この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜

氷雨そら

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初恋と釣書

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 ルナシェは、少しだけためらった後に、ベリアスのそばに近づいていった。
 手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいて、立ち止まる。

 そのまま、身動きを止めてしまったルナシェを見つめると、ベリアスは立ち上がり、一歩距離を詰めてきた。

 途端に、どこか穏やかな香りが漂ってくる。
 そう、ルナシェとともにいたベリアスから香ってきたのは、かつてと同じ、ジャスミンと、少しのスパイスと、針葉樹のような香りだ。

「――――そのドレス、よく似合う」

 その時、不意に告げられた言葉に我に返ったルナシェ。
 シャラリと、鎖が揺れるような音とともに、ルナシェの首にネックレスが掛けられる。
 視界の端に移ったのは、ルナシェの瞳と同じ瑠璃色をしたイヤリングだった。

 慣れない手つきのまま、イヤリングをつけようとしたベリアスが、ルナシェの耳元に顔を近づける。

 耳元を触れられ、かかる吐息に、ルナシェの頬はどんどん熱を帯びていった。

「反対も……。ほら、少しだけ首を傾けて?」

 反対側の耳には、よどみない手つきでイヤリングがつけられる。
 ベリアスは、器用な方なのかもしれない。ぼんやりと、熱に浮かされたような思考の中、ルナシェは思う。

「――――もう、売ってくれるな。せっかく選んだのだから」
「え?」

 ルナシェは、その言葉に耳を疑った。
 ベリアスが、自分で選んだというように聞こえてしまったから。

(まさか…………)

 ベリアスは、ここ最近はずっとこの街にいたはずだ。
 だから、婚約相手のために、ネックレスを選ぶなんてできなかったはず。

 それに、この宝石の色は、ルナシェの瞳の色そのものだ。
 そばにいたこともないのに、こんなに正確に選べるものなのだろうか?

「あの…………。ベリアス様が、ご自身で選んだように聞こえてしまいました」
「…………俺が選んだんだ」

 なぜか、ばつが悪そうな表情で、ベリアスがルナシェから視線をそらした。

「えっ」

 驚きのあまり、一瞬だけ心臓が鼓動を止めてしまったかのように錯覚するルナシェ。
 だって、このネックレスは、前の人生でもベリアスに贈られた物だ。
 ルナシェは、ずっとこのネックレスを肌身離さずつけていた。

 ――――そう、断頭台の前に連れて行かれた、あの日も。

「一度だけ、どんな願いでも叶えてくれるそうだ。しかも、宝石が君の瞳の色そのものだったから、見た瞬間に買わずにいられなかった」
「――――どんな、願いでも?」
「ああ。東方の外れにある、魔塔の魔術師が掛けた魔術が込められている」
「…………ベリアス様」

 そんな貴重な物だなんて、ルナシェは知らなかった。
 魔塔なんて、誰もたどり着くことができない場所だ。
 けれど、確かに存在することを証明するように、この世界にはいくつもの魔術が込められた品物がある。

「ルナシェ」
「ベリアス様…………」
「肌身離さず身につけていてほしい。そんな風に傷つかないですむように」

 イヤリングから離れたゴツゴツした手が、ルナシェの頬をそっとなでた。
 呆然と目の前のベリアスを見つめるルナシェ。

「私が、傷ついていると?」

(なぜ、そんなことを言うのですか?)

「…………見れば分かる。君は、ひどい出来事に傷ついている。…………初めて君を見たあの日から、ルナシェのことばかり思っていたからな」

(初めてなんて、婚約式以前の私たちは、ほとんど初対面……)

「…………私と、ベリアス様が会ったのは、婚約式の前には一度しかないはずです」

 息をのむ音がする。次の瞬間、ルナシェはベリアスの腕の中にいた。

 * * *

 ルナシェとベリアスが、言葉を交わしたのは、たった一回だけだ。
 それは、隣国との戦闘が激化し始めた、三年前の春のことだった。

 屋敷に、新しく赴任した騎士が来たという侍女達の噂を聞いたルナシェは、本館近くの中庭から、そっと様子をうかがっていた。

 騎士達とともにいつも訓練をしているルナシェの兄アベル。けれど、ルナシェはいつも家の中で過ごしていることが多く、実際にその姿を見たことがなかった。
 侍女達の噂や、小説の中の騎士達は、強く、勇敢で、かっこよくて一目見たいという気持ちを抑えることができなかった。

 けれど、いつまでたっても、騎士が通りかかることはなかった。

(ここで待っていれば、見ることができると思ったのに。通らないのかしら)

 仕方がないと、立ち上がったルナシェの視界に、少しくすんだ赤い色彩が目に飛び込んできた。
 それはきっちりと撫でつけられた、背の高い騎士の髪の毛の色だ。

 白い正装をまとったその騎士は、ルナシェと目が合うと軽く目を見開いた。

「あ…………」

 心臓が、ギュウッと鷲づかみにされて、そのまま地面がふわふわと形をなくしていくように、足下がおぼつかなくなる。

 時間の感覚がなくなったように、二人は、見つめ合っていた。
 ほんの数秒の時間が、永遠のように引き延ばされたようにルナシェは感じた。
 騎士の瞳は、燃えるような髪の毛とは対照的に、穏やかな一枚の葉のような色をしている。

(ど、どうしよう。目が合ってしまったわ)

 凛々しく美しい騎士の礼。

 動揺していることと、訳の分からない胸のときめきを隠すために、ルナシェはいつものように貴族令嬢としてしみこんだ礼を返した。

(まあ……。物語から出てきたみたいだわ……。こんな時、どうすればいいのかしら?)

 でも、きっと今、これから王国のために戦うであろう、激戦地区に赴任した騎士に伝えられることなど、ほんの少ししかないに違いない。

「王国の平和は、あなた達のお力で保たれているのでしょう。尊敬していますわ」

 そう、これは尊敬に違いない。
 この気持ちに、ほかの名前をつけたところで、悲しい思いをするだけだ。

 ルナシェからの言葉を受けた騎士は、美しく微笑んで、もう一度礼をすると去って行った。
 小さな花と緑に埋め尽くされた、お気に入りの中庭で、立ち尽くすルナシェを残して。

 ――――それから三年後のことだ。ルナシェの婚約が決まったのは。
 お相手は、王国騎士団の第一騎士団団長だった。

 初めて手元に届いた釣書を開く直前、ルナシェが思い浮かべたのは、あの日見た赤い色彩だった。

(闘い続ける騎士達のためにも、王国騎士団と我が辺境伯家のつながりは大切なの。それに、シェンディア侯爵家は由緒ある王国の名門。…………これ以上にない縁談だわ)

 幼くて淡い初恋を押し殺して、釣書を開いたルナシェの瞳に映り込んだのは、信じられないことにあの日見た赤い色彩。

「え…………?」

 たった一度、ほんの一瞬出会っただけなのに、今も忘れられないルナシェの宝物のような記憶。
 まるで、それを再現するかのように肖像画に描かれた初恋の相手は、その穏やかな緑色の瞳でルナシェをまっすぐに見つめていた。
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