掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく

タマ マコト

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第6話 “掃除婦”立ち入り禁止区域

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 ゴミ置き場の空気が、朝から落ち着きなくざわついていた。

 いつもなら、金属のきしむ音と掃除婦たちのぼやきと、風に運ばれてくる料理場の匂いが混ざった、ぐちゃぐちゃで、ある意味“安定した”空気だ。

 今日は違う。

 肌の上を、ぴりぴりしたものが走る。
 地下から逆流してくるみたいな、魔力の匂い。
 それに混じって、硬い靴の音と、鎧の軋み。

 ――上の連中が、裏へ降りてきている。

 リーナは、アークレールの柄を握る手に力をこめた。

 ゴミ山の手前、いつもの作業台として使っている木箱の上に、アークレールは布をかけた状態で横たわっている。
 刀身は見えなくても、その存在感は消えない。
 布の下から、微かな蒼い波長が、彼女の手のひらに触れてくる。

(大丈夫。大丈夫……)

 自分に言い聞かせても、心臓の早鐘は止まってくれない。

 あの起動の騒ぎから、まだ一日も経っていない。

 昨日は、ひたすら後始末で終わった。
 周囲の暴走しかけた魔導ガラクタを落ち着かせ、壊れたものを片付け、マルタに怒鳴られつつもなんとか最悪の事態は避けた。

 だが、“光った”事実だけは消せない。

 むしろ、感知結界の記録として、くっきりと残っているはずだ。

 だから――

「……来たね」

 マルタのぼそっとした声が、背中から落ちてきた。

 リーナが振り向くと、ゴミ置き場の入り口側から、鎧の列がこちらへ向かってきているのが見えた。

 銀と黒を基調とした城塞軍の正式装備。
 腰には剣、背には魔導銃。
 盾の表面には王家の紋章。

 その前に、一人だけ鎧ではなく、濃紺の軍服を着た男が歩いている。

 長身。
 陽に焼けた褐色の肌。
 刈り込まれた灰色の髪に、浅く刻まれた傷跡。
 肩口に金属製の階級章が光っている。

 軍部魔導将校――ヴァルト・クロイツ。

 噂では何度も聞いた名前だ。
 前線で数々の戦功を挙げ、今は王城防衛を任された魔導部隊の実質的なトップ。

 リーナは、ごくりと喉を鳴らした。

 その視線が、自分に向けられる。
 真正面から見据えられたわけでもないのに、背骨の奥まで見透かされるみたいに冷たい。

 ヴァルトは一歩だけ前に出て、周囲を見渡した。

「……ここが、例の“爆心地”か」

 低く、よく通る声だった。

 口調に大げささはなく、ただ事実を確認しているだけ。
 それなのに、その一言で、ゴミ置き場という場所の価値が一瞬で評価されてしまった気がして、リーナは妙な悔しさを覚えた。

