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第9話:帰還の決意、ルゥシェの距離
しおりを挟む風が止まったまま、夜だけが来た。
遺跡の空は黒く、星が妙に近い。
近いのに冷たい。
手を伸ばしたら触れそうなのに、触れた瞬間に指先が折れそうな冷たさ。
セリアは池の縁に座って、膝の上で指を組んでいた。
指先が冷える。
でも寒さのせいじゃない。
胸の奥が落ち着かなくて、血が手先まで届かない感じ。
昼間に聞いた“割れる音”が、まだ耳の奥に残っている。
実際に音として聞こえたわけじゃないのに、身体が覚えてしまった。
割れる。
結界が。
境界が。
民が。
日常が。
そして、あの玉座の間の顔が浮かぶ。
正義の顔。
笑わない顔。
切り捨てても汚れない顔。
――あの顔が、民の死でやっと汚れるなら。
それは、正しい罰なのかもしれない。
でも。
セリアはぎゅっと拳を握った。
罰が正しいかどうかを考える前に、まず腹が立つ。
貴族が自分の失敗を、民に払わせる形になるのが腹立たしい。
結界が歪むのは、貴族が契約を歪めたせいだ。
なのに、先に飢えるのは弱い人たち。
その構図が、どうしても許せなかった。
「……ねえ、ルゥシェ」
セリアは声を出した。
霧がない夜なのに、声が少し遠くに滲む。
返事はすぐに来なかった。
ルゥシェは少し離れた石の上に座っている。
焚き火はない。
炎がないと、言葉って余計に重い。
「……なに」
ルゥシェが返した声は、いつもより低い。
セリアは言葉を探して、唇を噛んだ。
何を言う?
戻りたい?
助けたい?
復讐したい?
全部違う。全部混ざっている。
混ざっているからこそ、言葉が薄っぺらくなるのが怖い。
セリアは息を吸って、ゆっくり吐いてから言った。
「私、王都に戻る」
ルゥシェは即答しなかった。
石の上で、足をぶらぶらさせるのをやめた。
その小さな動作だけで、空気が張り詰める。
「……ふうん」
ルゥシェはようやく言う。
軽く言ったつもりの声。
でも、胸の奥の契約で分かる。
今の“ふうん”の裏に、いくつも感情が詰まってる。
心配。
苛立ち。
そして、ほんの少しの――寂しさ。
セリアは胸がちくりとした。
自分の決意が、ルゥシェの寂しさを引っ張り出している。
契約の代価。
自分だけが自由じゃない。
「……どうして」
ルゥシェが問う。
問い方が、子どもっぽくない。
純粋な理由を求める声だ。
嘘を許さない目の声。
セリアは答える。
「私を捨てた世界に」
言葉を置いて、もう一度息を整える。
「私が何を失わせたのか、見せたい」
ルゥシェが眉を寄せた。
「復讐?」
「違う」
セリアは即答した。
復讐という言葉が、自分の決意を汚す気がしたから。
「復讐じゃない。……結果」
セリアは言った。
「私は“ゼロ”って言われて捨てられた。でも、実はゼロじゃなかった。測れなかっただけ。だから、あいつらは……自分たちが何を切り捨てたのか、知るべき」
ルゥシェは黙った。
セリアは続ける。
「怒りはある。でも、怒りをぶつけたいわけじゃない」
「ただ、事実を見せたい。……それで、あいつらが崩れるなら、それは自業自得」
「でも、民が先に死ぬのは嫌。だから……」
そこで言葉が途切れた。
“だから助けたい”と言えば綺麗すぎる。
“だから変えたい”と言えば大きすぎる。
自分の器に合ってない言葉は、嘘になる。
セリアはぎゅっと拳を握り直した。
「だから、戻る。私の目で見て、私の足で決める」
ルゥシェはしばらくセリアを見ていた。
その目はいつもの硬さ。
でも硬さの奥に、火がある。
小さな火。契約者を失いたくない火。
そしてルゥシェは――ふっと笑った。
笑い方が、いつもの軽い笑いと違う。
苦い。
優しい。
諦めと誇りが混ざった笑い。
「……君、ほんとに面倒だね」
「え、それ褒めてる?」
「半分」
ルゥシェは言って、すっと立ち上がった。
そして、セリアから一歩だけ離れた。
たった一歩。
でも、その一歩が妙に遠い。
セリアは胸がざわついた。
拒絶?
いや、違う。
契約の感覚で分かる。
ルゥシェは拒絶していない。
むしろ、手を差し伸べている。
ただ――“引っ張らない”距離を作っている。
ルゥシェは言った。
「行くなら、君の足で行け」
「……うん」
セリアは頷いた。
喉の奥が熱くなる。
「僕は支えにはなる」
ルゥシェは続ける。
「でも、引っ張らない。君を引っ張ったら、それは僕が君を使役するのと同じになる」
使役。
モスの話を聞いた時の、あの言葉。
契約を歪める言葉。
セリアは理解してしまう。
ルゥシェのこの距離は、突き放しじゃない。
優しさだ。
対等でいるための、必死な優しさだ。
「……ありがとう」
セリアが言うと、ルゥシェは顔を逸らした。
照れ隠しみたいに。
「礼はいらない」
「それ、前も聞いた」
「使い回し」
セリアは小さく笑った。
笑うと、胸の奥の熱が少しだけ落ち着く。
怖さが消えるわけじゃない。
でも、怖さと一緒に立てる。
そのとき、池の水面がまた澄んだ。
澄むというより、整う。
世界が正座する感じ。
フィオラルが来る。
姿が見える前に分かる。
呼吸が自然に深くなる。
心臓が静かになる。
恐怖が消えずに、形を変える。
恐怖が“畏れ”になる。
水面が門になり、静かな影が立ち上がった。
フィオラルはいつも通り名乗らず、遺跡に足を置く。
妖精たちが頭を下げる。
セリアも膝を折り、視線は上げたままにする。
フィオラルの目がセリアを捉える。
恋じゃない視線。
均衡の視線。
「決めたか」
フィオラルが言う。
声は低く、波が石を撫でるみたいに静か。
セリアは頷く。
「戻る」
フィオラルは少し間を置いた。
そして、告げる。
「戻るなら、君は“人間”として戻らない」
セリアの喉が鳴った。
それは、どういう意味だろう。
人間として戻らない。
じゃあ、何として戻るの?
