妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第12話 噂の火種を踏み消す

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 噂は、湿った薪に火をつけるみたいに広がる。

 最初は煙だけ。
 「なんか聞いた?」
 「ほんと?」
 そんな軽い息。
 でも、誰かが息を吹きかけ続けると、煙はいつの間にか炎になる。炎は顔を持たないくせに、きちんと狙いを定める。

 朝、ルーナが部屋に入ってきた時点で、私は察していた。
 彼女の歩幅が半歩短い。
 目線が私の顔を避ける。
 侍女が噂を聞いた時の、あの空気。

「姫殿下……」

「言って」

 私は先に言った。
 “聞きたくない”と思わせる隙を与えない。
 噂は、隙間から入る。

 ルーナは唇を噛み、でもまっすぐ報告した。

「王都で……姫殿下の噂が……」

「どんな?」

「……孤児院に入り浸るのは人気取りだ、と。王女の品位がない、と……」

 来た。
 前世と同じ香り。
 違うのは速度だけ。今世の私は動いた。だから向こうも早い。

「他は?」

 ルーナが息を呑む。
 言いにくいものほど、先に言わせる。
 王女の役目は、耳を塞がないことだ。

「……姫殿下の支援先で、小さな揉め事が起きています。施薬院の前で、配給が足りないと……押し合いになって……」

 私は目を閉じずに聞いた。
 喉の奥がひりつく。
 でもこれは毒の痛みじゃない。
 “世界がまた同じ形で私を殺しに来た”という痛みだ。

 前世の私は、この段階で孤立した。
 民に近づいたのに、民の混乱で叩かれた。
 貴族は「だから言っただろう」と笑い、父は「空気が悪い」と眉をひそめ、王太子は「穏便に」と濁した。
 そして私は譲歩した。
 譲歩して、毒を飲んだ。

 でも今世は違う。

 私は机の引き出しから、小さな帳面を取り出した。
 “血の記憶”を書いた日記の横に、別の帳面。
 予定表。
 噂が撒かれるタイミング。
 火種が落ちる場所。
 前世の傷跡を、地図みたいに写したもの。

「……やっぱり今日」

 私は呟いた。
 ルーナが不安げに私を見る。

「姫殿下……どうなさいますか」

「火を消す」

 私は立ち上がった。
 迷っている暇はない。
 迷いは火に油を注ぐ。

「ルーナ、筆記具。あと、配給担当の名簿を。孤児院と施薬院、両方。すぐ」

「はい!」

 ルーナが走る。
 走る侍女は王城では目立つ。
 でも目立っていい。今は。

 私は次に、別の封筒を取り出した。
 ユリウス卿宛の書簡。
 そして、窓辺に小さな石を置く。
 カイへの合図。
 あの影は、合図だけで動く。

 ほどなくしてルーナが戻り、名簿を差し出した。
 私はそこに目を通し、赤線を引く。
 配給担当の名の中に、宰相府の匂いが混じっているはずだ。

「……いた」

 ルーナが覗き込み、顔色を変える。

「この方、宰相府の……」

「うん。火種係」

 私は短く言い、ペンを走らせた。
 ここで大事なのは“犯人探し”じゃない。
 犯人探しは派手で気持ちいい。
 でもそれをやると、相手は尻尾を切る。
 火種係を切って終わりだ。

 必要なのは、火種が燃えない仕組み。

 私はルーナに言った。

「施薬院へ馬車を。私は行く」

「姫殿下! 危険です!」

「危険は向こうから来る。なら、こっちから握る」

 私がそう言うと、ルーナは悔しそうに眉を寄せ、それでも頷いた。

「……護衛を増やします」

「増やして。でも剣を見せないで。今日は剣じゃなくて、パンが必要」

 馬車で王都へ向かう途中、窓の外から声が聞こえる。
 噂はもう、煙ではなく炎になりかけている。

「王女さま、人気取りだってさ」
「孤児院に入り浸り? 品がないよな」
「いい顔して、結局は自分のためじゃねぇの」

 言葉は軽い。
 軽いから、人の心に刺さる。
 重い言葉は身構えるけれど、軽い言葉は気づかないうちに入ってくる。

 施薬院の前は、人だかりになっていた。

 配給の袋を抱えた係員。
 苛立つ民。
 押し合いへし合い。
 泣く子ども。
 そして、その輪の外で妙に落ち着いた男たちが、目だけで火を煽っている。

 ――焚き付け役。

 前世でもいた。
 腕まくりが妙に綺麗で、靴が新しい。
 貧民のふりをした宰相府の手。

 護衛が前へ出ようとする。
 私は手を上げて止めた。

「止めないで。私が行く」

「姫殿下!」

「大丈夫。今日は“怒鳴る日”じゃない。“配る日”」

 私は馬車を降り、人の波の中へ入った。
 ざわめきが一瞬で大きくなる。

「第一王女だ!」
「なんでここに……!」
「人気取りだろ!」

 飛んでくる言葉。
 刺さる。
 でも私は刺さったまま立つ。
 痛みを顔に出さない。
 痛みを出すと、火が燃える。

 私は施薬院の担当者に声をかけた。

「配給量は? 今日の予定数は?」

 担当者は目を見開く。

「え、ええと……予定は二百世帯分で……」

「実際に来たのは?」

「……三百以上です!」

 私は頷いた。
 なるほど。
 火種の形が見えた。
 今日だけ人が多い。誰かが“来い”と煽った。
 来させて、足りないを作って、揉めさせる。
 王女の支援は混乱を生む、と噂を固める。

