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第13話:ミレーヌの偽聖女、奇跡の崩壊
しおりを挟む玉座の間は、言葉が飾りになる場所だ。
誰がいちばん美しく正義を言えるか。
誰がいちばん上手に“自分は汚れていない”顔をできるか。
その競技場みたいな空気の中で、セリアは一歩も退かなかった。
エドガーの笑顔が剥がれたまま、場が硬直している。
貴族たちのざわめきが、石壁に跳ね返って、何度も同じ音を繰り返す。
その隙間を縫うように、静かな足音が近づいた。
ヒールの音。
軽いのに、よく通る。
香水の匂いが先に来る。甘くて、清潔で、嘘みたいに整った匂い。
ミレーヌが、セリアの前へ進み出た。
金髪は光を受けて淡く輝き、ドレスは白い。
あの日の“主役”の色。
でも今日は、白が少し疲れて見えた。
瞳の奥に影がある。頬が少し痩せている。
それでも彼女は、慈悲深い仮面を完璧に被っていた。
「セリアさん……」
ミレーヌが言う。
声は柔らかく、震えも混ぜて、聞く人の胸を打つように調整されている。
「可哀想に」
その一言が、セリアの皮膚を薄く痛ませた。
“可哀想”って、救う側が言う言葉だ。
救われる側が、それを聞いた瞬間、上下が確定する言葉だ。
「あなたを救えなかった」
ミレーヌは胸に手を当てて、悲しそうに眉を寄せる。
「私がもっと勇気があれば……」
勇気。
救えなかった。
言葉は優しいのに、端々が“上から”だ。
私は助ける側、あなたは助けられる側。
その構図が勝手に作られる。
セリアは怒らなかった。
怒ったら、ルゥシェの古い痛みが流れ込む。
そして何より――怒ったら、ミレーヌの望む展開になる。
泣いて謝って抱きつけば、彼女は“善意の聖女”になれる。
セリアは静かに息を吸い、言った。
「救われるために来たわけじゃない」
声は落ち着いている。
あの森の呼吸のまま。
ミレーヌは一瞬だけ目を丸くした。
すぐに柔らかい笑みを作り直す。
壊れかけた仮面を、指先で押し戻すみたいに。
「……強いのね」
ミレーヌは言う。
「でも、無理しないで。あなたは傷ついているのだから」
傷ついている。
その言葉が、また痛い。
まるで傷の所有権を奪われるみたいだ。
私の傷なのに、彼女の慈悲の材料にされる。
セリアは視線を逸らさない。
「私は無理してない」
「私が傷ついているかどうかを決めるのも、あなたじゃない」
その瞬間、貴族たちがざわっとした。
「なんて無礼」
「聖女候補に向かって」
「黙れ」
ミレーヌの口角が、ほんの僅かに引きつった。
怒りを隠して、さらに慈悲を厚く塗る。
「分かったわ」
ミレーヌは言った。
「なら、証明する。……私が聖女だと」
証明。
その単語が、玉座の間の空気を変えた。
皆が期待する。
この場が欲しいのは、対話じゃない。
奇跡だ。
目に見える結果。
安心できる光。
ミレーヌは深呼吸し、両手を胸の前で組んだ。
指先は白く、震えている。
演技だけじゃない。
本当に追い詰められている震えだ。
「妖精の方々……」
ミレーヌが祈るように言う。
「どうか、私に力を。王国のために。民のために」
“王国のため”。
“民のため”。
正義の言葉は完璧だ。
でも、セリアの胸の奥が冷える。
その言葉の下に、別の匂いがある。
――私が聖女よ。
私が主役よ。
私に従って。
私に証明させて。
ミレーヌは目を閉じ、声を張った。
「我が呼びかけに応えよ!」
「光の眷属よ、現れよ!」
「私に力を貸しなさい!」
……貸しなさい。
命令。
使役の匂い。
対等じゃない呼びかけ。
“道具”を呼ぶ声。
セリアの背中に、ぞわっとしたものが走った。
妖精の遺跡で聞いた歴史が、今ここで形になる。
貴族が契約を歪めた時の匂い。
正義を掲げて、命令で縛る匂い。
ミレーヌの手のひらに、淡い光が集まり始めた。
周囲がどよめく。
「おお……」
「やはり聖女……!」
しかし光は、育たなかった。
光が、途中でしぼむ。
炎のように大きくならず、蝋燭の火みたいにふらふらと揺れて――消えた。
ミレーヌが目を開く。
瞳が揺れる。
焦りが、仮面の隙間から漏れる。
「……もう一度」
ミレーヌは声を絞る。
