掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく

タマ マコト

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第5話 アークレール、目覚めの刃

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 その日は、空の機嫌はそこそこ良くて、こっちの機嫌はそこそこ悪かった。

 雨の日みたいに滑る心配はないけれど、日差しが容赦なく金属山に反射して、目と頭をじわじわ焼いてくる。
 王城ゴミ集積所の片隅では、今日も変わらず“要らないもの”たちが静かに積み上がっていた。

「……はぁ」

 リーナは、ちいさく息を吐き出した。

 あの日拾った細長い金属片――いや、“まだ息をしている何か”は、今も彼女の手元にある。
 ゴミ置き場の片隅に、ささやかな自分専用スペースを作り、その中央に古い木箱をひっくり返した即席の作業台を置いた。
 布切れと、水と、擦り用の小さな石。
 工房時代に習った金属研磨の記憶を、必死で掘り起こしながら、ここ数日、その金属片を少しずつ磨き続けている。

「今日こそ、全部の錆、落としてやるから」

 自分に言い聞かせるみたいに呟き、リーナは金属片を手のひらに乗せた。

 冷たい。けど、もう“死んだ冷たさ”ではない。
 布越しに触れるたび、遠くから届く鼓動みたいな波長が、まるで「やっと来たか」とでも言うように、かすかに震える。

 この数日で、リーナは気づいていた。

 ――こいつは、磨くのを待ってる。

 ただのガラクタなら、触れたところで何も返してこない。
 でもこいつは、布が滑るたび、錆が剥がれるたび、すこしずつ息を取り戻している。

 あたたかいとも、冷たいとも違う、“生きてる温度”。

 胸の奥が、じん、と熱くなってくる。

(工房のみんなが見たら、どう思うんだろう)

 手の中で脈打つ“それ”を見下ろしながら、ふとそんなことを考える。

 数字にならないものは存在しない。
 計器が反応しないものは、現実じゃない。

 ――本当に?

 この手のひらの鼓動は、幻覚?
 妄想?
 “問題児”の、治らない悪癖?

 ……だったら、その幻覚は、ずいぶんとしつこくて、ずいぶんと優しい。

「よし、続き」

 リーナは、首を一度振って余計な考えを追い出した。

 工房時代に身につけた“金属を傷つけない力の入れ方”と、掃除婦として鍛えた“汚れを根こそぎ落とす圧のかけ方”。
 その二つを、慎重に混ぜる。

 布に水を含ませ、指先の腹でそっと挟み込む。
 細長い金属片の表面を、一定のリズムで撫でるように擦る。

 キュッ、キュッ、と小さな音。
 布の上に、赤茶色の粉が少しずつ積もっていく。

 錆が剥がれるたび、“それ”の輪郭が少しずつ明らかになっていく。

 工房で使っていた研磨机の、機械的で均一な音とは違う。
 ここにあるのは、ただの布と人の手の仕事だ。

 だからこそ、一回一回の動きに、自分の感情が乗ってしまう。

(ごめんね、こんな場所まで落っこちるまで気づけなくて)

(こんなに放っておかれて、嫌だったよね)

(でも、もう大丈夫。……もう大丈夫だから)

