田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第1話「田舎娘、追放される日」

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 ローズ家の朝は、いつだってミントにとっては戦場だった。

「ミント! ポーション倉庫の棚卸し、まだ終わってないの?」 「ミント、洗濯場の薬草染め、配合表を書き直しておきなさい」 「ミントちゃん、この箱、地下まで運んどいてくれない?」

 右から左から飛んでくる声に、「はい」「すぐやります」と返事をしながら、ミント・フェンネルは小走りで屋敷の廊下を駆け抜けていた。

 腕いっぱいに抱えた瓶箱は、歩くたびちゃりん、とガラスが触れ合う音を立てる。落としたら終わりだ。ミントは胸の前でぎゅっと抱きしめ、滑りやすい床を慎重に進んだ。

(……それにしても、今日もいい天気だなぁ)

 窓の外には、王都の青い空が広がっている。遠くに見える魔導塔と、ひしめく屋根の群れ。ミントの生まれた田舎の村とは違う、少しきらきらした世界。

 ここに来たときは、それが嬉しかったのだ。
 田舎娘でも、頑張れば役に立てるって信じてた。

「ミント、そこの角、気をつけなさいよ!」

 注意の声が飛ぶより早く、ミントは本能的に足を止めた。次の瞬間、白いドレスの裾がふわりと視界をかすめる。

 ローズ家の箱入り令嬢、ローズマリー・ローズ。
 肩までの淡いピンクブロンドの髪が揺れ、宝石を散りばめた髪飾りが光を弾く。絵画みたいに整った横顔に、当然のような自信が宿っていた。

「危ないじゃない、田舎娘。瓶なんて落とされたら困るのよ?」

 軽く眉をひそめながらも、声にはうっすら笑いが混じっている。ミントは慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい、お嬢様。ちゃんと気をつけて――」 「“ごめんなさい”は、落としてから言うものじゃないわ。落とさないのが前提でしょ?」

 さらりと刺すような言葉。
 でも、そんなのは日常茶飯事で、ミントの心はだいぶ耐性がついていた。

「今日は大事な夜会なのよ。王太子殿下もいらっしゃるんだから。薬草担当のあなたが失敗したら、ローズ家の恥だわ」

「…………はい」

(失敗なんて、しない。
 しないために、寝る間も惜しんでメモもまとめたし、調合表だって何度も見直したもん)

 ミントはそう心の中で呟いて、ひとつ深呼吸をする。

 夜会用ポーション――それは今夜、王太子殿下をはじめとする貴族たちにふるまわれる特製のものだ。
 見た目は淡く光る桃色で、飲むとほんのりと身体が温まり、緊張を和らげる効果がある。

 薬効は穏やか。だが、ほんの少し配合を間違えれば、逆に頭痛や吐き気を引き起こす厄介な代物でもあった。

(だから、何度も何度も確認した。……大丈夫、なはず)

 そう自分に言い聞かせながら、ミントは瓶箱を薬草室へ運び込む。

 石造りの部屋には、乾燥棚と薬草の束がずらりと並び、独特の香りが満ちていた。ミントは思わず、ふうっと息をつく。
 ミントにとって、ここだけが屋敷の中で落ち着ける場所だった。

「よし、今日も頑張ろう」

 小さく拳を握り、仕込み作業を始める。
 祖母に教わった、薬草の扱い方が体に染みついている。葉の向き、茎の太さ、刻むときの音。
 一つ一つに耳を傾け、一つ一つに目を凝らす。

 ふいに、祖母タイムの声が脳裏に蘇る。

『ミント、薬は“人”に飲ませるものなんだよ。瓶の数じゃない。飲む人の顔を思い浮かべて作りなさい』

(……うん、おばあちゃん。覚えてるよ)

