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第一章
第六話 天馬空を行く
しおりを挟む第六話 天馬 空を行く
四限終了のチャイムに肩の力が抜ける。
授業から開放されたクラスメイトの喧騒から隠れるように、鞄から取り出したランチバッグを抱えて教室を抜け出した。速歩で階段を降りて一階に着けば、少し安心してゆっくり歩き出す。すると、背後から肩を掴まれた。
驚きのあまり心臓が止まりそうになり振り払う勢いで振り向くと、肩で息をする真田川の方が、何故か唖然とした様子で和を見つめている。
「びっくりした。逃げ足が早すぎるだろ」
びっくりはこっちだよ、と言いたい気持ちと逃げ出したい衝動を堪え、冷静に真田川に居直る。肩で息をしている割に、汗一つかいていない。
「なにか用でしょうか…」
「昼、一緒に食べようと思って」
「お構いなくって…あの、もしかして先生になんか言われてる?」
図星をつかれた人間というのは分かりやすい。
何故か少し照れた様子で頬をかく真田川に、同情の眼差しを向けた。こんな男と昼食を共にしたい人なんて他に溢れんばかりに沢山いるだろうに。
真田川は、あっさり認める。
「うん、実は言われた」
幻滅するようなことでもないのに少し気持ちが落ち込むのは、こびり付いた不愉快な視線の記憶に作り上げられた心の弱さが原因だ。真田川は悪くない。
目立つ人間の傍にいたら、過去の自分と同じ轍を踏むのだ。あのときの怖かった感情を、明確に思い出してしまった。
「なら、気にしなくて大丈夫だよ。先生にも僕から言うから」
「いや、うん、気にして見てとは、確かに言われたんだけど。別に昼飯を一緒に食べろとかじゃなくて…とりあえず食堂いかない?飯食いながら話そう」
和は顔を歪めそうになる。食堂にはあまり行きたくなかった。理由は色々あるのだが、食堂で提供される食事はどれも豪勢で量も多く、学食と思えない価格もそのひとつだ。その中で弁当を広げるのは、相当勇気がいる。
この学園の仕組みとして、皆学生証が支払い用のカードのような役割をこなし、そこに入っている親が決めた月々の生活費で暮らしている。追加の際は申請が必要で少々面倒臭い。所謂お坊ちゃんばかりの学校で、カツアゲのような現金のやり取りが発生させない目的と、使用履歴を直ぐに確認して問題を追求できるようにという、意外とまともな理由で出来たシステムだ。因みに不正利用などが発覚した場合即退学となるらしい。余った分は年度末に返金されるが、和は使いすぎ防止の為必要最低限の金額を設定して、ほとんどの買い物はヤマガミ商店で安く抑えている。学食は一度も利用したことがない。
唯一の贅沢といえば、週に一度の金曜日の朝、売店にやってくる山の麓のパン屋さんのパンを買うくらいだ。
「ごめん、僕お弁当だから食堂使わないんだ」
「だから食堂で見ないのか。すごいな、自分で作ってるのか?」
「まあ」
「そしたら、蓮水が普段食ってるところに行こう。食堂で軽食買っていくからさ」
軽食って、あのたまに見かけるコスパの悪すぎる丸の内弁当みたいなやつのことか。こう断れば諦めてくれるかと読んでいたのだが、真田川が引き下がらない。なんとなく、逃げるのは難しそうだと悟る。
けれど、普段どこで食べてるのかまで伝えたくない。
あの場所は、和にとっては大切な場所だ。
「いや……食堂で、大丈夫」
「そうか?じゃあ行こう」
本当に目を細めたくなる晴れ晴れとした顔をしている。
何度か走って逃げようと考えたが、先ほど追いつかれた衝撃がまだ残っていた。相当足が早いのだろうし、体力もある。目の前を歩く背中から見ても身長以上に骨格ががっしりしていて、逃げきれるイメージが全く湧かない。
悪い人でもないと思う。初めから敬語を使わずに話せているのも、真田川の人柄に絆されていると言っていい。敢えて逆らわず付いていくことにしたが、妙に胸騒ぎがした。
食堂に入るのは二度目だったが、相変わらずの豪勢な雰囲気は全くもって居心地が悪い。
一度目は新入生を在学生、主にルームメイトが構内を案内する慣わしで来たことがあって、その時初めてメニュー表を見て、やはり自炊にしようと心に決めたのを思い出した。
