黒幕の私が転生したら、なぜか勇者パーティ全員に求婚されてます

タマ マコト

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第16話「世界の終わりのカウントダウン」

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 世界の終わりって、もっと静かに来るものだと思ってた。

 空が赤く染まって、鳥が一斉に飛び立って、人々が「何かがおかしい」って気づいて――
 映画のラストみたいに、ドラマチックでわかりやすい“終末”が訪れるんだって。

 現実は、もっと事務的だった。

「……王都からの報告だ」

 昼下がりのパン屋。

 焼きたてのパンの匂いと、
 バルドおじさんの愚痴と、
 ミナの笑い声で満たされていたはずの空間の真ん中に、
 ひとりの騎士が立っていた。

 鎧には王都の紋章。
 肩口の布は、慌ただしく走ってきたせいか、少し乱れている。

 そして、飾り気のない一文が、
 世界の色を変えた。

「世界各地で、同様の魔法陣が起動し始めている」

 パンを並べていた手が止まる。

 バルドおじさんも、粉まみれの手を中途半端に空中で固めた。

「……今、“世界各地”って言いました?」

 リュミエは、思わず聞き返していた。

 騎士は重く頷く。

「北方国境、南の砂漠地帯、西の海辺の都市、東方の山岳地帯……
 報告が来ているだけで十数箇所。
 まだ増える可能性が高い」

 息が、詰まった。

 頭の奥で、見覚えのある地図がぱっと開く。

 赤い印。
 青い線。
 白い部屋の机の上で、何度も見返していた“候補地”の一覧。

(……やった。わたしがやった)

 イリス=ノワールだった頃の自分が、
 世界規模で“遊び場”をマーキングしていた。

 最悪の形で、それが今、全部起動し始めている。

「それって……」

 バルドが恐る恐る口を開く。

「魔物が暴れるってだけじゃ、ないんですよね?」

 騎士の表情が、さらに険しくなった。

「魔物の発生は“表向き”の被害だ。
 真に厄介なのは――この状況が、“どの国が仕掛けたものか判別不能”という点だ」

「判別不能……?」

「北方では『南の陰謀だ』と言い、
 南では『王国の仕業だ』と疑い、
 西の都市国家群は『どこかの覇権国が魔法兵器を試している』と騒ぎ立てている」

 想像が、追いついてしまう。

 各国の王、貴族、軍人たちが、
 「相手が仕掛けた」と決めつければ、
 その瞬間に、戦争の準備が始まる。

 魔物ゲートは、ただの“口実”だ。

 このまま放置すれば――

「世界同時多発パニック、ですね」

 リュミエの口から、ぽろりと出た。

 騎士が目を丸くする。

「その言葉……あなた、何か知っているのか」

「聞いたことがある気がするだけです」

 ごまかしは、薄い。

 自分で自分に、殴りたいほど腹が立つ。

(“世界同時多発パニック計画”――名前のセンス悪すぎない?)

 白い部屋の一角で、
 イリスが淡々と書類にそのタイトルを書き込んでいた記憶が、
 やたら生々しく蘇る。

『いずれ、世界は均衡を求める。
 勇者が魔王を倒せば、次の争いの火種を探す。
 ならいっそ、一度まとめて“崩して”から組み直した方が効率がいい』

 そう言って、細い指で世界地図をトントン叩いていた自分。

 最低。
 ほんとに最低。

 騎士は、胸元から封蝋を割った紙を取り出した。

「……ここで話す内容ではない。
 勇者殿たちも揃っているはずだ。
 広場の集会所に集まってほしいと、王都からの伝達だ」

「王都から、直接?」

「魔導通信を通じて、陛下ご自身のお言葉だ」

 空気が、きゅっと締まる。

 バルドがミナを奥に下がらせ、
 リュミエはエプロンを外した。

 指先が、ほんの少し震えている。

(……来たか)

