田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第2話「祖母タイムの小屋と、忘れられた鍵」

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 王都を出て三日目の朝、馬車を降りた瞬間、ミントは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 鼻の奥をくすぐる、湿った土の匂い。
 森から流れてくる、青い葉の匂い。
 遠くで牛が鳴く声と、畑を耕す鍬の音。

「……ああ、帰ってきちゃったんだ、私」

 目の前には、小さな村の入り口。
 石を積んだだけの素朴な門柱と、風に揺れるボロボロの旗。
 王都の門とは違う、手作りみたいな、ちょっと頼りない景色。

 でも、それが懐かしくて、泣きたくなるくらい落ち着く。

「ミントじゃないか?」

 不意に、聞き覚えのある声がした。
 振り向くと、腰を少し曲げた男性が、畑道の方から手を振っている。

「……あれ? ダンデさん?」

「そうともよ、ダンデライオンさまだ。ははは!」

 村の農夫ダンデライオン。
 子どもの頃、よく祖母タイムの店に腰を下ろして、腰痛の愚痴とどうでもいい世間話をしていた常連さんだ。

「大きくなったなぁ、お前。タイムばあさんの孫娘の、ミントだろ?」

「こんにちは、ダンデさん。お久しぶりです」

 会釈すると、ダンデライオンは「おお」と目を丸くし、すぐにニカッと笑った。

「王都に行ったって聞いてたが……戻ってきたのか?」

「はい。ちょっと、いろいろ……あって」

 苦笑いで濁すと、ダンデライオンはそれ以上は聞かなかった。
 ただ、「そっか」と一言だけ言って、肩をぽんと叩く。

「タイムばあさんの小屋、まだ残ってるぞ。かなりボロだけどな。とりあえず、雨風はしのげるはずだ。村長にも顔出してやれ」

「……はい。ありがとうございます」

 その言葉だけで、胸の奥の固くなっていた部分が、少しだけほぐれる。

 村の道は、子どもの頃とほとんど変わっていなかった。
 右手には小川、左手には畑。
 ところどころに見える花壇と、木で組んだベンチ。

「ミント? ミントなの?」

 今度は女性の声。
 振り返ると、買い物籠を抱えたデイジーが立っていた。
 ダンデライオンの奥さんで、昔からおしゃべりで世話焼きだ。

「デイジーさん、お久しぶりです」

「まぁまぁまぁ! 王都の空気なんか吸って、きれいになっちゃって! タイムばあさんの面影、前より出てきたんじゃない?」

 デイジーはずかずか距離を詰め、ミントの頬を両手で包む。
 唐突なスキンシップに、ミントは目をぱちぱちさせた。

「や、やだ、そんな……変わってないですよ」

「何言ってるの。前よりずっと“女の顔”になってるわよ。ふふ、王都で恋のひとつやふたつ――」

「してません! してませんから!」

「はいはい、今は聞かないでおいてあげるわ。どうせそのうち、村中に噂が回るから」

 デイジーの明るい声に、思わず笑ってしまう。

 ――ああ、やっぱりこの村だ。
 王都みたいに冷たい視線はない。
 ここでは、私のことを“田舎娘”って悪く言う人はいない。

「タイムばあさんの小屋、これから行くの?」

「はい。とりあえず、あそこに泊まらせてもらおうかなって」

「そうね……あの小屋、誰も手を入れてないから、きっと大変よ。困ったらいつでもうちに来なさい。ご飯くらいは食べさせてあげるから」

「ありがとうございます。本当に」

 何度も頭を下げて、ミントは村の奥へ歩いていく。

 小さな坂を上った先に、それはあった。

 かつて祖母タイムが営んでいた、小さな薬草小屋。

 記憶の中の小屋は、こじんまりとしているけれど、いつも窓から灯りが漏れていて、ハーブティーの香りが漂っていた。
 扉を開けると、棚には瓶と乾燥ハーブが並び、タイムが笑って迎えてくれる――そんな場所だった。

