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【3‐3】救済
ヒミツの約束
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薬膳粥をささっと作るミエーナ。寒空を駆けた皆に配った。
匂いは青臭く、苦そうだ。だが、食べると全然苦味を感じなくて驚かされる。早速お役立ちキャラの座を得ていた。
ミエーナは台所と冷蔵庫の中を見て、適当に作ったと言う。
ジェフリーは薬膳粥に興味を抱いていた。
「こいつは助かる。食べて体にいいなんて、よく思いついたな」
腹も膨れて体にいい。疲れた体に温かいものがよく染み込む。ジェフリーは興味を抱くだけではなく、普段の生活に取り入れることはできないかとぼんやり考えていた。
額に汗を溜めながら竜次が注意をする。
「ジェフ、食べたらお風呂入って着替えなさい。血生臭いですよ?」
何とかミティアの傷の縫合や処置を施せた。
ミティアの傷は、肋骨に当たったのか、臓器を傷付けている深さではなかった。もちろん、処置はローズに叱られながらだったが。
麻酔が効いているはずなのに、ミティアはジェフリーを恨めしく見上げている。お粥が気になって仕方がないようだ。
「え、もしかして、食うのか?」
明らかに食べたいという顔をしている。元気なのはいいが、無理はさせたくない。器と匙を持ったまま、ジェフリーは竜次を見た。
「よく冷ましてあげなさい。たくさんは食べられないと思いますけど」
一応の許可は得た。竜次はローズを手伝ってキッドの手当てに回っている。
ジェフリーは匙を持って、ふーふーと気休め程度にしかならないかもしれないが冷ました。ミティアの口元に持って行く。
「む、むぐむぐ」
ミティアは金魚か熱帯魚のように口を窄めて食べている。そして、もっとほしいと上目遣いをした。この上目遣いをされると弱い。彼女の場合、そろそろ別のものを求めて来そうで密かに覚悟はしている。
しばらく冷ましては口に運ぶのを繰り返した。器の半分くらいを食べて、眠くなったのかウトウトしている。おそらくこのまま寝かせた方がいい。
ジェフリーは片付けながら治療を受けているキッドが気になった。
血は拭い、消毒も縫合も受けた。だが、キッドはそれでも目を開けない。竜次はそれがずっと気になっていた。
「クレア、なぜ目を開けてくれないのですか?」
キッドは狩猟の感覚が磨かれているせいもあり、反応はいい。声はどちらから聞こえているのか、きちんと顔を向けてはいる。キッドは目を開かない理由を言った。
「頭が痛くて。こう、目を開けても霞んでいて、よく見えないの」
ローズいわく、野戦でできたたんこぶにさらに衝撃が加わり、脳を圧迫しているようだ。意識ははっきりしている。だが、いくら医者として優れたローズでも、頭をいじる自信はないようだ。失敗したらキッドの状態は悪化する。最悪、命を落とす。ただ、その頭痛が単にぶつかって痛いだけなら薬物や傷口の手当で回復は可能だと、詳細まで話していた。
それでもキッドは不安に思っていた。
「このまま目が見えなくなったらどうしよう」
自慢の視力、霞む視界がいつか暗闇に変わるかもしれない恐怖に怯えていた。竜次は手を握って励ました。
「今からそんなこと、考えないで」
「で、でも、あたし……」
竜次は手を握る手を強めた。
「目が見えなくなったら、私があなたの目になります。どんな体だろうが、私はずっとあなたを愛し続けるから。だから、悲観しないで」
キッドはほろりと涙を零す。
「弱気になってごめんなさい。どうしても不安だったの」
竜次は抱き締めたい思いを抑え込んで、点滴のラインを確保した。いつの間にか針を刺すのも手馴れていた。足りないのは経験だと、今は励むしかない。
その背中をミティアはぼんやりと見ていた。
ジェフリーは、そのミティアの視線が気になった。キッドと話していた『かっこよすぎるから』の意味を理解した。理解と同時に芽生えたのは悔しいが嫉妬だ。あれだけのことを平気で言いきれるなんて、竜次を尊敬する。
黙って聞いていたローズは涙ぐんだ。自分のせいで彼女がこんな目に遭ったのだ。自身を責める気持ちが体を動かしている。本当は竜次に当たれる資格などない。
ジェフリーは脱衣所へ向かう。血生臭いと邪険にされたのを気にしているのか、返り血を見つめていた。下の黒いシャツも糊でも吸ったように硬い。
種の研究所を破壊した。その実感が今になって湧いた。腕に感じる筋肉の痛み、腐敗した血の臭い、怪我を負った仲間。あれは何だったのだろう。恐怖を感じたのは確かだった。手がかすかに震える。自分だけで考えても解決にはならない。あえて言うのなら、腐敗した獅子はキメラとでも言えばいいのだろうか。
ジェフリーは上着もシャツも脱ぎ、深い息をつく。すると、背後から声がかかった。
「置いておいてください。アタシがまとめて洗剤に浸けておきます」
「うわっ!!」
ズボンを脱ぐ前でよかった。いや、よくない。ミエーナが脱衣所を覗いている。
「き、気持ちだけでかまわない! それに、あんたがそこまでする義理はないだろう」
「いえ、タダでお世話になるなど、図々しいです。家事ならお任せください!!」
「わかった、わかったから! 男の裸を見る趣味でもあるのか!?」
「わわわっ、すみませんっ、すみませんっ!」
変な子だ。お世話になりたいなどと付いて来たのだろうが、信用はしていない。どちらにしても、ミエーナからも込み入った話は聞かなくてはいけないだろう。ジェフリーはそそくさと風呂をいただきに行った。
ミティアよりもキッドの方が重傷だ。安定するまではずっと付き添いが必要で、気が滅入るかもしれない。だが、一番つらいのはキッド本人だ。
竜次もローズも処置を施し終わって一息つく。
「ローズさん、あなたも手当てをしないと」
「いえ、ワタシは、その……」
ローズのすらりとした綺麗な足に、大きな擦り傷が走っている。ローズは自分でやると距離を置いた。
ローズと竜次でまたも意地のぶつかり合いが始まるのか。キッドはそう思ったようだ。先読みをしたように言う。
「ごめんね、竜次さん。でもあたし、自分がしたこと、後悔してないから」
なぜか竜次に向かって言っていた。
竜次にとっては、どんなキッドだろうとかまわない。その思いから、竜次は再び手を握った。
「無茶ばかりして。でも、それもクレアのいいところです。自分がしたことに責任を持てるなんて、どんなに誇らしいか。でもできるなら、怪我はしてほしくないですけれど」
キッドは首を振って笑う。竜次は事情を知らない。だからキッドも真実を切り出せなかった。
「彼女がこんな怪我をしたのはワタシのせいなの! ごめんなさいっ!!」
言おう言おうとタイミングを損ねていた。ロ―ズは信用を失うのではないかと怖かった。今まで築いて来たものがすぐにでも壊れてしまうのではないかと。でも自分のせいだという罪悪感とも戦っていた。押し潰されそうになって、腕を抱え込んでいる。
己を責めるローズ。それを見て、竜次は肩を落とした。
「クレアらしい」
「えっ?」
責められるかと思ったローズは動揺し、びくりと反応した。
竜次はキッドから手を放し、立ち上がってローズに向き合う。
「ローズさん、私にはあなたを責める理由はありません。それに……」
竜次はゆっくりと視線を落とした。
「私もジェフに謝らないといけないのに。懺悔ができたローズさんの方がすごかった」
すやすやと寝息を立ってているミティアに目を向けた。ミティアが起きてない頃合いを見計らって竜次も懺悔をする。
「私が一思いにとどめを刺さなかった。そのせいで、ミティアさんに大怪我をさせてしまった」
竜次は具体的に何があったのか、その相手は誰なのかを触れていない。それはキッドに過度なショックを与えないためでもある。だが、ローズはその相手を察した。
しんみりと重い空気。その空気を打ち破った者がいた。
「よせよ、そういう話」
タオルをバサバサとさせながら、ジェフリーが姿をあらわした。そして半裸である。
竜次はジェフリーを気遣い、お古のシャツを差し出した。
「もぉ、ちゃんと拭きなさい。ほらこれ」
ジェフリーは髪の毛に水分が多く残っているというのに、竜次がよこしたお古の半袖シャツに腕を通した。サイズが一回り大きい。腕も肘まで隠れるし、肩にも余裕がある。