 黒幕の“遺産”としての自分に対して、
 世界がようやく目を向け始めた。

 世界の終わりのカウントダウンは、
 たぶんもう、とっくに始まっている。

 それでも今はまだ――
 人々はパンを買って、笑って、
 子どもたちは走り回っている。

 その“普通”が、
 砂時計の上に立っているみたいに不安定だと知りながら。

    ◇

 村の集会所。

 粗末な木の机と椅子だけの、小さな空間。

 その真ん中に、
 魔法陣が描かれた円形の石板が置かれていた。

 淡く光る紋。

 そこに、揺らめく光と共に映し出されるのは――
 王都の玉座の間。

 半透明の像。

 王の姿。

 王冠を戴いた男は、
 想像よりも疲れ切った顔をしていた。

 目の下には薄く隈。
 髪には白いものが混じり始めている。

 それでも、その瞳には確かな鋭さがあった。

『勇者アレン、賢者セイル、聖騎士ロウ、暗殺者カグラ――そして』

 一瞬、間。

 王の視線が、わずかにブレてから、
 リュミエへと定まった。

『黒幕〈影蜘蛛〉――イリス=ノワールの転生体、リュミエ』

 名前を、呼ばれた。

 胸の奥が、ぞわりと波打つ。

 アレンたちが、
 それぞれ微妙な表情のまま横に立っている。

 リュミエは、椅子には座らなかった。

 立ったまま、頭を下げる。

「……はい」

 小さな返事。

 半透明の王は、しばし彼女を見つめていた。

 責めるでもなく、
 庇うでもなく。

 ただ、“観察”している目。

『まず、この状況を説明しよう』

 王の声は、よく通る。

『数日前から、王国各地に“魔力の異常”が観測されていた。
 原因は不明だったが、昨日、貴村周辺の魔法陣が起動したことで、
 それが“世界規模の術式ネットワーク”の一部であることが判明した』

