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しおりを挟む私が助けた青年は、熱を出してうわごとを言っていた。
私は、彼を自分の部屋の隣にある、ほとんど使われていない客間に寝かせた。屋敷の誰も、彼がここにいることを知らない。
この家の使用人たちは、皆私が「地味で冴えないお嬢様」だと知っているから、私がこっそりと誰かを匿っているだなんて、想像もつかないだろう。
「う、うぅ……」
彼が苦しそうにうめくたびに、私の胸が締め付けられた。
私は、彼を助けたい一心だった。
お父様やお母様に知られたら、きっと叱られる。でも、そんなこと、どうでもよかった。
ヴィルヘルム様に捨てられて、心が空っぽになった私に、彼を助けるという新しい使命ができたのだ。
それが、私を少しだけ強くしてくれた。
私は、熱いタオルで彼の額を冷やし、傷口をきれいに拭いた。
彼の顔の汚れを拭うと、驚くほど整った顔が現れた。黒曜石のような黒い髪と、閉じられた瞼の下にある、深い青の瞳。
まるで、物語に出てくる騎士様みたいだ。
その顔を見て、過去に遠くからお見かけした記憶のある、高貴な方の存在が思い浮かんだ。
……王太子殿下?まさか。こんなボロボロの格好で、こんなところにいるはずがない。きっと、どこかの貴族の子息なのだろう。
私は彼の看病を続けた。夜が明けても、昼になっても、そしてまた夜になっても、私は彼のそばから離れなかった。すると、三日目の朝、彼の熱がようやく下がった。
「……君は……」
彼は、ゆっくりと目を開けた。そして、私をまじまじと見つめた。その瞳は、私が最初に見たときよりもずっと澄んでいて、まっすぐだった。
「目が覚められたのですね! よかった……」
私は、安堵から涙が出そうになった。
「君が、助けてくれたのか……?」
彼の声は、少しだけかすれていたけれど、力強さがあった。私はこくりと頷く。
「はい……庭で倒れていらっしゃったので……」
「そうか……。感謝する。私の命の恩人だ」
彼はそう言って、ゆっくりと体を起こした。私は、はっとして彼の肩に手を添える。
「まだ、無理をなさらないでください!」
「ああ、もう大丈夫だ。君のおかげで、すっかりよくなった」
彼は、私に微笑みかけた。その笑顔は、とても優しくて、私の心を温かくしてくれた。
「あの……お名前は……?」
私が尋ねると、彼は少しだけ考える素振りを見せた。
「……ルイスと呼んでくれ」
「ルイス様……」
私は、彼の名前をそっと口にしてみる。
「君の名前は?」
「マリアンヌと申します。マリアンヌ・エマーソンです」
「マリアンヌ……。ああ、君はあの夜会にいた」
ルイス様はそう言って、私を見ていた。まさか、あの夜会にいた? どうして、そんなことを知っているのだろう。
「たしか、ヴィルヘルムが婚約を破棄した女性だ」
ルイス様の言葉に、私の心臓がドキリと跳ねた。
「あの……どうして、そんなことを……?」
「私は、ルイス・フォン・グランヴィルだ。そして、彼は私の従兄弟だ」
ルイス様は、そう言って、穏やかに微笑んだ。
私の頭の中が、真っ白になる。
ルイス・フォン・グランヴィル。その名は、公爵家の一員であり、そして同時に王族でもあることを示していた。
いや、それだけじゃない。その名前はつまり、その……。
まさか。本当に……?
「あなたが、王太子……殿下……?」
私は、震える声で尋ねた。ルイス様は、静かに頷く。
「ああ、そうだ。今は公にはしていないが、私は王太子だ」
私の頭は、完全に混乱していた。なぜ、王太子様が、こんなところで?