合わないサイズに脱ごうとするジェフリー。だが、竜次はここでも小うるさい。
「こぉら、首元を引っ張って脱ごうとしないの!! また着るかもしれないんだから。というか、そんな脱ぎ方をするからすぐにシャツをダメにするんですよ?」
「そっか。そうだな」
「はい、また無駄が減りましたね」
竜次は人差し指を立てジェフリーを言い包めた。だが、多分脱線している。そして脱ぐのもやめて、ジェフリーも違和感に気が付いた。
「話が違うな?」
「えぇ、まったく」
恥ずかしいが、二人して脱線してしまった。そして、話題を戻した。
ジェフリーは服を着直し、頭をタオルで覆った。整えてから、あらためて話をする。
「とどめって?」
「どこから聞いていたのですか? カラスの行水さん」
「そんなに聞き入ってなかった。脱衣所で聞こえたくらいだし」
よりによってそこから聞くのかと、竜次は指摘を入れたいところを抑え込んだ。ただ、話の内容はまだ話せないと、表情を渋らせる。
「その話は、順を追ってお話ししたいのですが」
竜次はサキの姿を探した。今日は別行動をしていたのだから、きちんと話すべきではないかと疑問にも思った。
そのサキはコーディの手当てを受けていた。
「わかっているんじゃないですか? ジェフリーさん」
話が始まる雰囲気にサキとコーディが混ざろうとする。だが、その前にジェフリーはどうしても指摘をしたかった。
「なぁサキ、頼むから兄貴か博士に手当てをしてもらってくれないか?」
コーディの手当てが荒い。消毒液を無駄に使用し、零している。ガーゼも絆創膏も包帯も雑な巻き方だ。サキをいたぶっているのではなかろうかと疑問を持った。
「ジェフリーお兄ちゃんまで私のこと、馬鹿にするのっ!?」
コーディの機嫌が悪い。手当てをしたつもりらしいが、サキの顔はまだまだ腫れているように見える。
見兼ねたローズが、氷を袋に詰めてタオルを巻いたものを持たせて来た。
「んんん……」
コーディはギリギリと悔しそうに歯軋りをしている。背伸びしたいお年頃か反抗期、いや思春期かもしれない。
そんなコーディに、ミエーナがマグカップを渡した。
「あの、台所にあった緑茶ですが」
お世話になると言っていたが、仲良くなれるのかはまた別の話である。
ミエーナはコーディに渡し終えると、隣にいたサキにも渡していた。
「えっと、口の中を切っていますよね? 少しぬるめにしておきました」
「お気遣いどうも。ありがとうございます」
ミエーナは控えめに会釈して、皆にもお茶を配って行く。暖炉の前で暖まっていたハーターと壱子にも配って行った。
ミエーナは残りをテーブルの上に置き、『ほしかったらどうぞ』のような控えめな気遣いをする。
「すみません。お話のお邪魔でしたでしょうか」
ミエーナはそう言って、部屋の端っこでこそこそと小さくなっていた。
ジェフリーはそのミエーナを話の輪に入れようとする。
「と、言うか、話がしたいのはあんたからでもあるんだが?」
ミエーナはビクッと反応した。まだジェフリーには警戒心があるようだ。ジェフリーは警戒心を解こうと必死だ。
「別に乱暴する奴なんていないからこっちに来ればいいだろ。寒いんだし、あったまって話に加わればいいじゃないか」
ジェフリーはめんどくさいものが付いて来たと思っていた。舌打ちでもしそうだ。
あまりにジェフリーの言葉が乱暴だと思ったのか、ハーターが気を利かせた。
「まぁ、座んなよ。迷子の子猫ちゃん。この場に怖い人はいないよ」
口説き文句にでも使えそうな口ぶりだ。ハーターは折り畳みの椅子を差し出して座布団を乗せた。手の平まで添えた。これを見たミエーナは、軽く頭を下げて座った。もっと強情かと思ったが。やはり根は素直な子だ。
常に人の顔色をうかがっているような仕草だ。人慣れしていないのか、警戒しているかだろう。
話をする流れで、集合する。もちろん使い魔である圭馬も話に加わった。
「で、何話すって?」
なぜかショコラの姿がない。ジェフリーは辺りをきょろきょろと見渡す。
「ん? ばあさんは?」
「二階にいるよ。ずーっと窓の外を見てる。でも、聞こえてるから大丈夫でしょ」
ジェフリーはショコラがわざわざ入って来ないのは、ある程度の察しが付いているのかと個人的に思っていた。窓の外を見ていることにだって、意味があるに違いない。
まずは行動を報告する。まずはサキの仕事からだ。話しやすいようにジェフリーが質問をしていく。
「で、サキは仕事をしていたんじゃないのか? コーディも」
サキは帰って来るまで、見慣れないマントを羽織っていた。コーディもなぜ外出していたのか、まずそこからだった。
サキは順を追って話す。
「朝から出かけて、お仕事をしていましたよ。お勉強の補助。お金だけでは絶対に得られない、人情と経験を得ました。コーディは散歩したいって、ただ見送りに付いて来たのです。一緒だったのはたまたまでした。結果、彼女がいてくれなかったら今頃僕はさらわれてしまっていたでしょうね」
さらっと怪我の原因を説明する。
襲われたまでは言ったが、誰にとはまだ言っていない。サキがチラリとコーディを見ると、彼女もドーピングが切れたのか疲労の色がうかがえる。
コーディは言いづらそうにしながらぽつりと漏らす。
「あれはルッシェナ・エミルト・セミリシア。ミティアお姉ちゃんのお兄さん、だよね?」
その場にいた者以外の表情が強張った。
キッドは俯いて首を振った。何も言わない彼女の顔は『やっぱりそうか』という、諦めの表情だ。
自分の好きだった人が生きていた。それだけではなく、世界を裏から混沌に誘おうとしているのを知った。その真実に向き合うと誓った。だが、キッドにはまだどこかで昔のような優しいルッシェナに戻ってくれることを期待していた。もう遅いのかもしれない。その諦めだった。
コーディは事細かに覚えていた。さすが、作家。得た情報はモノにしている。
「サキに天空都市を落としてもらうって、意味深なことを言ってたよ。だって、最初はサキをさらおうとしていたもん!!」
「まぁ、その、あとすぐにボッコボコにされてしまったのですけれど」
「へー、しぶとかったのね。私は助けを求めて離れちゃったけど」
コーディの何となく棘のある言い方に対し、サキは落胆した。『そこまで言わなくてもいいのに』と。
やや気落ちしているサキを圭馬がフォローした。
「まぁまぁ、しぶとかったのは事実さ。事前に沙蘭で稽古を組ませてくれたでしょ?」
ずっとサキの傍を離れなかったのだから、彼の言うことは確かだ。
「正直あれにずいぶんと助けられたんじゃないかな。だって、みぞおちにきついのが入るまでは頑張れてたもん。あの変態、ずっと笑ってたよね。気色悪かったけど」
圭馬の言葉に、今まで黙っていたショコラが口出しをした。
「そやつは幻を見ていたのではなかろうかのぉ?」
ショコラは二階の手すりの隙間から覗いた。お惚けた猫と言うには鋭い。そのままテーブルの上にすとんと降りた。器用なものだ。
その仮説にサキが疑問を唱える。
「でも、駆け付けたミティアさんの質問に受け答えしていましたよ? やっぱり意味深なことを言っていましたけれど」
サキの言葉にミエーナもこくこくと頷いている。彼女も聞いていたのだ。
ミティアが何を話していたのか。内容が気になるが本人は休んでいる。案外軽く眠っているだけでぼんやりと聞こえているのかもしれない。
それはいいとして、ショコラが言っていた懸念事項は気になる。もしかしたらと思うと、案外これで終わらないような気がしてならない。皆はどこかでもやもやとした気持ちを燻ぶらせていた。
ジェフリーはショコラに質問をする。
「なぁ、ばあさん、幻を見ているってことは、心が病んでいたのか?」
「アバウトな言い方じゃなぁ? だいたいそうかもしれんよぉ。幻影術は痛みを和らげたりする効果もあるからなぁ。視界的なものもそうじゃけど、マインドコントロールじゃし。鈍ったり感じにくくなったり、麻痺はするのよぉ?」
「それで、とどめを刺したのは、兄貴じゃないのか?」
ジェフリーの質問に、竜次は悔しそうに歯を軋ませる。
質問に答えたのは、コーディだった。
「とどめはお兄ちゃん先生じゃないよ。サキと私で空から降下して、勢いで海には落とした。それでいいんだよね、サキ?」