 いつの間にか口元が緩んでいた。

 そのときだった。
 扉が勢いよく開く音がした。

「ミント! 夜会のポーション、もう仕上がってる?」

 顔を出したのは、ローズマリーだった。
 だが、その目はいつもより少し、楽しげに光っている。

「い、いえ、お嬢様。今、最終調合に入るところで――」

「あら、もうそんな段階なのね? ねえ、見せてちょうだいよ」

 ローズマリーは、ぞんざいに靴音を響かせながら部屋へ入ってくる。
 机の上の調合表に目を走らせ、ふん、と鼻で笑った。

「相変わらず、字がちょっとだけ綺麗になった田舎者って感じね」

「が、がんばって練習してるので……」

「そういうのはね、“がんばってますアピール”じゃなくて結果で見せるものよ?」

 ぴしゃりとした物言いに、ミントは言葉を詰まらせる。

 ローズマリーは、瓶に注がれかけている淡い桃色の液体を覗き込んだ。

「これが今日の夜会用? ふーん……ちょっと面白くないわね」

「お、おもしろくないって……効能は、ちゃんと――」

「そうじゃないの。見た目よ、見た目。
 王太子殿下をお迎えする夜会なのに、“いつも通り”なんてつまらないじゃない?」

 そこで、ローズマリーの視線が、棚の上の別の瓶に止まる。
 それは、ミントが試験的に作っていた“香り強めのリラックスポーション”の原液だった。
 まだ試飲も少ししかしていない、調整途中のもの。

(あ、あれはまだ――)

「ねえミント。こっちの方が、色がきれいじゃない?」

 ローズマリーは指先で瓶のガラスを軽く叩く。
 そこに満ちている液体は、夜会用のものよりも少し濃い、華やかなピンク色をしていた。

「そ、それは、まだ配合が定まってなくて……香りが強すぎるかもしれなくて、だから夜会には――」

「ふうん。田舎娘にしては、悪くない発想だけど?」

 ローズマリーはくるりと振り向き、笑顔を貼り付ける。

「これ、夜会用に使いましょう」

「えっ」

「あなたが作ったものでしょ? なら、問題ないわ」

「で、でも、ちゃんと検証してないですし、貴族の方々の体質に合うかどうか――」

「大丈夫よ。責任なんて、全部“薬草係のあなた”が取るんだもの」

 あっけらかんとした口調。その裏にある冷たさに、ミントの背筋がぞくりとした。

「それとも何? 私に“失敗するかもしれない薬を出せ”って言わせたいの?」

「ち、違います! そんなつもりじゃ……」

「じゃあ、決まりね」

 ローズマリーは、ミントの返事を聞く気もないように言い切ると、試作品の瓶をひょいと持ち上げた。

「これをベースに、夜会用に仕立て直しておいて。あなた、そういうところだけは器用なんだから」

 そのまま、ひらひらと手を振って部屋を出ていく。
 残されたミントは、机に置かれた調合表と、ローズマリーの持っていった瓶を見比べ、ぎゅっと唇を噛んだ。

(試作品を、そのまま夜会に出すなんて……怖い。でも、お嬢様の命令を無視したら、私……)

 脳裏に浮かぶのは、他の使用人たちの視線。
 田舎出の、コネもない、頼れる親もいない自分。

(ここを追い出されたら、帰る場所なんて――)

 胸の奥がきゅっと縮む。

「……わかった。だったら、今から夜までに、ちゃんと夜会用に作り直せばいい」

 ミントは自分に言い聞かせるように呟き、急いで新しい調合表を書き起こした。
 香りを少し抑え、刺激の強い成分を抜き、効果を安定させる組み合わせを探る。

 時間との戦い。
 でも、やるしかない。

 ――そうして迎えた夜。
 豪奢なシャンデリアが輝く大広間には、王都の貴族たちが集い、音楽と笑い声が渦巻いていた。

 ミントは、黒服の給仕たちの陰に紛れるようにして、様子を遠くから見守っていた。
 お盆に載せられたグラスには、あのピンク色のポーションが注がれている。

(お願い。どうか、誰にも悪い影響が出ませんように)

 祈るような気持ちで、ミントは指先を組む。
 ポーションを口にした貴族たちは、最初は「まぁ、香りがいいわね」と笑っていた。
 しばらくしても、ひどい反応は見られない。ミントは胸を撫で下ろしかけた。