 錆を削るたび、そんな言葉が頭の中に浮かんでは、布と一緒に滑り落ちていく気がした。

 そのたびに、掌の中の脈動が、すこしずつ強く、はっきりしていく。

 遠くで鳴っていた鼓動が、だんだんと耳元まで近づいてくる感覚。

 トクン。
 トクン。
 トクン。

 耳ではなく、皮膚で聞いている。
 魔力の流れで聞いている。

 それは、かつて工房の誰に訴えても理解されなかった“世界の音”だ。

 でも今、ここでは――誰も邪魔をしない。

「新入り、生きてる?」

 遠くから飛んできた声に、リーナは肩をびくっとさせた。

「い、生きてます! 作業してます!」

「死んでたら困るよ。片付ける手間が増える」

 マルタのぼやきは、いつも通りだ。

 ゴミ山の向こう側で、ぼろ靴の女は別の掃除婦たちに指示を飛ばしている。
 今日も彼女は、城の裏側全部を相手にしているのだろう。

 リーナの腰のあたりまで来ていた影が、ふっと晴れる。

 目の前の金属片の表面は、もうほとんど錆が残っていなかった。
 かつての汚れた殻が、嘘みたいにきれいに剥がれ落ちている。

 代わりに現れたのは、淡く蒼みを帯びた金属光沢。

 滑らかな側面。
 細やかな紋様。
 けれど、形はまだ“何かの一部”にしか見えない。

「もしかして、剣だったのかな……」

 リーナは、小さく呟いた。

 刃のような鋭さ。
 でも、そのままでは短すぎるし、形も中途半端だ。

 折れた残骸か、あるいは変形した一部か。

 どちらにせよ――

(ここまで来たんだし、最後まで)

 もう残っている錆は、端の方にわずかにこびりついているだけだ。

 リーナは、指先に少しだけ水を足し、布をきゅっと絞った。

 布越しに触れた金属は、先ほどよりもさらに熱を帯びていた。

 鼓動も、はっきりと分かる。

 トクン。
 トクン。
 トクン。

 それが、リーナの胸の鼓動と、少しずつ同期を始める。

 呼吸が乱れそうになるのを、意識して整える。
 吸って、吐いて。
 波長が合っていく感覚。

 不思議と怖くはなかった。

 どちらかというと――安心感に近い。

 ずっとさまよっていた線と線が、やっと交差して、「ここだ」と指差されているような。

「……いくよ」

 誰にともなく宣言して、リーナは最後の錆に布をあてがった。

 こすり取る、というより、“ほどく”感覚。
 表面に貼り付いていた古い殻を、そっと剥がしていく。

 キュッ、と布が鳴り――

 その瞬間だった。

 指先が、突然、熱くなった。

「っ――!」

 リーナは反射的に布を離しそうになったが、ぐっと堪える。

 熱。
 けれど、焼けるような痛みではない。

 真冬に冷え切った手を、暖炉の前に突然突き出したときに感じる、じわりとしたあたたかさ。

 手のひら全体から、何かが吸い込まれていく――いや、逆だ。

 手のひらの奥の魔力が、掌の中心めがけて、勝手に集まっていく。

 ざわっ、と全身の毛穴が開くような感覚。

 目に見えない風が、リーナの中をぐるりと駆け巡る。

(な、なにこれ――)

 驚いている間にも、“それ”はもう待ってくれなかった。

 掌から溢れた暖かな光が、ふわりと宙に浮かび上がる。

 金属片の輪郭が、光の中で溶けていく。

 ゴミ置き場の空気が、びり、と震えた。

「え……?」

 リーナの口から、勝手に声が漏れる。

 周囲の音が、一瞬で変わった。

 風の音が遠ざかり、代わりに低い唸りのようなものが耳の奥で鳴り始める。
 足元の土が、かすかに震えている。
 金属山の、一番上に積まれた壊れた鎧の破片が、カタリと鳴ったと思ったら、その隣の壊れた盾も、また隣の折れた槍も、次々と音を重ねていく。

 まるで、全部が呼応している。

 リーナの掌から溢れた光は、錆びた破片にまとわりつくように絡みつき――

 ばきり。

 乾いた音を立てて、金属片が弾けた。

「っ――!」

 破裂、ではない。
 むしろ逆。

 バラバラだった何かが、元の姿を思い出して、逆再生みたいに再構成されていく音。

 宙に舞い上がった細かな破片たちが、目の前でゆっくりと軌道を描き始める。
 ひとつひとつに細い光がつながり、それが一本の線になり、幾何学的な紋章を空中に描き出す。

 リーナはその場に立ち尽くして、ただ見ていることしかできなかった。

 銀色と蒼色の光が、螺旋を描きながら絡み合う。
 紋章の円が幾重にも重なり、細かな文字のような線が内側に走る。

 どの言語とも違う。
 誰にも教わったことのない形。
 けれど、その一つ一つが、やけに懐かしく感じられた。

(知ってる……?)