 けれど、今、ミントの目の前にある小屋は。

「……うわ」

 思わず、声が漏れた。

 屋根の一部は抜け、壁にはツタが這い回り、窓ガラスは半分以上が割れている。
 扉はかろうじて原形を保っているものの、色あせて、ところどころ木が腐っている。

 でも、嫌じゃなかった。
 ボロボロで、みすぼらしくて、でも。

「ただいま、おばあちゃん」

 ミントは、小さく呟いた。

 ぎい、と音を立てて扉を開ける。
 中から、乾いた木の匂いと、古いハーブの残り香がふわっと流れ出した。

 埃っぽい空気を、ミントはむしろ懐かしく感じた。

 中は、想像以上の散らかりようだった。
 棚は傾き、床には破れた布や割れた瓶が転がっている。
 かつての薬草棚も、今は空っぽのフックだけが寂しそうに並んでいた。

「……これは、なかなか」

 ミントはトランクを隅に置き、肩にかかっていたマントを脱いだ。

「よし。とりあえず、住める状態にしないとね」

 掃除は嫌いじゃない。
 王都の屋敷でも散々やってきた。
 むしろ、掃除をしていると、余計なことを考えなくていいから助かる。

 窓を開けると、むわっとこもった空気が逃げていく。
 雑巾代わりの古布を見つけ、床と棚を拭き始めた。

 埃が舞い上がり、鼻がむずむずする。
 でも、雑巾に溜まっていく汚れを見るたび、少しずつ胸が晴れていくような気がした。

「ここ、調合台だったんだよね……」

 片付けをしながら、ミントは昔を思い出す。
 まだ背の届かない高さの台に背伸びして、タイムの横で葉っぱをちぎっていた幼い自分。

『ミント、葉っぱはちぎるときに“ごめんね”って心の中で言うんだよ』

『なんで?』

『その方が、薬草がよく効いてくれる気がするから』

 理屈としては、よくわからない。
 でも、その優しい言い方が好きだった。

「……ごめんね。今から、ここ、もう一回使わせてね」

 調合台を丁寧に拭きながら、ミントは心の中でそう呟く。

 夢中で片付けているうちに、外はすっかり夕方の光になっていた。
 赤く染まった陽の光が、割れた窓から差し込んで、埃の粒をきらきらと照らす。

「ふー……だいぶマシになったかな」

 元がボロなので、劇的な変化とは言えない。
 でも、とりあえず座れる椅子と、物を置ける台と、眠れそうなスペースくらいは確保できた。

 ミントが腰を伸ばそうとした、そのとき。

 ぎし、と、いつもと違う音がした。

「……ん?」

 棚の下に踏み込んだ足の感触が、妙に軽い。
 よく見ると、奥の方の板が少し浮いている。

「なにこれ……隠し床?」

 しゃがみこんで板を持ち上げてみると、ぴたりと外れた。
 そこには、掌に収まるくらいの古びた木箱が、ひっそりと収まっていた。

 心臓が、どくん、と鳴る。

「……タイムおばあちゃん?」

 思わず、呼びかけてしまう。
 もちろん返事なんてない。
 けれど、箱から漂ってくる空気は、不思議とあたたかかった。

 木箱には、小さな鍵穴がある。
 しかし鍵はついていない。

「鍵……鍵、鍵」

 ミントは、慌てて棚や引き出しを探し回る。
 薬草用の道具に紛れて、小さな金属の束が出てきた。

 錆びた鍵が三つ、輪になっている。

「これ……かな」

 一つ目は大きすぎた。
 二つ目は形が違う。
 三つ目――少し歪んでいるけれど、鍵穴に差した瞬間、ぴったりとはまった感覚が伝わる。

 かちゃり。

 なんてことのない音。
 なのに、ミントの胸はなぜか、息が詰まるほど高鳴っていた。

 そっと蓋を開ける。

 中には、丁寧に畳まれた紙束と、小さな金属のプレートが入っていた。

「……メモ?」

 紙を開くと、そこにはタイムの、見慣れた丸っこい字が並んでいた。

『ミントへ』

 それだけで、視界がにじみそうになる。
 ミントは慌てて瞬きを繰り返し、続きの文字に目を通した。

『この箱をあける頃、お前はきっと大人になってるんだろうね。
 もしかしたら、王都に行ってるかもしれないし、村でのんびり暮らしているかもしれない。
 どんなミントでも、私はきっと、すごく自慢だよ』