皆がそれぞれ、入口の券売機に学生証を翳す姿を見て、羨ましいと思わないでもないが、一番安いサンドウィッチでもコンビニの三倍ともなると流石に躊躇してしまう。
真田川は知り合いなのかファンなのか、挨拶を交わしながら席を取り、自分の上着を和の隣の席に掛けて、待っててとまたしても笑いかけられる。
だから嫌なんだよ、と内心思わずため息を吐きたくなった。
恐らくクラスの人間は皆真田川に心酔している様子で、事件のことを気にしている彼が和に気を配っていることをどうにか飲み込んでいる様子があるが、それ以外の生徒にとっては内部進学で常に人気者だったであろう真田川が急に外部入学の一人の生徒と仲良くしはじめたのだ。
事件についても詳しく聞いてはいないが、あそこにいた三廻部と周が話し合った結果、内容は伏せる形になっていて、現場にいた者と身内以外は何も知らない。なので、真田川は和の怪我についてもクラスメイトの嫌がらせが原因と思っている節がある。
話すべきか、どうか。向こうからも、何か言いたいことがあるようだったし、今日を境に少し距離を置きたい。怪我が自分に関係ないと知れば、世話を焼くこともなくなるのではないか。
やはり、目立つ人間とはあまり深く関わっていたくいない。
「おまたせ」
「わっ…」
鼻をくすぐるいい匂いはそこかしこから漂っていたが、目の前に現れると尚すごい。
十人くらい座れる大きな机の端で、壁と真田川に挟まれると和は殆ど物陰になり、他の生徒の視線はまっすぐに真田川に向かっている。
そんな中、和の視線は真横のトレイの上に釘付けだった。
「ほ、本格カレー………」
「ここのすんげぇ美味いの。少しいるか?」
「ぅ、いっいい…大丈夫…」
「本当かー?」
今にも滴りそうな唾液を堪え、こそこそとランチバッグを開ける。こんな豪華な食事が並ぶ場所だと、流石に気後れするも、食べない訳にもいかない。
ボックスと、小さなタッパーの蓋を開けて机に並べた。
「それ作ってんの?!すごくないか?!」
急に耳元で大声を出されて真田川を見ると、真っ直ぐに和の手元に向けられていた。
「いや…今朝のもん適当に入れて、あとは冷凍で…」
「このサンドウィッチはなにが入ってるんだ?」
「ハムとチーズ、こっちはレタスとたまご」
「これは?」
「冷凍のグラタン…ってこれ知らないことあるんだ」
「ちっこいな!有名なやつのか?」
「一般家庭では、多分」
いたく感動されてはいるが、朝適当に巻いた小さいロールサンドウイッチ4つと、トマト、冷凍食品のグラタン、あと朝焼いたウィンナーを適当に詰めただけだ。米がない日の定番だが、正直人に見せるようなものでもない。
そんなことよりも、お金持ちというのはこのグラタンの味を知らずに大人になるのか、という事実を和は噛み締めてしまう。高級レストランようなランチは勿論魅力的だが、こういう人智の生んだ簡単で安価なものの絶妙な美味しさを知る人生でよかったと思えるくらいには、冷凍食品を愛していることに気がついた。ヤマガミ商店、食品メーカーさん、いつもありがとう。
いただきます、と呟くと、同じように手を合わせて真田川もいただきます、としっかりと発している。育ちの良さが姿勢に出ていた。
「家って言えば、蓮水のお兄さんってあの伝説のふたりなんだよな」
「うん。でも、二人がたまたまそういうお仕事してるだけで、本当に普通の家だよ。皆みたいに、跡取り息子でもなければ、ボンボンでもないから」
「そういえば、蓮水も外部受験だったもんな」
「まあ、くゆ…一番上の兄がそもそも特殊で」
現在の兄の活動名義が本名と違うことに気が付いて言い直しながら、和は当時のことを思い出す。
薫がこの学園に入ったのは高校二年生からだった。
一年の頃にスカウトを受けたが、両親との約束で高校卒業までは働かないと決めていたので、大学生になったら活動を始めるという約束で事務所と契約をした。
あまりの美しさに普通の学校に通っていると勝手に写真を撮られたり、トラブルに巻き込まれそうになることが多々あったのだ。そんな中、事務所から紹介されたのがこの学園で、編入を決めたらしい。当時の和はまだ幼く、あまり理解はしていなかったが。
「編入生初の生徒会長だろ?伝説と化してるよ。蓮水薫先輩。今でも生徒会室に壁画あるらしいぞ」
その話は聞いたことがあった。
