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第30話「王都再び:宮廷の光と影」
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王都の空気は、いつだって硬い。
石畳が吐く冷たさ。
高い建物の影が作る薄暗さ。
人の数が多いせいで、匂いが重なって、息を吸うだけで喉が乾く感じ。
馬車の窓からそれを見下ろしながら、ミントは無意識に指先を握りしめていた。
数年ぶり。
王太子セージの命を救うためにこの街へ来た、あの時以来。
あの日の王都は、雨は降っていなかったのに、ミントの心の中はずっと雨だった。
冷たい視線。
田舎娘という言葉。
肩書きのない自分が、王城の前で縮こまっていた感覚。
それが、いま。
「……見えた」
隣でサフランが短く言う。
窓の先に、王城の外壁が現れた。
太陽を受けて白く光る石。
高く、分厚く、揺るがない“国の顔”。
そして、その手前に立ちはだかる城門。
ミントの心臓が、どくんと鳴った。
(あの門)
追放された日の門ではない。
でも、同じ“境界”の門だ。
ここをくぐると、もう引き返せない気がする。
馬車が止まる。
護衛が外へ出て、門番に声をかける。
門番の視線が、馬車の中へ向けられた。
ミントは息を呑んだ。
(また、あの目を向けられる?)
でも、門番の表情は違った。
確認する目。
そして、次の瞬間。
護衛が差し出した札を見て、門番が背筋を伸ばす。
「王家特認薬師ミント・フェンネル殿の入城を確認。通行を許可する」
その声は、はっきりしていて、揺るがなかった。
ミントの胸の奥が、じわっと熱くなる。
“王家特認”。
言葉は重い。
重いからこそ、今は盾になる。
城門が、ゆっくり開いた。
鉄の音。
石の擦れる音。
それは、まるで“世界が扉を開ける音”だった。
ミントは、背筋を伸ばした。
堂々と――とまではいかない。
でも、逃げない姿勢で。
馬車が門をくぐり、王城の敷地へ入る。
石畳の上を進む振動が、身体の芯まで伝わった。
(私は、帰ってきたんじゃない)
(私は、来たんだ)
今度は“守られる側”じゃなく、“守るため”に。
◇
宮廷薬師団棟の前は、やたら忙しそうだった。
薬草の入った木箱が運び込まれ、書類を抱えた薬師たちが早足で行き交う。
いつもなら漂うはずの薬草の穏やかな匂いが、今日は焦げた紙みたいに乾いて感じる。
ミントが馬車を降りると、すぐに視線が集まった。
数年前と同じように、好奇と警戒と、微かな侮蔑が混じった視線。
でも、違う。
あの時みたいに、声に出して笑う者はいない。
状況がそれを許していないから。
偽薬問題が、王都の喉元に刃を突きつけているから。
「ミント殿!」
廊下の奥から、ばたばたと走ってくる影。
宮廷薬師長ホップだった。
相変わらず髪はぼさっとしていて、白衣の裾は少し汚れている。
でも目だけは、鋭い。
今の王都に必要な“頭”の目。
「来てくれたか!」
ホップは息を整える間もなく、ミントの手を取って握った。
「……ありがとう。いや、本当に、助かる」
その言葉が、やけに生々しい。
“歓迎”というより、“救い”の声。
ミントは小さく頷いた。
「被害が広がっていると聞きました。私にできることがあるなら」
「ある。君の視点が、今、王都に一番必要だ」
ホップはそれを、迷いなく言い切った。
ミントの胸の奥が、少しだけ軽くなる。
必要とされることは、怖いけど、救いでもある。
廊下を歩きながら、ホップは周囲を軽く睨むように見回した。
「お前たち、見世物じゃないぞ。仕事しろ」
薬師たちが慌てて散る。
その中に、ひとりだけ小さく鼻を鳴らした男がいた。
「田舎娘が来たところで、何が変わる」
声は小さい。
でも、耳につく小ささ。
サフランが一瞬で反応しかけたのを、ミントが袖で止めた。
