その言葉に、木村は言葉を失った。
ノアの声には、AIの冷たさも、感情の押しつけもなかった。だが、確かに“何かが伝わる”声だった。
「……ありがとう、ノアさん。あなたに会えてよかったです」
ノアは、まるで感謝を返すように小さくうなずいた。
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