当時彼の親衛隊が描いたものの、あまりの出来の良さに奪い合いがおき、結局生徒会に置くことになったという。美術の好きな薫はやけに美化された絵は不本意だったらしいけれど。
サンドウィッチを齧りながら、心に浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「もしかして、兄たちに興味ある?」
「興味というか、その。伝えて欲しいことが…」
「あぁ。なに」
「…そんなに言伝頼まれるのか」
また告白の伝書鳩か、と向き直ると真田川は意志の強そうな四角い瞳をまん丸くした。そういえば、中学のときまでと違い、この学園で兄のことを聞かれたりしたことは無い。唯一、あの三廻部だけだ。
首を縦に振ると、真田川はなにか感心したように頷く。
「まあほぼ都市伝説みたいな人たちだからな…」
「真田川くんはなんで知ってるの?被ってないのに」
「中等部の時、生徒会長やっててさ。丁度蓮水先輩…あ、周さんな?高等部の会長だったから一度だけ会ったことがあるんだよ。その時、助けて貰ったんだ。でも、お礼言えず終いで。もし出来るなら、伝えておいてもらえると嬉しい」
色々と驚くことはあった。まず、真田川が周と面識があったこと。そして高等部と中等部に関わりがあるということ。何より、周が他人を助けたということだ。
名誉の為に説明するが、決して周の性格が悪いとかいうことではなく、本来は優しい人だが、人に優しく接するともれなく惚れられて面倒なことになることを幼ないながらに学習し、決して自ら進んで助けるようなことはあまりしない。しかも在学中荒んでいたらしい周が。
「あの周くんが…」
「それで、話したかったことがあって」
「ん、あぁ。なに?」
初めて、真田川が暗い表情を見せた。目を伏せて、怒られた犬のように落ち込んでいる。以外にくるくると変わる表情も含めて、本当に大型犬のようだ。
「...実はさ、ずっと蓮水に話しかけたくてちらちら見ていたのを、親衛隊の、クラスメイトの一人が勘違いしたらくて」
「勘違い…?」
「は、蓮水が俺に色目使ってる、とか」
突然の告白は、意味がわからなさすぎて声も出なかった。色目。誰が、誰に。
怪訝そうに真田川を見るが、青ざめた顔で眉間に皺を寄せ、弁解するように必死に手を左右に振っている。
「わかってる、勘違いだよ。しっかり伝えたし厳しくも言った。だけど、実際蓮水のことをよく見ていたから…」
なぜ真田川が自責の念を抱いていたように見えたのか、少し理解できた。大したことではないし、どう考えても勘違いした方が悪いが、自分の行動が原因になってしまったと申し訳なくなっていたのだろう。
しかし、見られていたなんて全く気がついてなかった。
「よくもまあこんなにつまらない顔を...」
「つまらないって、そんなことないだろ。だってその、蓮水さんに...横顔が似てるなぁ、って…思って…」
か細くなる声には、恥ずかしさを押し殺すような気配があった。
和にとっては幾度と言われてきたことだから、今更気にすることもない。結局他人に好意を与えるのは、美しい兄たちと似てるところだけなんだな、と他人事のように思うだけ。地味でぱっとしない、印象の薄い顔だから仕方ないけれど、喜ぶべきかもよく分からないので反応はしない。褒められたからといって感謝をしたことで、陰口を叩かれたこともある。
ひとまず、この話は終わらせたかった。
「周くんに言っておくね。真田川くんがお礼言ってたよって」
「あ、ありがとう!本当に。よろしくお願いします」
いい人なのだろう。ここまで話して、結局兄にお礼が言いたいだけだったようだし。愛の告白やラブレターは自分を介して伝えると、兄達が不機嫌になるので正直面倒くさかったのでよかった。
しかし、話はこれで終わりだ。これ以上語らうことは何もない。そそくさと口にサンドウィッチを詰め込み、グラタンも勿体なく思いつつ口に流し込んだ。普段はその美味しさ故に物足りないが、今日ばかりは助かった。
何やら安心したような、満足そうな笑みでカレーを食べ始めた真田川を横目に、ランチバッグを抱える。
「用が済んだなら、僕はここで…」
「おい、そこのモブ!調子に乗るな!」