ホップが振り向き、冷たい声で言う。
「変わる。だから呼んだ。
もし変わらないと思うなら、お前は今すぐ自分の分析結果を私に提出しろ。
出せないなら、口も出すな」
男はぐっと黙った。
ミントは、ホップの横顔を見てしまう。
(ホップさん、疲れてる)
でも、疲れた顔のまま戦っている。
誰かがここで踏ん張らないと、王都は崩れる。
その責任を、彼は一人で背負っている。
ミントは息を吸った。
(私も、背負う側に立つ)
そう決めた。
◇
会議室。
長机の上には、瓶、報告書、流通図、被害者の記録。
白い紙が積み上がり、インクの匂いが濃い。
ホップが指で机を叩く。
「まず、現状だ」
壁に貼られた図を示す。
「偽ミント薬は、単一ルートじゃない。
商会から表市場へ流れるルート。
裏市場から路地裏へ流れるルート。
そして――貴族サロンに直接入り込んでいるルート」
ミントの背筋がぞくりとした。
「貴族サロン……?」
「そうだ」
ホップの声は苦い。
「“田舎の奇跡薬師”という噂が、貴族の遊びにされた。
病を治す薬ですら、見栄と流行の道具になる」
机の端に座る薬師が、苛立ちを隠さず言う。
「貴族は“特別な薬”が好きだ。
だから偽物でも“特別”に見えれば買う。
そして被害が出れば、責任は弱いところへ落ちる」
弱いところ。
つまり、ミント。
ミントは息を詰めた。
ホップが続ける。
「成分は複数パターン確認されている。
つまり製造元は一つではない。
“ミントの処方を真似して作る”というテンプレが、各地に拡散した可能性が高い」
ミントは、静かに質問した。
「……誰が、テンプレを流したんですか」
その問いに、会議室が一瞬静まる。
ホップが、紙を一枚抜いて示した。
「ここが問題だ。
偽薬の流通に関わる商会の一つが、“バジル伯爵家と繋がりがある”と報告されている」
その瞬間。
リリーが、わずかに肩を震わせた。
「……っ」
顔色が白くなる。
唇がきゅっと結ばれる。
ミントは横目で見ながら、胸が痛む。
(名前が利用されてる)
(本人が関わってなくても、家の名は勝手に使われる)
リリーは、絞り出すように言った。
「それは……確定ですの?」
「確定ではない」
ホップが即答する。
「だが、“名前が利用されている可能性”は高い。
バジル伯爵家の紋章を思わせる印が、取引記録に残っている」
リリーの指先が、膝の上でぎゅっと握られる。
誇りが傷つく音が、聞こえる気がした。
サフランが淡々と口を挟む。
「だからこそ、リリーもここにいる」
リリーがきゅっと顔を上げる。
「ええ。……調べますわ。
父にも、家にも、逃げられないように問い詰めます」
言葉は強い。
でも、その強さの奥に、怖さが滲む。
ミントは、胸の奥で小さく息を吐いた。
三人の立ち位置が、ここでも浮き彫りになる。
ミントは“名前を取り戻す側”。
サフランは“守る側”。
リリーは“名を守るために戦う側”。
同じ目的に見えて、動機が違う。
その違いが、火種にも、助けにもなる。
◇
会議の途中、扉がノックされた。
「ホップ、今いいか」
聞き慣れた柔らかな声。
部屋の空気が、一段だけ変わった。
王太子――セージ。
以前よりも顔色は良い。
でも、目の奥には“国を背負う者”の影がある。
彼が入ってきた瞬間、薬師たちが立ち上がり、頭を下げた。
リリーも立ち上がり、完璧な礼をする。
ミントは一拍遅れて、でもきちんと頭を下げた。
「ミント」
セージは、ミントの名を優しく呼んだ。
「また来てくれたんだね」
その言葉は、歓迎というより、申し訳なさが混じっていた。
「君にばかり負担をかけてしまっている」
ミントは慌てて首を振る。
「そんな……私は、自分の意思で来ました」
「それでも、だ」
セージは苦笑する。
「王家が守るべき市井の薬師に、王都の問題を持ち込んでいる。
……本来なら、僕たちが先に止めるべきだった」
