平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

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第11話:王城再訪、空気が変わる

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森を出る朝は、思ったより静かだった。

石門の遺跡を背にして歩き出した瞬間、セリアは胸の奥が一度だけぎゅっと締まるのを感じた。
戻ると決めたのは自分。
なのに、背中に置いていくものの温度が、想像よりあったかい。

「ちゃんと歩けよ」
ルゥシェが言う。
声はいつも通り軽い。
でも、今日は少しだけ遠い位置から聞こえる。
近づきすぎない距離。引っ張らない距離。

「分かってる」
セリアは頷きながら、足元の土を踏みしめた。

森の匂いが薄れていく。
湿った土と苔の匂いが、徐々に乾いた草と埃の匂いに変わる。
風が戻っている。
止まっていた風が、細い針みたいに肌を撫でる。
それでも、どこか引きつった風。
縫い目のほつれを隠そうとする風。

境界を抜けると、世界の音が急に増えた。
鳥の声じゃない。
人間の音だ。

車輪のきしみ。
馬の鼻息。
遠くの怒鳴り声。
鍋を叩く音。
それらが一気に耳へ流れ込んで、セリアは思わず肩をすくめた。

「うわ……うるさい」
ぽつりと言うと、ルゥシェが鼻で笑った。

「これが人間界」
「耳が痛い」
「君の耳が森に慣れただけ。……ていうか、人間は自分の音が好きだよね」

好きかどうかは分からない。
でも、ここでは音が生きるための証明みたいに鳴っている。
静かな森とは違う、必死な騒がしさ。

やがて、王都の外壁が見えた。
高い石の壁。
陽に焼けた白さ。
だけど、その壁の影は黒く、厚い。
壁の外にいるだけで、“中と外”がはっきり分かる。

城下町に入った瞬間、匂いが襲ってきた。

香水。
汗。
パンを焼く匂い。
鉄の匂い。
家畜の匂い。
そして――飢えた匂い。

飢えた匂いなんてあるのかと思う。
でも、ある。
胃が空っぽの人たちの息が混じる空気は、薄くて、少し酸っぱい。
目の奥が痛くなる匂い。

石畳は昼の熱を溜めていて、靴裏からじりじり伝わる。
森の土の冷たさと違って、熱が乾いている。
熱いのに、あったかくない。

「……すごい」
セリアは息を吐いた。
「人が多い」

道の両脇に屋台が並び、声が飛び交う。
売り手の声は大きい。
買い手の声は小さい。
値切る声、怒鳴る声、笑う声、泣く声。
全部が重なって、喧騒が塊になる。

その塊が、耳に痛い。
森の静けさに慣れた耳には、針の束みたいに刺さる。

セリアは自分の外套の裾を握った。
護符が縫い込まれている。
匂いを薄くする護符。
でも完全には消えない。
人間の匂いは、人間の中に戻ればむしろ浮き上がる。

「……セリア」
ルゥシェが低い声で呼んだ。
セリアは視線を落とす。
ルゥシェの姿は見えない。
人間の多い場所で、あえて隠れているのだろう。
でも、契約の線があるから分かる。
少し離れたところにいる。
見えないのに、いる。

「分かってる」
セリアは小声で返した。
「嘘つかない。奪わない。……迷わない」

その言葉を自分に言い聞かせるみたいに、舌で確かめる。
そうしないと、喧騒に飲まれて“昔のセリア”に戻ってしまいそうだったから。

王城へ向かう道は、自然と整っていた。
石畳が綺麗になる。
人の服が綺麗になる。
匂いが香水に寄る。
その変化が気持ち悪い。
同じ街なのに、階段みたいに世界が分かれている。