 セイルが、静かに頷く。

『王都の魔術師団の解析によれば――
 これは生前の黒幕イリス=ノワールが構築した、
 “世界同時多発的魔物災害”の起動スイッチだという』

 リュミエの喉が、ひゅっと鳴った。

『このまま放置すれば、世界はこう受け取るだろう。
 “どこかの国が、禁じられた魔導兵器を使用した”と』

 王は、指を組んだ。

『疑心暗鬼は、既に始まっている。
 北の連合国は南を疑い、
 南は王国を疑い、
 西の商業都市は“どこかの大国が覇権を狙っている”と騒ぎ立てている』

「……それで、戦争に?」

 アレンが低く問う。

『このままなら、時間の問題だ。
 “世界の終わり”は、魔物ではなく、人間の手で進行する』

 静かな地獄宣告。

 セイルが眼鏡を押し上げながら、口を開いた。

「対策は?」

『王国としては、全ての魔法陣を停止させる術を探っている。
 だが――』

 王は、そこでほんの一瞬だけ言葉を切った。

『現時点で、術式の構造を完全に理解している者がいる』

 視線が、リュミエに突き刺さる。

『黒幕イリス=ノワール。その転生体である君だ』

 喉の奥が、じりじりと焼ける。

 言い訳は、ない。

 これは、前世の自分が仕込んだ地獄だ。

 誰かが代わりに責任を取ってくれる世界じゃない。

「……はい」

 声が震えるのを、隠せなかった。

「わたしが、やりました。
 生前……イリス=ノワールのときに」

 アレンが、横で拳を握る。

 ロウが、黙って前を見つめる。

 カグラは壁にもたれたまま、目を閉じている。

 彼らは、すでに知っている。

 今、その事実が――王国全体の前に晒されているだけだ。

『王都では、二つの意見が出ている』

 王の声が、少し低くなる。

『ひとつは――“黒幕の転生体である彼女を拘束すべきだ”という意見だ』

 リュミエの心臓が、どくんと跳ねる。

『彼女を利用して再び世界を混乱させる勢力が出てこないように、
 王都の地下に封じてしまうべきだ、と。
 罪を問うのであれば、そこで粛々と裁きを下せばいい』

 それは、極めて“まっとうな”考え方だった。

 黒幕が二度と暴れないように閉じ込める。
 世界の安全のために、“危険物”を封印する。

 理屈としては、正しい。

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 でも、王の言葉は続いた。

『もうひとつは、“彼女こそがこの状況を止められる唯一の鍵だ”という意見だ』

 セイルの目が、わずかに見開かれる。

『君には、術式の構造が“見えて”いるはずだ。
 生前に設計した本人である以上、その構造を逆用し、
 停止させる手段を見つけられる可能性がある』

「……“鍵”」

 リュミエは、自嘲気味に笑った。

「また、その言い方ですか」

 セイルが、横で小さく肩を震わせる。

「前にも言いましたよね。
 “鍵”って呼び方、あんまり好きじゃないって」

『すまない』

 王が、ほんの少し眉を寄せた。

『それでも、君が“世界の生死を分ける存在”であることは、否定できん』

 重い言葉。

 清算なんてまだ何も終わっていないのに、
 世界は勝手に次のステージに進もうとしている。

 王は、ほんの少し目を細めた。

『勇者アレン』

「はい」

『君は、彼女と行動を共にしてきた。
 彼女の“今”を、一番近くで見てきた者のひとりだ。

 君はどう思う?
 リュミエ――イリス=ノワールの転生体を、拘束すべきか。
 それとも、“鍵”として外で動かすべきか』

 いきなり投げられた問い。

 アレンは、一瞬、息を止めた。

 昨夜の丘。
 「処罰してほしい」と頭を下げたリュミエの背中。

 さっきの戦場。
 黒幕の声で指示を飛ばし、
 それでも誰ひとり死なせなかった彼女の姿。

 記憶が、ぐちゃぐちゃに混ざる。

「……正直に言っていいですか」

 アレンは、王の像を見据えた。

『構わん』

「拘束した方が、安心だと思ってる“俺”もいます」

 リュミエの心臓が、ぎゅっと縮む。

「前世の彼女が何をしたか、俺は知ってる。
 仲間を奪われて、
 戦場をめちゃくちゃにされて、
 “黒幕さえいなければ”って何度も思ってきた」

 こぶしを握る。

「だから、黒幕の転生体を地下に封じ込めて、
 世界から切り離した方が“安全”だって理屈も、
 よくわかるんです」

 そこまで言って、
 アレンは一度目を閉じた。

 そして、もう一度開いたとき、
 瞳の色が少し変わっていた。

「でも――“鍵として使う”って言い方も、大っ嫌いです」

 リュミエが、びくっと肩を揺らす。

「イリスとして世界を弄んできた彼女を、
 今度は“世界を救う武器”として使い倒すって話なら、
 それはそれで、同じ穴のムジナだろって思うからです」

 アレンの言葉は、
 王に向けられているようでいて――
 世界そのものに向けられているような響きだった。

「だから、俺はこう思ってます」

 ひと呼吸。

「“リュミエ本人がどうしたいか”を聞いて、
 その上で、“俺たちが何を選ぶか”を決めたい」

 王の像が、わずかに目を細める。

『……勇者らしくない答えだな』

「そうですね。
 “世界のため”だけ見てた頃の俺なら、
 さっきの二択のどっちか選んでたと思います」

 アレンは、苦笑した。

「でも今、目の前に“世界の敵”だったはずの女の子がいて――
 その子の泣き顔や笑い顔を知っちゃってるんですよ。
 その上で、“世界のために”だけで選べとか、
 無理があります」

 リュミエは、胸の奥がじんじんしていた。

 嬉しいとか、救われるとか、
 そういう単純な言葉では追いつかない感情。

 同時に、重さも感じる。

 「本人に選ばせる」と言われることが、
 どれだけ残酷かも、わかってしまうから。

 セイルが、一歩前に出た。

「陛下。
 賢者として、ひとつ申し上げます」

『聞こう』

「“拘束か、鍵か”という二択は、あまりにも乱暴です。
 彼女は国家間にとって“危険物”であると同時に、
 この危機を止めうる“知識”の本体でもある」

 セイルは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「封じ込めてしまえば、短期的には安心かもしれません。
 しかし、世界各地で暴走する術式は、その間にも拡大し続ける。
 彼女を“使う”と割り切るなら、
 黒幕と同じ思考に陥る危険性がある」

