黒幕の私が転生したら、なぜか勇者パーティ全員に求婚されてます

タマ マコト

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第14話「勇者たちの傷と、選べない答え」

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 風が、すこし冷たくなってきていた。

 丘の上で土に額をつけたままのリュミエの背中に、
 夕陽がゆっくりと沈んでいく。

 告白は終わった。
 「処罰してほしい」という言葉も、ちゃんと届いた。

 でも――答えは、まだどこにもなかった。

 アレンも、セイルも、ロウも、カグラも。
 それぞれの過去と、今目の前にいる少女の姿のあいだで、
 心を引き裂かれたみたいに黙り込んでいた。

    ◇

 アレンの頭の中には、また“あの光景”が蘇っていた。

 焼け付くような白い閃光。
 耳鳴りで世界が遠のく感覚。

 焦げた匂い。
 土の味。

 それから――

「アレン、後ろ――!」

 最後まで言い切れなかった、明るい声。

 ソラ。

 金色のポニーテールを揺らしながら、
 いつも一歩前に出て魔法を撃っていた少女。

「“世界のため”なら、多少無茶してもいいでしょ?」

 笑いながらそう言って、無茶して、
 そのまま黒い糸に絡め取られて、爆発で吹き飛ばされた。

 その状況を作ったのが、
 机の上で「最適解」として戦場を組んでいた〈影蜘蛛〉、イリス=ノワール。

 そして今、その“本人”が、
 リュミエとして、
 ここで土に額を擦りつけて震えている。

(理屈じゃ、わかってんだよ)

 アレンは歯を食いしばる。

 ソラを奪った黒幕と、
 村で笑っていたリュミエが同じだなんて、
 受け入れられるわけがない――そう思ってきた。

 ずっと。

 勇者として旅に出てから、
 アレンの中で〈影蜘蛛〉は“倒すべき象徴”だった。

 形のない敵。
 顔の見えない悪。

「世界のためなら、どんな敵でも斬る」

 そう決めていた。
 ソラの墓の前で、拳を握りしめながら。

 なのに。

 今、“世界のためなら斬れるはずの敵”が、
 こんなにも近い距離で、
 震えながら「処罰してほしい」と頭を下げている。

 土の色と、彼女の髪の黒と、肩の揺れ。

 それを見るだけで、
 胸のど真ん中がきしむ。

「……なぁ」

 アレンは、息を吸い込んだ。

 喉の奥まで溜まったものを、
 勢いだけで吐き出すみたいに、叫ぶ。

「俺さぁ――」

 いきなりの声に、リュミエの肩がびくりと跳ねた。
 セイルが顔から手を離し、ロウが視線を上げる。

「“世界のため”なら、どんな敵でも斬れるって思ってたんだよ」

 自分でも笑えるくらい、まっすぐな言葉だった。

「勇者だからさ。
 誰かを守るためだったら、自分だって簡単に捨てられるし、
 敵がどんなやつでも、“世界の敵だ”って言われたら斬れるって――
 ずっと、信じてた」