その謝罪の形が、王太子としてではなく“個人”のものに見えて、ミントの胸がきゅっとなる。
「殿下」
ミントは小さく息を吸う。
「私は、王都が嫌いになりたくないんです。
ここには、苦い思い出もあるけど……
それでも、救える人がいるなら、私は薬師として来ます」
セージの目が、少しだけ柔らかくなる。
「……君らしい」
そして、セージは視線をサフランへ向けた。
「サフラン」
「はい」
「ミントのそばにいてくれてありがとう」
それは命令でも、褒美でもなく、静かな礼だった。
サフランは一瞬だけ表情を崩し、すぐにいつもの顔に戻す。
「当然のことをしているだけです」
「当然のことをできる人は少ないよ」
セージが微笑む。
そのやり取りを見て、ミントはふと気づく。
(この二人、信頼してるんだ)
王太子と宮廷薬師。
それ以上に、同じものを守った仲間の距離。
言葉にしなくても伝わる関係が、そこにある。
ミントの胸の奥が、少しだけ温かくなる。
そして同時に、少しだけ怖くもなる。
(私は、そこに入っていけるのかな)
そんな不安が、また小さく芽を出す。
◇
セージは短く会議に目を通し、最後に言った。
「偽薬の件は、必ず止める。
王家としても、商会と貴族派の動きを押さえる。
ミント、君には無理をさせたくないが……君の知恵が必要だ」
「はい」
ミントは頷いた。
「できる限り、協力します」
セージが部屋を去ると、会議室はまた現実の匂いに戻った。
ホップが眉を押さえる。
「……さて、やることは山だ」
サフランが立ち上がる。
「俺は流通経路の現場を当たる」
リリーがすぐに言う。
「私は家に連絡を入れます。
父に会い、商会との繋がりを確認しますわ」
ミントも、息を吸った。
「私は、偽薬の判別方法をまとめます。
王都の医師や薬師、庶民にもわかる形で」
ホップが頷く。
「頼む。君の言葉は、庶民に届く」
その言葉が、ミントの胸に刺さる。
届く。
届くから、怖い。
届くから、責任がある。
でも、逃げない。
◇
夜。
宮廷薬師団の資料室は、昼間より冷えた。
棚の木の匂い。
古い紙の匂い。
インクの痕が残る空気。
ミントはホップに案内され、分厚い記録の束を前にしていた。
「これが、偽薬関連で上がっている商会の記録だ」
「……すごい量」
「王都はでかいからな」
ホップは苦い笑みを浮かべ、別の棚から一冊を引き抜く。
「それと、こっちが……前の事件の関連資料。
念のため、見ておけ」
前の事件。
第二王太子クローブ。
夜哭百合。
王太子毒殺未遂。
胸の奥が冷える。
ミントはページをめくった。
名前、名前、名前。
貴族、薬師、商会。
細かな記録が、紙の上で絡み合う。
その中で――。
ミントの指が、ある名前の上で止まった。
“元側近 ○○(植物名の男)”。
クローブの元側近。
そして、その名の隣に記された取引記録の断片が――偽薬の流通ルートで出てきた商会名と、微妙に重なっている。
たった一行。
たった一つの一致。
でも、背筋がぞくりとした。
「……ホップさん」
声がかすれた。
「どうした」
ミントは指先でその行をなぞる。
「これ……クローブ殿下の元側近の名前、ですよね」
「……そうだ」
ホップの表情が、硬くなる。
「なんで、今ここで出てくる」
ミントの心臓が、嫌な音を立てた。
王都の光は、確かに眩しい。
王城の白い石は、国の希望だ。
でもその光の下には、影がある。
そして影は、消えたふりをして、まだ生きている。
ミントは、その影の冷たさを指先で触ってしまった。
不穏な旗が静かに立つ。
資料室の窓の外では、王都の灯りが瞬いていた。
美しくて、怖い光だった。
石畳が吐く冷たさ。
高い建物の影が作る薄暗さ。
人の数が多いせいで、匂いが重なって、息を吸うだけで喉が乾く感じ。
馬車の窓からそれを見下ろしながら、ミントは無意識に指先を握りしめていた。
数年ぶり。
王太子セージの命を救うためにこの街へ来た、あの時以来。
