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第二章
第七話 柳に雪折れ無し
しおりを挟む最悪、最悪、最悪!
御厨樺糸は内心で、いや、実際にもはっきりと声にも出しながら食堂を飛び出し、すれ違う人間の視線を振り払いながら教室までの道をただひた走った。途中教師から走るな、と呼び止められたことにも気が付かないくらいには、全力で走っていた。
制服の袖口で擦りすぎた唇にはヒリヒリとした痛みが出てきたが、それでも尚擦らずにはいられない。
胸から喉へ競り上がってくるような気持ち悪さは、空腹も相まって吐き気に近しいものがある。
なんでだ。なんでこうも自分は上手くいかないのだろう。
一年二組の教室のドアを力加減も出来ずに開け放つと、殆どの生徒が食堂へ出払っているのか、数名教室の奥の席で固まって話していた生徒が驚いたように御厨へ視線を注いだ。
一瞬の気まずさを覚えたが、今御厨を支配している不愉快はそれを無視させて、勢いのままに自分の席に座り顔を伏せた。
なんで、なんで、なんで。
たった一週間だ。たった一週間で、なんでこんなことになってしまったのだ。
もう後がない自分にとっての最後の居場所かもしれないのに、幸先があまりに悪すぎる。しかもあんなにも最悪な目に遭うなんて。
やっぱり、殴っておけばよかった。
強く握った拳の行き先も分からず、自分の机を数回殴る。気がついたら爪を噛んでいる。
頭を抱え込むと、走ったせいでウィックがずれていたことに気が付き、慌てて直した。これ以上目立つ訳には行かない。
昼休みの間はずっと眠るふりをしていたが、次第に帰ってくる事の顛末を見ていたクラスメイト達のざわめきは無情にも耳に流れてきた。しかしもうこれ以上暴れられない。
約束は守らなくてはならない。
あまりにも長く感じられたチャイムまでの時間だったが、やっと授業が始まり、大人しく教科書を開く。
あぁ。お腹空いた。
今朝、机の上に並んでいたあの綺麗な朝食を思い出して、また最悪の気分になる。
第七話 柳に雪折れなし
一週間前の五月の頭、御厨がこの学園に降り立ったのは、よく晴れた日曜日の午前のことだ。
山道を往くマイクロバスの乗り心地はあまり落ち着かず、酔いたくなくてひたすらに外の緑を見つめている。慣れないメガネのせいかもしれないと気が付いてからは、外してポケットにしまった。
全てに見限られそうと思った日から、努力をしなくてはいけないと知って、色んなことを試した。メガネを買ったのもそのためだ。カツラを買った店の店主は心底不思議そうな顔をしていたけれど、御厨は鏡に映った自分をとても気に入っていた。
それは、自分ではなかったから。嫌いになりかけている自分がいとも簡単に変われたように見えて、やっと心に希望が差した。
バスを降りて少し道を歩くと、それはそれは大きな門が目の前に現れた。
運転手からは、この先をまっすぐ行くと門があって、そこで人が待ってるはずだから説明を受けるようにねと言われていたが、底には人っ子一人おらず、門の向こう側に見える噴水が緩やかに流れる音だけが響いている。
「すんませーん」
かなり大きな声で言うものの、やはり返事はない。何度か繰り返したが同じことだった。それから辺りを見渡して、キャリーケースは仕方が無いので門に寄せて置いておく。
それから屈伸をしたり、腕を伸ばしたりと、準備体操を始めた。かなり高いが、これなら届く。
御厨樺糸という人間は、基本的に何かを待ってはいられない。助走の為の距離を取り、上を見上げ、姿勢を低くして右足を後ろに引く。
深い呼吸をして、御厨は走った。
そして門の寸前、助走の勢いのままに地面を蹴りあげ、目的の場所を両手で掴んだ。よし、これなら越えられる。中腹部分から上は装飾のおかげで手や足を引っ掛ける場所が沢山あるので、遊具のように頂点までは簡単に上がっていけた。