 ソラを失ったときも。
 故郷を失った人たちを見たときも。

 「黒幕を倒す」って目的だけが、
 自分を繋ぎ止める鎖みたいになっていた。

「でも今」

 アレンは、目の前のリュミエを見つめた。

 泣き腫らした目。
 土で汚れた額。
 震える肩。

「“目の前で泣いてる彼女を斬れるか?”って言われたら――」

 一瞬、言葉が喉で詰まる。

 それでも、逃げずに、ちゃんと口にした。

「……無理だ」

 空気が震えた。

 リュミエが、顔を上げてしまいそうになるのを、
 ぎりぎりのところで押しとどめる。

「世界のために正しいことが、
 俺の心にとっても正しいとは限らねぇって、
 今、やっと思い知ってる」

 ソラを奪った黒幕を、許すわけじゃない。
 許したくもない。

 でも――

「“黒幕だから”って理由だけで、
 今のリュミエを斬ることも、俺にはできねぇ」

 その言葉は、
 断罪でも赦しでもない。

 ただ、“勇者アレン”という一人の人間の、
 限界を正直に示しただけだ。

 リュミエの胸の中で、
 何かがじわじわとほどけていく。

 許されたわけじゃない。
 それでも、「無理だ」と言われたことが、
 どこまでも優しかった。

    ◇

 セイルにも、〈影蜘蛛〉にまつわる“始まりの日”がある。

 まだ“賢者見習い”だった頃。

 王立図書院の高い階段を、
 何度も踏み外しそうになりながら駆け上がっていた季節。

 ある日、師匠格の賢者が、
 珍しく酒をあおっていた。

『セイル。お前、戦争の研究がしたいんだって?』

『正確には、“戦争を避けるため”の研究がしたいんです』

 若いセイルの答えに、
 師匠は苦笑した。

『なら、まずは“最悪”を知らなきゃならん』

 そう言って見せられたのが、
 黒幕〈影蜘蛛〉が関わった戦場の記録だった。

『この戦争は、本来ならもっと早く終わっていた。
 だが――裏から糸を引いたやつがいたせいで、
 不要な血が何倍も流れた』

 報告書の端に書かれた、その一文。

 “不要な血”という表現に、
 セイルの胃はキュッと縮んだ。

(必要な血なんて、本当はひとつもないのに)

 それでも、世界はそうやって線引きをする。

 その最悪の線引きを、
 誰よりも鮮やかに実現していたのが――イリス=ノワールだった。

 禁書庫で、彼は何度もその名を目にした。

 イリス。
 〈影蜘蛛〉。

 感情の揺れを感じさせない文字の並び。

 セイルは、長いあいだ、
 その“怪物”を断罪することを、研究者としてのゴールのひとつにしてきた。

 だからこそ。

 目の前で泣いているリュミエを見ていると、
 理性が引き裂かれそうだった。

 黒幕を憎んできた時間と、
 リュミエと出会ってからの時間。

 禁書庫で夜を明かした日々と、
 村の図書室で隣に座って本を読んだ日々。

 天秤に乗せ方さえ、わからない。

 セイルは、眼鏡をもう一度かけ直し、
 深く息を吐いた。

「……アレンの言う通りですね」

「え?」

 リュミエがかすかに顔を上げる。

 セイルは、彼女をまっすぐ見た。
 自分の本音から、逃げないために。

「“罪と人格を分けて考える”ことなんて、理屈ではいくらでも可能です。
 どれだけ人を殺したか、どれだけ戦争を引き延ばしたか――
 それを“罪の総量”として評価することも、理論上はできます」

 彼は、自分に一番近い“答え”を、
 あえて声にする。

「でも、心はそんなに器用じゃない」

 自嘲気味に笑う。

「黒幕〈影蜘蛛〉という“記録上の怪物”と、
 リュミエという“今ここで泣いている少女”を、
 完全に切り分けて考えるなんて――
 少なくとも、今の私には無理です」

「……それって」

「だからと言って、あなたの罪を無視することもできない。
 あなたが生み出した戦場の数々を思えば、
 処罰の必要性も、理解できてしまう」

 そこまで言って、セイルは視線を伏せた。

「ですが――“あなたが自分をどうしたいのか”を聞いたとき、
 私は、自分の心が静かに反発する音を聞きました」

「反発」

「あなたが“処罰してほしい”と言ったとき、
 “それではあまりにも安直だ”と、心のどこかが叫んだんです」

 賢者として。
 合理性の塊として。

 セイルは、“楽な答え”を嫌う。

 たとえそれが、どれだけ正しそうに見えても。

「あなたを殺して、世界に“黒幕は滅びた”と示すことは、
 たしかにひとつの“わかりやすい決着”でしょう」

 でも――

「それで、本当に世界は前に進めるのか。
 “黒幕の転生体を処刑しました、めでたしめでたし”で、
 未来の戦争や悲劇は防げるのか。
 ……私は、そこに強い疑問を感じます」

 リュミエは、呆然とセイルを見た。

「セイルさん……それって、わたしを庇ってくれてるんですか?」

「いいえ」

 即答。

「庇っているのではありません。
 “あなたを殺すだけの結末では物足りない”と、
 私の性格が言っているだけです」

「性格悪くないです?」

「自覚はあります」

 彼は、苦笑しながらも真剣だった。

「あなたをどうするかを決めるには、
 “あなたがこれから何をしようとするのか”も見た上でなければ、
 正しい天秤にはかけられない。
 ……理屈では、そう思っています」