門が見えた。
あの門。
鉄の扉。金具。鎖。
追放された夜に閉まった門の内側。
今度は、外から入る。

セリアは立ち止まった。
喉が乾く。
息が浅くなる。

「……行ける?」
ルゥシェの声が胸の内側に響く。
直接じゃない。感情の線を伝ってくる声。

セリアは頷いた。
「行ける」
言いながら、心臓がうるさいくらい速い。
でも足は、妙に落ち着いている。

不思議だった。
怖いのに、足が逃げようとしない。
森で生きることを覚えたから?
違う。
もっと大きい理由がある。

セリアの中に、“もう捨てられない場所”がある。
遺跡。
池の月。
ルゥシェの孤独。
フィオラルの視線。
あそこは、捨てられた私を拾ってくれた場所だ。
だから私は今、ここでまた捨てられても、完全には折れない。

門番の兵が二人立っていた。
槍。革鎧。
目は鋭いが、疲れも見える。
城は繁栄しているように見えて、内側が軋んでいる。
それが、兵の肩に出ている。

「止まれ」
兵が言う。
「通行証は?」

通行証。
セリアは一瞬だけ詰まる。
持っていない。
森で生きてきた平民令嬢が、王城の通行証なんて持っているはずがない。

「……ない」
セリアが答えると、兵は眉をひそめた。
「なら入れない」

当然だ。
当然なのに、セリアは焦らなかった。
焦ると嘘をつきたくなる。
嘘は死ぬ。
だから、焦らない。

セリアは静かに言った。
「王に会いたい」

兵が笑った。
「王? お前が?」
「身分は」
「名前は」
矢継ぎ早に来る質問。
喧騒より耳に痛い。

セリアは息を整えて答える。
「セリア・アルノート」
名前を出した瞬間、兵は首を傾げた。
知らない。
当然だ。
城の兵が、追放された“混入者”の名を覚えているわけがない。

「知らん」
兵は言った。
「帰れ」

帰れ。
その言葉で、追放された夜が一瞬フラッシュバックする。
門が閉まる音。
湿った土。
獣の声。

セリアの胸の奥が熱くなる。
怒りじゃない。
“今度は閉めさせない”という意思の熱。

「帰らない」
セリアは言った。
声が自分でも驚くほど落ち着いている。

兵が眉を吊り上げた。
「なら拘束する」

槍の穂先が少しだけこちらを向く。
周囲の視線が集まる。
城門前の空気が、ざわっと波立つ。

その瞬間だった。

背後の空気が――澄んだ。

遺跡で感じた“澄み”とは少し違う。
もっと薄い。
でも確実に、空気のノイズが一段消える。
香水と汗と埃の匂いの中に、森の冷たさが一本だけ刺さる。

兵たちが、直感的に怯えた。

「……なに?」
槍を握る手が、ほんの少しだけ震える。
視線がセリアの背後へ行く。
でも、そこには何もない。
何もないのに、何かがいる。

セリアは心の中で息を吐いた。
護符。
そして、契約の線。
妖精側の空気が、完全には隠せない。

「……お前、何者だ」
兵が声を低くする。
怖さを隠すための低さ。

セリアは答える。
「私は、王国に不要と言われた人間」
嘘じゃない。
「でも、今は必要がある。……結界が歪んでる」

兵の眉が動いた。
結界。
その言葉は、彼らの生活にも直結している。
噂は回っているはずだ。
聖女候補の奇跡が失敗している噂。
不作の噂。
魔獣の噂。

「……何を知ってる」
兵が問う。
セリアは首を振る。
「全部は知らない。だから王に会う」

兵は迷う。
迷いが顔に出る。
門を守るのが仕事なのに、門の外の話が大きすぎる。

そのとき、城壁の上から声が落ちた。
「何をしている!」

上官の声だ。
鋭く、苛立っている。
兵が背筋を伸ばす。
「不審者です!」

上官が見下ろす。
鎧の質が違う。
役職の匂いがする。
彼はセリアを見て、鼻で笑った。

「女一人で王に会う? 身の程を知れ」
言葉が、王城の空気を運ぶ。
あの日の冷たさと同じ。
薄笑いと、正義の仮面。

セリアの胸がぎゅっとした。
でも足は逃げない。
呼吸を整える。
遺跡でフィオラルに見られた時の呼吸を思い出す。
世界が正座する呼吸。

「身の程なら知ってます」
セリアは言った。
「私はゼロ判定で追放された。……だから、ここに戻ってきた」

上官の顔が一瞬だけ固まった。
ゼロ判定。
追放。
その単語に覚えがあるのかもしれない。
城の中では、噂は回る。
それを“なかったこと”にしても、完全には消えない。

