平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

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第12話:エドガー再会、謝罪の形をした保身

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玉座の間の扉は、重かった。

鉄でも石でもない。
“空気”が重い。
あの日、セリアを押し潰した空気と同じ匂いがする。
香の甘さ。蝋の匂い。冷えた石。
そして、言葉にならない序列の匂い。

扉の前で止められたセリアの両脇には、兵が立っていた。
拘束と言うほど荒くはない。
でも逃げられない距離。
その距離が、王城のやり方だ。

「黙って立っていろ」
上官が言う。
声は強いのに、息が少し乱れている。
不安が言葉の裏に漏れていた。

セリアは黙って頷いた。
嘘をつかない。
余計な言葉で場を汚さない。
“黙る”のは嘘じゃない。
言葉を育てる時間だ。

扉が開く。

きぃ、と低い軋み音がして、玉座の間の光が流れ出た。
松明の光。魔法灯の光。
あったかいはずの光が、相変わらず冷たい。

視線が一斉に刺さる。

針。
針。
針。

貴族たちが並んでいる。
整った衣装。磨かれた靴。
そして、整った“正しい顔”。

セリアは一歩踏み出した。
心臓が速い。
でも足は落ち着いている。
森で覚えた呼吸が、石の床の上でも崩れない。

「……何者だ」

玉座の前にいる大臣らしき男が、低い声で問う。
それだけで空気が揺れる。
この場は、声が権力になる。

上官が前に出て言う。
「城門前で騒ぎが。本人が王に会いたいと」
「名は?」
「セリア・アルノート」

その名が落ちた瞬間、空気の温度が変わった。
針の種類が変わる。
無関心の針から、好奇の針へ。
嘲笑の針へ。
“ああ、あれか”という針へ。

誰かが囁く。
「混入者」
「ゼロ判定」
「追放されたはず」
「どうしてここに」

どうしてここに。
その問いは、セリア自身の問いでもある。
でも、答えはある。
だからセリアは立っていられる。

玉座の横に、見覚えのある金髪が見えた。
ミレーヌだ。
聖女候補の少女は、以前より顔色が悪い。
頬が少しこけて、目の下に影がある。
それでも彼女はセリアを見て、驚いたように口を開いた。