「爆心地なんて物騒な言い方しないでほしいね」

 割って入ったのは、マルタだった。

 ぼろ靴の女は、わざとらしくモップに体重を預けたまま、片目を細める。

「ここは城のゴミ置き場さ。昨日光ったのは“掃除の成果”だよ。ねぇ、新入り?」

「え、えっ?」

 いきなり振られて、リーナは変な声を出してしまった。

「……掃除の成果、というか、その、掃除“中”に、ちょっと……」

「“ちょっと”で済まない魔力反応だったがな」

 ヴァルトが、短く切り捨てる。

 その目が、ゆっくりとリーナの方へ向いた。

 黒に近い深い色の瞳。
 戦場をいくつも見てきたのだろう、光の奥に薄い焦げ跡のような諦観が燃えている。

 彼は、一瞬だけリーナの全身を眺めた。

 薄いエプロン。
 泥のついた裾。
 結いきれていない髪。
 ――そして、彼女の周囲をふわりとまとっている、異質な“波”。

「……お前が、リーナ・フィオレか」

 名前を呼ばれ、リーナはびくっと背筋を伸ばした。

「は、はい」

「王立工房所属、魔導測量師見習い。……だった、か」

 “だった”の一言が、やけに鋭く突き刺さる。

 リーナは苦笑いにも似た顔で頷いた。

「はい。“だった”です。今はただの掃除婦です」

「ただ、ねぇ」

 ヴァルトの眉が、ほんの少しだけ動く。

 目には見えない魔力の流れが、彼の視界の中でどう映っているのかは分からない。
 けれど、彼もまた、何かしら感じ取っているのは確かだ。

「……お前の魔力は、ここでは解析不能だな」

 ぽつりと零れた言葉は、評価でも、非難でもない。
 ただの観察結果。

 だが、それだけで、工房で言われ続けてきた「存在しない」とは違う重みがあった。

「だが――兵器を起動させたのは、お前で間違いないか?」

 ヴァルトの視線が、ゆっくりと作業台へと移る。

 布をかぶせられたアークレール。

 布の下から漏れる蒼い波長が、彼の魔力感知をくすぐったのだろう。
 彼は一歩近づき、護衛兵たちが反射的に剣の柄に手をかけた。

「……危険と判断した場合、即座に破壊しても?」

 問われたのはマルタだった。

 掃除婦のまとめ役として、ゴミ置き場の責任者は形式上彼女だ。

 しかし、マルタは微動だにしない。

「やれるもんならやってみな」

 さらりと言ってのける。

「ただ、あたしの給金の何十倍かは弁償してもらうことになるよ。城の結界、また貼り直しだろうしね」

「……脅しか?」

「事実さ」

 マルタは肩をすくめる。

「昨日あの子が起こした“光”を、あたしの目も肌も覚えてる。  あれを力づくでへし折ろうとしたら、裏庭どころか城壁まで持ってかれるね。  あんたも戦場上がりなら、嫌ってほど見てきたろ。『よく分からないものを、適当に殴った結果』ってやつを」

 ヴァルトは、しばらく黙ってマルタを見ていた。

 その沈黙の中で、空気が張り詰める。
 護衛兵たちが息を潜めるのが分かる。

 やがて、ふっと鼻で笑った。

「……城の掃除婦が、“戦場の愚”を説教してくるとはな」

「掃除婦だからさ」

 マルタは視線を外さずに答える。

「あんたたちが前で派手にやらかした結果が、どれだけ裏側に回ってくるか、嫌ってほど見てきたんでね」

 ふん、と互いに譲らない空気が、数秒続いた。

 先に視線を動かしたのは、ヴァルトの方だった。

 彼は再び、リーナの方を見た。

「まあいい。……破壊は最終手段とする。王家からも『安易な破壊は控えろ』と釘を刺されている」

(壊さない、ってこと……?)

 リーナの胸に、少しだけ安堵が広がる。

 まだ完全に「守られた」わけじゃない。
 でも、「今すぐこの場で叩き折る」という最悪の未来だけは、どうやら避けられたらしい。

「確認する」

 ヴァルトは、アークレールの上にかぶさった布を、手袋をした指先で少しだけ持ち上げた。

 蒼い刃が、ちらりと光る。

 その瞬間、アークレールが微かに振動した。

 リーナの胸の中で、何かが反射的に跳ねる。

 ――嫌がってる。

 はっきりとそう感じた。

「やめてください!」

 思わず声を張り上げていた。

 ヴァルトの手が止まり、視線がこちらへと突き刺さる。

 リーナは、一瞬で血の気が引いた。

「あ、その、その……乱暴にしないでくださいっていうか、その……」

「乱暴?」

「はい。あの、その……」

 言葉を選んでいる時間はない。

 喉の奥でつっかえている本音が、勢いのまま口から飛び出した。

「これは、“ただの兵器”じゃないと思うので。  昨日、起動した時に……その……記憶、みたいなものを、見て」

「記憶?」

 ヴァルトの眉がひそめられる。

 周囲の兵士たちの中からも、ざわりと小さなざわめきが漏れた。

 リーナは、ごくりと唾を飲み込む。

 怖い。
 話せば話すほど、「また“見える見える”か」と冷笑される未来が頭をよぎる。

 でも――アークレールと共有したあの映像を、「何もなかったこと」にする方がずっと嫌だった。

「……壊れた街とか、塔とか、光の壁とか……。  泣きながら装置を起動していた人たちの顔とか。  この剣が、どれだけ“守ろうとして”、どれだけ“間に合わなかったか”とか……」

