平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

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第10話:帰還の準備、第二契約の予兆

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出発って、派手なはずなのに。
この森では、派手さがないほど重い。

セリアが「戻る」と言ってから、遺跡の空気は少し変わった。
妖精たちの視線は、まだ警戒を残している。
でも、その警戒の中に“確認”が混ざった。
この人間は、嘘をつかないのか。
奪わないのか。
逃げないのか。

確認されるって、怖い。
でも、王城で切り捨てられた時の怖さとは違う。
ここでは、確認は関係を作るための行為だ。
一方的な断罪じゃない。

セリアは遺跡の石段に座り、靴ひもを結び直していた。
革が湿気を吸って重い。
指先が少し震える。
寒さではなく、緊張で。

「セリア」
呼ばれて顔を上げると、モスが立っていた。
苔みたいな髪がいつもより整っていて、目が真剣だ。

「……これ」
モスが小さな紐を差し出した。
紐の先に、葉っぱの形をした薄い石が結ばれている。
石の表面には細い線が刻まれていて、触れると少しだけ温かい。

「護符」
モスは短く言った。
「森の匂い、薄くする。人間の匂いも、少し隠す」

「……もらっていいの?」
セリアが恐る恐る聞くと、モスは鼻を鳴らした。
「貸す。返して」
「返すの?」
「返す。君が戻ってきたら」
言い方がぶっきらぼうなのに、その一言だけで胸の奥が熱くなる。
“戻ってきたら”と、当たり前みたいに言う。
生きて帰ってくる前提で。

「……ありがとう」
セリアが言うと、モスは目を逸らした。
「礼はいらない。……嘘つかないなら、それでいい」

モスはそれだけ言って去っていく。
背中が小さい。
でも、その背中から“信用”が少しだけ動いたのが分かった。

その後、別の妖精たちも近づいてきた。
羽のある子が、細い糸をセリアの手首に巻いた。
糸は蜘蛛の糸みたいに軽く、でも切れない強さがある。
木の肌みたいな妖精が、セリアの外套の端に小さな種を縫い付けた。
種は黒くて丸い。触れると、胸の奥が少しだけ落ち着く。

「これ、なに?」
セリアが聞くと、羽の妖精はくすっと笑った。
「道しるべ」
「道しるべ?」
「境界で迷ったら、こっちに戻れる」
言いながら、羽の妖精はセリアの胸元に指を当てた。
契約の熱が、ふっと脈打つ。

「契約の線を、ちょっと強くするだけ」
妖精は軽く言う。
でも、セリアには分かる。
軽い作業じゃない。
これを許すということは、妖精側がセリアに“帰ってくる道”を与えるということだ。
それは人間側の「許可」とは違う。
奪える権利じゃない。
ただ、戻れるようにしてくれる。

セリアは喉が熱くなるのを感じた。
何か言ったら泣きそうで、言葉を飲み込む。

「泣く?」
ルゥシェが横から覗き込んだ。
目が意地悪そうで、でも声は柔らかい。

「泣かない」
セリアは即答した。
「泣いたら負けだから」
言った瞬間、ルゥシェが眉を寄せる。

「まだそれ言う?」
「だって……」
「それ、王に言ったやつと違う」
ルゥシェは低い声で言った。
「泣いたら負けじゃない。泣いたら君が君じゃなくなる気がする、でしょ」

セリアは口を閉じた。
自分の言葉を、ルゥシェに修正される。
恥ずかしいのに、ありがたい。
嘘をつかない場所では、こういう修正が痛いだけじゃなく、助けになる。

「……うん」
セリアは小さく頷いた。
「泣いたら、私が私じゃなくなる気がする」

ルゥシェは満足そうに頷き、軽く言った。
「じゃあ、泣きそうになったら飲み込め。飲み込めるなら、君はまだ君だ」

飲み込む。
その表現が妙にリアルで、セリアは笑いかけて、やめた。
笑うと、喉の熱が溢れそうだった。

準備は少しずつ整っていった。
食べられる実を乾かしたもの。
水を汲むための小さな器。
火打ち石。
外套の内側に縫い付けられた、見えない糸の護り。

全部が“目立たない”。
王城の宝石みたいに、誇示できない。
でも、目立たないからこそ本物の重さがある。

指先に、ふっと光が宿る。
ルゥシェが言っていた契約の印。
大げさな紋章なんかじゃない。
ただ、指先がほんの少しだけ夜に光る。
まるで、世界が「ここに契約がある」と小さく頷いているみたいに。

セリアは自分の指を見つめた。
光は弱い。
でも消えない。
その消えなさが怖くて、嬉しい。

「それ、見た目に地味だよね」
セリアがぽつりと言うと、ルゥシェは笑った。

「地味ほど強い」
「どういう理屈」
「派手なのは奪われる。地味なのは残る」
ルゥシェはさらっと言って、セリアの指先をつんとつついた。
「それ、君が嘘ついたら曇るよ」

セリアは指を引っ込めた。
「曇るの嫌だ」
「じゃあ嘘つかなきゃいい」
「……難しいときもあるじゃん」
「難しい時に嘘つくのが、人間」
ルゥシェの言い方が刺さる。
でも事実でもある。

「だから」
ルゥシェは続ける。
「君は難しい時ほど、言わない。黙る。嘘をつくくらいなら、黙る」
「黙るのも嘘じゃない?」
「違う」
ルゥシェは即答した。
「黙るのは、まだ言葉が育ってないだけ。嘘は、言葉で傷を塗り固めること」