「……やめてよ、もう」

 声に出した瞬間、涙が一粒、ぽとりと紙に落ちた。
 慌てて指で拭って、読み進める。

『私は、この村で小さな薬草屋をやってきたけれど、本当はね、“もっとこうしたかったなぁ”っていう夢も、こっそり持ってた。
 もっと明るくて、もっと人が出入りしやすくて、もっと若い子たちも気軽に薬を相談できる店』

『でも、おばあちゃんの身体は、もうそんなに長くは動けないみたいだ。
 だから、この夢は、お前に渡しておこうと思う』

 そこまで読んで、ミントは思わず息を呑んだ。

「……夢、渡すって……なにそれ」

 木箱の底には、簡単な線で描かれた設計図が入っていた。
 今の小屋をベースに、棚の位置、調合台の向き、窓の大きさまで描いてある。

 そこには、手書きでこう記されていた。

『いつか、お前の店を』

 たったそれだけの言葉なのに、胸の中心を、ぎゅっと掴まれたみたいだった。

「おばあちゃん……」

 ミントは、設計図とメモを胸に抱きしめる。
 紙越しに伝わる温度なんて、本当はないのに、妙にあたたかくて、心臓の鼓動と一緒にじんわり広がっていく。

 王都で言われ続けた言葉がよみがえる。

『田舎娘のくせに有能ぶって』
『田舎に帰って、雑草と結婚でもなさいな』

 それに重なるように、祖母の字が胸の中で響く。

『どんなミントでも、私はきっと、すごく自慢だよ』

 ぽろぽろと、涙が止まらなくなった。

 王都を追い出された悔しさも、情けなさも、全部混ざって溢れてくる。
 でも今は、それを無理に止めなくていい気がした。

 しばらく泣いて、ようやく呼吸が落ち着いた頃。
 ミントの中に、さっきまでとは違う種類の感情が生まれていることに気づく。

(人の顔色をうかがって、怯えながら働くのは……もう、嫌だ)

 ローズ家での自分の姿が頭に浮かぶ。
 怒られないように、嫌われないように、ただひたすら「はい」と従うだけの自分。

(今度は、私の手で、私の店を)

 祖母の設計図を、そっと広げ直す。

 小さな小屋。
 窓辺にハーブの鉢。
 扉の横には、小さな看板。

 紙の上でしか存在しない店なのに、胸の中でそれが、ゆっくりと色づいていく。

「……やってみようかな」

 ぽつりと落とした言葉は、思ったよりも軽く口から出た。

「タイム薬草店じゃなくて、今度は――ミントの店」

 声に出してみると、妙にこそばゆい。
 でも、悪くない。

 そのとき、外から「おーい!」という声が飛び込んできた。

「ミント! いるかー?」

 聞き慣れたダンデライオンの声だ。
 ミントは慌てて涙を拭き、扉まで駆けていく。

「はーい! 今、開けます!」

 扉を開けると、ダンデライオンとデイジー、さらに、村長まで立っていた。

 村長は背の低い丸い体型で、口ひげをたくわえ、いつもどこか眠そうな目をしている。
 でも、この村で一番頼りになる人だ。

「戻ってきたばかりのところ悪いね、ミントちゃん」

「村長さん……!」

「ダンデから聞いたよ。タイムの小屋に泊まるって」

 村長は、小屋の中をちらりと覗き、「ふむ」とうなずいた。

「まだ修理は必要だが、ここなら十分住める。……で、だ」

「はい?」

「お前、この小屋をどうするつもりだ?」

 率直な問いに、ミントは一瞬言葉を詰まらせる。
 でも、胸の中にさっき生まれた火を思い出し、そのまま口に乗せた。

「……お店に、したいです」

 ダンデライオンとデイジーが、目を丸くする。
 村長も少しだけ眉を上げ、「ほう」と呟いた。

「薬草屋か?」

「はい。おばあちゃんみたいな……いえ、もっと、いろんな人が来やすいお店に。
 村の人も、隣の村の人も、気軽に相談できるような。
 王都では……上手くいかなかったけど。ここなら、私の歩幅でやっていける気がして」