 言いながら、胸が痛くなる。

 膝をついて見ていたあの光景。
 足元から崩れ落ちていく都市。
 最後にすべてを焼き尽くした光。

「私、その全部を見て……。  だから……」

 だから、ここでもう一度、“ただの兵器”として扱われるのが怖い。

 「威力は?」「射程は?」「制御は?」
 そういう数字と項目でだけ、この刃の価値が決められるのが、嫌でたまらない。

「道具として…だけ、扱われるのは、嫌だなって……」

 最後の方は、自分でも分かるくらい情けない声になっていた。

 ヴァルトは、長く息を吐いた。

 その表情は読みづらい。

「……兵器を“道具として扱うこと”に抵抗を持つ掃除婦、か」

「す、掃除婦“なのに”、って言うのやめてください」

 条件反射で言い返してしまう。

 ヴァルトの口元が、かすかに動いた。

 それが笑いなのかどうか、自信はない。

「兵器は、本来道具だ」

 彼は静かに言った。

「使う側の意志次第で、守るためにも、奪うためにもなる。  ……だが、お前が言う“記憶”とやらが、本当だとすれば」

 そこで、彼は言葉を区切る。

「その道具を作ったのも、道具に頼ったのも、結局は人間だということだ」

 それは、肯定でも否定でもなく。ただの事実の確認。

 けれど、その奥に、少しだけ苦さがにじんでいた。

「……お前が見たものについては、後で正式に聴取する。今は――」

 ヴァルトが続けようとした、そのとき。

 ゴミ置き場の入り口で、別の怒鳴り声が響いた。

「ここが“例の現場”か! おい、どういうことだ、勝手に軍部だけ先に入るとは!」

 リーナの身体が、嫌な意味で固くなる。

 この声は、よく知っている。

 見るまでもなく分かる。
 それでも、見てしまう。

 そこにいたのは、白衣の裾を翻しながらずかずかと歩み込んでくる、あの男だった。

 王立工房長代理――グラツィオ・ベック。

 整えたつもりの黒髪は、今日も油っぽくテカっている。
 顔には、いつものように「自分がこの場で一番賢い」と信じて疑わない男の余裕が張り付いていた。

「軍部のヴァルト将校が先に現場を押さえた、と聞いたが……おい、これは工房の管轄だぞ。  古代兵器の反応だったなら、なおさらだ」

 グラツィオは、護衛兵たちやゴミ山なんて目に入っていないみたいに、まっすぐヴァルトの方へ歩いていく。

「久しいな、クロイツ将校」

「“久しい”かどうかは記憶にないな」

 ヴァルトは露骨に眉をひそめる。

「いずれにせよ、ここは軍部の監視下にある裏庭だ。勝手に工房の調査隊を入れるのも、本来は許可が必要だが?」

「許可は、今取った」

 グラツィオはつんと顎を上げる。

「『神速性が求められる案件につき、事後承諾とする』。王印付きの文書だ。……で?」

 そこで初めて、彼の視線がリーナに向けられた。

 嫌な汗が、背中を伝う。

「やはりお前か、フィオレ」

 吐き捨てるような声音。
 工房で何度も聞いた、“厄介者を見る目”。

「掃除婦に落としてもなお、問題を起こすとは。ある意味、大した才能だ」

「問題じゃ、ありません……」

 言い返す声は、弱々しかった。

 グラツィオは、リーナの隣の作業台――布をかぶせられたアークレールへと、興味津々といった様子で近づいていく。

「これが、例の“大規模魔力反応”の源か。……ほう」

 布の端を掴み、勢いよくひっぺがそうとした、その瞬間。

「触らないでください!」

 リーナと、ほぼ同時にもう一つ声が飛んだ。

「おっと」

 ヴァルトの手が、布の手前にすっと入る。
 その動きは速く、無駄がなかった。

 布はかかったまま。
 グラツィオの指先は、空を掴む。

「軍部が現在、この場の安全管理を行っている。事前の確認なしに触れるのは控えてもらおうか」

「軍部が? ここは王立工房の管理区域でもあるぞ。  古代兵器と推定される遺物の解析は、本来工房の仕事だ」

「“推定”の段階で勝手に触るなと言っている。暴発した場合、責任は誰が取る?」

「もちろん工房が――」

「違うな」

 ヴァルトの声が、一段低くなった。

「責任を取るのは、ここにいる兵士たちであり、掃除婦たちだ。  現場で血を流すのは、お前たち机上の人間ではない」

 空気がざくりと裂けるような一言だった。

 グラツィオの顔色が、一瞬だけ強張る。

 リーナは、少しだけ心の中で拍手を送った。

(言ってくれる……)