都合がいいときにだけ話を振るのかと、サキは不満そうだ。
「うーん、多分? 感覚はあったのですが、あまり見えていなかったので」
サキはあざと切り傷だらけの右手を握っては開いてを繰り返す。初めての上空アタックなど、目を見開ける余裕がない。
もっと見る余裕のあった竜次が答えた。
「音はしましたし、ミティアさんが弾き飛ばされたので。私は『あの人』の腕を斬り落とし、剣を砕いた。確かにそこに彼はいました。間違いないです。そこで激しい揺れが起きて、船着場から離れました」
竜次が話を進めた。ルッシェナ自身が幻であった可能性はなさそうだ。竜次は血を拭わずに鞘に入れた剣を見せた。あとで手入れが大変そうだ。
ハーターは悩まし気に首を傾げながらぽつりと言う。
「つまり、『ラスボス』の死は誰も見てないってこと?」
ハーターが表現したのは現実離れした『ラスボス』という表現。言ってしまえばそうなのだろう。激しい揺れについてはジェフリーも気になった。そして壱子も。
ジェフリーは心当たりがあった。
「その地震、種の研究所を破壊した、先生の爆弾のせいか?」
壱子はポンと手を叩いた。
「わたくしも坊ちゃんが言う揺れに関して、その説を考えておりました」
二人の視線に、ハーターは苦笑いする。
「まぁ、かなりな爆弾だとは思うね」
フィリップスの地下で爆弾を用いたならば、揺れてもおかしくはない。潮位も変化した。崩れたなら、しばらく揺れが続いたのも納得がいく。
今度は圭馬がぴくりと耳を立てる。
「なるほどねぇ。ハーちゃん、爆弾なんて危ないもの使うんだ。確かに効率はいいだろうけど、爆弾を仕掛けたなら、急いで脱出したんでしょ? なんか残ってないかな? ホントに潰せたのぉ?」
離れた視点で疑いをかけている。だが、これは圭馬のいいところでもある。気付かされることが多い。
壱子は誇らしげに胸に手を添えて言う。
「その点でしたらわたくし、逃げながら怪しいところに刃を入れておきました。抜かりございません」
壱子は鋏の持ち手をトントンと指で小突いた。一番怪しいのは彼女なのだが、その点は誰も指摘をしない。
種の研究所の件は、これで一件落着したのだろうか。種の研究所を途中離脱した竜次は行く末を知って安心した。
「破壊できたのですか? それで本当に終わりだといいのですが」
壱子は『終わり』という言葉に反応した。
「ふむ……」
どうやら、腑に落ちない様子だ。先程の死闘の話ではないが、それで本当に終わったのかを疑う。
壱子は空になったカップを置いて、壁掛け時計を見た。そして、ミエーナにごちそうさまと挨拶する。背筋が伸びたと同時にジェフリーが声を掛けた。
「俺も行く。ちょっと待ってくれないか」
話の流れから、壱子が何をするのか、察しがついた。それはジェフリーだけではなく、ハーターもだった。
「ぼくも行こう。新しいランタンを持ってくるから」
「よろしいのでしょうか? こちらを手薄にしてしまって」
「あとは何が襲って来るんだい?」
ハーターはさらりと流すように言い、地下へ消えた。この家の掃除した際、古い道具がまとめられてあった。地下書庫では作業する用のランタンがあった記憶がある。
ジェフリーは半袖の黒シャツを着てズボンにベルトを通した。
がさつな音の中で、キッドがジェフリーを呼び止める。
「あんた、待ちなさい」
キッドは首元を緩めてマントを外した。
「貸すわ。その様子だと、羽織るものないでしょ? 汚れてるでしょうけど」
まだほとんど視界が利かないというのに、今度は耳で情報を整理でもしているのだろうか。点滴に引っ掛けないように避け、ジェフリーに向かってマントを差し出した。
ジェフリーは借りてしまっていいものかと戸惑った。マントのプレゼントの主、竜次に視線をおくる。すると竜次は呆れるように息をつき、小さく笑って頷いていた。
感覚が研ぎ澄まされている。キッドは目が利かなくても、耳で状況を判断する能力があるようだ。
ジェフリーは受け取るのを躊躇していた。昨日今日で知った仲ではこのやり取りはできない。キッドが何を考えているのかわからないが、今はその気遣いを受けるべきだと判断した。
「あ、ありがとう。必ず洗って返す」
マントを受け取る際、指が触れた。だが、キッドは嫌な顔をしていない。
「どうせ、しばらく外出られないでしょうから」
いつものキッドだったら絶対にこんなことをしないだろう。助けたお礼のつもりかもしれない。ジェフリーはあまり深く考えないようにしていた。
準備を整えて三人が玄関から出て行った。証人として圭馬と、やたらと外を気にしていたショコラもついて来た。
魔法に秀でていないジェフリーが、ここまで使い魔にモテるのも複雑な気分だ。
出て行ったことを確認した。キッドは傍にいるだろうと想定した竜次に向かって小声で呟く。
「ごめんね。あいつに貸しちゃった」
「どうしたのですか? 相手はジェフですよ?」
「あいつ、怒んないでやってね」
「……?」
キッドは俯き、恥ずかしそうに言う。
「あいつは崩落に巻き込まれたあたしをわざわざ助けに戻ったの。置いて行くこともできたはずなのに」
自分を助けたのはジェフリーだ。助けただけではなく、背負ってくれた。
竜次は複雑な心境だった。もちろん、キッドが無事ならば、それでいい。
「ジェフは仲間を見捨てません。あぁ見えて、根は優しいのです。見捨てることができないから、どこかの兵士といった大きな組織に所属しなかった」
キッドは俯き、困ったように頬に手を添える。
ずっと毛嫌いして来た人なのに助けてくれた。見捨てなかった。もういいからと自分から降りようともした。でもどうしても手が離せなかった。
逞しい背中。未熟なのに精いっぱい足掻こうとする精神。
でもこの人は親友の好きな人。その好きな理由がわかって憎らしかったのもある。
一言、どうしても言ってやりたかったけど、きっとらしくないと一蹴される。
キッドはここで竜次に言った。
「あいつ、いい奴ね。まだまだガキだけど、さ?」
惚れる人を間違えたのかと迷いが生まれた。でも手を取ってくれる人の傍で自分は寄り添っていたい。
ミティアが言ったように、竜次はかっこいい。不器用でときどき子どもっぽいところが滲み出て来るが、それも彼だ。
キッドは首を動かして冷やしている位置を調節した。
「ミエーナちゃんのお茶もおいしかったけど、竜次さんの淹れた、苦いお茶が飲みたいな?」
「は、はいっ!!」
バタバタと遠くなる足音。
竜次の足音がジェフリーと似ている。キッドは言わなかったが気付いてしまった。普段気が付かないが、何となくこの違いに気が付けるのも悪くないと思った。もちろんだが、本当は見えるように回復したい。
あのとき、自分を救い出してくれたジェフリーをかっこいいと思った。身を委ねた背中は逞しいと思った。目が見えなかったから、余計にそう感じた。
ジェフリーの馬鹿面を見て、自分の中で目を覚ましたかった。
思い違いであると信じている。
竜次は台所に立ち、お茶と急須を手にしながら硬直している。
「えっ、途中からいないと思ったら!?」
視線の先では、ミエーナがポニーテールを揺らしながらガシガシと手洗濯をしていた。腰の入ったいい擦り方だ。
「あ、すみません」
「いえ。と、言うか、そこまでなさらなくても」
「乾いてしまった血はふやかして大量の水で落としてから」
「み、水! あ、いえ、冷たいでしょうに」
変な過剰反応をして、竜次は取り乱した。だが、この寒い中を水で、しかも弟のジェフリーの服をガシガシと洗っているなんて。ここまでする理由があるのだろうか。
「お気になさらず!! アタシ、ここに置いてもらっているだけで本当にいいので!」
「は、はぁ。私の入れたお茶でもどうぞ。味の保証はしませんけれど」
「あ、ありがとうございます」
竜次は湯飲みに熱々のお茶を淹れてストローを刺した。違うカップにも淹れて台所の見える場所に置いておく。こちらはミエーナ用にだ。
コーディは病気による汗と、潮風によって髪が乱れ、べたついている。階段に座り、頬杖をついてため息をついていた。
「はぁ、ジェフリーお兄ちゃんたち、どうしたんだろう? 先に寝ようかな」