 ――だが、異変は突然だった。

「……頭が、重い」 「ちょっと、気分が悪いかも……」

 ぽつぽつと、そんな声が広がり始める。
 顔をしかめる者、額に汗をにじませる者。中には、少しよろめく姿も見えた。

「な、なんで……?」

 ミントは、血の気が引くのを感じた。
 確かに、強い毒性のある薬草は使っていない。
 だが、貴族たちの体質、日頃飲んでいる薬、魔力との相性――どこかに予想外の相互作用があったのだろう。

 ローズ家の当主が、青い顔で立ち上がる。

「宮廷治癒師を呼べ! すぐにだ!」

 騒然とする場内。その最中、ひときわ高い声が響いた。

「お父様! このポーションを調合したのは、あの田舎娘ですわ!」

 視線が一斉に、壁際に立っていたミントへと突き刺さる。
 ローズマリーが、ドレスの裾を揺らしながらミントを指さしていた。

「わ、わたしは……!」

「ミント・フェンネル! 前へ出ろ!」

 当主の怒鳴り声に、膝が笑う。
 それでも、逃げられないと知っていた。
 ミントは震える足を引きずるようにして、大広間の中央へ進み出る。

「お前が薬草係として、このポーションを作ったのか?」

 当主の目は、怒りと焦りで血走っている。
 ミントは、喉がからからに乾くのを感じながら、搾り出すように答えた。

「……はい。わたしが、調合を担当しました。でも――」

「やっぱり! やっぱりあの田舎娘のせいじゃない!」

 ローズマリーが、待ってましたと言わんばかりに声を張り上げる。

「私、何度も申し上げましたのよ? あの子は田舎育ちで、ちゃんとした教育も受けていないって。こんな大事な夜会のポーションなんて任せちゃいけないって!」

「そ、それは違います、お嬢様。わたし、調合表もチェックして、成分も――」

「じゃあ、どうしてこんなことになっているのかしら?」

 ローズマリーの声は甘く、刺々しい。

「あなた、“香りが強い試作品を夜会用に使いましょう”だなんて、怖いこと、言ってなかったかしら?」

「そんな言い方はしてません! お嬢様が、その……」

 ミントが言いかけたとき、ローズマリーは先に一歩踏み出した。

「お父様。私、止めたんですのよ? “まだ試作品なら、王太子殿下がいらっしゃる夜会には間に合わないんじゃないかしら”って。
 でもこの子、“大丈夫です、自信があります”って言い張って……」

「ま、待ってください……そんな、言ってない……!」

(言えない。
 本当は、お嬢様の一言で流れが決まったことなんて、ここで言ったら――)

 貴族たちの視線が、さらに鋭くなる。
 “田舎娘”“使用人”“身の程知らず”――そんな言葉が、刺のように飛び交っているのが聞こえた。

 当主は腕を組み、深くため息をつく。

「ミント・フェンネル。お前には、この屋敷に相応の恩を返す機会を与えたつもりだったが……まさかこのような形で裏切られるとはな」

「う、裏切るなんて、そんなつもりは……!」

「結果がすべてだ」

 当主の低い声が、大広間に沈む。

「王太子殿下をお迎えする夜会で、このような粗相を犯した。
 ローズ家の名に泥を塗った責任は、取ってもらわねばならん」

「……責任、って」

「お前は、本日をもってローズ家を解雇する。使用人としての身分も住居も、すべて剥奪だ」

 その言葉が落ちた瞬間、ミントの世界から音が消えた気がした。

(……今、なんて言った?
 解雇? 全部、剥奪?)

 頭の中で、何度も同じ言葉がこだまする。
 足元がぐらりと揺れた気がして、思わず一歩よろける。

「お言葉ですが、旦那様。
 この娘は、薬草庫の管理も――」

 横から、年配の執事が口を挟もうとした。
 しかし当主は手を上げ、それを遮る。

「黙れ。ここまでの失態だ。情けをかける余地はない」

 ローズマリーが、ほっとしたように微笑んだ。

「田舎に帰りなさいな、ミント。
 雑草と結婚して、子どもでも産めばいいわ。薬草と雑草の区別くらいは、あなたにもできるでしょう?」

 くすくす、と笑いが起こる。
 胸の奥に、ぐさりと何かが刺さったような痛みが走る。

「……っ」

 何か言い返したかった。
 違うと叫びたかった。
 でも、喉の奥が固まってしまったみたいに、声が出てこない。

『田舎娘のくせに有能ぶって』
『田舎娘のくせに』
『田舎娘』

 その単語だけが、ぐるぐると頭の中を回る。

(わたしは、ただ……頑張りたかっただけなのに)

