妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第11話 母の箱、未来の刃

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 その扉の前に立つと、いつも呼吸が浅くなる。

 王城の奥。
 人があまり通らない回廊の先。
 厚い石壁に囲まれた、保管庫へ続く扉。

 母が死んでから、この場所は“触れてはいけない過去”になった。
 父はここを閉じ、宰相は鍵を増やし、侍女たちは噂だけを残して口をつぐんだ。
 悲しみを、政治の都合で封じる。王城はそうやって平気な顔をする。

 でも私は知っている。
 封じた過去は、腐る。
 腐ったものは、いつか国を内側から溶かす。

 私は扉の鍵穴に、細い鍵を差し込んだ。
 ユリウスが手配してくれた鍵だ。
 彼は理由を聞かなかった。聞かないで動いてくれるのが、誠実な人間の強さだ。

 カチリ。
 音がした瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。
 鍵の音って、思った以上に暴力的だ。
 閉じてきたものを、開ける音だから。

 扉を押す。
 重い。
 空気が湿っていて、指先に冷たさがまとわりつく。

「姫殿下……本当に、入られるのですか」

 ルーナが小声で言った。
 彼女の手には灯り。
 火が揺れ、壁に影が踊る。

「入る。……ここに答えがある」

 答え。
 母の死の答え。
 私が死ぬ未来の答え。
 そして、この国がどこから歪んだのかの答え。

 保管庫の中は、香木の匂いがした。
 でもそれは、王城の廊下に漂う甘い香りじゃない。
 乾いた香木と、古い布の湿り気と、箱の木の匂いが混じった、時間の匂い。

 母の匂いに似ている。
 母が髪に焚きしめていた香と、同じ種類。

 私は一歩踏み出した。
 床板がぎし、と鳴る。
 その音が、まるでこの場所が「よく来たね」と言っているみたいで、喉の奥が熱くなった。

「ここ……ずっと閉じられていたのに……」

 ルーナが呟く。
 彼女も母の死を知っている。でも当時は侍女見習いで、遠くから見るしかなかった子だ。
 彼女の声は、怖さと、好奇心と、哀しみが混じっている。

「そう。閉じられていた。……閉じたかったんだろうね、みんな」

「……姫殿下」

 ルーナが何か言いかけて、飲み込んだ。
 言葉にしたら泣いてしまうのを、彼女は分かっている。

 棚が並んでいる。
 箱。箱。箱。
 一つ一つに封印の蝋と王家の印。
 母の衣装、手袋、扇、書簡、日用品。
 それらがきれいに整列しているのが、逆に怖い。
 死を“整理”している。
 ここには生々しさがない。
 生々しさがないから、余計に痛い。

 私は棚の前で立ち止まり、指先で封印の蝋を撫でた。
 冷たい。
 そして硬い。
 硬いのに、少しだけ指が震える。

 母の最後の顔が、脳裏をよぎる。
 白い頬。
 薄い笑み。
 「大丈夫」と言った唇。
 あの“強がり”の笑顔は、私を守るためだったのだろうか。
 それとも、私に真実を見せないためだったのだろうか。

「姫殿下……こちらに、お名前が」

 ルーナが箱の札を指差す。
 そこには母の筆跡で、短く書かれていた。

『Aurelia』

 アウレリア。
 母の名。
 文字の癖まで、胸に刺さる。
 少し右上がりで、でも線が細くて、強い。
 優しさの中に、刃がある筆跡。

 私は息を吸い、封印を剥がした。
 蝋が割れる音。
 その音が、私の中の何かを割る。

 箱の蓋を開けると、古い布の湿り気がふわりと上がった。
 そこには母の手袋、髪飾り、細い日記帳、そして――紙束。

 紙束は、布で包まれ、糸で結ばれていた。
 その結び目が丁寧すぎて、泣きたくなる。
 母は最後まで、整えようとしたのだ。
 自分の死のあとも、娘たちが迷わないように。

 私は糸をほどき、紙束を広げた。

 最初に見えたのは、日記の切れ端だった。
 断片的な文章。
 それでも、母の声が聞こえるみたいに生々しい。

『王は優しい。優しいからこそ決断できない』
『決断できない者の隣で、宰相が育つ』
『娘たちは、役割に殺される』

 私は息を止めた。
 母は、全部見ていた。
 父の弱さも。
 宰相の増長も。
 そして、娘たちがどう壊れていくかも。

 ページをめくる。
 そこに、見慣れない表が現れた。

『薬草 禁制リスト』

 薬草名。
 用途。
 致死量。
 症状。
 “病死に見せかける可能性”。
 そして最後に、小さな文字で注釈。

『宰相府は薬草流通を握っている。監査を外部化せよ』

 私は喉の奥がひりついた。
 毒の夜の記憶が、ここで一気に輪郭を持つ。
 あの甘いワイン。
 遅効性。
 喉の焼け。
 病死に見える――。

「……姫殿下、これ……」

 ルーナの声が震える。
 彼女も表を覗き込み、顔色を変えた。
 このリストは、ただの薬草の知識じゃない。
 “誰かがこういうことをする”という前提で作られている。

「母上は……未来を見てた」

 私は呟いた。
 未来を知っていたわけじゃない。
 でも、人間の動きと権力の癖を見抜いていた。
 見抜いていたから、制度を作ろうとした。

 紙束の次のページ。
 そこには、制度案が書かれていた。

『王配(女王の夫)に政治権限を与えない』
『軍への命令権は女王単独』
『宰相の任命・解任権を女王に帰属』
『監査機構は王家から独立させる』
『王太子の権限は段階的に制限する』