汗もかいてクタクタのコーディ。インフルエンザとはどこへ行ったのやら。ドーピングと激しい運動のせいで病気が飛んだのだろうか。それでもドーピングは確実に切れているらしく、疲労感からあくびをしている。
疲れが体を鉛のように重くする。それは隣に座っていたサキも一緒だった。サキはルッシェナと一対一で戦った。大怪我もしたが、ミティアやキッドほどではない。サキはコーディの疑問に得意の憶測を口にする。
「ジェフリーさんは『忘れ物』を取りに行ったのだと思いますよ」
「忘れ物? なーんだろ?」
コーディは想像もつかないようだ。もしくは疲労から考えるのも諦めている。
サキはすやすやと寝息を立てているミティアを見ていた。彼女を見て思い出した。
「コーディ、ちゃんと言ってないからここで失礼するよ」
「は、えっ?」
コーディは驚いて家の中で飛びそうになった。
「さっきは先生たちを呼んで来てくれてありがとう。最初に駆けつけてくれたのが、ミティアさんだったのは驚いたけどね」
冷たく当たったのに、雑な手当てもしたのに、律義にもお礼など言って来るなんておかしい。
コーディは身長差で上目遣いが睨むようになってしまうが、気持ちは受け取ろうと思った。
「と、当然じゃん。私だけでどうにもならなかったんだし。それに、サキがいなくなったら寂しいじゃない」
「さみ、しい? コーディが?」
サキは眉をひそめた。その反応にコーディがムッとしながら立ち上がる。
いつまでも対等になれない仲。コーディの中で嫉妬や歪んだ恋愛感情が燻ぶって仕方がない。
作家なのに、どう表現したらいいのかわからない。それもこれも、鈍感なサキのせいだと思っていた。だが、今はその要素が増えてしまった。コーディはその要素に向き合う。就寝前に洗面台で歯を磨き、顔を洗おうとしていた。そこにはミエーナがいた。
ミエーナはコーディの邪魔になっていたのに気が付いた。
「あっ、すみません。今、退きますね」
洗剤の爽やかな匂いがする。ちゃっかりと居座る形になってしまったが、何かの助けになろうと気を利かせ、自分にはないものをたくさん持っている。コーディはミエーナを少し疎ましく思っていた。軽く顔を洗って埃を洗い流す。
その様子を見て、ミエーナがじっとコーディを見ていた。
コーディはタオルに顔を埋めながら反応した。
「な、何?」
「あ、すみません。綺麗な髪の毛だなって」
「へっ? 金髪ならあなたも一緒だし。大差ないでしょ?」
コーディは話題作りにわざとらしく振ったのかと思った。ミエーナは頭を左右に揺らし、ポニーテールを見えやすくした。
「見ての通り、毛量が多くて重いんです。すぐぼさぼさになってしまうので綺麗とは?えっと、コー……」
「私? コーデリア。でも、そうね、コーディでいいわ。と、言うかそんなに長いの手入れ大変でしょ」
そんなつもりはなかったが、コーディから歩み寄った。邪険にするほど、悪い人ではないのはわかっている。だが、どうもまだ信用ならない。
ミエーナは振られた話題に対し、苦笑いをしている。
「なかなか合うシャンプーがなくて」
「ウッソ、めちゃめちゃいい匂いがしてるのに!!」
「それはさっき間違えて使った洗剤かも?」
ミエーナの視線の先にふんわりフローラルの香りと書かれた柔軟剤のラベルが見えた。近くには染み抜き洗剤や強めの中性洗剤が見える。間違えたということだろうか。
髪ではなく、洗濯の話だ。ミエーナがシャンプーを間違えていたらもっと笑っていただろう。コーディはそれも含めて笑ってしまった。本当はミエーナが手にしているものが気になって仕方がない。
「ぶっ、これ間違える? あなたドジね。ジェフリーお兄ちゃんの服からこんないい匂いがするなんて、想像したら笑っちゃう」
「わわっ、アタシ、ミエーナって言います。エルリミエーナ」
ドジを否定しない。少し落ち込んでいるし、リアクションが薄いのかと思ったがそうでもなく、少し安心した。ミエーナも怖い人だと思っていたのか、空気が和んでよかったと感じていた。
もしかしたら、仲良くなれるかもしれないと思っていたのはお互いであった。
静かな通りになったものだ。もうすぐ日付が変わろうとしている。街の明かりは少なくなりつつある。壱子は付いて来た二人と二匹に声を掛けた。
「こんな大所帯で歩かなくてもよろしいですのに」
ハーターはともかく、ジェフリーはなぜ来たのだろうか。壱子は疑問に思っていた。
「ジェフリー坊ちゃん、差し出がましいのではございますが、彼女のお傍にいなくてよろしかったのですか?」
ジェフリーはほんのり笑っていた。
「多分、行くところは船着き場だろうし、忘れ物があるだろうから」
着丈が合わずに短いマントを手繰り寄せながら歩く。寒いのか、使い魔の二匹がジェフリーの懐で身を寄せていた。
壱子は『忘れ物』とは何だろうかと思った。
船着き場に差しかかろうとした境目で見付けてしまった。壱子は驚きの声を上げる。
「おぉ、そういうことでしたか」
大きく削られた船着き場に目も行ったが、細身の剣が落ちている。
壱子が拾おうとする。だがハーターに遮られ、止められた。誰の剣なのか、持ち主を把握したからこそ、わざわざ止めたのだ。
剣に近寄るジェフリーを圭馬が見上げる。
「忘れ物って、それ、お姉ちゃんの剣じゃん? よくないってわかったね」
「あいつの持ち物にはポーチと鞘はあった。だが剣は入っていなかった。だからここにあると思ってな?」
圭馬は感心しているようだ。
「あぁ、そっか。お姉ちゃんのこと、よく見てるね」
ジェフリーもよく気が付いたものだ。拾い上げて確認すると、ミティアが持っていた剣で間違いなかった。細い剣だがどこも折れてはいない。少なくともいい剣だったのだろう。やや刃こぼれしている。真ん中より少し刃先に向かったところに大きな削りを確認した。
ミティアが握った跡が残っているわけでも、血が付いているわけでもない。それでも懸命に闘ったのだという『感覚』が残っていた。剣に宿った意志とでもいうべきだろうか。握って感傷に浸ってしまいそうなところだった。
そこへ、ハーターがランタンを差し出した。その顔は少し笑っている。
「よく見たいだろう?」
「いや、もういい。ありがとう先生」
ジェフリーは剣を下げて軽く辺りを見渡す。入り乱れた跡もあるし、血が飛んだ跡も確認した。
ランタンの明かりで気が付いたのは、黒くうごめくもの。壱子がそっと近寄る。
「何でしょうね」
壱子が鋏に手を掛けると、黒い影がわっと散った。『カァーカァー』と騒がしく散ったのはカラスだった。警戒心が解けたと思ったら、動じずに残ったカラスたちが何かを引き摺っている。金属の音がした。
ハーターが近寄ってランタンで照らした。すぐに嫌な顔をした。
「うえぇ、カラス君さぁ」
明らかに人の手だと思われるものをカラスたちはつついている。
フィリップスのカラスたちは、飢えているのだろうかと疑問が浮かぶ。この街はよく整備されている。残飯を漁ることは難しいだろう。近くに森もがあるので普段はそこで腹を満たすのだろう。
すぐ傍にはマスケット銃が落ちていた。銃口の真中から先がない。鋭い物で斬られた綺麗なものだ。これを芸術と呼ぶ者がいるかもしれない、斬り口が鮮やかだ。
野鳥に荒らされてしまったのは仕方がないが、銃は回収しておきたい。
ジェフリーが無神経にもそのまま拾おうとする。壱子が止めた。
「あぁっ、そのままはよろしくありません、こちらをお使いください」
何があるかわからない。壱子が燕尾服のポケットからハンカチを取り出した。
ジェフリーは何かとこういったことに縁がある。壱子を見て、眉間にしわを寄せた。
「ご心配なさらなくても、鋏の油取りでございます」
ジェフリーはそれもどうかと思った。だが、受け取って壱子をさらに見る。理由はとてもそんな粗末な布ではないからだ。
「嘘、だろ?」
「眼つきも言い方もケーシス様そっくりですねぇ」
「あのなぁ」
「出した物を引っ込めろと仰せですか?」
しっかり触ってしまった。ジェフリーは面倒なやりとりが増える前に素直にいただくことにした。何かの形で返せばいいだろうと軽い気持ちだ。
銃の回収で、今一度、確認したいことがある。ジェフリーはその場にいた圭馬に質問をした。
「これは兄貴の斬り方か?」
「そうだよ、ボク見てたし。あの変態がすんごい叫んでたのも聞いたよ」
「ここまでしたのに……」