 自分でも、こんなに言葉が出るとは思わなかった。
 胸の内側に溜め込んでいた想いが、一気にあふれ出したみたいだ。

 村長は、しばらく無言でミントを見つめていた。
 その視線は厳しいものではなく、懐かしいものを確かめるような目だった。

「タイムの店はな、この村の誇りだった」

 ぽつりと、村長が言う。

「王都に行くって聞いたときは、寂しかったが……“タイムの孫なら、どこでもやっていけるだろう”って、みんなで噂してたんだ」

「……そう、なんですか」

「タイムがいなくなってから、この村には“薬草をちゃんと診てくれる人”がいなくなった。
 薬草そのものは採れる。簡単な回復薬も、隣町に行けば買える。
 だが、“人を見て薬を出す”奴は、そうそういない」

 村長は一歩近づき、ミントの肩を軽く叩いた。

「お前がその小屋で店をやるって言うなら、村として応援しようじゃないか。
 許可が必要なら、書類だって手伝う。必要な材木くらい、村の連中で何とかしてやる」

「そ、そんな……そこまでしてもらうような……!」

「何言ってるのよ」

 デイジーが、腰に手を当てて口を挟む。

「私の腰痛も、ダンデの肩こりも、タイムばあさんにどれだけ助けられたと思ってるの。
 今度はミントが、その続きをやってくれるんでしょ? だったら、うちらが手伝うのは当たり前よ」

「ミントちゃん、俺の畑からも薬草用の種、分けてやるからよ。前みたいに、“この草は腰に効く”“これは寝つきにいい”とか教えてくれよな」

 畳みかけるような言葉に、ミントは胸がじんわりと熱くなった。
 こんなふうに“必要とされる”感覚を、王都で味わったことがあっただろうか。

「……ありがとうございます。私、がんばります」

 頭を下げると、三人は満足そうに笑った。

「じゃあ、決まりだな。ミントの店、再開準備開始だ」

「店の名前はどうするの? タイム薬草店のまま?」

 デイジーの問いに、ミントは一瞬黙り込む。

 “タイム薬草店”――それは、祖母の店の名前。
 その看板をそのまま掲げることもできる。
 でも、木箱の中の設計図に書かれていた文字が、頭に浮かぶ。

『いつか、お前の店を』

「……私の、店」

 口の中で転がしながら、ミントは小屋の外の空を見上げた。
 夕暮れの空は、淡いオレンジと群青が混ざり合って、どこか寂しくて、どこか希望の色をしている。

「じゃあね――」

 その夜。
 片付いたとは言い難いけれど、とりあえず寝られるスペースを作り、古い布を重ねて即席のベッドにする。

 外はすっかり暗くなり、窓の外で虫の声が鳴いている。
 ミントは祖母の形見のマグカップを取り出し、持ってきたハーブを入れてお湯を注いだ。

 湯気と一緒に立ち上る香りは、レモンとミントが混ざったような、すっきりした匂い。
 それを少しずつ口に含みながら、ミントは一枚の紙を取り出す。

 ランプの小さな灯りの下、真っ白な紙にペン先を乗せる。

(店の名前。
 タイムじゃなくて、私の……)

 少し悩んで、ひとつ言葉を思い浮かべる。

 薬草の葉や花は、誰かの心や身体の“余白”に、そっとメモを書くみたいな存在だ。
 飲んでもらうことで、少し楽になってほしい。
 痛みが全部消えなくても、「大丈夫」って書き込んであげたい。

(だったら――)

 ペンが、ゆっくりと紙の上を滑る。

《薬草店グリーンノート》

 拙い字。
 少し曲がっているし、線も震えている。

 でも、その文字が紙の上に浮かび上がった瞬間、ミントの胸の奥が、ふっと軽くなった。

「……うん。これで、いいや」

 声に出すと、少し照れくさい。
 でも、同時に、たしかな“始まり”の感覚があった。

 田舎娘。
 追放された元使用人。
 誰の後ろ盾もない、ちっぽけな薬草オタク。

 ――そんな肩書きの全部の上に、新しい名前をそっと重ねる。

 薬草店グリーンノート、店主ミント・フェンネル。

 マグカップを握る手に、少しだけ力が入る。
 窓の外で、風がツタを揺らす音がした。

「明日から、忙しくなるといいな」

 独り言みたいに呟いて、ミントはランプの火を落とした。
 暗闇の中でも、胸の中の小さな灯りだけは、消えずにぽうっと光っている気がした。
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