 執事やメイドたちが、気まずそうに目をそらす。
 誰かひとりでも、「彼女は真面目に働いていた」と言ってくれたら――
 そんな淡い期待は、誰の口からも発せられなかった。

「荷物はすぐにまとめろ。今日中に屋敷から出ていけ」

 当主の最後の一言が、判決のように響いた。

      ◇

 使用人部屋に戻ると、ベッドの上にはすでにミントの荷物が雑に放り込まれていた。
 少ない服と、祖母の形見のマグカップ、薬草メモの束。
 全部がごちゃ混ぜになって、ぼろぼろのトランクに押し込まれている。

「……手伝ってくれたんだ。ありがとう」

 誰にともなく呟くと、部屋の隅でシーツを畳んでいたメイドの一人が、気まずそうに笑った。

「ごめんね、ミントちゃん。本当は、私……」

 その先を言えないまま、彼女はうつむく。

「ううん。いいよ」

 ミントは首を振った。
 責める気力も、もう残っていなかった。

 トランクの留め具を閉め、取っ手を握る。
 重さはそれほどでもないのに、腕がひどくだるい。

 屋敷を出るとき、玄関ホールで執事がひとり、こっそりと近寄ってきた。

「ミント嬢」

「……はい?」

「あなたの働きぶりは、私が一番よく知っています。
 どうか、自分を低く見すぎないように」

 そう言って、彼は小さな紙袋を差し出した。
 中には、ミントがよく使っていた小瓶と、古いハンカチが入っている。

「王都は冷えますから」

「……ありがとうございます」

 礼を言うと、執事は深く頭を下げ、それ以上何も言わなかった。

 重たい扉が閉まり、ローズ家との境界線が、がちゃん、と音を立てて消える。

 外に出ると、空はいつの間にか雲に覆われていた。
 ぽつ、ぽつ、と冷たいものが頬に当たる。

(あ、雨……)

 トランクを片手でかばいながら、ミントは王都の門へ向かって歩き出した。
 石畳に、雨粒が丸い模様を描いていく。

 さっきまで華やかな笑い声が響いていた屋敷は、もう背後に遠ざかっている。
 振り向くことはしない。振り向いたら、たぶん、足が止まってしまうから。

 門前の広場に着く頃には、雨脚はすでに強くなっていた。
 行き交う馬車の車輪が水しぶきを上げ、人々はフードを深くかぶって足早に通り過ぎていく。

 ミントは、門の脇に立ち尽くした。
 手の中のトランクは、もう半分ほど濡れている。

「……私、何のために頑張ってきたんだろう」

 誰に聞かせるでもない言葉が、雨音に紛れて消えていく。
 喉の奥が熱くなり、視界がじわりと滲む。

 頬を伝うものが、雨なのか涙なのか、自分でもよくわからなかった。

(帰る場所……あるのかな)

 ふと、頭の中に浮かんだのは、緑に囲まれた小さな村だった。
 祖母タイムと一緒に薬草を摘んだ丘。
 夕暮れの畑の匂い。
 木の扉がきしむ音。

「……帰ろう。とりあえず、そこに帰ろう」

 自分に言い聞かせるように呟き、ミントは一歩を踏み出した。
 雨の中、ぼろぼろのトランクを引きずりながら。

 王都のきらめきから遠ざかるほどに、足音は静かになっていく。
 でも、その静けさの中で、心のどこかが小さく強く、確かに主張していた。

(このまま終わりたくない。
 田舎娘だからって、全部あきらめたくない)

 雨雲の向こうには、きっと明日がある。
 そう信じるには、まだ少し心が痛いけれど。

 それでもミントは、かつて祖母と過ごした田舎の村へと、ゆっくり歩き出した。
 ひと粒ずつ、過去を洗い流すみたいに、雨は降り続いていた。
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