よく分からない槍のようになっている部分を掴み体を伸ばすと、地形のお陰か学園の周囲を一望できた。
本当に、なんでこんな所に学校を作ろうなんて思ったんだか。
鬱蒼と茂った木々が学園を取り囲み、新緑は春の風で大きく蠢いていた。しかし、日曜とはいえこんなに人がいないものなのだろうか。ここのルールが何やら面倒なことが多いことは聞いたが、詳しい話はまだこれからの予定だ。半身を翻して反対側に目をやると、門から続く一本道の先に別の建物が立っている。校舎ほどでは無いが、そこそこ大きい建物だった。
あれ、そういえば事前に、まず寮舎に来いと言われたような。
「そんなところでなにをしているんですか」
遠く下の方から、しかしはっきりとした低音の美声が聞こえた。真下を覗くようにしたら危うくバランスを崩しかけてしまい、慌てて飾りを掴む。
声のする場所には、空の色によく似たサックスブルーの制服姿の男がいた。
銀色のようにも見える深い灰色の長い髪を後ろでひとつに束ねたその男の、鋭い瞳と目が会う。
「誰だ!」
「こちらの台詞です。通報されたくなければ降りてきなさい」
諭すような声色だが、その目のせいだろうか。全くもって穏やかではない男の雰囲気に気圧されるが、生徒であることに違いはなさそうだ。
ポールを伝うようにして門から降りると、何だが変なものでも見るような顔をしているので首を傾げる。
「なんだよ」
「…あなたは?」
「御厨樺糸。今日からここに転校することになった」
「なんであんなことを」
ちらり、と門の方を見てから再び御厨に視線を戻す。近くで見る方が余程ぞっとする冷たい目だった。
「だって誰もいねえし呼んでも来ねえし。ていうか、お前…あ、なたは、だれですか」
すっかり忘れていたが、粗暴な態度や言葉遣いをやめていかなくてはならないのだった。ぐっと堪えて敬語に言い直すと、男はにこりと微笑んだ。
「生徒会副会長の 倉敷柳一と申します。お見知り置きを」
はっきり音が付いてるみたいな丁寧な笑顔は、やけに作り込まれていて気持ちが悪く、顔を顰めてしまった。
「気持ち悪い笑顔。笑いたくなきゃ笑うなよ」
あ、やべ。
思ったことを口に出すなと散々言われたのに、一番言ってはいけなさそうなことを声に出してしまっていた。
倉敷の顔からすっ、と笑みが消えたと思うと、先程とは違うニヒルな表情で御厨に近づいてきた。細められた深い翠の瞳は蛇のようで、背筋に冷ややかなものが走る。
後退るが、背中は門にぶつかってしまった。
その衝撃でウィッグが落ちてしまい、倉敷の目が開かれる。
「ふぅん。君、面白い子ですね」
まずい、眼鏡を外しているんだった。
伸びてきた長い指に顎を持ち上げられ、その顔が近づく。
「は?」
・
はっ、と目を覚ますと、教室の自分の席で俯せになっていた。
午後の授業が終わったようで、丁度チャイムが生っている。
嫌な夢を見てしまった。
全て、生徒会の奴ら、特にあの空嶺とかいう生徒会長のせいだ。
昼休みのあれやこれのせいで完全に腫れ物だ。元々、変装した御厨に友達ができる気配はなかったが、余計に誰も声をかけるどころか、近寄っても来ない。
ホームルームが始まった頃には完全に目が覚めていたが、とにかくお腹がすいている。帰りに食堂に寄ろうかと過ぎったが、冷静になれば流石に気が向かない。
痛いほどつき刺さる視線に舌打ちをしそうになるが、窓ガラスに映る自分と目が合って、奥歯を軋むほど噛み締めた。我慢だ。兎に角、今は耐えるしかない。
・
部屋に帰ると、既に靴があった。
誰より早く教室を飛び出した自信あったのに、あの変わった同室者はそれより早かったのだろうか。確かに誰ともすれ違っていない。
とはいえ、蓮水は共有スペースには居らず、部屋の扉はしまっているので気楽に話しかける状態では無い。
しかし、やはり少し気になって部屋の前でうろうろしてしまう。
そのとき、チャイムが鳴った。
インターホンには、網膜認証で登録された名前と顔写真が出る。
真田川春實。