フィオラルは続ける。
「妖精側に立ったまま戻る」
「境界に属したまま」
「均衡の外縁から、人間の世界を見る」
セリアは息を呑んだ。
それは、覚悟を要求する言葉だ。
人間社会に戻って、また人間に溶け込むことはできない。
貴族の言葉で笑って、貴族のルールで動くことはできない。
つまり、セリアは“異物”のまま戻る。
追放されたまま戻る。
さらに濃く、異物として戻る。
怖い。
王城の視線が蘇る。
針みたいな視線。
“混入者”の視線。
またあれを浴びるのか。
セリアは唾を飲み込んだ。
契約の熱が胸の奥で脈打つ。
逃げたい。
でも、逃げたくない。
逃げたら、また誰かが代わりに切り捨てられる気がする。
「それでもいいか」
フィオラルが問う。
セリアは目を閉じた。
闇の裏に、王城の扉が閉まる音がある。
その音の向こうに、民の息遣いがある。
飢えの匂いがある。
弱い人たちの生活がある。
セリアは目を開けて、頷いた。
「……いい」
声が震える。
でも、嘘じゃない。
「怖い」
セリアは続けた。
「でも、逃げたくない」
フィオラルは、ほんの僅かに指先を動かした。
それは泣かない理由を聞かれたのときみたいな“反応”。
ほんの少しだけ、均衡が人間の言葉に触れた瞬間。
「よい」
フィオラルが言った。
良い、ではなく“よい”。
古い言い方。
それが逆に重い。
「だが忘れるな」
フィオラルは淡々と告げる。
「君が戻れば、人間の嘘が君を引きずる」
「嘘をつかぬなら、孤独になる」
「孤独になれば、泣きたくなる」
「そのとき、泣かぬ理由を持て」
泣かぬ理由。
セリアは胸の奥が熱くなる。
理由は、もうある。
自分が自分でいるため。
切り捨てないため。
そして、何より――自分を“余計”にしないため。
ルゥシェが横から軽く言った。
「大丈夫。泣きそうになったら、僕の寂しさもついでに流すから」
「それ、脅し?」
「支え」
「言い方が雑」
「君の質問も雑」
セリアはふっと笑ってしまった。
笑いの中に、喉の熱が混じる。
泣きたくなるのを、笑いで誤魔化しているのも分かる。
でも、今はそれでいい。
泣くのは後でいい。
今は決めたから。
フィオラルは水面の門へ戻る前に、もう一つだけ告げた。
「戻る道は、境界が開く」
「結界が歪むほど、道は太くなる」
「だが、それは同時に危険も増す」
危険。
セリアは頷いた。
危険は嫌いだ。
でも、危険があるから選択が価値になる。
ルゥシェが教えてくれた。
フィオラルが消えると、遺跡の空気が戻る。
でも、さっきまでと違う。
“決定”の匂いが混ざっている。
セリアは立ち上がった。
足が少し震える。
でも、立てる。
立つ理由がある。
ルゥシェが少しだけ離れた場所から言う。
「じゃ、行く準備しよ」
「一緒に来る?」
セリアが聞くと、ルゥシェは少し間を置いてから言った。
「行くよ」
ただし、と付け加える。
「君の横じゃない時もある。近すぎると、君が僕に依存する」
依存。
セリアは胸がきゅっとした。
寂しい。
でも、その寂しさの中に、ルゥシェの優しさがあるのが分かる。
「……分かった」
セリアは頷いた。
「私の足で行く」
ルゥシェは満足そうに頷いた。
そして、少しだけ意地悪く笑う。
「ちゃんと歩けよ、契約者」
「ルゥシェもね、ちっちゃいけど」
「ちっちゃくない」
「ちっちゃい」
「ちっちゃくない!」
そのやり取りが、妙に胸を守ってくれる。
これから人間の世界へ戻る。
針みたいな視線へ戻る。
でも、今セリアの胸の奥には、契約の熱がある。
隣にルゥシェの孤独がある。
遠くにフィオラルの視線がある。
怖い。
でも、逃げない。
セリアは遺跡の石門を振り返り、ゆっくり息を吐いた。
ここは“終点”じゃない。
追放された先で見つけた入口。
そして今、帰還が始まる。
戻るのは、赦されるためじゃない。
愛されるためでもない。
切り捨てられた事実を、切り捨てさせないために。
セリアは歩き出した。
自分の足で。
妖精側に立ったまま。
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