ジェフリーは、竜次がとどめを刺せなかったと悔いていたの思い出した。実際に自分が立ち会ったらどうだろうか。ルッシェナはミティアを救う方法は自分が持っていると言っていた。それを都合よく聞きだした上で、戦い、息の根を止める。そんなことができるだろうか。
圭馬はジェフリーが黙っている理由を察した。
「人が人を殺すの、無理だと思うよ」
ジェフリーはただそれだけが理由ではないと首を振る。
「兄貴は命を扱う仕事をしているんだから無理だろうな。人の死に関しては人一倍敏感だ。そんな兄貴に人は斬れないと思う」
懐が軽いと思ったら、いつの間にかショコラがいない。
ジェフリーは血の付いたマスケット銃を持ちながら辺りを見渡す。すると、ショコラは埠頭の先で海を見ていた。哀愁の漂う猫背だけが見える。
ハーターは別のものが落ちていないかを探索していた。
「他には何も落ちていないようだね」
「破壊しまった分は補填か弁償か。ギルドから話を回しておかないといけません。事後処理も大変ですね」
ランタン片手のハーターと壱子が波打ち際も見ているが、目ぼしいものがない。何となく意味深な会話になる。
「そのギルド、信用していいのかな。と、ぼくは不信感を抱いているよ」
壱子は背筋を伸ばし、ゆっくりと息を吐いた。
「奇遇ですね。わたくしもですよ」
「同盟でも組みますかい?」
「前向き検討と言ったところですね。わたくしが御一行に長いことお世話になるのもいけませんので」
「ん? そうなのかい? 別にいいじゃないか。ぼくだって新入りだよ」
「わたくしはケーシス様にお仕えしておりますので」
ハーターは軽い気持ちでスカウトしてみた。だが、この場ではフラれた。その気がないわけではないが、主従関係はどうしても崩さない。商売敵なのだから仕方がないことだ。
二人は話しながら探索している。
その会話を耳にしながら、ジェフリーはショコラに声を掛けた。
「ばあさん、どうしたんだ? 博士の家でもそうだったけど、ずっと海だか空だか気にしてるよな? ばあさんのことだから何かあるんだろうけど」
「のぉん」
ジェフリーはしゃがみ込んでショコラを撫でる。懐っこい野良猫のように頭を下げて気持ちよさそうにしているが、耳をピンと立てて質問に答えた。
「何か大きなものが渦巻くような変な感覚がするのぉん」
「変な感覚?」
「気持ちが悪いんじゃよ。気のせいじゃといいのぉん」
ショコラは寒いのか、ぶるぶると震えている。ジェフリーは抱き上げて懐に押し込んだ。他に何もないのだったらこのまま帰りたい。探索をしていた二人に確認をした。
「何かあったか?」
答えたのは壱子が先だった。
「いえ、特別何かと言うか、足跡と言うか、入り乱れは見受けられますね」
「先生は、何かあったみたいだな?」
壱子はいつの間にかペンライトを持っていた。だが、ここで使わず、時折しゃがんで目を凝らしていた。ハーターがランタンを持っているのだから一緒に探索すればいいかもしれないが、あまりにも効率が悪い。
ハーターはランタンに何かをかざして小難しい顔をしている。
「あぁ、これ何だかわかるかい? 宝石かな? そこの亀裂の溝に落ちてたから引っ掛けて取ったんだけど」
黒くて宝石のようなものを持っている。圭馬がハーターの肩に飛び移り、じろじろと見ている。
「魔石の欠片じゃない? ハーちゃん見せて!!」
圭馬は見覚えがあり、そして心当たりがあった。
「あ、これ、強化魔石、ブースト石の欠片だね」
「市販の物かい? あんまり見ない色だけど」
「セットのおまけに入ってるだけのレアな凝縮石だよ。主はこれを持っていなかったから。じゃああれ、本当に撃ち落とすつもりだったんだ。こわっ!」
「何か心当たりがあるのか。もしかして『あの男』がこれ使おうとしたのかな?」
「そそそっ」
圭馬はこくこくと頷いている。証人としてついて来たが、遊びかと思ったら意外としっかりと対応している。先程だって説明を施してくれた。
『カーンカーン……』
遠くから日付が変わる鐘の音がする。大体鳴らすのは城の鐘だろう。
壱子はこれが気になっていたようだ。
「日付が変わりましたね」
意味深な言葉を言って思い出した。三人して警戒をする。研究所の破壊に失敗していたら、人を壊す『何か』が撒かれると解読していた。
圭馬は動揺している。
「え、何? どったのみんな」
できれば時間が過ぎるまで黙っていてもらいたい。鐘の音が増えるたびに警戒は強まった。十二回目が過ぎて、静けさが戻ると安堵の息を漏らす。
一番安心していたのはハーターだ。
「よかった。ぼくがしくじったらどうしようかと思ったよ」
何も起こらないし、静かな空気。波の音。遠くから聞こえる歓楽街の声。よからぬものがこの街に撒かれる。それは種の研究所の破壊によって防げたようだ。
緊張を解くようにジェフリーも大きく息をついた。
「戻ろう。みんな無事だったんだ。これからの相談は後日に回そう。みんなくたくただし、怪我人もいる。まずは体勢を立て直さないといけないな」
思うことはあるが、今は休みたい。安心と共に緊張が解け、どっと疲れが増した。
壱子が少しそわそわとしている。
「あ、わたくしは、その……」
まだ一緒に行動には戸惑いと言うか、遠慮と言うか、一定の距離を取っている。いい加減にしろと言わんばかりに、ジェフリーが強めに言った。
「片付いたが落ち着いてはいない。だから一緒に行動したっていいじゃないか」
「ふーむ、しかしですね」
「命令しないといけないのか?」
半分は冗談だが、握った情報を変にばら撒かれても困る。ジェフリーはケーシスとやりとりできる手段として、何となくだが壱子を野放しにしたくない。
壱子はキョトンとしながら、ハーターにも視線をおくった。
「ぼく? 今は仲間でかまわないよ」
ハーターは手を差し出した。握手のつもりか、同盟の約束か。
壱子は諦めてジェフリーに向き直った。
「では、今はジェフリー坊ちゃんに従いましょうか」
「勝手にフラフラするな。とでも言えばいいのか?」
「まぁ、坊ちゃんシビレますわ」
壱子はハーターの手を取ることはなく、くねくねと体をよじりながらジェフリーの言葉に酔っている。
「ケーシス様にそっくりです。いやぁ、本当に魔導士狩りで落命なさらずによかった。あのときはどうなることかと」
不意に重要なことを言われた気がした。ジェフリーは壱子の言葉に食らいつく。
「俺が魔導士狩りの場にいたことを知ってたのか?」
「当然です。だってあの事件の際、ケーシス様とフィラノスに……」
壱子は言いかけて口を塞いだ。もう遅い。疑惑は確信になった。
「お喋りな情報屋だな」
「い、今の発言は、お忘れください!!」
安心した勢いで吐いた事故だ。ここで吐かせるか、いや、そんなことはしない。ジェフリーは一度冷静になった。
「あんな地獄を知っているのか」
ジェフリーはいったん話を逸らした。聞きたいのはこのことではない。この旅に身を置くまで、父親のケーシスには会ったことがないと思っていた。だが、ケーシスは一方的にジェフリーに会っていたのかもしれない。
今は警戒をしないでもらいたい。演技に自信はないが、今は壱子をこちらに抱え込んで、真相をケーシスの口からどうしても聞きたい。やり方は汚いが、ケーシスが素直に答えてくれるだろうか。
魔導士狩りで何を見たのか。魔導士狩りの記憶があやふやなのも、もしかしたらケーシスが関わっているのではないのか。それ以上に、気になって仕方がないのは、自分は本当に『ジェフリー・アーノルド・セーノルズ』なのだろうか。
ジェフリーは自分の存在に疑問を抱いた。
匂いは青臭く、苦そうだ。だが、食べると全然苦味を感じなくて驚かされる。早速お役立ちキャラの座を得ていた。
ミエーナは台所と冷蔵庫の中を見て、適当に作ったと言う。
ジェフリーは薬膳粥に興味を抱いていた。
「こいつは助かる。食べて体にいいなんて、よく思いついたな」
腹も膨れて体にいい。疲れた体に温かいものがよく染み込む。ジェフリーは興味を抱くだけではなく、普段の生活に取り入れることはできないかとぼんやり考えていた。
額に汗を溜めながら竜次が注意をする。
「ジェフ、食べたらお風呂入って着替えなさい。血生臭いですよ?」
何とかミティアの傷の縫合や処置を施せた。
ミティアの傷は、肋骨に当たったのか、臓器を傷付けている深さではなかった。もちろん、処置はローズに叱られながらだったが。