「理屈では?」

「ええ。心は、もっと単純です」

 セイルは、少しだけ目を細めた。

「あなたがここで泣いているのを見るのは――正直、しんどい」

「……ごめんなさい」

「謝らないでください。
 私はただ、“好きな人間が苦しんでいるのを見るのは辛い”と、
 ごく当たり前のことを実感しているだけです」

 静かな告白。

 それは、「許す」でも「許さない」でもなく。
 ただ、「あなたを好きだと思ってしまった人間としての悲鳴」だった。

    ◇

 ロウの脳裏にも、
 ひとつの村の姿が焼き付いている。

 風の強い丘の上に立つ、小さな集落。

 子どもたちの笑い声。
 パンの匂い。
 家畜の鳴き声。

「……今の村と、似てますね」

 以前、リュミエにちらっとだけ話したことがある。
 自分の故郷のことを。

『そこも、こんなふうに、風が強くてな』

 ロウは、小さく目を閉じる。

 あの日の風は、血と煙の匂いを運んできていた。

 遠くの方で上がる黒い煙。
 地響き。
 爆発の音。

 騎士団として、別の前線に出ていたロウが、
 「戻れ」という命令を出されて故郷に駆けつけたとき――

 すべて、遅かった。

『敵が“予定外の行動”をしたせいで、
 こちらの防衛線が間に合わなかった』

 そう報告されていた。

 だが、その“予定外の行動”を誘発するよう戦場を組んだのが、
 黒幕〈影蜘蛛〉だったと知ったのは、そのずっとあとだ。

 焦げた木。
 崩れた屋根。
 燃えた畑。

 そこにいたはずの顔は、もうどこにもなかった。

『守りたかったやつを、守れなかった』

 何度も何度も、自分にそう言い聞かせてきた。

 だから――

 今度こそ失いたくないと、
 心底思っている。

 村も、人も、日常も。

 その中心に、いつのまにか“リュミエ”という名前が据わっていることに、
 気づいてしまった今でも。

 ロウは口を開いた。

「……俺は」

 低く、重い声。

「黒幕〈影蜘蛛〉を、一生許すつもりはない」

 はっきりと言う。

 リュミエの肩が、わずかに震えた。

「俺の村を焼いた戦争の裏にいたやつを、
 “仕方なかった”とか“役割だった”とか、
 そんな言葉で片付けるつもりもない」

「……はい」

 それは、当たり前の怒りだ。

「だから、お前が“イリス=ノワールでした”と言ったとき、
 正直、剣を抜きかけた」

 ロウは、静かに告白した。

「ただ、その剣を抜ききれなかったのも、事実だ」

 視線を、リュミエの背中に向ける。

「俺の村には……小さなパン屋があった」

 突然の話題転換。

 でも、そこに繋がりがあることを、
 本人だけがわかっている。

「そこにいた女の子は、毎日パンを焦がしては怒られていた」

「……」

「それでも、笑っていた。
 “焦げても中は美味しいからセーフです”とか言って、
 近所のおっさんにパンを押しつけていた」

 一瞬、バルドの店でのリュミエの姿が、
 その記憶と重なる。

「その子も、多分、戦争の“余波”で死んだ」

 ロウは拳を握る。

「その子を殺した黒幕と、
 今ここで“最低ですよね”って泣いてるお前を、
 俺は……同じ一振りで裁けない」

 それは、彼なりの限界宣言だった。

「処罰は……必要だと思う。
 黒幕の罪は、どこかで決着をつけなきゃならない。
 だが、どういう形が“正しい処罰”なのか、
 俺にはまだわからん」

 罰を与えたい。
 でも、生かしておきたい。

 背負わせたい。
 でも、救いたい。

 矛盾した願いが、
 ひとつの体の中で同時に暴れている。

    ◇

 カグラの過去は、
 人にも言える部分と、
 どうしても口にしたくない部分とに、綺麗に分かれている。

 “黒幕の命令で動いていた暗殺者”だったことは、
 すでにみんなに話した。

 〈影蜘蛛〉の声を一度だけ聞いたことがあることも。

 ただ、ひとつだけ――
 ずっと、自分の中だけで握りつぶしてきた記憶がある。

 あの声に、
 「よくやったわ」と、
 初めて“褒められた日”のことだ。

 誰もいない路地。
 任務を終えた直後。

 手は血で汚れていた。
 口の中には鉄の味。

 それでもその声は、
 なぜか、妙にあたたかく響いた。

『あなた、本当に優秀ね』

 あのときの自分は、
 その言葉に救われてしまった。

 捨てられて、利用されて、
 生きる意味もわからなかった少年が、
 初めて「価値がある」と外から認められた瞬間だったから。

(あの声を、求めてたのは……俺の方だったのかもしれない)