 そんなはずはない。
 でも、身体のどこかが、「ああ、やっとだ」と呟いている。

 光がひときわ強く瞬いた。

 紋章の中心に、形が生まれる。

 細く、まっすぐな線。
 やがてそれは刃へと変わり、鍔が形を取り、柄が伸びていく。

 リーナの目の前で、一本の剣が組み上がった。

 細身の蒼い片刃剣。

 刃は鋭く、無駄な膨らみも飾りもない。
 それなのに、不思議な存在感があった。
 刃渡りに沿って刻まれた紋様が、微かに蒼白い光を帯びている。

 柄の部分には、小さな宝珠のようなものが埋め込まれている。
 その内部で、光がゆっくりと脈動していた。

 剣は、宙に浮かんだまま、一直線にリーナの方を向く。

 その刃先が、彼女の胸元を、まっすぐに捉えた。

「……わ」

 わけが分からない。
 でも、目を逸らせない。

 ゴミの山の真ん中に、あり得ないほど美しく、あり得ないほど違和感のある“異物”が浮かんでいる。

 頭のどこかで、警鐘がうるさく鳴っていた。

(古代……兵器?)

 工房の書庫で見た古い文献。
 子どもの頃に読みふけった英雄譚。
 そこに描かれていた、失われた文明の遺産たち。

 それらと重なった単語が、喉までせり上がってきて、声になる前に――

「――主識別」

 音が、直接頭の中に響いた。

 耳ではない。
 鼓膜を通っていない。

 意識の奥に直接落ちてきた声。

 冷たいのに、どこか懐かしい。

 遠い昔に聞いた子守歌の、かすかな旋律の断片みたいな。

「古代魔力波長、適合者――リーナ・フィオレ」

 名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。

 この世界で、自分の存在を一度切り捨てたはずの“古代魔力波長”という言葉。
 工房で「誤差だ」「ノイズだ」と処理された感覚。

 それを前提に、“適合者”と呼ぶ声。

「再起動を完了」

 その宣告と同時に、剣の宝珠がぱちりと明るく光る。

 リーナの視界が、白く弾けた。

 ――落ちる。

 足元の地面が消えたような感覚。
 身体はここにあるのに、意識だけがどこか別の場所へと引きずり出される。

「っ、まっ――」

 声を上げる暇もない。

 白は、すぐに色と音と熱に変わった。

 巨大な塔。

 空を貫くほど高く、表面には緻密な魔導紋がびっしりと刻まれている。
 その塔の頂から、光の帯が何本も空へ伸びていた。

 光の防壁。

 城を、街を、国を、丸ごと包み込むような半透明の幕。
 外側から降り注ぐ炎や、黒い矢や、見たこともない獣の影が、その防壁に弾かれて消えていく。

 崩れ落ちる都市。

 石造りの建物が次々とひび割れ、塔が倒れ、橋がちぎれ、人々が逃げ惑う。
 空は赤く焼け、地面は裂けている。
 あちこちで煙が上がり、遠くで雷にも似た爆音が響く。

 泣きながら装置を起動する人々。

 誰か。
 何人も。

 白衣のような衣をまとい、目の下に深い隈を作った人たちが、巨大な端末の前で震える手を必死に動かしている。
 その目は、諦めと希望と恐怖と執念でぐちゃぐちゃだ。

『もう時間がない――!』

『最後のセーフティを外すしか――』

『それをやったら、この都市は……!』

『でも、この星は生き残る! お願いだ、アークレール……アークシリーズ、どうか――』

 声が、混ざる。

 リーナは、その全てを“剣の視点”から見ていた。

 自分の身体はここにはない。
 刃として、誰かの手の中にある。

 振るわれ、振るわれ、振るわれる。

 黒い影を斬り裂き、迫る炎をはね除け、崩れ落ちる瓦礫を切断し、落ちてきた建物の一部を支える。

 耐えきれずに折れる刃。
 それでも、折れた先からもう一度光が溢れ、形を取り戻す。

 限界を超えて、なお動き続ける命令。

 守れ。
 護れ。
 あらゆる脅威を排除しろ。

 その命令の行きつく先にあるものが、何なのかも分からないまま。

『これ以上は……っ!』

 誰かの悲鳴。
 涙のしぶき。
 血の匂い。

 最後に見えたのは、装置の中心で輝く巨大なコア。