麻酔が効いているはずなのに、ミティアはジェフリーを恨めしく見上げている。お粥が気になって仕方がないようだ。
「え、もしかして、食うのか?」
明らかに食べたいという顔をしている。元気なのはいいが、無理はさせたくない。器と匙を持ったまま、ジェフリーは竜次を見た。
「よく冷ましてあげなさい。たくさんは食べられないと思いますけど」
一応の許可は得た。竜次はローズを手伝ってキッドの手当てに回っている。
ジェフリーは匙を持って、ふーふーと気休め程度にしかならないかもしれないが冷ました。ミティアの口元に持って行く。
「む、むぐむぐ」
ミティアは金魚か熱帯魚のように口を窄めて食べている。そして、もっとほしいと上目遣いをした。この上目遣いをされると弱い。彼女の場合、そろそろ別のものを求めて来そうで密かに覚悟はしている。
しばらく冷ましては口に運ぶのを繰り返した。器の半分くらいを食べて、眠くなったのかウトウトしている。おそらくこのまま寝かせた方がいい。
ジェフリーは片付けながら治療を受けているキッドが気になった。
血は拭い、消毒も縫合も受けた。だが、キッドはそれでも目を開けない。竜次はそれがずっと気になっていた。
「クレア、なぜ目を開けてくれないのですか?」
キッドは狩猟の感覚が磨かれているせいもあり、反応はいい。声はどちらから聞こえているのか、きちんと顔を向けてはいる。キッドは目を開かない理由を言った。
「頭が痛くて。こう、目を開けても霞んでいて、よく見えないの」
ローズいわく、野戦でできたたんこぶにさらに衝撃が加わり、脳を圧迫しているようだ。意識ははっきりしている。だが、いくら医者として優れたローズでも、頭をいじる自信はないようだ。失敗したらキッドの状態は悪化する。最悪、命を落とす。ただ、その頭痛が単にぶつかって痛いだけなら薬物や傷口の手当で回復は可能だと、詳細まで話していた。
それでもキッドは不安に思っていた。
「このまま目が見えなくなったらどうしよう」
自慢の視力、霞む視界がいつか暗闇に変わるかもしれない恐怖に怯えていた。竜次は手を握って励ました。
「今からそんなこと、考えないで」
「で、でも、あたし……」
竜次は手を握る手を強めた。
「目が見えなくなったら、私があなたの目になります。どんな体だろうが、私はずっとあなたを愛し続けるから。だから、悲観しないで」
キッドはほろりと涙を零す。
「弱気になってごめんなさい。どうしても不安だったの」
竜次は抱き締めたい思いを抑え込んで、点滴のラインを確保した。いつの間にか針を刺すのも手馴れていた。足りないのは経験だと、今は励むしかない。
その背中をミティアはぼんやりと見ていた。
ジェフリーは、そのミティアの視線が気になった。キッドと話していた『かっこよすぎるから』の意味を理解した。理解と同時に芽生えたのは悔しいが嫉妬だ。あれだけのことを平気で言いきれるなんて、竜次を尊敬する。
黙って聞いていたローズは涙ぐんだ。自分のせいで彼女がこんな目に遭ったのだ。自身を責める気持ちが体を動かしている。本当は竜次に当たれる資格などない。
ジェフリーは脱衣所へ向かう。血生臭いと邪険にされたのを気にしているのか、返り血を見つめていた。下の黒いシャツも糊でも吸ったように硬い。
種の研究所を破壊した。その実感が今になって湧いた。腕に感じる筋肉の痛み、腐敗した血の臭い、怪我を負った仲間。あれは何だったのだろう。恐怖を感じたのは確かだった。手がかすかに震える。自分だけで考えても解決にはならない。あえて言うのなら、腐敗した獅子はキメラとでも言えばいいのだろうか。
ジェフリーは上着もシャツも脱ぎ、深い息をつく。すると、背後から声がかかった。
「置いておいてください。アタシがまとめて洗剤に浸けておきます」
「うわっ!!」
ズボンを脱ぐ前でよかった。いや、よくない。ミエーナが脱衣所を覗いている。
「き、気持ちだけでかまわない! それに、あんたがそこまでする義理はないだろう」
「いえ、タダでお世話になるなど、図々しいです。家事ならお任せください!!」
「わかった、わかったから! 男の裸を見る趣味でもあるのか!?」
「わわわっ、すみませんっ、すみませんっ!」
変な子だ。お世話になりたいなどと付いて来たのだろうが、信用はしていない。どちらにしても、ミエーナからも込み入った話は聞かなくてはいけないだろう。ジェフリーはそそくさと風呂をいただきに行った。
ミティアよりもキッドの方が重傷だ。安定するまではずっと付き添いが必要で、気が滅入るかもしれない。だが、一番つらいのはキッド本人だ。
竜次もローズも処置を施し終わって一息つく。
「ローズさん、あなたも手当てをしないと」
「いえ、ワタシは、その……」
ローズのすらりとした綺麗な足に、大きな擦り傷が走っている。ローズは自分でやると距離を置いた。
ローズと竜次でまたも意地のぶつかり合いが始まるのか。キッドはそう思ったようだ。先読みをしたように言う。
「ごめんね、竜次さん。でもあたし、自分がしたこと、後悔してないから」
なぜか竜次に向かって言っていた。
竜次にとっては、どんなキッドだろうとかまわない。その思いから、竜次は再び手を握った。
「無茶ばかりして。でも、それもクレアのいいところです。自分がしたことに責任を持てるなんて、どんなに誇らしいか。でもできるなら、怪我はしてほしくないですけれど」
キッドは首を振って笑う。竜次は事情を知らない。だからキッドも真実を切り出せなかった。
「彼女がこんな怪我をしたのはワタシのせいなの! ごめんなさいっ!!」
言おう言おうとタイミングを損ねていた。ロ―ズは信用を失うのではないかと怖かった。今まで築いて来たものがすぐにでも壊れてしまうのではないかと。でも自分のせいだという罪悪感とも戦っていた。押し潰されそうになって、腕を抱え込んでいる。
己を責めるローズ。それを見て、竜次は肩を落とした。
「クレアらしい」
「えっ?」
責められるかと思ったローズは動揺し、びくりと反応した。
竜次はキッドから手を放し、立ち上がってローズに向き合う。
「ローズさん、私にはあなたを責める理由はありません。それに……」
竜次はゆっくりと視線を落とした。
「私もジェフに謝らないといけないのに。懺悔ができたローズさんの方がすごかった」
すやすやと寝息を立ってているミティアに目を向けた。ミティアが起きてない頃合いを見計らって竜次も懺悔をする。
「私が一思いにとどめを刺さなかった。そのせいで、ミティアさんに大怪我をさせてしまった」
竜次は具体的に何があったのか、その相手は誰なのかを触れていない。それはキッドに過度なショックを与えないためでもある。だが、ローズはその相手を察した。
しんみりと重い空気。その空気を打ち破った者がいた。
「よせよ、そういう話」
タオルをバサバサとさせながら、ジェフリーが姿をあらわした。そして半裸である。
竜次はジェフリーを気遣い、お古のシャツを差し出した。
「もぉ、ちゃんと拭きなさい。ほらこれ」
ジェフリーは髪の毛に水分が多く残っているというのに、竜次がよこしたお古の半袖シャツに腕を通した。サイズが一回り大きい。腕も肘まで隠れるし、肩にも余裕がある。
合わないサイズに脱ごうとするジェフリー。だが、竜次はここでも小うるさい。
「こぉら、首元を引っ張って脱ごうとしないの!! また着るかもしれないんだから。というか、そんな脱ぎ方をするからすぐにシャツをダメにするんですよ?」
「そっか。そうだな」
「はい、また無駄が減りましたね」
竜次は人差し指を立てジェフリーを言い包めた。だが、多分脱線している。そして脱ぐのもやめて、ジェフリーも違和感に気が付いた。
「話が違うな?」
「えぇ、まったく」
恥ずかしいが、二人して脱線してしまった。そして、話題を戻した。
ジェフリーは服を着直し、頭をタオルで覆った。整えてから、あらためて話をする。
「とどめって?」
「どこから聞いていたのですか? カラスの行水さん」
「そんなに聞き入ってなかった。脱衣所で聞こえたくらいだし」
よりによってそこから聞くのかと、竜次は指摘を入れたいところを抑え込んだ。ただ、話の内容はまだ話せないと、表情を渋らせる。
「その話は、順を追ってお話ししたいのですが」