「王宮内の陰謀に巻き込まれてね。身分を隠して逃げていた」
「そんな……! 大変な目に遭われたのですね……」
私は、ルイス様の痛々しい傷を見て、胸が痛んだ。
「君のおかげで助かった。君のような純粋で誠実な心を持つ者は、この世にそう多くはない。私は、君の献身に、心から感謝している」
「そんな……! 私は、ただ……」
私は、自分がヴィルヘルム様に捨てられて、心にぽっかりと穴が開いていたことを話した。
ルイス様は、静かに私の話を聞いてくれた。
「君は、ヴィルヘルムに見下されていたかもしれない。だが、私には、君の真の価値がわかる。君は、誰よりも優しく、誰よりも強い心を持っている。私は、君を絶対に守ると誓う」
ルイス様の言葉は、まるで魔法みたいだった。私の心に、じんわりと温かさが広がっていく。私は、生まれて初めて、誰かに自分の存在を認められた気がした。
「ルイス様……」
私は、彼の瞳を見つめた。その深い青の瞳は、私をまっすぐに見つめ返していた。そこには、ヴィルヘルム様のような冷たさはなかった。ただ、私を大切に思ってくれる、温かい光があった。
ルイス様は、私が公爵家から婚約破棄されたことで、社交界でどんな目に遭っているかを知っていた。そして、彼は、私を助けるために行動してくれた。
数日後、ルイス様は体力が回復し、屋敷を出ていった。私は、また一人ぼっちに戻るのかと、少しだけ寂しくなった。だが、彼は私に言った。
「必ず、君の元に戻ってくる。その日まで、待っていてほしい」
その言葉を信じて、私は待った。そして、その待っている間に、私の生活は少しずつ変わっていった。
ある日、一通の手紙が届いた。それは、王宮からの招待状だった。王太子殿下主催の、特別な夜会への招待状。私は、招待状を握りしめ、胸がドキドキした。
その夜会は、社交界の話題の中心だった。そして、その夜会に、ヴィルヘルム様と、彼の新しい婚約者となったセシリア様も出席するらしい。
「ああ、見て! あれが例の、マリアンヌ様よ」
「婚約破棄された方でしょ? あんな招待状、よく受け取れたわね」
社交界の噂は、私の耳にも届いていた。ヴィルヘルム様とセシリア様は、華やかな結婚式を挙げると噂され、皆から祝福されていた。私は、もう彼らの世界とは無関係なはずなのに、心はまだ、過去に縛られていた。
夜会の日、私は母に連れられ、王宮へと向かった。母は、私がまたヴィルヘルム様と顔を合わせることに、不安を感じているようだった。
「マリアンヌ、あまり無理はしないでおくれ」
母の優しい言葉に、私は頷いた。
「はい、お母様。でも、私はもう、大丈夫です」
私の言葉に、母は不思議そうな顔をした。
王宮の広間は、豪華絢爛だった。私は、周囲の視線に耐えながら、母のそばにいた。すると、一人の青年が、私に向かって歩いてくる。
「マリアンヌ、久しぶりだ」
その声に、私は顔を上げた。そこにいたのは、信じられないほど見違えたルイス様だった。
ボロボロの兵士の服ではなく、きらびやかな王族の正装を身につけ、その顔には、以前のような疲労の色はなかった。
「ルイス様……」
「ああ、君のその驚いた顔が見たかった。マリアンヌ、君をこの夜会に招待したのは、私だ」
ルイス様は、そう言って、私に手を差し伸べた。
「私と、ダンスを踊ってくれないか?」
私は、夢を見ているようだった。まさか、王太子殿下に、ダンスを申し込まれるなんて。周囲の視線が、一斉に私たちに集まるのがわかった。
「はい……!」
私は、ルイス様の手を握りしめた。彼の手に触れた瞬間、なぜか安心感が広がった。
私たちは、ダンスを踊った。ルイス様のリードは完璧で、私は彼に合わせて、優雅に踊ることができた。
まるで、シンデレラになったみたいだ。私は、ルイス様と話しているうちに、自分が今までどれだけ自信を持てずにいたか、どれだけヴィルヘルム様を想っていたか、そして、どれだけその想いが報われなかったかを、改めて思い知らされた。
「君は、とても素晴らしい女性だ。なぜ、ヴィルヘルムはそれに気づかなかったのだろうな」
ルイス様がそう言ってくれたとき、私は、もう涙を流すことはなかった。
「ありがとうございます、ルイス様。私、もう、ヴィルヘルム様のことは、何とも思っていませんから」
私は、そんな言葉を口にすることができた。
「そうか。それはよかった。君は、幸せになるべき女性だ」
ルイス様の言葉に、私は微笑んだ。
その夜会の後、私の生活は、劇的に変わった。
ルイス様の計らいで、私は一流の教師たちから、さまざまなことを学ぶ機会を得た。マナー、教養、そして、社交界で生き抜くための知恵。私は、毎日が楽しくて仕方がなかった。
「マリアンヌ様は、本当に聡明な方です」
「マナーもすぐに身につけてしまわれる。素晴らしいわ」
周りの人々が、私を褒めてくれるようになった。
私は、鏡を見るたびに、自分が少しずつ変わっていくのを感じた。以前の私とは、まるで別人のようだ。
地味で冴えない私ではなく、自信に満ちた、新しい私がそこにいた。
一方、ヴィルヘルム様とセシリア様の方は、あまりうまくいっていないようだった。
セシリア様は、社交界で派手な振る舞いを繰り返し、借金も重ねていると噂になっていた。
「侯爵令嬢は、本当に大変な方ね」
「公爵様も、ご苦労されているそうよ」
そんな噂が、社交界を駆け巡っていた。
私は、もう彼らに何の興味もなかった。ただ、新しい自分になることに夢中だった。
私の心には、もうヴィルヘルム様の面影はなかった。
私に光を与えてくれた、ルイス様の存在だけがあった。私は、ルイス様にふさわしい女性になりたい。そう、心から願うようになった。
運命の歯車は、確かに動き始めていた。あの夜、庭で倒れていた彼を助けた日から、私の人生は、大きく変わったのだ。
私は、もう過去の私ではない。そして、私は、これからもっと、強く、美しくなる。
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