 その光が、すべてを飲み込む。

 都市も。
 塔も。
 防壁も。
 人も。
 剣も。

 ――白。

 再び、視界が真っ白に塗りつぶされた。

「――っ、あ、ああ……!」

 リーナは、気づいたら膝をついていた。

 ゴミ置き場の土が、制服の膝を容赦なく汚していく。
 息がうまく吸えない。

 喉が締まり、胸が痛い。
 頭の中にさっきまでの光景がこびりついて、まぶたを閉じても焼き付き続けている。

(なに、今の……)

 誰の記憶?
 いつの出来事?
 どうして、私がそれを見ている?

 答えは、すぐそばにあった。

 目の前に、一本の剣が浮かんでいる。

 細身の蒼い片刃剣。

 さっきと同じ、でもさっきよりずっと“ここにいる”。

 剣の刃が、わずかに揺れていた。
 風もないのに。

 まるで、呼吸しているみたいに。

 リーナは、震える手を伸ばした。

 柄の部分に触れた瞬間、指先から冷たさとあたたかさが同時になだれ込んでくる。

 冷たさは、金属の温度。
 あたたかさは、そこに宿る魔力の温度。

 両方が混ざって、なんとも言えない“感触”になる。

「……っ、ぅ」

 胸の奥に、じん、と重さが走る。

 さっき見た光景の余韻。
 失われた文明の断片。
 あの剣――いや、この剣が、最後まで守り続けようとしたもの。

 それらが、濃縮された痛みになって、リーナの中に流れ込んでくる。

 苦しくて。
 でも、手を離したくなくて。

 否定され続けた“感覚”が、今、全身で肯定されている。

「……っ、ご、ごめん」

 何に対して謝っているのか、自分でも曖昧だった。

 都市を守れなかったことに?
 こんな場所まで落ちてきてしまっていることに?
 それとも、今まで“視えるもの”に目を背け続けてきた自分に?

 剣は、何も言わない。

 ただ、柄の奥の宝珠が、ほんの少しだけ柔らかく光った。

 まるで、「気にするな」とでも言いたげに。

「……は? 嬢ちゃん?」

 背後から聞こえた声に、リーナはびくりと肩を震わせた。

 振り返ると、マルタが息を切らしながら駆け寄ってきていた。
 ぼろ靴が、いつになく全力で地面を蹴ったらしく、泥が派手に跳ねている。

「何やら、派手に光ったと思ったら――」

 そこで言葉が止まる。

 マルタの目が、信じられないものを見る目になる。

 目の前には、光る剣。
 その柄を掴んで、膝をつきながら震えている掃除婦見習い。

 ゴミ置き場というロケーションとのギャップが、あまりにも激しい。

「……は?」

 数秒遅れて、マルタの口から、さっきよりずっと素直な「は?」が漏れた。

「嬢ちゃん、何やらかした?」

「わ、わ、私も分かんないんですけど、えっと、その……」

 言葉が空回りする。

 説明しようにも、自分の中でもまだイベントログが整理されていない。

 錆びてた。
 拾った。
 磨いた。
 光った。
 浮いた。
 喋った。
 見せられた。
 しんどい。
 今ここ。

 ……説明にならない。

「さっきまで、その、ただの金属片で……。  でも、磨き切った瞬間、いきなり光り出して、あの、その、勝手に剣になって――」

「“勝手に剣になって”って言う人間、初めて見たよ」

 マルタは額を押さえ、深くため息をついた。

 その表情には呆れも混ざっていたが、それ以上に強い警戒がにじんでいる。

「触って大丈夫なやつかい、それ」

「だ、大丈夫……だと思います。今のところ、私を殺そうとしてくる感じは、なくて……」

「“今のところ”って言うな」

 ツッコミつつも、マルタは一歩だけ剣に近づいた。
 分厚い手袋をした手で、空気を切るようにそこらを探る。

「魔力、すごいね……」

 彼女のような普通の人間でも感じるくらい、空気がびりびりしているのだろう。

 実際、ゴミ山全体が、さっきからずっと震えていた。

 積まれた壊れた魔導器具の一部から、ぱちぱちと小さな火花が散る。
 割れた水晶玉が、勝手に明滅を始める。
 埋もれていた古い鎧の胸当てが、勝手に紋章を浮かび上がらせる。

