乙女ゲームに転生したら不遇ヒロインでしたが、真エンドは自分で選びます

タマ マコト

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第10話 白い回廊で、壊れかけた神を触った

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王城からの召喚状は、紙より先に匂いがした。

封蝋の甘い樹脂の匂い。
乾いたインクの匂い。
それに、権力が持つ“当然”の匂い。
呼ばれることを前提に作られた文章は、読む前から喉を締めつける。

寮の談話室に集められた生徒たちの間で、その封筒は回されるように見せかけて、実際は見せつけられていた。
教師が硬い声で読み上げる。

「王城より通達。聖具儀式に参加する学園優秀者を選抜する。候補者は――」

名前が並ぶ。
ミレイア=ローゼン。
ユリウス=クロフォード。
レオン=グレイヴ。
そして。

「……リリア=エヴァンス」

一瞬、空気が止まる。

次に来たのは、ひそひそ声の波。
驚き、嫉妬、疑念。
その全部が“香水”みたいに混ざって、部屋の空気が濁る。

「え、リリア?」
「なんで?」
「ミレイア様の独壇場じゃないの?」
「邪魔者……」

邪魔者。
その単語は、暖炉の火より冷たい。

リリアは無表情のまま頷いた。
内心は、笑いそうだった。
笑いは余裕じゃない。
皮肉な笑いだ。

――来た。
ついに“王城”が動いた。

学園の事件が、王国の骨格に触れ始めた証拠。
聖具庫の改竄。管理官の暗殺未遂。
それらを“魔獣事故”で押し通そうとした連中が、次に何をするか。

“儀式”で上書きする。
神聖なイベントで、全部を塗り潰す。

本来、ここはミレイアの舞台だ。
正ヒロインが聖具に選ばれ、光を浴び、王太子の隣で輝く。
そして私は、横で影になるか、邪魔者扱いされて退場する。

――退場しない。

馬車に揺られ、王都を抜け、王城が見えた瞬間、胸が少しだけ痛んだ。
白い城。
高い塔。
太陽を反射して、眩しすぎる光。

綺麗なものは、血を隠す。
白は、汚れを目立たせる代わりに、汚れを“見たくない人間”の目を誤魔化す。

王城の門をくぐると、空気が変わった。
香の煙が漂っている。
甘く、重く、呼吸の奥に残る匂い。
冷たい大理石の床。
歩くたびに靴音が跳ね返り、自分の存在が増幅される。

白い回廊が続く。
壁には絵画。
天井には天使の彫刻。
どれも“正しさ”を飾り付けた装飾だ。
正しさが豪華なほど、嘘は深い。

ミレイアが隣を歩いていた。
今日の彼女は、緊張を隠そうとしていない。
顔色が少し白い。
でも、逃げない目をしている。

「リリアさん……私、王城、怖い」
小声で言う彼女に、リリアは頷いた。

「怖いのが普通。怖くないふりしなくていい」
「……うん」
ミレイアは小さく息を吐いた。
その息が、香の匂いに溶ける。

ユリウスは少し前を歩き、周囲を冷静に観察している。
レオンは護衛の騎士と短く言葉を交わし、目線を巡らせている。
彼らも緊張している。
ただ、緊張の出し方が違うだけ。

儀式の間へ案内される前、控えの広間で待たされた。
そこへ、王太子セイル=アルヴェインが現れた。

白い制服。銀に近い髪。
完璧な笑み。
でも、その笑みの奥に、あの庭園の硬さがまだ残っている。

「皆、よく来てくれた」
セイルは優しく言う。
優しい声。
仕様の声。
けれど視線だけが、私に刺さる。

(まだ気にしてる)

私を制御できない存在として意識し始めた目。
興味が執着に変わりかけている目。

儀式の間へ入る。

広い。
天井が高く、香の煙が雲みたいに漂う。
床は冷たい大理石。
中心に、聖具が置かれていた。

金属と水晶で作られた“王国の心臓”。
聖具は、人々の魔力循環を整え、王都の結界を維持する。
――そういう設定。
でも、現実のそれは、呼吸するように脈打っていた。

光がゆっくり明滅し、空気が震える。
聖具の周りには、儀式用の魔法陣。
神官たち。
そして、立ち並ぶ貴族たちの視線。

“選ばれる”瞬間を見たい目。
“誰が価値があるか”を決めたい目。
それらが熱を持って、肌に刺さる。

神官が言った。

「候補者は順番に聖具に触れ、適性を確認する。聖具は嘘をつかない。選ばれし者にのみ、祝福を与える」

ミレイアが一歩前へ。
手を伸ばす。
光がふわりと強くなり、周囲がどよめく。
“正ヒロイン”の舞台。
やっぱり、世界は彼女を歓迎する。

ミレイアが触れた瞬間、聖具の光が柔らかく広がり、彼女の手首に淡い紋が浮かんだ。
神官たちが頭を下げる。

「……祝福が」

貴族たちがため息を吐く。
ミレイアは驚きと恐れと喜びが混ざった顔で、手を引いた。
彼女はまだ、この光の重さに慣れていない。

次にユリウス。
彼が触れると、光は鋭くなり、冷たい青に変わる。
“理の祝福”みたいな反応。
神官が頷く。

次にレオン。
彼が触れると、光が少し荒くなる。
強い熱。
だが、拒絶はしない。
聖具は彼の“忠誠”を嗅いでいるみたいだった。

そして、私。

空気が変わる。
貴族たちの視線が、露骨に冷たくなる。
「なぜ庶子が」
「なぜ候補に」
声にならない声が、香の煙に混じる。

リリアは一歩前へ出た。
大理石が冷たい。
足元から冷えが上がってくる。
でも、背筋は伸びる。
ここで縮こまったら、全部が“予定通り”になる。

聖具へ手を伸ばした。

触れた瞬間。

ぞわり、と皮膚の奥が震えた。
それは光の温かさじゃない。
歯が浮くような違和感。
魔力が循環する音が、耳じゃなく骨に響く。

(……欠損)