 どんな立場にいても、「現場」の重さを忘れない人間と、数字だけを動かしている人間の差。

 それをはっきり言い切れる人を、リーナは工房で一度も見たことがなかった。

「……感情論は不要だ、クロイツ将校」

 グラツィオは、すぐに表情を取り繕う。

「私たちは、結果としてこの兵器を“制御下に置く”必要がある。  そのためには、解析と研究体制が不可欠だ。  軍部だけで好きに使われては困る」

「誰も“好きに使う”とは言っていない」

「では、どう扱うつもりだ?」

 グラツィオの目が細くなる。
 その視線の先には、布越しのアークレールと、その柄にそっと触れているリーナ。

「昨日の感知記録を見た。  “古代兵器”と呼べる規模の反応だ。  王立工房としては、これを最優先研究対象として押さえる。  そして――」

 グラツィオの口元が、不快なほど滑らかに歪む。

「この兵器を起動させた“トリガー”も含めて、だ」

 “トリガー”。

 そこに含まれた意味を、リーナは理解してしまった。

(……私のことだ)

 兵器そのものだけでなく、それを起動させた“要素”も研究対象にする。
 工房なら、きっとそう言う。

「リーナ・フィオレ」

 名前を呼ばれ、リーナは反射的に背筋を伸ばした。

「お前がこの兵器を起動したのは、偶然か?」

「……分かりません」

 正直に答えるしかない。

「ゴミの中から拾い上げて、錆を落として……。  気づいたら、光ってて。  だから、“意図して”じゃないです」

「だが、工房時代から、お前の“異常な感覚”については何度も報告が上がっている」

 異常、という言葉に、胸がチクリと痛む。

「計器に反応しない波長を感知する。  今回の兵器も、その“感覚”で見つけて、起動させた。……違うか?」

「……違わない、と思います」

 それを否定することは、自分の唯一の存在価値を否定することになる。

「ならば、その感覚も含めて“解析”しなければならない」

 グラツィオの声は、乾いていた。

「王立工房としては、リーナ・フィオレを再度工房管理下に置き、“古代魔力波長感知個体”として研究対象とすることを要求する」

「研究対象……」

 喉の奥が冷たくなる。

 その言い方は、“人”ではなく、“サンプル”だ。

 机の上に並べられる試験管の一本。
 データの記録の一行。

 そういう扱いが、容易に想像できてしまう。

 リーナは、思わず一歩後ずさった。

 その腕を、そっと誰かが支える。

 マルタだった。

「落ち着きな、新入り」

 ぼそっと耳元で囁く。

「こっちだって、黙って“好きに連れてけ”なんて言わないさ」

 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。

 ヴァルトが、グラツィオの方へ向き直った。

「王立工房の要求は理解した。だが、軍部としては、その要求をそのまま飲むわけにはいかない」

「何故だ?」

「簡単な話だ」

 ヴァルトは、リーナを一瞥する。

「フィオレの“感覚”とやらが本物だとすれば――  彼女はこのゴミ置き場から、同様の古代兵器を次々と引きずり出す可能性がある」

 その言葉に、場の空気が一気に重くなった。

 リーナ自身も、息を飲む。

(次々と……)

 ここには、まだ他にも“呼吸”しているものがある。
 あの微かな光たち。
 山のあちこちで、助けを求めるように瞬いている“何か”。

 自分の手で、それらを見つけてしまう未来は、簡単に想像できてしまう。

「ならば、その場から動かさない方がいい」

 ヴァルトは続ける。

「戦場の常識だ。“危険物は、むやみに基地内へ持ち込むな”。  彼女を工房のど真ん中に連れ戻してみろ。古代兵器の巣窟になるぞ」

「……誇張が過ぎる」

「か?」

 ヴァルトの声は、少しも揺れない。

「ここのゴミ置き場は、工房からも軍からも、“不要と判断されたもの”の終着点だ。  古代文明の残骸が紛れ込んでいても、誰も気に留めなかった。  だが――“それを見つけてしまう目”がここにあるなら、話は違う」

 その目が、リーナに向けられる。

 突き刺すでも、責めるでもなく。
 ただ、“可能性”として。

「兵器そのものも厄介だが、“兵器を引きずり出す存在”の方が、よほど厄介になりうる」

 重い言葉だった。

 リーナは――少しだけ笑ってしまった。

「……なんか、すごく、嫌な言い方ですね」

「事実だ」

 即答される。

「戦場では、“敵地から兵器を持ち帰る兵士”は重宝されるが、“敵地そのものを味方の本拠地に引きずり込む兵士”は危険視される」

「分かるような、分からないような例え……」

 でも、“危険視されている”ことだけは、ひしひしと伝わってくる。

 グラツィオが、苛立たしげに舌打ちした。

「ならばどうしろと言う。  工房外、軍部外の人間に、自由に古代兵器を起動させて回れと?」

「自由にさせるつもりはない」

 ヴァルトは、即座に首を振る。

「……王家とも協議した結果、暫定的措置として、こう決まった」

 その言い方に、場の空気がさらに張り詰めた。

 リーナの心臓が、嫌なリズムで鳴り始める。

(“暫定的”って、ろくなことないんだよね……)

