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第17話「あなたたちと、もう一度世界をやり直したい」
しおりを挟む世界が静かになる時間が、昔から好きだった。
太陽が山の向こう側に落ちて、
空の青と橙が混ざりあう“あの一瞬”。
村の喧騒が少し落ち着いて、
パン屋の釜の熱もゆるんで、
子どもたちの笑い声が遠くへ引いていく――
世界がまるで、「休憩しよっか」と言ってくれてるみたいな、
あの曖昧な時間。
今日は、ぜんぜん休憩になってくれなかったけど。
◇
丘の上。
村を見下ろす、あの場所。
昨日も、ここで頭を下げた。
「処罰してほしい」と。
今日は、別のことで頭を下げに来ていた。
勇者アレン。
賢者セイル。
聖騎士ロウ。
暗殺者カグラ。
四人は、呼び出しの言葉に何も言わずついてきてくれた。
夕陽に照らされた横顔は、
それぞれ違う方向を向いているのに、
不思議と“ひとつの景色”として馴染んでいた。
リュミエは、深呼吸をした。
胸の奥の空気を、一度全部吐き出す。
「……あの」
声が震える。
でも、もう誤魔化せなかった。
「お願いが、あります」
四人の視線が、一斉にこちらを向く。
アレンは、いつものように真正面から。
セイルは、少しだけ斜めから観察するように。
ロウは、構えるように、それでいて逃げ道も作るように。
カグラは、木陰に寄りかかったまま、影越しに。
それぞれの目に宿っているのは、
疑い、警戒、心配、苛立ち――
そして、どうしようもない“情”だった。
その全部が、怖くて、愛おしい。
「……一緒に」
喉が詰まりかけて、それでも続ける。
「一緒に、世界を救ってほしいです」
静かな空気が、ぴしりと揺れた。
「それ、さっき王様の前で言うセリフじゃなかった?」
アレンが、冗談めかして眉をひそめる。
リュミエは首を振った。
「王様にじゃなくて……あなたたちに言いたかったから、
ここで、ちゃんと言います」
足元の草が、風に揺れる。
「これは、“罪滅ぼし”のお願いじゃありません。
“黒幕としての打算”でもないです」
言いながら、自分の胸に手を押し当てる。
イリスの頭と、リュミエの心。
両方が、カンカンに熱い。
「――わたしが、好きになってしまった人たちと、
同じ未来を見たいから、お願いしています」
アレンの目が、ぱちぱちと瞬いた。
セイルの指が、わずかに動く。
ロウの喉仏が上下する。
カグラの表情が、影の奥でわずかに揺れた。
「前世のわたしは、
世界を俯瞰して、駒みたいに動かすことしか考えてませんでした」
ゆっくり、言葉を紡ぐ。
「“勝てる戦場”とか、“効率のいい犠牲”とか、
そんな言葉ばっかり使ってました。
人の顔も名前も、ほとんど覚えてません。
覚えなくてもよかったから」
イリス=ノワール。
黒幕〈影蜘蛛〉。
名前はあっても、心はなかった。
「でも、今は」
視線を、一人一人に向ける。
「アレンさんが、パン屋でおかわりをねだってくる顔とか、
セイルさんが本を読みながら眠そうに目をこする仕草とか、
ロウさんが夜道で転びそうな子どもをさりげなく支える手とか、
カグラさんが屋根の上でこっそりお茶飲んでる背中とか」
ひとつひとつの情景が、
フラッシュみたいに頭の中を巡る。
「そういうのが、全部、好きになってしまいました」
“好き”という言葉を、
逃げずに口にするのは、
思ってた以上に苦しくて、
でも、どうしようもなく本音だった。
「世界がどうでもいいわけじゃないです。
この村も、ほかの国も、戦争も、
全部、ちゃんと止めたいです」
ほんの僅かな間。
「でも正直に言えば――
“世界を救いたい”って気持ちより先に、
“あなたたちと一緒にいたい”って気持ちが来てしまいました」
それは、
黒幕としては致命的な欠陥で。
でも、ひとりの女の子としては、
とても当たり前の感情だった。
「だから、お願いです」
リュミエは、一歩前に進み――
その場で、頭を下げた。
昨日とは違う意味で。
「わたしと一緒に、もう一度、世界をやり直してください」
草に額が触れる寸前で、
アレンの声が飛んだ。
「ちょ、待て待て待て!!」
がしっと肩を掴まれて、
頭を下げきる前に止められる。
顔を上げろ、と言わんばかりに、
ぐいっと持ち上げられた。
視界に、アレンの顔が飛び込んでくる。
「……あのな」
真っ直ぐな目。
でも、その奥には、
昨日までの迷いも、怒りも、ちゃんと残っている。
それでも――
そこに、新しく加わった光があった。
覚悟とか、決意とか、
そう呼ぶしかない眩しさ。
「俺、ほんとはもう、とっくに決めてたんだよ」
「え?」
「さっき王様にも言われたけどさ。
“勇者としてどうするか”とか、“世界のためにどうするか”とか、
そういうの、確かに大事なんだけどさ」
アレンは、頭をかきながら苦笑した。
「俺、君と会ったときから――
“こいつは勇者としてじゃなくて、“一人の男”として守ろう”って、
勝手に決めてた」
「……は?」
脳内で、何かが破裂した。
「今、なんて?」
「聞こえてただろ」
「“一人の男として”って、
それ、勇者の告白のテンプレか何かですか?」
「テンプレとか言うな!」
アレンの耳が、みるみる赤くなっていく。
「俺はな!