「……名前は」
上官が問う。
セリアは言う。
「セリア・アルノート」

上官の眉がぴくりと動いた。
知っている。
思い出した顔。

「……ああ。混入者か」
唾を吐くように言う。
「今さら何の用だ」

混入者。
その言葉が刺さる。
でも、刺さっても折れない。
もう捨てられない場所があるから。

「用は一つ」
セリアは言った。
「結界の歪みについて、王と話す」

上官は笑った。
「お前ごときが?」
「聖女候補がいる。貴族がいる。お前の出る幕はない」
その言い方が、あの日と同じだ。
余計なものに割く余裕はない。

セリアは息を吐いた。
怒りが湧く。
でも怒りは燃やさない。
刃にする。

「私が出る幕じゃないなら」
セリアは静かに言った。
「どうして、風が止まってるの」
「どうして、葉がくすんでるの」
「どうして、あなたの手が震えてるの」

上官の顔が歪んだ。
図星。
兵たちの指が槍を握り直す。
怖さが、怒りに変わる前のざわつき。

その瞬間、背後の空気がさらに澄んだ。
澄むというより、冷える。
石畳の熱が一段引き、匂いのノイズがすっと消える。

上官の目が泳ぐ。
兵が一歩下がる。
本能が告げている。
ここに“触れてはいけないもの”が混ざっている、と。

「……中へ通せ」
上官が苦々しく言った。
「ただし、拘束はする。妙な真似をしたら――」

「しない」
セリアは即答した。
嘘じゃない。
妙な真似をする余裕なんてない。
今はただ、前へ進むだけだ。

門が開いた。
鉄の軋む音。
あの夜、外へ追い出された音と同じ系統の音。
でも今回は、内側へ入る音。

セリアは門をくぐった。
石畳の冷たさが足裏に伝わる。
王城の匂い。
香。蝋。冷えた石。
懐かしいはずがないのに、身体が覚えている。

廊下は、あの日と同じだった。
冷たい石。白い壁。金の縁取り。
そして、視線。
侍女がひそひそ囁く。
兵が警戒する。
すれ違う貴族が眉を寄せる。

「誰?」
「また来たの?」
「混入者……?」

言葉が針みたいに飛んでくる。
でもセリアの足取りは、不思議と落ち着いていた。
心臓は速い。
胸は痛い。
喉は乾く。
それでも、歩ける。

森で学んだ生存のリズムが、今ここで支えになっている。
呼吸。足の運び。視線の置き方。
そして何より、背中の“澄んだ空気”。

ルゥシェは姿を見せない。
でも、いる。
契約の線が背中を支える。
小さな護符が匂いを薄くする。
そして、遠くにフィオラルの視線がある気がする。
見られていると思うと、背筋が伸びる。

廊下の角を曲がった時、セリアはふと気づいた。

王城の空気が、少しだけ変だ。
香水が濃いのに、甘くない。
笑い声があるのに、乾いている。
足音が多いのに、落ち着きがない。

この城は、今、怯えている。
結界の歪みを知っている。
そして、聖女候補の奇跡が失敗していることを、きっと知っている。

だからこそ、セリアの背後の澄んだ空気が怖い。
それは“未知”の匂いだから。
制御できない匂いだから。

セリアは廊下の先にある大扉を見つめた。
あの玉座の間へ続く扉。
あの日、人生が切り捨てられた場所。

怖い。
でも、もう一度そこに立つ。
泣かない理由を持ったまま。

セリアは胸の奥の小さな光を感じながら、歩幅を一つだけ大きくした。
空気が変わる。
自分が変わる。
そして――ここから先、国の形が変わるかもしれない。
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