自分のことだと思い飛び上がりそうになりながら周囲を見渡すが、皆笑顔の真田川にメロメロといった様子で、話しかけてきた様子の者はいない。
見ると、学食の出入口の傍の席の方で、別の生徒たちが揉めている様子だった。見覚えしかないもさもさ頭の小柄な生徒が、胸ぐらを掴まれていて、辺りも次第にざわつき始めている。
「お、っボクが何したっていうんだよ!」
やけに縁にハリのある、耳への当たりが強いこの声変わりの近そうな声には当然覚えがあり、壁際に向かって顔を隠す様にしてしまう。
特に理由は無いが、何となく見ていられなかった。
「もしかして、あれが噂の転校生か。蓮水のルームメイトだよな」
「うん、まあ…」
なりたてもなりたて。何故か挨拶したら睨まれたり、ぶっ殺すとか言われたり、朝晩の食事作りを頼んできた喜怒哀楽が激しい変な奴という印象だが、元の容姿を知っているせいか聞こえてくる声と目の前の見た目にとてつもない違和感がある。本当にどこで買ったんだ、あんな眼鏡。前は見えているのか。
「しょうもねえ嫌がらせばっかしてきて、好きであいつらに付きまとわれてるわけじゃないから!言うなら向こうに直接言え!」
「信じられない!生徒会の皆様に対してあいつら呼ばわり?!どこまで性根が腐っているんだ!」
「御厨樺糸、お前は一線を超えたな!」
「どんな目に遭っても文句は言えないぞ!」
なんでだよ。どんな目に遭うんだよ。
あまり状況は理解できていないが、あまりのツッコミどころの多さと、もはや芝居ががって見えてるとコントみたいで笑いそうになる。御厨の正論に聞こえる物言いに激昂し、彼の胸ぐらを掴んでいる、ネクタイの色からして二年生の生徒と、その取り巻きの様な同じく二年生の二人はシンデレラの継母と義姉を思わせるものがある。
「喧嘩か?止めた方がいいよな」
立ち上がろうとする真田川の腕を、反射的に掴んでしまった。
あの場には割って入るべきではない気がしたのだ。不思議そうに視線を向けられたが、小さく首を振ることしかできない。本当は今すぐにでもこの場から逃げたいが、よりにもよって舞台は出入口付近ではじまってしまった。
何か言いたげに食いしばっていた御厨も、罵られては我慢できない様子で、何かを叫ぼうと口を開けた、その瞬間。
まるで、世界が制止したように、一人の少年が現れた。
「お前。汚い手でコイツに触るな」
和には、ひとり。
ただ一人だけ、ずっと会いたい人がいた。
しかし、中学三年生の和に降りかかったとある出来事がきっかけで、会うことが急に恐ろしくなってしまった。
進路を決めてから、この学園の生徒だったと知り、なんとかしてその人とは出会わないようにしていたのに。
割んばかりの悲鳴と歓声が向かう先にいる少年は、正に童話の中の王子様。端正な顔は少しばかり怒りを浮かべているせいが、息を飲む迫力を生み出している。
先程まで威勢の良かった二年生たちも腰を抜かし、今どき漫画でもなさそうな絵面になっている。さながら絵画だ。
その生徒はブロンドに輝く髪を流れるままにセンター分けにして、瞳の色も同じく黄金を閉じ込めたかのように輝いている。窓から差し込む昼の柔らかな光に当てられると、琥珀の宝石のように魅惑的に揺らめいてみせた。
大きく切長なアーモンドアイを真っ直ぐに一人の生徒に向けて、悪戯に笑みを浮かべると、再び絶叫が至る所で巻き起こる。
「げっ」
「暴れん坊だなぁ、プリンセス。お転婆も大概にしとけよ」
「触んなクソ会長が」
今の見た目にはそぐわない粗暴な物言いをする御厨の頬に伸ばした手を強めに叩かれると一瞬動揺したようにも見えたが、また気の強い笑顔を作って見下ろしている。
ネイビーブルーのネクタイをしていなくたって、彼が二年生であることは誰もが知っている。
学園の誇る生徒会、 空嶺藍杜。
「ったく、減らねえ口だな」
彼はそう言うと、御厨の深緑色のネクタイを掴み、力強く自分の方へ引っ張り、形のいい唇同士が啄むようにしてくっついた。
先程までとは比べ物にならない量の断末魔が食堂に響き渡る。きっと世紀末に聞く声はこんな感じなのだろうと想像せずにはいられない。
衝撃が過ぎて、寧ろ落ち着きを取り戻した和は思った。
意味が分からない。なんだこれ、と。
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