見えないはずの内部が、なぜか“見える”。
魔力の流れが、滑らかじゃない。
一部が、意図的に細くされている。
修理されているようで、わざと弱くされている。

弱くされた箇所は、ちょうど――負荷が集中する要。
ここが切れれば、聖具は破損する。
破損すれば、誰かが責任を負う。
責任を負わせるなら、“邪魔者”がちょうどいい。

背後から、低い声が囁いた。

「触れるな。君が壊したことにされる」

セイルだ。
いつの間に近づいたのか。
香の煙の中で、声だけが冷たい。

リリアは手を離さず、視線だけを僅かに動かした。
セイルの横顔が、白い光で硬く見える。

「つまり、壊す予定があるってこと?」

囁き返すと、セイルは沈黙した。
沈黙は肯定だ。
肯定できないから黙る。
王太子の沈黙は、王国の腐敗の匂いがする。

リリアはゆっくり手を引いた。
光は、少しだけ乱れた。
でも、決定的な拒絶は起きない。

神官が不安げに言う。

「……聖具が、揺れた」
貴族たちがざわめく。
誰かが「やっぱり」と呟く。
その「やっぱり」は、私に罪を着せる準備だ。

リリアは振り返り、神官たちへ淡々と言った。

「私が壊したのではない。元から傷んでいる」
「何を……」
神官が動揺する。

セイルの視線が鋭くなる。
“言うな”という目。
でも、もう言う。
言葉を飲み込めば、私はまた死ぬ。

「内部の循環に欠損がある。修理されているようで、要が弱い」
リリアは続けた。
「原因は摩耗じゃない。意図的な調整。誰かが“壊れるように”してる」

ざわめきが大きくなる。
ミレイアが胸元を押さえる。
ユリウスが一歩前へ出て、聖具を凝視した。
レオンは周囲の騎士の動きに目を光らせる。

セイルは、笑顔を取り戻そうとして失敗した。
完璧な王太子の仮面が、わずかに揺れる。

「……この場で断定するな」
セイルの声は低い。
怒りじゃない。懇願に近い。
“今は黙れ、今じゃない”という焦り。

リリアは、心の中で頷いた。

(今じゃない。ここで決めると、殺される)

私はまだ、証拠が足りない。
今必要なのは、見たことを胸に刻むこと。
そして、味方を選ぶこと。

儀式は、予定より早く切り上げられた。
神官たちの顔は青く、貴族たちはざわめきのまま散っていく。
何かが起きた。
何かが隠される。
その匂いが、香の煙より濃く残った。

王城の回廊を戻る途中、ミレイアが小さな声で言った。

「リリアさん……聖具、壊れるの?」
「壊される」
リリアは訂正した。
「壊れるじゃなくて、壊される」

ミレイアの瞳が震える。
それでも、逃げない。
泣きそうで泣かない。
彼女は少しずつ、“役”から降り始めている。

夜。
学園へ戻った寮の部屋は、静かだった。
窓の外の噴水の音が、遠くで鳴っている。
昼間の王城の香が、まだ髪に残っている気がして、嫌だった。

リリアは机にメモ帳を広げ、深く息を吸った。

(決める)

追放イベントは、避けるんじゃない。
真正面から潰す。

避ければ、次の形で来る。
逃げれば、追われる。
だから、根から折る。
根のさらに下、土の中の腐った部分ごと。

リリアはペンを走らせた。
必要なものを書き出す。

・聖具の整備記録(改竄前の原本)
・管理官暗殺未遂の証言(生存していれば)
・聖具内部欠損の証明(測定値、魔導具)
・王城内の協力者(最低一人)
・学園内の目撃者(噂を証拠に変える人)

そして、味方。

恋愛の攻略対象ではなく、戦線の仲間として。

ユリウス――理論と分析。真実の匂いに弱い。
レオン――武力と現場。正義を言う筋肉。
エリオット――裏の情報。王城の影に手が届く。
ミレイア――光の象徴。中心にいるからこそ届く場所がある。

セイルは?
……セイルは敵だ。
でも、“敵の中にいる不安”でもある。
彼は知っている。黙っている。
黙る理由が、王国か、誰かか、自分か。
それを見極める。

リリアはペンを置き、指先を見つめた。
王城の聖具に触れた時の震えが、まだ残っている。
欠損の感触。
わざと弱くされた要。
壊れる未来の匂い。

(次に壊れた時、私が犯人にされる)

だから、先に潰す。
証拠を集め、味方を選び、逃げ道を消す。
相手の逃げ道を。

リリアは窓を開けた。
夜風が頬を撫で、王城の香を少しだけ吹き飛ばす。
冷たい空気が肺に入って、頭が冴える。

「……真エンドは、自分で選ぶ」

小さく呟く。
それは祈りじゃない。宣言だ。

この物語は乙女ゲームとは異なってきた。
恋の甘さより先に、世界の腐敗が輪郭を持つ。
そしてその輪郭は、もう曖昧な影じゃない。
白い回廊に落ちた、確かな黒だった。
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