「……あなた」
声が震える。
「どうして……」

セリアは一瞬、視線を返した。
言葉を投げるべきか迷う。
でも、ここはセリアの舞台じゃない。
今は王に話を通すのが先だ。

ミレーヌの隣に――あの男がいた。

エドガー・ヴェルディス。

灰色の瞳。
整った顔立ち。
高い鼻梁。
今日も完璧な礼服。
あの日と同じように、世界に馴染みすぎている。

セリアの胸の奥で、何かが小さく鳴った。
怒りではない。
痛みでもない。
……冷たい確認。

“あなたは変わっていない”という確認。

エドガーはセリアを見た。
一瞬、驚きが瞳を走る。
それは本物だった。
予想外の出来事に反射で出る驚き。

次に、安堵が来た。
ほんの僅か。
“面倒が減った”という安堵。
“死体になって報告書が増えなくてよかった”という、あの兵の安堵に似ている。

最後に、取り繕いが来た。

口角が持ち上がる。
眉が柔らかくなる。
あの日逸らした視線が、今は堂々とセリアを捉える。
それが逆に不自然だった。

「……無事でよかった」
エドガーが言った。
声が滑らか。
謝罪の形をした声。

セリアは瞬きした。
無事でよかった。
その言葉が遅すぎることを、エドガー自身は理解しているのだろうか。

「君は必要だった」
エドガーは続ける。
「戻ってきてくれて助かった」

必要。
助かった。
その言葉が、セリアの胸の奥で音を立てて崩れる。

必要なのは、私じゃない。
国だ。
結界だ。
聖女候補の失敗を埋める“何か”だ。
自分の保身だ。

セリアには分かる。
必要と言う言葉の主語が、彼の中で最初から“私”ではない。

セリアは怒りを燃やさなかった。
燃やしたら、同じ土俵になる。
この男は、感情の殴り合いに巻き込めば勝てる。
謝罪の皮を被って、相手を“悪者”にできる。

だからセリアは、静かに息を吸って、言った。

「私は、あなたに必要とされたいわけじゃない」

声は柔らかい。
でも、刃の芯がある。
否定ではなく、線引き。
“あなたの枠に私は入らない”という宣言。

エドガーの笑みが、ほんの少しだけ止まった。
口角は上がったままなのに、頬の筋肉が固まる。
目の奥が冷える。

「……どういう意味だ」
問いが低くなる。
取り繕いの層が剥がれかけている。

セリアは答える。
「あなたの“必要”は、私の命の価値じゃない」
「国の都合で、切ったり拾ったりする言葉」
「私は、そういう都合のために戻ってきたんじゃない」

貴族たちがざわつく。
「生意気だ」
「追放された身で」
「口を慎め」

針が増える。
でもセリアは折れない。
背中の空気が澄んでいる。
匂いが薄い。
そして、胸の奥にもう捨てられない場所がある。

エドガーの頬が僅かに引きつる。
その表情が、セリアには“謝罪の形をした保身”だと確信させた。

「君は……」
エドガーは言葉を選ぶ。
「君は誤解している。あの日の判断は、王国のためだった」

王国のため。
出た。
便利な言葉。
正義の衣。

セリアの胸の奥で怒りが熱を持つ。
でも燃えない。
燃やさない。
怒りを刃にする。

「誤解してない」
セリアは静かに言った。
「あなたは私を見捨てた。目を逸らした」
「それが王国のためだとしても」
「私のためじゃない」

“私のためじゃない”。
その言葉は、責めるためじゃなく、事実を置くための言葉だった。
責めない。
責めたら、彼の言い訳の舞台になる。

エドガーの目が一瞬だけ揺れる。
そこにあるのは罪悪感ではない。
計算だ。
この場でどう収束させるかの計算。

「……君は、戻る場所がない」
エドガーが言った。
声が優しさの形をしている。
でも中身は支配の匂い。

「だからこそ、ここにいるべきだ」
「王国のために」
「君自身のために」
「そして――私のためにも」

最後の一言だけ、ほんの僅かに本音が滲んだ。
私のため。
つまり、君を自分の管理下に戻したい。
そうすれば自分の責任は消える。
“保護した”という形にできる。

その瞬間、背後で小さな笑い声がした気がした。

……くす。

耳じゃない。
胸の奥。
契約の線の向こう。

ルゥシェだ。

見えないのに分かる。
あの意地悪い笑い。
“人間、相変わらずだね”という笑い。

そして、もっと深いところで、水が揺れる気配がした。
空気の底がひんやりと澄む。
フィオラルの気配。
直接現れていないのに、観測されている感覚が背中に貼りつく。

セリアはその気配に支えられる。
見られているなら、嘘がつけない。
嘘をつかないなら、セリアはセリアでいられる。

「戻る場所は、ある」
セリアは言った。
エドガーの目が細くなる。
「……どこに」

セリアは答えない。
妖精の遺跡をここで言う必要はない。
言えば“奪うための言葉”にされる。
だから、黙る。
言葉を育てる。

セリアは代わりに言った。

「私は、国のためにここへ来たんじゃない」
「あなたのためでもない」
「民が飢えるのが嫌だから来た」
「結界が歪んでいるなら、それは貴族の嘘のせいだ」
「その結果を、あなたたちに見せに来た」

エドガーの顔色が変わる。
安堵が消える。
取り繕いが剥がれ、焦りが覗く。

「何を言っている」
「証拠は?」
「君が何を知っているというんだ」

証拠。
またその言葉。
紙の鎖。
言葉の鎖。

セリアは一歩前に出ようとして、兵に止められた。
手が腕に触れる。
その瞬間、空気が少し澄んで、兵の指が震えた。
触れてはいけないものに触れた気がしたのだろう。

セリアはそのまま、動かずに言う。
「証拠なら、結界の歪みが証拠」
「聖女候補の奇跡が失敗していることが証拠」
「そして、あなたの顔が証拠」

「……は?」
エドガーが低く言う。
「私の顔?」

セリアは頷く。
「あなたは今、私を必要と言った」
「でも、その必要は私じゃない」
「失敗の穴埋めの道具が必要なだけ」
「だから、取り繕いの笑顔を作った」

貴族たちがざわつく。
「無礼だ」
「言いがかりだ」
「処罰を!」

エドガーの目がすっと冷える。
「セリア」
名前を呼ぶ声が、急に甘くなる。
飴の中に針を隠した声。

「もういい」
「今は混乱しているんだろう」
「君を保護しよう。落ち着いてから話せばいい」
「王都は危険だ。外に出れば――」

脅しが混じっている。
外は危険。だから私の範囲に入れ。
支配のテンプレート。

セリアは、静かに首を振った。

「私は落ち着いてる」
「混乱しているのは、あなたたち」
「結界が割れかけている」
「それを、便利な言葉で先延ばしにしてる」

その瞬間、玉座の間の空気がひび割れた気がした。
怒号が出そうになる。
でも、誰も決定打を打てない。
セリアの背後の空気が澄みすぎているせいで。
理屈じゃなく、本能が怯えているせいで。

ミレーヌが小さく口を開いた。
「……セリアさん」
声が震えている。
彼女もまた、この空気の中で必死に立っている。
聖女候補という“主役”の檻の中で。

セリアはミレーヌを見た。
一瞬だけ。
責めない。
救いもしない。
ただ、見ておく。
ここにいる人間の顔を。

そしてセリアは、もう一度エドガーを見る。

「あなたに必要とされたいわけじゃない」
さっきと同じ言葉を、もう一度。
今度は、もっと静かに。もっと深く。

「私は、私の選択でここにいる」
「あなたの都合で、私を取り戻さないで」

エドガーの顔が、完全に変わった。
取り繕いが剥がれ、焦りが露わになる。
彼はこの瞬間、自分の支配が効かない相手を初めて目の前にした。

背後で、ルゥシェの笑いがまた小さく響く。
そして空気の底で、フィオラルの気配が静かに揺れる。
観測されている。
均衡が見ている。

セリアは思う。
もう、あの日の私じゃない。
捨てられた私じゃない。
捨てられない場所を胸に持った私だ。

この玉座の間で、次に崩れるのは――どっちだろう。
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