『では、どうすべきだと?』

「“彼女自身に責任を取らせる”前提を崩さずに、
 なおかつ“ひとりで暴走させない”仕組みを作るべきだと考えます」

「……セイル?」

 リュミエは、思わず名を呼ぶ。

 セイルは、彼女をちらりと一瞥してから、
 すぐに王へと視線を戻した。

「具体的には――
 リュミエを中心とした小規模な対策隊を編成し、
 勇者パーティおよび王国直属の監視役を常に同行させる。

 彼女に術式の解析と停止方法の模索をさせる一方で、
 彼女の判断に対して必ず第三者が“拒否権”を持つ形を取る」

『つまり、暴走を防ぐ“枷”を付けた上で、外に出すと』

「はい」

 セイルは、あっさりと頷いた。

「彼女は自分を“処罰してほしい”と言いました。
 ならば――“生きたまま責任を取り続ける”形の処罰も、
 選択肢として提示されるべきだと、私は考えます」

 ロウが、低く付け加える。

「戦場指揮については、
 俺たちも散々思うところはある。
 だが……あれほどの戦場支配能力は、
 ほかに代えがたい」

 カグラも、壁にもたれたまま口を開いた。

「暴走したら、俺たちが殺す」

「カグラさん」

「それが条件なら、
 俺は“外に出す”方に賛成する」

 あまりにも物騒で、
 あまりにも彼らしい言い方。

 それでも――
 それは、「一緒に背負う」という宣言でもあった。

 王は、しばらく黙っていた。

 玉座の間のざわめきが、
 魔導通信越しに小さく聞こえる。

 宰相。
 将軍。
 貴族たち。

 きっと別のところで、
 「拘束派」と「鍵派」に分かれて言い合いをしているのだろう。

 ようやく王は、重い息をひとつ吐いた。

『……リュミエ』

「はい」

『君は、どうしたい』

 来た。

 逃げ場のない問い。

 世界の終わりの砂時計の真ん中に立った状態で、
 「どっちに倒す?」と問われている。

 このまま拘束されて、
 王都の地下に閉じ込められるのは、
 怖くないと言えば嘘になる。

 今の村も、
 アレンたちとの時間も、
 全部、そこで終わる。

 それは、死ぬのとあまり変わらない。

 でも、安全だ。

 世界にとっても、
 彼らにとっても。

(それでいいなら、楽だよな)

 心のどこかが、囁く。

 でも、同時に――

 各地で開き始めたゲート。
 世界中のどこかで、
 誰かが今、泣き叫んでいるかもしれない光景。

 それを仕込んだのが“自分”だと知ってしまった以上。

 何もせずに閉じ込められることは、
 結局、逃げることだ。

「……これは、前世のわたしが蒔いた種です」

 声が震えるのを、止められなかった。

「戦争を煽って、
 魔物の暴走を仕組んで、
 勇者パーティを何度も窮地に追い込んで……
 それでも足りないって、世界規模でトラップまで仕込んで」

 自分で言って、吐き気がした。

「なら、責任を取るのは、わたしじゃなきゃダメだと思います」

 アレンの肩が、ぴくりと揺れる。

 セイルが、静かに目を閉じる。

 ロウは拳を握り、
 カグラは目を細める。

「……でも」

 リュミエは、ぎゅっと服のすそを握った。

「正直に言います」

 喉が焼ける。

「怖いです」

 ぽろり、と本音が零れた。

「このまま“黒幕の本能”に飲まれて、
 また誰かを“駒”みたいに見始めるんじゃないかって。
 誰かを守るためだって言い訳して、
 “ここを切り捨てれば勝てますよ”って、
 平気な顔して言い出しそうで」

 イリスの声が、耳の奥で笑う。

 冷たい、無感情な笑い。

(あなたはそういう風に作られたから、
 役割を果たすなら、また戻ってきなさいよ)