 経験で知っていた。
 工房時代、「暫定的措置」として始まった制度やルールは、だいたいロクでもないまま定着する。

「リーナ・フィオレは当面――〈ゴミ置き場専任掃除婦〉としての身分を維持する」

「……はい?」

 思わず間の抜けた声が出た。

 今さら何を、というか。
 すでに掃除婦だし。
 今さらそれを“維持”と言われても。

 ヴァルトは続ける。

「同時に、王立工房および軍部の共同観察対象とする」

「共同……観察対象?」

 グラツィオが目を細める。

 “軍部だけに好きにさせたくない”という打算が見え隠れしていた顔が、“共同”という単語で、急に現実的な方向へと動き始める。

「つまり、彼女は“兵器起動のトリガー”として確保されるが、その生活と仕事の場は、当面ここ――ゴミ置き場に限定される」

「…………」

 リーナは、一瞬理解が追いつかなかった。

 整理すると――

 ・掃除婦のまま。
 ・でも“観察対象”。
 ・ここからは出られない(少なくとも勝手には)。
・でも、工房と軍は、ここに堂々と出入りできる。

 ……なんという、都合のいい話。

「お前の役目は、これまで通り“掃除”だ」

 ヴァルトの視線が、再びリーナに戻ってきた。

「ゴミを片付け、危ないものを見つけたら報告する。  その過程で、また何か古代兵器を起動させた場合――軍部と工房が、共同で対処する」

「いや、その……私、好きで起動させてるわけじゃないんですけど……」

「それは理解している」

「理解してるなら、せめて“起動させないように頑張る”って選択肢も……」

「それは現実的ではないな」

 ばっさり切り捨てられた。

「お前の体質が変わらない限り、“視えてしまうもの”は視える。  ならば、それを前提に動く方が合理的だ」

 合理的。
 結果と実利。

 ヴァルトらしい考え方だ、と、初対面なのに妙に納得してしまう。

 グラツィオも、苦々しげに唇を噛みながらも、その案を完全には否定しなかった。

「……つまり、工房としても出入りは許される、と?」

「当然だ」

 ヴァルトは頷く。

「兵器の解析、魔力波長の記録、感覚の聞き取り――お前たちが得意とする分野だ。  ただし、兵器の運用と安全管理は軍部が主導する」

「共同、というより、軍部優先ではないか」

「現場で血を流すのは軍部だと言ったはずだ」

 ふたりのやり取りは、完全に“上の世界”の争いだ。

 その真ん中に、自分の名前だけがひょいひょい飛び交っている。

 リーナは、なんとも言えない気分になった。

(結局、私は、“上”にとって都合のいい場所に、都合のいい形で置かれるだけなんだな……)

 掃除婦から昇格させる気はない。
 でも、“兵器を引き出す存在”としては利用する。

 それが、彼らの導き出した“妥協点”。

 妙に納得してしまう自分も、どこかで冷めていた。

「……分かりました」

 小さく息を吐き、リーナは頷いた。

「掃除は、どうせやります。ここ、ほっといたら本当に危ないし。  “観察”されるのは、気持ちよくはないですけど……。  それで誰かが勝手に死ぬのを防げるなら、その方がマシです」

 本音だった。

 工房で、“異常なし”と書類に書いて終わりにされたあの日。
 何もできなかった自分。

 ここで“何もしない”を選ぶことが、あの日の自分と同じだとしたら――それが一番、嫌だ。

「ただ、一つだけ、言わせてください」

 自分でも驚くくらい、声はちゃんと出ていた。

 ヴァルトもグラツィオも、同時にこちらを見る。

「ここを、“掃除婦立ち入り禁止区域”には、しないでください」

「……は?」

 グラツィオが眉をひそめる。

「古代兵器が見つかったからって、ここを全部封鎖して、“専門家以外立ち入り禁止”とか、そういうのやめてほしいって意味です」

 リーナは、言葉を探しながら続けた。

「ここは、掃除婦たちの仕事場です。  マルタさんたちが命綱みたいに守ってきた場所です。  私がやらかしたからって、“上の都合”だけでここから彼女たちを追い出すのは――嫌です」