あの日の王都は、雨は降っていなかったのに、ミントの心の中はずっと雨だった。
冷たい視線。
田舎娘という言葉。
肩書きのない自分が、王城の前で縮こまっていた感覚。
それが、いま。
「……見えた」
隣でサフランが短く言う。
窓の先に、王城の外壁が現れた。
太陽を受けて白く光る石。
高く、分厚く、揺るがない“国の顔”。
そして、その手前に立ちはだかる城門。
ミントの心臓が、どくんと鳴った。
(あの門)
追放された日の門ではない。
でも、同じ“境界”の門だ。
ここをくぐると、もう引き返せない気がする。
馬車が止まる。
護衛が外へ出て、門番に声をかける。
門番の視線が、馬車の中へ向けられた。
ミントは息を呑んだ。
(また、あの目を向けられる?)
でも、門番の表情は違った。
確認する目。
そして、次の瞬間。
護衛が差し出した札を見て、門番が背筋を伸ばす。
「王家特認薬師ミント・フェンネル殿の入城を確認。通行を許可する」
その声は、はっきりしていて、揺るがなかった。
ミントの胸の奥が、じわっと熱くなる。
“王家特認”。
言葉は重い。
重いからこそ、今は盾になる。
城門が、ゆっくり開いた。
鉄の音。
石の擦れる音。
それは、まるで“世界が扉を開ける音”だった。
ミントは、背筋を伸ばした。
堂々と――とまではいかない。
でも、逃げない姿勢で。
馬車が門をくぐり、王城の敷地へ入る。
石畳の上を進む振動が、身体の芯まで伝わった。
(私は、帰ってきたんじゃない)
(私は、来たんだ)
今度は“守られる側”じゃなく、“守るため”に。
◇
宮廷薬師団棟の前は、やたら忙しそうだった。
薬草の入った木箱が運び込まれ、書類を抱えた薬師たちが早足で行き交う。
いつもなら漂うはずの薬草の穏やかな匂いが、今日は焦げた紙みたいに乾いて感じる。
ミントが馬車を降りると、すぐに視線が集まった。
数年前と同じように、好奇と警戒と、微かな侮蔑が混じった視線。
でも、違う。
あの時みたいに、声に出して笑う者はいない。
状況がそれを許していないから。
偽薬問題が、王都の喉元に刃を突きつけているから。
「ミント殿!」
廊下の奥から、ばたばたと走ってくる影。
宮廷薬師長ホップだった。
相変わらず髪はぼさっとしていて、白衣の裾は少し汚れている。
でも目だけは、鋭い。
今の王都に必要な“頭”の目。
「来てくれたか!」
ホップは息を整える間もなく、ミントの手を取って握った。
「……ありがとう。いや、本当に、助かる」
その言葉が、やけに生々しい。
“歓迎”というより、“救い”の声。
ミントは小さく頷いた。
「被害が広がっていると聞きました。私にできることがあるなら」
「ある。君の視点が、今、王都に一番必要だ」
ホップはそれを、迷いなく言い切った。
ミントの胸の奥が、少しだけ軽くなる。
必要とされることは、怖いけど、救いでもある。
廊下を歩きながら、ホップは周囲を軽く睨むように見回した。
「お前たち、見世物じゃないぞ。仕事しろ」
薬師たちが慌てて散る。
その中に、ひとりだけ小さく鼻を鳴らした男がいた。
「田舎娘が来たところで、何が変わる」
声は小さい。
でも、耳につく小ささ。
サフランが一瞬で反応しかけたのを、ミントが袖で止めた。
ホップが振り向き、冷たい声で言う。
「変わる。だから呼んだ。
もし変わらないと思うなら、お前は今すぐ自分の分析結果を私に提出しろ。
出せないなら、口も出すな」
男はぐっと黙った。
ミントは、ホップの横顔を見てしまう。
(ホップさん、疲れてる)
でも、疲れた顔のまま戦っている。
誰かがここで踏ん張らないと、王都は崩れる。
その責任を、彼は一人で背負っている。
ミントは息を吸った。
(私も、背負う側に立つ)
そう決めた。
◇
会議室。
長机の上には、瓶、報告書、流通図、被害者の記録。
白い紙が積み上がり、インクの匂いが濃い。