竜次はサキの姿を探した。今日は別行動をしていたのだから、きちんと話すべきではないかと疑問にも思った。
そのサキはコーディの手当てを受けていた。
「わかっているんじゃないですか? ジェフリーさん」
話が始まる雰囲気にサキとコーディが混ざろうとする。だが、その前にジェフリーはどうしても指摘をしたかった。
「なぁサキ、頼むから兄貴か博士に手当てをしてもらってくれないか?」
コーディの手当てが荒い。消毒液を無駄に使用し、零している。ガーゼも絆創膏も包帯も雑な巻き方だ。サキをいたぶっているのではなかろうかと疑問を持った。
「ジェフリーお兄ちゃんまで私のこと、馬鹿にするのっ!?」
コーディの機嫌が悪い。手当てをしたつもりらしいが、サキの顔はまだまだ腫れているように見える。
見兼ねたローズが、氷を袋に詰めてタオルを巻いたものを持たせて来た。
「んんん……」
コーディはギリギリと悔しそうに歯軋りをしている。背伸びしたいお年頃か反抗期、いや思春期かもしれない。
そんなコーディに、ミエーナがマグカップを渡した。
「あの、台所にあった緑茶ですが」
お世話になると言っていたが、仲良くなれるのかはまた別の話である。
ミエーナはコーディに渡し終えると、隣にいたサキにも渡していた。
「えっと、口の中を切っていますよね? 少しぬるめにしておきました」
「お気遣いどうも。ありがとうございます」
ミエーナは控えめに会釈して、皆にもお茶を配って行く。暖炉の前で暖まっていたハーターと壱子にも配って行った。
ミエーナは残りをテーブルの上に置き、『ほしかったらどうぞ』のような控えめな気遣いをする。
「すみません。お話のお邪魔でしたでしょうか」
ミエーナはそう言って、部屋の端っこでこそこそと小さくなっていた。
ジェフリーはそのミエーナを話の輪に入れようとする。
「と、言うか、話がしたいのはあんたからでもあるんだが?」
ミエーナはビクッと反応した。まだジェフリーには警戒心があるようだ。ジェフリーは警戒心を解こうと必死だ。
「別に乱暴する奴なんていないからこっちに来ればいいだろ。寒いんだし、あったまって話に加わればいいじゃないか」
ジェフリーはめんどくさいものが付いて来たと思っていた。舌打ちでもしそうだ。
あまりにジェフリーの言葉が乱暴だと思ったのか、ハーターが気を利かせた。
「まぁ、座んなよ。迷子の子猫ちゃん。この場に怖い人はいないよ」
口説き文句にでも使えそうな口ぶりだ。ハーターは折り畳みの椅子を差し出して座布団を乗せた。手の平まで添えた。これを見たミエーナは、軽く頭を下げて座った。もっと強情かと思ったが。やはり根は素直な子だ。
常に人の顔色をうかがっているような仕草だ。人慣れしていないのか、警戒しているかだろう。
話をする流れで、集合する。もちろん使い魔である圭馬も話に加わった。
「で、何話すって?」
なぜかショコラの姿がない。ジェフリーは辺りをきょろきょろと見渡す。
「ん? ばあさんは?」
「二階にいるよ。ずーっと窓の外を見てる。でも、聞こえてるから大丈夫でしょ」
ジェフリーはショコラがわざわざ入って来ないのは、ある程度の察しが付いているのかと個人的に思っていた。窓の外を見ていることにだって、意味があるに違いない。
まずは行動を報告する。まずはサキの仕事からだ。話しやすいようにジェフリーが質問をしていく。
「で、サキは仕事をしていたんじゃないのか? コーディも」
サキは帰って来るまで、見慣れないマントを羽織っていた。コーディもなぜ外出していたのか、まずそこからだった。
サキは順を追って話す。
「朝から出かけて、お仕事をしていましたよ。お勉強の補助。お金だけでは絶対に得られない、人情と経験を得ました。コーディは散歩したいって、ただ見送りに付いて来たのです。一緒だったのはたまたまでした。結果、彼女がいてくれなかったら今頃僕はさらわれてしまっていたでしょうね」
さらっと怪我の原因を説明する。
襲われたまでは言ったが、誰にとはまだ言っていない。サキがチラリとコーディを見ると、彼女もドーピングが切れたのか疲労の色がうかがえる。
コーディは言いづらそうにしながらぽつりと漏らす。
「あれはルッシェナ・エミルト・セミリシア。ミティアお姉ちゃんのお兄さん、だよね?」
その場にいた者以外の表情が強張った。
キッドは俯いて首を振った。何も言わない彼女の顔は『やっぱりそうか』という、諦めの表情だ。
自分の好きだった人が生きていた。それだけではなく、世界を裏から混沌に誘おうとしているのを知った。その真実に向き合うと誓った。だが、キッドにはまだどこかで昔のような優しいルッシェナに戻ってくれることを期待していた。もう遅いのかもしれない。その諦めだった。
コーディは事細かに覚えていた。さすが、作家。得た情報はモノにしている。
「サキに天空都市を落としてもらうって、意味深なことを言ってたよ。だって、最初はサキをさらおうとしていたもん!!」
「まぁ、その、あとすぐにボッコボコにされてしまったのですけれど」
「へー、しぶとかったのね。私は助けを求めて離れちゃったけど」
コーディの何となく棘のある言い方に対し、サキは落胆した。『そこまで言わなくてもいいのに』と。
やや気落ちしているサキを圭馬がフォローした。
「まぁまぁ、しぶとかったのは事実さ。事前に沙蘭で稽古を組ませてくれたでしょ?」
ずっとサキの傍を離れなかったのだから、彼の言うことは確かだ。
「正直あれにずいぶんと助けられたんじゃないかな。だって、みぞおちにきついのが入るまでは頑張れてたもん。あの変態、ずっと笑ってたよね。気色悪かったけど」
圭馬の言葉に、今まで黙っていたショコラが口出しをした。
「そやつは幻を見ていたのではなかろうかのぉ?」
ショコラは二階の手すりの隙間から覗いた。お惚けた猫と言うには鋭い。そのままテーブルの上にすとんと降りた。器用なものだ。
その仮説にサキが疑問を唱える。
「でも、駆け付けたミティアさんの質問に受け答えしていましたよ? やっぱり意味深なことを言っていましたけれど」
サキの言葉にミエーナもこくこくと頷いている。彼女も聞いていたのだ。
ミティアが何を話していたのか。内容が気になるが本人は休んでいる。案外軽く眠っているだけでぼんやりと聞こえているのかもしれない。
それはいいとして、ショコラが言っていた懸念事項は気になる。もしかしたらと思うと、案外これで終わらないような気がしてならない。皆はどこかでもやもやとした気持ちを燻ぶらせていた。
ジェフリーはショコラに質問をする。
「なぁ、ばあさん、幻を見ているってことは、心が病んでいたのか?」
「アバウトな言い方じゃなぁ? だいたいそうかもしれんよぉ。幻影術は痛みを和らげたりする効果もあるからなぁ。視界的なものもそうじゃけど、マインドコントロールじゃし。鈍ったり感じにくくなったり、麻痺はするのよぉ?」
「それで、とどめを刺したのは、兄貴じゃないのか?」
ジェフリーの質問に、竜次は悔しそうに歯を軋ませる。
質問に答えたのは、コーディだった。
「とどめはお兄ちゃん先生じゃないよ。サキと私で空から降下して、勢いで海には落とした。それでいいんだよね、サキ?」
都合がいいときにだけ話を振るのかと、サキは不満そうだ。
「うーん、多分? 感覚はあったのですが、あまり見えていなかったので」
サキはあざと切り傷だらけの右手を握っては開いてを繰り返す。初めての上空アタックなど、目を見開ける余裕がない。
もっと見る余裕のあった竜次が答えた。
「音はしましたし、ミティアさんが弾き飛ばされたので。私は『あの人』の腕を斬り落とし、剣を砕いた。確かにそこに彼はいました。間違いないです。そこで激しい揺れが起きて、船着場から離れました」
竜次が話を進めた。ルッシェナ自身が幻であった可能性はなさそうだ。竜次は血を拭わずに鞘に入れた剣を見せた。あとで手入れが大変そうだ。
ハーターは悩まし気に首を傾げながらぽつりと言う。
「つまり、『ラスボス』の死は誰も見てないってこと?」
ハーターが表現したのは現実離れした『ラスボス』という表現。言ってしまえばそうなのだろう。激しい揺れについてはジェフリーも気になった。そして壱子も。
ジェフリーは心当たりがあった。