 マルタが、少しだけ目を見開いた。

 ヴァルトは、リーナをじっと見つめたまま、表情を動かさない。

「……理由は?」

「理由?」

「嫌だと言うなら、その理由を説明しろ」

 彼の言い方は厳しかったが、“否定するため”ではなく“理解しようとしている”のだと分かる。

 リーナは、深呼吸をひとつしてから言った。

「“異常なもの”を、無かったことにしようとすると、絶対どこかで歪みます」

 工房の白い廊下。
 「計器に出ないものは存在しない」と言われ続けた日々。

 その果てに、自分はここへ追い出された。

「工房で、私の“視えるもの”を無視した結果が、あの事故だったみたいに。  ここで“ゴミ置き場なんて無かった”ってことにして、専門家だけで抱え込んだら、多分また同じことが起きる」

「同じこと?」

「“見えない場所”で何かが腐って、“見たいものだけ”見る人たちが、それに気づかない。  そのツケを払うのは、いつも一番下の人たちです」

 マルタが、小さく息を吐いた。

 ヴァルトは、ほんの少しだけ目を細めた。

 グラツィオだけが、あからさまに不快そうな顔をした。

「感情的すぎる意見だな」

「感情がなかったら、人はこういう場所をそもそも見ようとしませんよ」

 思わず、言い返していた。

 自分でも、「よく言ったな」と思うくらい。

 グラツィオのこめかみの血管がぴくりと動いた。

 ヴァルトが、それを指先一つで制した。

「……分かった」

 短い言葉。

「ゴミ置き場の封鎖は、今のところ行わない。  現場責任者はこれまで通り、マルタ・グレン。  ただし、魔力感知結界と監視体制は強化する」

「それくらいなら、許せるね」

 マルタが、ようやく口元を緩める。

「上の連中の顔色伺って、こっちの仕事まで増やされるのはごめんだけど」

「仕事は増えるさ」

 ヴァルトは淡々と言う。

「ただ、死者は出さない。それが、俺の担当だ」

 リーナは、アークレールの柄をそっと撫でた。

 柄の奥から、かすかな波長が返ってくる。

 賛同。
 揶揄。
 あるいは、「面白くなってきた」とでも言いたげな、古代の兵器らしからぬ感情。

「……頑張ります」

 小さく呟く。

 掃除婦として。
 観察対象として。
 そして、“古代兵器を拾い上げてしまう厄介な目を持つ人間”として。

 このゴミ置き場は、今日から“立ち入り禁止”にはならなかった。
 ただし――

 誰よりも早く、“上”の視線が入り込んでくる場所になった。

 最底辺の、いちばん端っこの、誰も見なかったはずの場所が。

 世界のど真ん中に、じわじわと繋がり始めていることを――まだ、この時のリーナは、ちゃんとは実感していなかった。
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タマ マコト
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無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……の第2部 アストライア王国を離れ、「自分の人生は自分で選ぶ」と決めたエリーナは、契約竜アークヴァンとともに隣国リューンへ旅立つ。肩書きも後ろ盾もほぼゼロ、あるのは竜魔法とちょっと泣き虫な心だけ。異国の街エルダーンで出会った魔導院研究員の青年カイに助けられながら、エリーナは“ただの旅人”として世界に触れ始める。 しかし祭りの夜、竜の紋章が反応してしまい、「王宮を吹き飛ばした竜の主」が異国に現れたという噂が一気に広がる。期待と恐怖と好奇の視線に晒され、エリーナはまた泣きそうになるが、カイの言葉とアークヴァンの存在に支えられながら、小さな干ばつの村の水問題に挑むことを決意。派手な奇跡は起こせない、それでも竜魔法と人の手を合わせて、ひとつの井戸を救い、人々の笑顔を取り戻していく。 「竜の主」としてではなく、「エリーナ」として誰かの役に立ちたい。 そう願う彼女と、彼女に翼を預けた白竜、そして隣で見守る青年カイ。 世界の広さと、自分の弱さと、ほんの少しの恋心に揺れながら── “旅を選んだちょっと泣き虫で、でも諦めの悪い娘とその竜”の物語が、本当の意味で動き出していく。

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