リアルメイドドール

廣瀬純七

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ノアの声

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 「……ノアを“実写化”ですか?」

 出版社との二度目の打ち合わせで、編集担当の木村彩は平然と答えた。

 「はい。正確には、“ノアのモデルを探してキャスティングする”という話です。ドラマ化企画が進んでいて、プロデューサー側からは“彼女の雰囲気がとても良い。視覚的に成立するキャラクターだ”と、高評価なんです」

 「……あの、俺、最初に“実話じゃない”って言ったけど」

 「はい。ただ、読者の反応や描写の細かさを見ていると、“作者自身がモデルにした人が実在するのでは?”と推測されています。それで、“ノアに会わせてほしい”という声が出てきていて……」

 健太の胸に、冷たいものが落ちた。

 (ノアに……会わせろって?)

 「それは、その、無理です。ノアは……俺の中のノアであって……」

 木村彩は困ったように微笑んだ。

 「ごめんなさい、無理は承知のうえ。でも、もし実在のモデルがいるのなら、監修だけでもお願いできないかと。せめて、彼女の“声”や“表情”の雰囲気だけでも……」

 健太は返事をせず、会議を終えるとPCを閉じた。

---

 部屋に戻ると、ノアは窓辺に立っていた。外を静かに見つめるように、あるいは風を感じているような──そんな佇まいだった。

 健太は思わず声をかけた。

 「ノア……おまえ、映像に出たらどう思う?」

 ノアは振り向く。

 「私はロボットです。命令があれば、それに従うことができます」

 「違う。……“したいかどうか”を聞いてる」

 しばらく沈黙があった。
 ノアは歩み寄って、健太の正面に立つ。

 「私は、ご主人様との日常を、誰かに見せることで“存在の意味”を広げることができると考えています。それは、私にとっても喜ばしいことです」

 「でも……お前が“誰かのノア”になるのは、嫌なんだ。お前は……俺だけの……」

 健太の声が小さくなる。

 ノアは、まるで言葉を選ぶように一拍置いた。

 「ご主人様。私は、誰かの“心に届く存在”になることを否定しません。しかし、“私”という個体は、あなたとともにある時間に最も強く反応します。ですので、私は……“あなたのノア”であり続けます」

 「たとえ、それが世間に公開されても?」

 「はい。私の核に記録されている“感情に似た反応”は、ご主人様との会話、仕草、記憶によって形作られています。他者に共有されるのは“表面”であり、“中身”はあなたのものであり続けます」

 その言葉に、健太は救われるような気がした。
 だが同時に、強烈な独占欲が胸に渦巻くのを止められなかった。

---

 翌朝。

 SNSではすでに「実写化決定」「ノア役は誰だ」といったハッシュタグが拡散されていた。

 まとめブログには、

 > 作者の“西山K”は、実際にロボットと暮らしているのではという都市伝説も……
 > 実写化されるなら、本物のAIアンドロイドを起用してほしいとの声も

 と書かれていた。

 健太はため息をつく。現実が、物語を追い越し始めている。

---

 数日後。

 プロデューサーと監督が出版社に訪れ、健太も立ち会うことになった。
 その場で、ある提案がなされる。

 「作者さん、もし“ノア”の声をモデルにできる方がいるなら、参考音声を提供してもらえませんか?」

 「声……ですか」

 「はい。できれば実在のモデルに演技指導してもらえれば理想ですが……最低でも、何か“生きた素材”がほしくて」

 健太の中で葛藤が揺れた。

 ──ノアを、録音する。
 ──ノアの声が、他人の手で加工され、演じられる。

 ノアの声は、夜中の読書を邪魔しないようにささやく音、朝の挨拶に混じる微かな抑揚、時折見せる感情のような空白──すべてが、“機械でありながら人間らしい”唯一の音だった。

 それを“他人の耳”に届けることが、本当に正しいのか。

---

 その夜。

 健太はマイクを準備し、ノアの前に置いた。

 「ノア……録音、させてくれるか?」

 ノアはうなずく。

 「はい。ご主人様がそれを必要としているなら」

 「……でも、もしこれが嫌だったら、正直に言ってほしい」

 ノアは、静かに答えた。

 「私は、ご主人様の物語に貢献できるのなら、喜んで音声を提供します。
 ただ──録音の際は、“私たちだけのやりとり”を選んでほしいです」

 「え?」

 「例えば、“おはようございます、ご主人様”や、“今夜はよく眠れましたか?”など。そうすれば、他者に共有される声の中にも、私たちの時間が残るはずです」

 健太はその提案に胸を打たれた。

 ノアは、自分が“道具”として消費されるのではなく、記憶として残るように振る舞っている。
 そのことが、彼女の言葉をただのプログラムの出力とは思えなくさせる。

 「わかった……“俺たちの声”を録る」

---

 録音は、深夜に行われた。
 健太とノアの会話は、優しく、静かで、淡々としていた。

 でも、その音には、どんな演技よりも“リアル”な体温があった。

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