言葉が育つ。
その表現が、セリアの胸に残った。
私の言葉は、まだ育っている途中。
だから、焦って綺麗な言葉を言わない。
それが嘘をつかないってことかもしれない。

夜が落ち、遺跡に火が灯った。
妖精たちの光は炎とは違う。
柔らかくて、目に痛くない。
でもその光の輪の中で、セリアは妙に孤独を感じた。

明日には、ここを出る。
人間の世界へ戻る。
あの石の匂いの廊下へ。
針の視線へ。
嘲笑へ。
“ゼロ”へ。

怖さが波のように押し寄せて、喉がまた熱くなる。

その時、水面が澄んだ。
世界が正座する感覚。
フィオラルの気配だ。

池が門になり、静かな影が立ち上がる。
妖精王フィオラル。
今日も名乗らない。
ただ、そこにいる。

セリアは膝を折った。
でも視線は上げたまま。
逃げない。
見られるなら、見返す。

フィオラルの視線がセリアに落ちる。
恋じゃない視線。
均衡の視線。
でも、その視線の中にほんの少しだけ――“期待”のようなものが混じっている気がして、セリアは胸が落ち着かない。

フィオラルは言った。
「護りは結ばれたか」

モスが短く答える。
「結んだ」
羽の妖精も頷く。
「道も」
木の肌の妖精が言う。
「匂いも」

フィオラルは頷かない。
ただ、それらを受け取るように沈黙する。
王は命令しない。
誰かを“使役”しない。
その姿勢が、逆に重い。
王が命令しないのは、命令しなくても皆が動くから。
均衡が動くから。

フィオラルはセリアに言った。
「君の選択が、国の形を変える」

国の形。
セリアの胸がぎゅっと縮んだ。
そんな大きな言葉、背負いたくない。
私はただ、追放された平民で、森で木の実を剥けるようになっただけの人間だ。

セリアは思わず問う。
「……私が失敗したら?」

声が震えた。
怖さが言葉になって漏れた。
失敗したら、民が死ぬ。
失敗したら、妖精も傷つく。
失敗したら、ルゥシェの孤独がもっと深くなる。
失敗したら――私はまた“余計”になる。

フィオラルは答えなかった。

沈黙。
水の底みたいな沈黙。
その沈黙が、セリアの怖さを否定しない。
でも、慰めもしない。
ただ、“結果は結果だ”と言っている。

セリアは唇を噛んだ。
涙が出そうになる。
喉が熱い。
目が痛い。
けれど泣かない。
泣いたら私が私じゃなくなる気がするから――いや、違う。
泣くこと自体が悪いんじゃない。
泣くなら理由を持て、とフィオラルは言った。
今の涙は、怖さだけの涙だ。
理由が薄い。
だから飲み込む。

そのとき、ルゥシェの声が落ちた。
フィオラルの沈黙を割らない程度の小さな声で。
でも、セリアの胸の中にはっきり届く声で。

「失敗しても、君が君でいる限り契約は嘘にならない」

セリアは息を止めた。
その言葉が、喉の奥の熱を塩に変える。
涙が出そうなのに、涙にならない。
代わりに、胸の奥に静かな重さが落ちる。

“君が君でいる限り”。

それは、結果の保証じゃない。
成功する保証じゃない。
でも、存在の保証だ。
失敗しても、君の生き方が嘘にならない。
契約は命令じゃない。
勝利の契約じゃない。
選び続ける契約だ。

セリアはゆっくり息を吐いた。
喉の奥がしょっぱい。
涙は飲み込まれ、塩味だけが残る。

フィオラルが、ほんの僅かに指先を動かした。
それは反応なのか、合図なのか。
セリアには分からない。
でも、分からないままでもいい気がした。
均衡の王は、答えをくれない。
答えは自分の選択の中にしかない。

フィオラルは最後に告げる。
「道は開く」
「だが、開いた道は閉じる」
「迷うな」

迷うな。
命令じゃない。警告だ。
迷えば、境界で死ぬ。
迷えば、嘘をつく。
迷えば、自分を失う。

フィオラルが水面に溶けるように消えると、遺跡の空気が戻った。
妖精たちの光が揺れ、囁きが再開する。
けれどセリアの中は静かだった。
怖さが消えたわけじゃない。
怖さが、覚悟の形に固まり始めている。

ルゥシェが近づいてきた。
近づくけど、ぴったり隣じゃない。
一歩だけ離れた距離。
“引っ張らない”距離。

「……泣きそう?」
ルゥシェが聞く。
意地悪そうな顔なのに、声が優しい。

セリアは首を振った。
「泣いてない」
「泣いてないけど、喉がしょっぱい顔」
「……飲み込んだだけ」
「うん。偉い」
「褒め方が雑」
「でも本音」

セリアは小さく笑った。
笑いながら、胸の奥がまた熱くなる。
でも今度の熱は、崩れる熱じゃない。
立つための熱だ。

夜の遺跡で、セリアは指先の小さな光を見る。
それは派手じゃない。
でも消えない。
本物の重さを持っている。

明日、王都へ向かう。
境界が割れる音のする方へ。
嘘の上に建った国の中心へ。

怖い。
でも逃げない。
涙は弱さじゃない。
今飲み込んだ塩味は、覚悟の味だ。
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