ホップが指で机を叩く。
「まず、現状だ」
壁に貼られた図を示す。
「偽ミント薬は、単一ルートじゃない。
商会から表市場へ流れるルート。
裏市場から路地裏へ流れるルート。
そして――貴族サロンに直接入り込んでいるルート」
ミントの背筋がぞくりとした。
「貴族サロン……?」
「そうだ」
ホップの声は苦い。
「“田舎の奇跡薬師”という噂が、貴族の遊びにされた。
病を治す薬ですら、見栄と流行の道具になる」
机の端に座る薬師が、苛立ちを隠さず言う。
「貴族は“特別な薬”が好きだ。
だから偽物でも“特別”に見えれば買う。
そして被害が出れば、責任は弱いところへ落ちる」
弱いところ。
つまり、ミント。
ミントは息を詰めた。
ホップが続ける。
「成分は複数パターン確認されている。
つまり製造元は一つではない。
“ミントの処方を真似して作る”というテンプレが、各地に拡散した可能性が高い」
ミントは、静かに質問した。
「……誰が、テンプレを流したんですか」
その問いに、会議室が一瞬静まる。
ホップが、紙を一枚抜いて示した。
「ここが問題だ。
偽薬の流通に関わる商会の一つが、“バジル伯爵家と繋がりがある”と報告されている」
その瞬間。
リリーが、わずかに肩を震わせた。
「……っ」
顔色が白くなる。
唇がきゅっと結ばれる。
ミントは横目で見ながら、胸が痛む。
(名前が利用されてる)
(本人が関わってなくても、家の名は勝手に使われる)
リリーは、絞り出すように言った。
「それは……確定ですの?」
「確定ではない」
ホップが即答する。
「だが、“名前が利用されている可能性”は高い。
バジル伯爵家の紋章を思わせる印が、取引記録に残っている」
リリーの指先が、膝の上でぎゅっと握られる。
誇りが傷つく音が、聞こえる気がした。
サフランが淡々と口を挟む。
「だからこそ、リリーもここにいる」
リリーがきゅっと顔を上げる。
「ええ。……調べますわ。
父にも、家にも、逃げられないように問い詰めます」
言葉は強い。
でも、その強さの奥に、怖さが滲む。
ミントは、胸の奥で小さく息を吐いた。
三人の立ち位置が、ここでも浮き彫りになる。
ミントは“名前を取り戻す側”。
サフランは“守る側”。
リリーは“名を守るために戦う側”。
同じ目的に見えて、動機が違う。
その違いが、火種にも、助けにもなる。
◇
会議の途中、扉がノックされた。
「ホップ、今いいか」
聞き慣れた柔らかな声。
部屋の空気が、一段だけ変わった。
王太子――セージ。
以前よりも顔色は良い。
でも、目の奥には“国を背負う者”の影がある。
彼が入ってきた瞬間、薬師たちが立ち上がり、頭を下げた。
リリーも立ち上がり、完璧な礼をする。
ミントは一拍遅れて、でもきちんと頭を下げた。
「ミント」
セージは、ミントの名を優しく呼んだ。
「また来てくれたんだね」
その言葉は、歓迎というより、申し訳なさが混じっていた。
「君にばかり負担をかけてしまっている」
ミントは慌てて首を振る。
「そんな……私は、自分の意思で来ました」
「それでも、だ」
セージは苦笑する。
「王家が守るべき市井の薬師に、王都の問題を持ち込んでいる。
……本来なら、僕たちが先に止めるべきだった」
その謝罪の形が、王太子としてではなく“個人”のものに見えて、ミントの胸がきゅっとなる。
「殿下」
ミントは小さく息を吸う。
「私は、王都が嫌いになりたくないんです。
ここには、苦い思い出もあるけど……
それでも、救える人がいるなら、私は薬師として来ます」
セージの目が、少しだけ柔らかくなる。
「……君らしい」
そして、セージは視線をサフランへ向けた。
「サフラン」
「はい」
「ミントのそばにいてくれてありがとう」
それは命令でも、褒美でもなく、静かな礼だった。
サフランは一瞬だけ表情を崩し、すぐにいつもの顔に戻す。
「当然のことをしているだけです」