確かに、春實という名の良く似合う、和風で正統派な顔立ちをしている。背が高いのか、少し見下ろすようにしていた。
体格の良さ、伸びた背筋、真っ直ぐ揺らがない目。御厨のような人間は、そういうものを持ってして生まれ持った人間に、何をしたって勝てないことを知っている。
『蓮水。俺だ。荷物を届けに来た』
そう言ってカメラに向かって掲げているバッグには、変なうさぎのストラップがぶら下がっていた。蓮水のなのだろう。しかし荷物を届けるって。なんでまた。蓮水が反応しないのなら無視をしようかと思っていたが、気になってしまって応答のボタンを押してしまう。
「早退でもしたのかよ」
『その声は…転校生の』
「御厨だけど。蓮水は早退したのか、って聞いてんの」
普通に言えばいいものを、またしても喧嘩腰なことに気が付いて抑え込むように口を覆う。しかし真田川は気にした様子もなく、少し小首を傾げて言った。
『聞いてないのか?昼休みに一緒に食べてたんだが、気が付いたらいなくなってて。寮監から担任に連絡は来ていたらしくて、久々の登校だったので疲れたのかもしれないって。少し顔が見たいから開けてもらってもいいか』
理由は分からないが、丁寧に説明する真田川を見ていたら、異様に苛立ってきた。
なんだ少し顔が見たいからって。親族か。
そういえば、同室者について詳しく聞いていなかった。
入院していた、というのは知っているが事情は知らない。というか、生徒会の訳の分からない食事会に連行された時、誰かがその事について話していた気がするが、あまりにも興味がなくて聞いていなかった。
その事情も、この男は知っているのだろうか。荷物を持ってきているということな、クラスメイトのようだし。
「なんで蓮水が入院してたか、何か知ってるか?」
そう訪ねると、目を大きく見開いてから伏せた。
なんだその露骨に話したくなさそうなリアクション。
『そういうのは、他人が勝手に吹聴しちゃ行けないことだと思う。俺も全てを知っている訳じゃないし、悪いけど、蓮水が元気になったら本人に聞いてくれ。嫌がらなければだけど』
とてつもない正論を申し訳なさそうに告げられ、軽い苛立ちが憤りとして膨れ上がってきた。こういう正しい人間は苦手だ。何度も何度も、悪者にされてきた。
一度深呼吸して、モニターを消す。
ドアの前まで行って、施錠の為にセンサーに目を翳した。
施錠の音に驚いたのな、真田川は慌てて身を引いてこちらを見下ろしている。それを睨みつけるようにして御厨は見つめた。
「お前、本当にあの転校生…か…?」
そう言われてたった今、自分が部屋に戻って早々に全ての変装をしていないに気がつく。
ウィッグも、メガネも、丈の合っていないブレザーさえも脱ぎ捨てて、ありのままの姿で飛び出してきてしまった。数々の問題の種となってきたこの容姿を、無防備に晒してしまっている。
真田川は目を丸くしたまま、じっと御厨を見つめていた。
焦った御厨がどうしたかといえば、それはもういつも通り。
「二度と俺の前にその面見せんな!」
暴言、そして力技。
唖然とする真田川の手からスクールバッグを引ったくり、力任せにドアを閉じる。寸前、何か言いたげに伸ばされた手が、これまで御厨に伸ばされた嫌な手の記憶と重なり、気持ちの悪い汗が吹き出す。がちゃりもしまったドアの前で耳を済ませていると、数秒してから遠ざかる足音がうっすら聞こえた。
あんなことを言ってしまっていいはずがない。何より、また見目の良い男に自分の見た目がばれてしまった。更に拗れる予感に頭が痛くなって仕方がない。どうしてこうも詰めが甘いのだ。
今日は本当に最悪の日だった。
いやいや、そんなことより。
今抱えている、このバッグを持ち主に返さなくてはならない。
目の前にある同室者の部屋のドアが、あの時の門よりも遥かに厳重なものに感じた。
・
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