 ――全部、反応している。

 中心にある、この剣に。

(やば……)

 リーナは、うすうす気づいていた。

 ここまで派手にやらかして、無事で済むはずがない。

「嬢ちゃん」

 マルタの声が、いつになく低くなる。

「今の、城の感知結界に思いっきり引っかかったよ」

「あ」

「“あ”じゃない。あたしも長くここにいるけどね、今の規模の魔力反応は初めてだよ。  王立工房も軍部も、これで“裏庭で何かが爆発した”って理解したはずさ」

 爆発。
 なんという雑な理解。
 でも、間違ってもいない。

「す、すみません……!」

「謝るのはこっちじゃなくて、上の連中にだね」

 マルタはぼやきながらも、ちらりとリーナを見た。

 その目は、意外にも、ほんの少しだけ誇らしげだった。

「にしても、“ゴミ山から剣一本復活させる掃除婦”か。派手にやるじゃないの」

「いや、その、私もこんなつもりじゃ――」

 言い訳しながらも、胸の奥がこそばゆい。

 ゴミ置き場の最底辺で、“何か”を拾い上げた。
 それが、ただのガラクタじゃなくて、世界のどこかで語られてきた“古代兵器”だなんて。

 笑い話みたいな現実に、足元が少しだけ浮く。

 同時に――恐怖もあった。

(これ、絶対、工房にバレる)