 私は人々の方を向き、声を張った。
 怒鳴るのではなく、通る声で。

「足りないのは事実です。だから謝ります」

 ざわめきが少し止まる。
 謝る王女は珍しい。
 珍しいことをすると、火は一瞬迷う。

「でも、押し合っても増えません。増やすために、今ここで手続きを変えます」

 焚き付け役の男が口を開く。

「はぁ? どうせ口だけだろ!」

 私はその男を見ない。
 見ると“敵”になる。敵になると、戦いになる。
 今日は戦いじゃない。修正だ。

 私は担当者に指示した。

「今すぐ、配給の列を二つに分けて。子ども連れと、病人優先。名簿を作って、今日来た世帯を記録する。明日、追加分を必ず届ける」

「で、でも……追加分が……」

「私が手配します。今夜、王城の倉から出す。足りない分は買い付ける。ユリウス卿に連絡済み」

 ユリウスの名が出た瞬間、周囲の貴族嫌いの空気が少しだけ変わった。
 カーヴェイン家は“金で遊ばない貴族”として民にも知られている。
 誠実は、こういう時に効く。

 私は続けた。

「そして、今後は“来た人に配る”だけじゃなく、“必要な人に届く”仕組みにします。今日の名簿を基に、定期配給を組み直す。毎週、同じ曜日に、同じ量を。足りなければ増やす」

 民の中から、女の声が上がった。

「……ほんとに? 毎週?」

「ほんと。約束は“紙”にします」

 私はルーナに視線を投げた。
 ルーナがすぐに筆記具を取り出し、簡易の書面を作り始める。
 現場で書面を作る。
 それは“約束”を形にすること。
 形にすれば、噂は溺れにくくなる。

 焚き付け役の男が、苛立ったように舌打ちした。
 彼は火が燃えないことに焦っている。

「こんなの、王女の気まぐれだ! どうせ――」

 その言葉が続く前に、別の声が被った。

「黙れよ!」

 怒鳴ったのは、痩せた男だった。
 服は古い。手は荒れている。
 でも目は真っ直ぐだ。

「足りねぇのは事実だ。でも今、王女が目の前で動いてるだろ。口だけじゃねぇ」

 ざわめきが、別のざわめきに変わる。
 火は一つの方向に燃えない。
 風向きが変われば、炎は弱まる。

 私はそこで、もう一押しする。
 正義ではなく、現実で。

「今日、足りなかった世帯には引換札を渡します。明日、その札と交換で必ず渡す。札の偽造は罰します。……でも、札が必要なほど足りなかったことは、私の責任です」

 人々の目が変わる。
 疑いから、観察へ。
 観察から、期待へ。
 期待が生まれると、暴動は“要求”に変わる。
 要求は交渉できる。
 暴動は燃えるだけ。
 だから、要求に変えれば勝ちだ。

 その時、人混みの端で、黒い影が動いた。

 カイだ。
 彼は焚き付け役の男たちの背後を取っていた。
 何をしたかは見えない。
 でも数分後、煽っていた男の一人が、顔色を変えて離れていく。
 火種が回収される。
 影の仕事は速い。

 配給の列が整い始めた。
 泣いていた子どもが、袋を受け取って黙る。
 母親が何度も頭を下げる。
 私はその頭を下げさせないように、手を振って止めた。

「下げなくていい。受け取って。……生きて」

 言葉が震えた。
 母の指輪の刻印が、胸の中で光った気がした。

 王城へ戻る馬車の中で、ルーナが息を吐いた。
 顔が真っ白だ。

「姫殿下……怖かった……」

「怖かったね」

 私は彼女の手を握った。
 握ると、彼女の指が震えているのが分かる。
 私も震えている。
 でも震えは悪くない。
 怖い場所に立てた証拠だ。

「でも、燃えなかった」

「はい……燃えませんでした」

 その夜、ユリウスから書簡が届く。
 買い付けの手配が完了したこと。
 明日の追加配給が可能であること。
 そして、宰相府の商人が市場で妙な動きをしていたこと。

 同時に、カイからも短い伝言が届いた。

『火種、回収。焚き付け役、宰相府の紐つき。次はもっと露骨に来る』

 私はその紙片を握りしめ、机の上の噂の報告書に目を落とした。

『第一王女は品位がない』
『人気取りだ』
『民に媚びている』

 ――いい。
 噂は好きに言えばいい。
 噂は煙だ。
 私は火を消した。
 煙だけなら、いずれ薄れる。

 翌日、施薬院には追加の配給が届いた。
 引換札の制度が機能し、混乱は起きなかった。
 人々は、昨日より静かに並び、静かに受け取った。
 そして、静かに囁いた。

「……王女さま、本当に動いたね」

 噂の勢いが落ちる。
 代わりに残るのは、事実だ。

 “第一王女は、現場で動いた”
 “第一王女は、手続きを作った”
 “第一王女は、約束を守った”

 それが広がれば、宰相の噂は効きにくくなる。
 なぜなら噂は、空洞にしか入り込めないから。
 現実で埋めれば、噂は居場所を失う。

 私は窓を開け、春の風を吸った。
 喉の奥が少しだけ痛む。
 でもその痛みは、私を怯えさせない。

 ――前世の私が孤立した日。
 ――今世の私は、制度を作った日。

 私は日記帳に一行だけ書いた。

『火は、叫びで消さない。配ることで消す』

 そして、ペンを置いた。
 次の火種は、もっと大きい。
 宰相は必ず、もっと露骨に動く。
 でも私はもう、燃えない。
 燃えない仕組みを、私の手で増やしていく。
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