「お願い……応えて……!」
今度は“お願い”の形にした。
でも、根が変わっていない。
お願いの奥に、奪う意志がある。
空気が、冷えた。
冷えた、というより――
“拒絶”が広がった。
玉座の間の蝋燭が、一斉に消える。
ふっ、と。
息を吹きかけたみたいに、炎が同時に消えた。
火が消える音は本来しないのに、この瞬間だけは音がした気がした。
世界が「違う」と言った音。
闇が落ちる。
貴族たちの息が止まる。
誰かが小さく悲鳴を上げた。
ミレーヌの白いドレスが、闇の中で薄く浮かぶ。
彼女の顔は、白さを失い、青ざめる。
派手な爆発はない。
雷も落ちない。
でも、この沈黙の拒絶のほうが、ずっと残酷だった。
妖精が――選ばない。
それが、国の中心で宣告された。
「……なぜ」
ミレーヌの声が震える。
「なぜ、応えないの……!」
闇の中で、誰かが松明を持って慌てて走る音がする。
火をつけ直そうとする気配。
でも火は灯らない。
火種が育たない。
空気が、拒んでいる。
ミレーヌの仮面が、ついに割れた。
慈悲深い眉が吊り上がり、声が鋭くなる。
「なぜ!」
ミレーヌが叫ぶ。
「私が聖女よ!」
「選ばれたのは私!」
「私が、この国を救うの!」
“私が”。
“私が”。
“私が”。
その言葉が、闇の中で滑稽なくらい響いた。
救うと言いながら、中心にいるのは民じゃない。
国でもない。
自分だ。
セリアの胸が静かに痛んだ。
彼女は追い詰められている。
でも、その追い詰められ方が、世界を道具にした結果だ。
哀れではある。
でも、許されるものではない。
そのとき――闇の中で、少しだけ空気が澄んだ。
背後。
セリアの契約の線が震える。
ルゥシェが、姿を現さずに“声”だけ落とした。
「奪おうとしたから」
淡々とした声。
感情を乗せない声。
だからこそ、真実として刺さる声。
ミレーヌが息を呑む。
「……誰!?」
視線が闇を彷徨う。
ルゥシェは続ける。
「妖精は、道具じゃない」
「命令に応えるなら、それは契約じゃなくて使役」
「使役は、もう終わった」
ミレーヌの声が裏返る。
「私は王国のために――!」
「違う」
ルゥシェが切る。
「君は君のために奪おうとした」
闇が揺れる。
貴族たちがざわめく。
誰かが叫ぶ。
「妖精だ!」
「妖精がこの場に……!」
そして、ルゥシェの声が少しだけ柔らかくなる。
それが逆に残酷だった。
「彼女は、差し出したから」
ルゥシェが言う。
「生きたいって言って、差し出した。嘘を捨てて、差し出した」
「だから、繋がった」
差し出した。
セリアは喉の奥が熱くなる。
契約の瞬間の熱が、胸の奥で蘇る。
孤独と拒絶が重なった瞬間。
“対等”の形。
ミレーヌは闇の中で、息を荒くしている。
「そんな……」
「そんなの、おかしい!」
「私が主役なのに!」
「私が――!」
その叫びが、だんだん細くなる。
主役であることにしがみつくほど、足元が崩れていく。
ようやく松明の火が一本だけ灯った。
弱い炎。
それがミレーヌの顔を照らす。
彼女は泣いていた。
涙は本物だ。
でも、その涙は“覚悟の塩味”じゃない。
奪えなかった悔しさの涙だ。
セリアは、その涙を責めなかった。
責めたら同じ土俵になる。
ただ、静かに言う。
「あなたが聖女かどうかは、あなたが決めることじゃない」
「選ばれるって、そういうことだから」
ミレーヌの目が見開かれる。
その言葉は、残酷だった。
でも、真実だった。
貴族たちが騒ぎ出す。
「どうする!」
「結界は!」
「聖女が――!」
その喧騒の中で、セリアは感じる。
空気の底が揺れている。
水のように静かな圧。
フィオラルの気配。
姿は見えない。
でも観測されている。
この崩壊を、均衡の王が見ている。
セリアは心臓が速いまま、足取りだけは落ち着いていた。
もう捨てられない場所が、胸の奥で光っている。
だから、ここでまた捨てられても折れない。
そして、崩壊は始まった。
蝋燭が消えたのは、ただの演出じゃない。
世界が拒絶を示した、第一の合図だ。
偽聖女の奇跡は、静かに、確実に、崩れた。
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