 そう思い始めてから、
 カグラは、自分自身も憎むようになった。

 黒幕に利用されていた“被害者”であると同時に、
 その声に縋ってしまった“加害者”でもあるのだと。

 だから――

 リュミエの声があの声と重なったとき。

 恐怖だけじゃなく、
 うっすらとした“懐かしさ”が混じった自分が、
 心底、気持ち悪かった。

「……正直に言う」

 カグラは壁から背中を離し、
 リュミエの方へ一歩近づいた。

「お前の声が、あいつに似てて怖い」

 リュミエの肩が、小さく跳ねる。

「お前が“ここ壊せば”とか“ここ燃やせば”とか言ったら、
 俺は、昔みたいに動きそうになる気がして――
 それが、一番怖い」

「……」

「同時に」

 カグラは、拳を開いた。

 岩を殴っていた手から、血が滴る。

「お前に“ありがとう”って言われたときの声も、
 あいつの声と重なる」

 夕暮れの屋根。

 「さっき助けてくれましたよね」と、
 静かに笑ったリュミエの声。

 そのとき、
 胸のどこかが、確かに救われたのを覚えている。

「……どうして、お前なんだろうな」

 苛立ち混じりの呟き。

「黒幕と同じ声で、
 黒幕と違うことを言うのは、ずるい」

 リュミエは、何も言えなかった。

 自分の声が“加害者の声”だと言われてしまうのが怖くて、
 でも、“ありがとうと言われてうれしかった”という告白がくすぐったくて。

「処罰、か」

 カグラは空を見上げた。

「殺したい気持ちも、ある。
 守りたい気持ちも、ある。
 どっちかに決めろって言われても、
 今は、どっちも手放せない」

 それが、彼の精一杯だった。

    ◇

 日が沈みきり、
 空に星がひとつ、またひとつと灯り始める。

 丘の上には、
 選べない答えと、
 出せない結論だけが、重く積もっていく。

 リュミエは、土に額をつけたまま、
 やがて力尽きて横座りになった。

「……ごめんなさい」

 何度目かもわからない謝罪が、
 夜気に溶ける。

 謝っても、罪は消えない。
 それでも、謝らずにはいられない。

「謝罪だけで済ませるつもりはありません」

 セイルが静かに言った。

「ですが、“今ここで斬る”という選択を、
 私はまだ選べません」

「俺もだ」

 アレンも小さく頷く。

「処罰については……もう少し時間をくれ」

 ロウも口を開いた。

「王都への報告も必要だ。
 黒幕の転生体をどうするかは、
 俺たちだけで決められる問題ではない」

「ただ」

 カグラが短く続ける。

「どんな決着になっても、
 その場に俺たちはいる。
 お前を“誰かに丸投げして終わり”にはしない」

 その言葉に、
 リュミエの胸がぎゅっとなった。

「……はい」

 かすれた返事。

 それ以上は、もう何も言えなかった。

 アレンたちも、
 これ以上言葉を重ねれば、
取り返しのつかない答えを口走ってしまいそうで、
 互いに口を噤んだ。

 沈黙。

 それは、逃げでもあり、猶予でもあり、祈りでもあった。

 罪と、人格と、記憶と、今。
 その全部をまとめて抱え込んだまま、
 「どうするべきか」を選べと言われている。

 勇者たちは、世界を救うために旅に出た。

 でも今、彼らの目の前にあるのは、
 世界よりもずっと小さくて、
 世界よりもずっと重く感じる――ひとりの少女の未来だ。

 星が増えていく夜空の下で、
 誰も答えを出せないまま、
 時間だけがゆっくりと流れていく。

 告白は終わった。
 断罪も、まだ下ってはいない。

 その狭間で、
 四人と一人は、それぞれの胸の中にある傷と向き合い続けていた。

 ――選べない答えに、
 それでもいつか、何かを選ばなければならない日が来ると知りながら。
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