ソラを失ったとき、“世界のため”とか“勇者として”とか、
そういう肩書きに全部逃げたんだよ」
声が少しだけ掠れる。
「“世界のためだから仕方ない”“仲間は英雄だから死んでも本望だ”
――そんな言い訳で、自分を誤魔化した」
指先が震えるのを、
彼は拳を握ってごまかす。
「でも、リュミエ、お前に関しては……
そういう言い訳、したくないんだ」
リュミエの胸が、きゅっと締めつけられる。
「勇者として守る、じゃなくて。
ひとりの男として、
“好きになった女の子を守る”って決めたんだよ」
夕陽が、アレンの横顔を染める。
照れくさいほど、真っ直ぐな告白。
強引で、子どもっぽくて、
でも、やたら心に刺さる。
「……ずるい」
喉の奥から、勝手に零れた。
「そんな言い方、ずるいです……」
「ずるくて結構」
アレンは、照れ隠しみたいに笑った。
「だから、“世界のために一緒に戦ってください”って言われる前から、
俺は、“リュミエのためなら世界だってぶん殴る”って決めてる」
「世界、可哀想……」
「世界が悪さしてんだろ。
だったら一回殴られておけ」
その暴論が、
あまりにも彼らしくて――
リュミエは、泣き笑いみたいな顔になった。
◇
「……科学的に言えば」
静かな声が、その空気に割り込んできた。
セイルが、一歩前へ進んでくる。
眼鏡の位置を直しながら、
いつもの“理屈モード”の顔をしている。
「君は、世界最大級のリスクです」
「ですよね!!?」
リュミエが、即座に食いつく。
「ちょっとはオブラートに包みません?」
「事実なので」
「事実ほど刺さるものってないんですよ」
セイルは、ふっと口元だけで笑った。
「世界中に起動待ちの魔法陣を仕込み、
戦争を長引かせる仕組みを設計し、
勇者パーティを何度も殺しかけた。
――そんな経歴を持つ転生者は、
統計上、間違いなく“最悪の危険因子”です」
「統計とか言わないで……」
「ですが」
セイルの瞳が、夕陽を反射する。
「僕の心は、君を“最大の希望”として扱いたがっている」
ぴたり、と時間が止まった。
「……え?」
「理性と、気持ちは別物ですから」
セイルは、自分で言いながら肩をすくめる。
「研究者としての僕は、
君の頭の中を解体して、
ネジ一本一本まで解析したいと思っています。
賢者としての僕は、
君を世界から隔離することで安定を図るべきだと考えています」
言いながら、彼はふっと表情を緩めた。
「でも――“セイル”としての僕は、
君が泣きながら“逃げたくない”って言ったとき、
その背中を押したいと思ってしまった」
リュミエは、きゅっと唇を噛んだ。
「……それって、もしかしなくても」
「もしかしなくても、そういう意味です」
「今、告白ラッシュですか?」
「場の空気に流されたわけではありませんよ」
微妙に照れたセイルの返事が、
妙に可笑しくて、妙に愛おしい。
「だから――僕は君の側につきます。
君を“最大の希望”として扱いたがる、
自分の心に負けることにしました」
「負けるって言い方やめません?」
「勝ちとも言えないですから」
理屈っぽくて、矛盾を抱えた告白。
それでも、「側にいる」とはっきり言ってくれたことが、
胸に刺さって離れない。
◇
ロウが、ゆっくりと息を吐いた。
「……俺は、言葉が多くない」
「知ってます」
「だから、うまくは言えん」
ロウは、まっすぐリュミエを見た。
その瞳に映るのは、
守れなかった故郷と、
今守りたい村と――
そして、彼女の姿。
「故郷を焼かれたとき、
俺は、“黒幕さえいなければ”と何度も思った」
拳が、わずかに震える。
「お前がイリス=ノワールだと知ったとき、
正直、剣を抜きかけた。
今も、その衝動が消えたわけじゃない」
リュミエは、黙って聞く。
顔を上げたまま。
逃げないように、自分の足を地面に縫い付ける。
「それでも――
今度こそ守りたいと思った対象の中に、
お前がいるのも、事実だ」
ロウの声が、わずかに揺れた。
「俺は“今度こそ失いたくない”と何度も言ってきた。
その“今度”の中に、お前が含まれている。
だから、一緒に行く」
「……ロウさん」
「お前が間違えそうになったら止める。