 彼らは言うだろう。

 「やっぱり、お前は厄介者だ」と。
 「掃除婦にしておくには危険すぎる」と。
 「その剣ごと、どこかに封印するべきだ」と。

 最底辺で、やっと息がしやすくなったと思ったのに。
 その空気を、また誰かに奪われるかもしれない。

 そんな予感が、背筋をひやりと撫でていく。

「…………」

 柄を握る手に、自然と力がこもる。

 剣――アークレールは、それに呼応するように微かに光った。

 さっきまで流れ込んできた記憶の重さは変わらない。
 都市の崩壊も、人々の涙も、この刃が最後まで抗い続けた結果の虚しさも。

 それでも、その奥に、たった一つだけ確かなものがあった。

 ――守ろうとした意志。

 それは、多分、リーナがずっと心のどこかで欲しかったものだ。

 誰かの都合じゃなくて。
 数字と予算じゃなくて。
 “守りたいから守る”って、その単純で強い理由。

「アークレール」

 口をついて出た名前に、剣の刃がわずかに震えた。

 誰に教わったわけでもないのに、自然とその名が出てきた。

 さっきの映像の中で、誰かが叫んでいた気がする。
 「アークシリーズ」だとか、「アーク〇〇」だとか。

 その中で、彼女の掌に一番しっくりくる響きが、これだった。

「君……名前、これで合ってる?」

 問いかけるように呟くと、意識の奥に、あの冷たくて懐かしい声が再び響いた。

『呼称、アークレール――承認』

 宝珠が、ぽうっと柔らかく光る。

 同時に、胸の奥で何かがすとんと納まった。

 初めて拾い上げた“鼓動”に、名前がついた瞬間。

「……ふふ」

 笑いが漏れた。

 気づけば、涙も一緒に零れている。

「嬢ちゃん?」

「い、いえ……なんか、色々、一気にきすぎて、頭が追いついてなくて……」

「そりゃそうだろうねぇ。ゴミ山で古代兵器起動させた掃除婦なんて、国じゅう探してもあんた一人だよ」

 マルタは頭を掻きながら、ため息をついた。

「さて、と。ぼさっとしてる時間はあんまりなさそうだ」

「……来ますよね」

「ああ。工房か、軍か、その両方か。  こういう“でかい光”には、上の連中は目ざといんだ」

 マルタは、ちらりとリーナを見た。

「覚悟は、あるかい?」

 その問いには、いろんな意味が詰まっていた。

 工房との再会。
 “問題児”と呼ばれた過去との再会。
 そして、自分の“視えるもの”を、もう一度世界の前に差し出す、という選択。

 怖くないわけがない。

 でも――

 リーナは、アークレールの柄を握る手に、もう一度力を込めた。

 掌の中の鼓動が、「ここにいる」と確かに言ってくれている。

「……はい」

 しっかりと頷く。

「正直、怖いです。絶対めんどくさいことになるし、絶対怒られるし、絶対嫌味も言われるし。  でも、ここで“何もありませんでした”って顔して捨てる方が、もっと嫌です」

 工房で、誤魔化して、黙って、見なかったことにして。
 その結果、誰かが傷つくかもしれない。

 あの日の事故。
 あの日の排水管。

 その記憶が、また胸を刺した。

「私は――拾いました。  ここで捨てられたものを。  ずっと呼んでた“鼓動”を」

 言いながら、泣きそうになる。

 でも、泣いている場合ではない。

 アークレールの刃が、静かに光る。

 まるで、「それでいい」と言っているみたいに。

「だったら、ちゃんと言います。  “ここにある”って」

 捨てられたものは、捨てられたままでいい――なんて、もう思えない。

 自分自身のことも、目の前の剣のことも。

「ったく」

 マルタが、口元を歪めた。

「面倒くさい子を拾っちまったもんだね、あたしも」

 そう言いながらも、その声はどこか楽しそうだった。

「いいさ。どうせ、このゴミ山はあんたのせいじゃなくても、そのうち誰かが見つけちまう運命だったんだろうよ。  だったら、最初に見つけたのが“視えちゃう掃除婦”ってのは、まだマシな方かもしれない」

「……マシ、ですか?」

「少なくとも、兵器として振り回したくて目ぇ輝かせる連中よりはね」

 マルタは、遠くの城壁をちらりと見やる。

 ちょうどそのとき、城内の高い塔の上で、警備用の魔導灯がひとつ、赤く点滅を始めた。

 遅れて、遠くから鐘の音。
 警報の合図ではない。
 巨大な魔力反応があったことを知らせる、確認用のチャイム。

(ああ、本当に、行っちゃったんだ)

 工房へ。
 軍部へ。
 王城の上の世界へ。

 “ゴミ置き場から、得体の知れない何かが起動した”という一報が。

 やがてそれは、王都に広がり、国じゅうに広がっていく。

 誰も、“最底辺の掃除婦が磨いたガラクタが原因でした”なんて、今は想像もしていないだろう。

 でも――現実は、そうだ。

 世界を揺るがす騒ぎの火種は、城の端っこのゴミ山から、そっと立ち上がった。

 その中心には、小さな少女と、一振りの蒼い刃。

 リーナは、自分の胸の奥――そして柄の中の宝珠に、もう一度問いかけた。

「一緒に、行ける?」

 返ってきたのは、短く、はっきりとした波長。

『肯定』

 単語にするとしたら、それだけ。

 だが、その一語に込められた“重さ”と“優しさ”に、リーナはまた泣きそうになった。

「……よし」

 涙をぐっとこらえ、彼女は立ち上がる。

 膝についた泥を払う暇も惜しい。
 この場所は、もう二度と“ただのゴミ置き場”には戻らない。

 アークレールの刃が、陽の光を受けて、蒼くきらめいた。

 それは、滅びた文明からの最初の挨拶であり――

 “最底辺の掃除婦”が、世界に喧嘩を売るための、最初の武装でもあった。
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タマ マコト
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王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。 灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。 だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。 ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。 婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。 嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。 その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。 翌朝、追放の命が下る。 砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。 ――“真実を映す者、偽りを滅ぼす” 彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。 地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。

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