 私は息を呑んだ。
 母は、この国の未来を“女王が立つ国”として想定している。
 そして、その未来で必ず起きる問題を見ている。

 女王が生まれる国には、男が寄りかかる。
 寄りかかり、女王の権力を“自分のもの”のように扱う。
 それを止めるには、愛や信頼では足りない。制度で支えを断つ必要がある。

 母は知っていた。
 愛は変わる。
 人は変わる。
 でも制度は、少なくとも“変えようとする意思”がなければ変わらない。

「……お母様、怖かったんだ」

 私はぽつりと言った。
 声が震えた。
 震えを止められなかった。

「姫殿下……」

 ルーナが心配そうに私を見る。
 私は首を振った。大丈夫、と言いたかった。
 でも大丈夫じゃない。
 だから、正直に言う。

「母上は、私たちを守ろうとしてた。父上からも、宰相からも……この国の鈍い牙から」

 鈍い牙。
 噛み砕くのではなく、ゆっくりと肉を削る牙。
 優しさや礼儀の形をして、気づいた時には骨だけ残す牙。

 私は次の紙をめくった。
 そこには、母の手紙があった。
 宛名がない。
 ただ、最初の一行だけが、胸を刺す。

『セレスティアへ』

 私は瞬きを忘れた。
 紙が揺れ、文字が滲む。
 泣いているわけじゃないのに、視界が滲む。
 胸の奥が痛すぎて、目が熱くなる。

 私はゆっくり読み進めた。

『あなたは強い子だと思われているでしょう。
 でも、強い子は一番孤独です。
 孤独な子は、優しさを“譲ること”だと勘違いする。
 譲ることでしか愛されないと思い込む。
 それは違う』

 私は唇を噛んだ。
 母は私を見ていた。
 私がいつも、何かを譲ってしまう癖を。
 譲って笑って、心の中で泣く癖を。

『あなたが王になるなら、あなたは誰かに寄りかからせてはいけない。
 寄りかかられたら、あなたは倒れる。
 倒れたら、あなたの代わりに誰かが王座に座る。
 その誰かは、あなたの大切なものを守らない』

 喉がひりつく。
 毒の味が思い出される。
 母の言葉が、まるで予言みたいに刺さる。

『だから、制度を作りなさい。
 綺麗事を守るために、冷たい仕組みを作りなさい。
 優しさで守ろうとすると、優しさは利用される。
 利用されない形にして、初めて優しさは生き残る』

 私は手紙を握りしめた。
 紙が皺になる。
 母の文字が歪む。
 歪んでもいい。
 私は今、感情を持っている。
 感情があるから、守れる。

「……お母様」

 声が出た。
 情けない声。
 王女の声じゃない。
 娘の声。

「なんで……なんで、置いていったの……」

 泣きたくなる。
 でも泣いたら終わる気がした。
 泣いたら、私はまた“守られる側”に戻ってしまう。
 母に寄りかかりたくなる。
 もういないのに。

 ルーナがそっと近づき、私の背中に手を置いた。
 温かい。
 その温かさが、私を現実に引き戻す。

「姫殿下……王妃様は……きっと」

「分かってる」

 私は息を吸って、言葉を切った。
 分かってる。
 母は死にたくて死んだわけじゃない。
 だから、この箱は“遺言”じゃない。
 “置き土産”だ。
私たちが生き延びるための、刃。

 私は手紙を丁寧に畳み、紙束をもう一度確認した。
 禁制薬草リスト。
 制度案。
 監査機構の草案。
 宰相府の動線に関するメモ。
 母は――宰相を疑っていた。
 疑った上で、証拠を集め、制度を作ろうとしていた。

 つまり母は、戦っていた。
 笑顔の裏で。
 王妃としての礼儀の裏で。

 私は胸が苦しくなる。
 母は一人で戦って、そして死んだ。
 なら私は、一人で戦わない。
 味方を作る。制度を作る。
 母が果たせなかった“未来”を、今世で完成させる。

「ルーナ」

「はい」

「この箱のことは、誰にも言わないで。父上にも。宰相にも。……もちろん、妹にも」

 ルーナの顔が引き締まる。

「承知いたしました」

「そして、これを写す。二部。ひとつは私。ひとつは……ユリウス卿に預ける」

「ユリウス卿に……?」

「うん。もし私が消えても、母の刃が残るように」

 ルーナの目に涙が浮かんだ。
 彼女は言い返したいのだろう。消えないで、と。
 でも彼女は、今の私の決意を壊さない。
 それが彼女の強さだ。

「……はい」

 私は箱の中の最後の品を見つけた。
 小さな銀の指輪。
 内側に刻まれた文字。

『To my daughters. Live.』

 娘たちへ。生きろ。
 たったそれだけ。
 でも、それが母の全部だ。

 私は指輪を掌に乗せた。
 冷たい銀が、肌の熱で少しずつ温まる。
 母の温度が、時間を越えて戻ってくるみたいで、胸が裂けそうだった。

「……生きる」

 私は呟いた。
 それは誓い。
 泣かない誓いではない。
 譲らない誓いでもない。

 ただ、生きる誓い。

 保管庫を出ると、廊下の空気が少しだけ軽く感じた。
 手にした紙束が重いのに、心は軽い。
 不思議だ。
 答えに近づくほど、怖さが薄れる。
 怖さは消えない。
 でも怖さに形ができる。形ができれば、斬れる。

 私は歩きながら思った。

 母は未来を見ていた。
 未来を恐れていた。
 だから制度で牙を折ろうとした。

 なら私も、折る。
 鈍い牙を。
 優しさの顔をした支配を。
 甘い言葉の檻を。

 母の箱は、過去の匂いをしていた。
でも中身は、未来の刃だった。
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