「当然のことをできる人は少ないよ」
セージが微笑む。
そのやり取りを見て、ミントはふと気づく。
(この二人、信頼してるんだ)
王太子と宮廷薬師。
それ以上に、同じものを守った仲間の距離。
言葉にしなくても伝わる関係が、そこにある。
ミントの胸の奥が、少しだけ温かくなる。
そして同時に、少しだけ怖くもなる。
(私は、そこに入っていけるのかな)
そんな不安が、また小さく芽を出す。
◇
セージは短く会議に目を通し、最後に言った。
「偽薬の件は、必ず止める。
王家としても、商会と貴族派の動きを押さえる。
ミント、君には無理をさせたくないが……君の知恵が必要だ」
「はい」
ミントは頷いた。
「できる限り、協力します」
セージが部屋を去ると、会議室はまた現実の匂いに戻った。
ホップが眉を押さえる。
「……さて、やることは山だ」
サフランが立ち上がる。
「俺は流通経路の現場を当たる」
リリーがすぐに言う。
「私は家に連絡を入れます。
父に会い、商会との繋がりを確認しますわ」
ミントも、息を吸った。
「私は、偽薬の判別方法をまとめます。
王都の医師や薬師、庶民にもわかる形で」
ホップが頷く。
「頼む。君の言葉は、庶民に届く」
その言葉が、ミントの胸に刺さる。
届く。
届くから、怖い。
届くから、責任がある。
でも、逃げない。
◇
夜。
宮廷薬師団の資料室は、昼間より冷えた。
棚の木の匂い。
古い紙の匂い。
インクの痕が残る空気。
ミントはホップに案内され、分厚い記録の束を前にしていた。
「これが、偽薬関連で上がっている商会の記録だ」
「……すごい量」
「王都はでかいからな」
ホップは苦い笑みを浮かべ、別の棚から一冊を引き抜く。
「それと、こっちが……前の事件の関連資料。
念のため、見ておけ」
前の事件。
第二王太子クローブ。
夜哭百合。
王太子毒殺未遂。
胸の奥が冷える。
ミントはページをめくった。
名前、名前、名前。
貴族、薬師、商会。
細かな記録が、紙の上で絡み合う。
その中で――。
ミントの指が、ある名前の上で止まった。
“元側近 ○○(植物名の男)”。
クローブの元側近。
そして、その名の隣に記された取引記録の断片が――偽薬の流通ルートで出てきた商会名と、微妙に重なっている。
たった一行。
たった一つの一致。
でも、背筋がぞくりとした。
「……ホップさん」
声がかすれた。
「どうした」
ミントは指先でその行をなぞる。
「これ……クローブ殿下の元側近の名前、ですよね」
「……そうだ」
ホップの表情が、硬くなる。
「なんで、今ここで出てくる」
ミントの心臓が、嫌な音を立てた。
王都の光は、確かに眩しい。
王城の白い石は、国の希望だ。
でもその光の下には、影がある。
そして影は、消えたふりをして、まだ生きている。
ミントは、その影の冷たさを指先で触ってしまった。
不穏な旗が静かに立つ。
資料室の窓の外では、王都の灯りが瞬いていた。
美しくて、怖い光だった。
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無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
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王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
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ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。
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