 その誘惑が、
 甘くはないけれど、
 妙に“居心地が良かった記憶”として残っている。

「自分を信用できません。
 だから、ひとりでこの状況を止めに行くなんて、
 絶対に無理です」

 涙が、にじんで視界がぼやける。

「それでも……
 逃げたくないです。
 “前世のわたし”に全部押しつけて終わりにはしたくない」

 頭を下げた。

「だから――
 外に出るなら、枷をつけてください。
 暴走しそうになったら、止めてください。
 それでもダメなら……そのときは、処罰してください」

 震える声。

 覚悟と恐怖が、ぐちゃぐちゃに混ざった宣言だった。

 集会所に、静寂が落ちる。

 魔導通信の向こう側でも、
 ざわめきがぴたりと止まっているのがわかった。

 王は、長い沈黙のあと、
 ゆっくりと目を閉じた。

『……わかった』

 その一言に、
 全員の体がぴくりと反応する。

『王国は、黒幕イリス=ノワールの転生体リュミエを――
 “世界終末トラップの停止を試みるための鍵”として扱う』

 アレンが、息をのむ。

『同時に、彼女を王国の“監視下”に置く。
 勇者パーティおよび王都から派遣する監視官を常に同行させ、
 彼女の判断に対して、いつでも拒否権を発動できる体制を取る』

 セイルの眉がわずかに動く。

(……監視官、か)

 想像以上に、ガチガチの枠をはめてきた。

 でも、それは同時に――
 “リュミエを完全には手放さない”という選択でもある。

『リュミエ』

「はい」

『君の罪は、消えない。
 だが、“生きたまま償う”という選択を、
 私は王として認めよう』

 どこか、祈りにも似た響き。

『世界の終わりのカウントダウンは、既に始まっている。
 だが、それを止めるチャンスも、また“今ここに”ある』

 王の像が、ゆっくりと薄れていく。

 魔法陣の光が、弱くなっていく。

 通信が切れる直前――

『勇者アレン』

「は、はい!」

『彼女を、頼んだ』

 その一言だけ残して、
 像は消えた。

    ◇

 静寂。

 集会所の空気が、急に重くなる。

 アレンたちは、それぞれ複雑な顔で立ち尽くしていた。

 リュミエは、ゆっくりと顔を上げた。

「……すみません」

 最初に出てきたのは、その言葉だった。

 アレンが、苦笑した。

「謝るの、クセだな」

「だって、世界終わらせそうになってる黒幕ですよ?」

 自虐交じりの軽口。

 ロウが、小さく息を吐く。

「終わらせそうになっている、だな。
 まだ“終わらせた”わけではない」

「……ポジティブですね」

「騎士は、最悪を見てもなお前を見る生き物だ」

 セイルは、冷静に状況を整理し始める。

「世界各地の魔法陣の停止方法を探る必要があります。
 そのためには、術式の設計思想を、
 根本から洗い直さねばなりません」

「設計思想……」

 リュミエの胃のあたりが、再び重くなる。

 自分の中にある“イリスとしての頭脳”を、
 もう一度、あの白い部屋のテーブルの上に広げる作業。

 嫌だ。

 でも、やるしかない。

 カグラは壁から背中を離した。

「枷、か。
 まあ、もともと見張るつもりではいたしな」

「さらっと怖いこと言わないでください」

「怖がってる間は、まだ大丈夫だ」

 その言葉は、不器用な励ましに聞こえた。

 リュミエは、小さく笑った。

 怖い。

 自分が。
 世界が。
 未来が。

 それでも――

「……やります」

 はっきりと口にする。

「前世のわたしが世界に仕込んだ最悪を、
 今のわたしが止められるなら。
 どれだけ怖くても、逃げません」


 世界の終わりのカウントダウンは、
 もう、止まってはくれない。

 それでも、
 指を伸ばせば届く位置に、
 “ストップボタン”があるのだとしたら――

 リュミエは、そのボタンに自分の指紋を刻みつける覚悟を、
 静かに、でも確かに固め始めていた。
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