それでも止まらなかったら――そのときは、俺が斬る」
そこまで言って、
ロウはふっと目を細めた。
「それでもいいなら、隣を歩け」
刃の先まで優しさでできた約束。
「……はい」
リュミエの返事は、震えていた。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、“斬る”と言いながら、
それでも隣を許してくれるその矛盾が――何よりありがたかった。
◇
最後に、カグラが木の幹から背中を離した。
影の中から一歩出るだけで、
夕陽に照らされた横顔がこんなにも大人びて見えるのか、と
リュミエは妙なところで感心する。
「……俺は、正直、まだ整理できてない」
「ですよね」
「お前が“主”だったことも。
お前の声があいつに似てることも。
“ありがとう”って言われて救われた自分がいることも」
カグラは、空を一度見上げた。
夕暮れの空。
そこに、蜘蛛の糸はもう見えない。
「だけど――
この世界の“糸”をこんなふうにぐちゃぐちゃにしたやつが、
今、“それをほどきたい”って言ってるなら」
視線が、リュミエに戻る。
「その手首くらいは、最後まで掴ませてもらう」
「……それ、守るって言ってます?」
「そう聞こえるなら、それでいい」
不器用すぎる言葉。
でも、その不器用さが、
彼の本気をそのまま映している。
「暴走したら、迷わず刺す」
「はい」
「だから、暴走するな」
「がんばります」
「“がんばります”のレベルじゃない」
口ではそう言いながらも、
カグラの口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
◇
四人、四様の言葉で。
でも、意味はひとつだった。
――一緒に行く。
世界をやり直す旅に。
黒幕が仕込んだ地獄を止めに行く道に。
その先の、“新しい未来”に。
リュミエは、とうとう堪えきれなくなって、
膝から崩れ落ちた。
目の前が、ぐしゃぐしゃになる。
「……そんなの」
ぽろぽろと涙が落ちるたびに、
胸の中の何かがあたたかくなっていく。
「そんな優しさ……反則です」
嗚咽混じりの声。
“黒幕”として、
誰にも必要とされなかった頃の自分が、
この光景を見たらどう思うだろう。
信じられないって笑うだろうか。
全部夢だって否定するだろうか。
でも――今は確かに、ここにある。
アレンが、そっと手を差し出した。
「ほら、立て」
「……はい」
その手を掴む。
セイルが、もう片方の手に本を押しつけてくる。
「これは、世界各地の地図と魔法陣の記録です。
あなたと一緒に、全部書き換えましょう」
「重い……でも、ありがとうございます」
ロウが、一歩前に出て、
小さく頷く。
「行くぞ」
その単語だけで、
背中を押してもらえた気がした。
カグラは、ふっと影に戻りかけてから、
あえて戻らず、リュミエの隣に並んだ。
「一歩でも変な方向に行ったら、すぐわかるからな」
「頼もしい監視役です」
「皮肉はあとでまとめて聞いてやる」
泣き笑いのまま、
リュミエは空を見上げた。
夕陽は、もう沈みかけている。
でも――
その先には、必ず朝が来る。
世界を壊すためじゃなくて。
世界を救うためじゃなくて。
“あなたたちと、もう一度世界をやり直すため”の朝が。
それを信じてみてもいいくらいには、
自分はもう、彼らに甘やかされてしまっている。
黒幕〈影蜘蛛〉。
イリス=ノワール。
村娘リュミエ。
三つの名前を抱えたまま、
彼女はやっと――“これからの自分”に向かって
正面から足を踏み出した。
「じゃあ、改めて」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、
できる限りの笑顔を作る。
「勇者アレンさん、賢者セイルさん、聖騎士ロウさん、暗殺者カグラさん」
ひとりひとりの名前を呼ぶ。
「――わたしと一緒に、世界をやり直してください」
四人の声が、重なった。
「「ああ」」
「もちろんです」
「任せろ」
「仕方ないな」
その全部が、
リュミエにとっての“世界の再起動スイッチ”だった。
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