「その地震、種の研究所を破壊した、先生の爆弾のせいか?」
壱子はポンと手を叩いた。
「わたくしも坊ちゃんが言う揺れに関して、その説を考えておりました」
二人の視線に、ハーターは苦笑いする。
「まぁ、かなりな爆弾だとは思うね」
フィリップスの地下で爆弾を用いたならば、揺れてもおかしくはない。潮位も変化した。崩れたなら、しばらく揺れが続いたのも納得がいく。
今度は圭馬がぴくりと耳を立てる。
「なるほどねぇ。ハーちゃん、爆弾なんて危ないもの使うんだ。確かに効率はいいだろうけど、爆弾を仕掛けたなら、急いで脱出したんでしょ? なんか残ってないかな? ホントに潰せたのぉ?」
離れた視点で疑いをかけている。だが、これは圭馬のいいところでもある。気付かされることが多い。
壱子は誇らしげに胸に手を添えて言う。
「その点でしたらわたくし、逃げながら怪しいところに刃を入れておきました。抜かりございません」
壱子は鋏の持ち手をトントンと指で小突いた。一番怪しいのは彼女なのだが、その点は誰も指摘をしない。
種の研究所の件は、これで一件落着したのだろうか。種の研究所を途中離脱した竜次は行く末を知って安心した。
「破壊できたのですか? それで本当に終わりだといいのですが」
壱子は『終わり』という言葉に反応した。
「ふむ……」
どうやら、腑に落ちない様子だ。先程の死闘の話ではないが、それで本当に終わったのかを疑う。
壱子は空になったカップを置いて、壁掛け時計を見た。そして、ミエーナにごちそうさまと挨拶する。背筋が伸びたと同時にジェフリーが声を掛けた。
「俺も行く。ちょっと待ってくれないか」
話の流れから、壱子が何をするのか、察しがついた。それはジェフリーだけではなく、ハーターもだった。
「ぼくも行こう。新しいランタンを持ってくるから」
「よろしいのでしょうか? こちらを手薄にしてしまって」
「あとは何が襲って来るんだい?」
ハーターはさらりと流すように言い、地下へ消えた。この家の掃除した際、古い道具がまとめられてあった。地下書庫では作業する用のランタンがあった記憶がある。
ジェフリーは半袖の黒シャツを着てズボンにベルトを通した。
がさつな音の中で、キッドがジェフリーを呼び止める。
「あんた、待ちなさい」
キッドは首元を緩めてマントを外した。
「貸すわ。その様子だと、羽織るものないでしょ? 汚れてるでしょうけど」
まだほとんど視界が利かないというのに、今度は耳で情報を整理でもしているのだろうか。点滴に引っ掛けないように避け、ジェフリーに向かってマントを差し出した。
ジェフリーは借りてしまっていいものかと戸惑った。マントのプレゼントの主、竜次に視線をおくる。すると竜次は呆れるように息をつき、小さく笑って頷いていた。
感覚が研ぎ澄まされている。キッドは目が利かなくても、耳で状況を判断する能力があるようだ。
ジェフリーは受け取るのを躊躇していた。昨日今日で知った仲ではこのやり取りはできない。キッドが何を考えているのかわからないが、今はその気遣いを受けるべきだと判断した。
「あ、ありがとう。必ず洗って返す」
マントを受け取る際、指が触れた。だが、キッドは嫌な顔をしていない。
「どうせ、しばらく外出られないでしょうから」
いつものキッドだったら絶対にこんなことをしないだろう。助けたお礼のつもりかもしれない。ジェフリーはあまり深く考えないようにしていた。
準備を整えて三人が玄関から出て行った。証人として圭馬と、やたらと外を気にしていたショコラもついて来た。
魔法に秀でていないジェフリーが、ここまで使い魔にモテるのも複雑な気分だ。
出て行ったことを確認した。キッドは傍にいるだろうと想定した竜次に向かって小声で呟く。
「ごめんね。あいつに貸しちゃった」
「どうしたのですか? 相手はジェフですよ?」
「あいつ、怒んないでやってね」
「……?」
キッドは俯き、恥ずかしそうに言う。
「あいつは崩落に巻き込まれたあたしをわざわざ助けに戻ったの。置いて行くこともできたはずなのに」
自分を助けたのはジェフリーだ。助けただけではなく、背負ってくれた。
竜次は複雑な心境だった。もちろん、キッドが無事ならば、それでいい。
「ジェフは仲間を見捨てません。あぁ見えて、根は優しいのです。見捨てることができないから、どこかの兵士といった大きな組織に所属しなかった」
キッドは俯き、困ったように頬に手を添える。
ずっと毛嫌いして来た人なのに助けてくれた。見捨てなかった。もういいからと自分から降りようともした。でもどうしても手が離せなかった。
逞しい背中。未熟なのに精いっぱい足掻こうとする精神。
でもこの人は親友の好きな人。その好きな理由がわかって憎らしかったのもある。
一言、どうしても言ってやりたかったけど、きっとらしくないと一蹴される。
キッドはここで竜次に言った。
「あいつ、いい奴ね。まだまだガキだけど、さ?」
惚れる人を間違えたのかと迷いが生まれた。でも手を取ってくれる人の傍で自分は寄り添っていたい。
ミティアが言ったように、竜次はかっこいい。不器用でときどき子どもっぽいところが滲み出て来るが、それも彼だ。
キッドは首を動かして冷やしている位置を調節した。
「ミエーナちゃんのお茶もおいしかったけど、竜次さんの淹れた、苦いお茶が飲みたいな?」
「は、はいっ!!」
バタバタと遠くなる足音。
竜次の足音がジェフリーと似ている。キッドは言わなかったが気付いてしまった。普段気が付かないが、何となくこの違いに気が付けるのも悪くないと思った。もちろんだが、本当は見えるように回復したい。
あのとき、自分を救い出してくれたジェフリーをかっこいいと思った。身を委ねた背中は逞しいと思った。目が見えなかったから、余計にそう感じた。
ジェフリーの馬鹿面を見て、自分の中で目を覚ましたかった。
思い違いであると信じている。
竜次は台所に立ち、お茶と急須を手にしながら硬直している。
「えっ、途中からいないと思ったら!?」
視線の先では、ミエーナがポニーテールを揺らしながらガシガシと手洗濯をしていた。腰の入ったいい擦り方だ。
「あ、すみません」
「いえ。と、言うか、そこまでなさらなくても」
「乾いてしまった血はふやかして大量の水で落としてから」
「み、水! あ、いえ、冷たいでしょうに」
変な過剰反応をして、竜次は取り乱した。だが、この寒い中を水で、しかも弟のジェフリーの服をガシガシと洗っているなんて。ここまでする理由があるのだろうか。
「お気になさらず!! アタシ、ここに置いてもらっているだけで本当にいいので!」
「は、はぁ。私の入れたお茶でもどうぞ。味の保証はしませんけれど」
「あ、ありがとうございます」
竜次は湯飲みに熱々のお茶を淹れてストローを刺した。違うカップにも淹れて台所の見える場所に置いておく。こちらはミエーナ用にだ。
コーディは病気による汗と、潮風によって髪が乱れ、べたついている。階段に座り、頬杖をついてため息をついていた。
「はぁ、ジェフリーお兄ちゃんたち、どうしたんだろう? 先に寝ようかな」
汗もかいてクタクタのコーディ。インフルエンザとはどこへ行ったのやら。ドーピングと激しい運動のせいで病気が飛んだのだろうか。それでもドーピングは確実に切れているらしく、疲労感からあくびをしている。
疲れが体を鉛のように重くする。それは隣に座っていたサキも一緒だった。サキはルッシェナと一対一で戦った。大怪我もしたが、ミティアやキッドほどではない。サキはコーディの疑問に得意の憶測を口にする。
「ジェフリーさんは『忘れ物』を取りに行ったのだと思いますよ」
「忘れ物? なーんだろ?」
コーディは想像もつかないようだ。もしくは疲労から考えるのも諦めている。
サキはすやすやと寝息を立てているミティアを見ていた。彼女を見て思い出した。
「コーディ、ちゃんと言ってないからここで失礼するよ」
「は、えっ?」
コーディは驚いて家の中で飛びそうになった。
「さっきは先生たちを呼んで来てくれてありがとう。最初に駆けつけてくれたのが、ミティアさんだったのは驚いたけどね」
冷たく当たったのに、雑な手当てもしたのに、律義にもお礼など言って来るなんておかしい。
コーディは身長差で上目遣いが睨むようになってしまうが、気持ちは受け取ろうと思った。
「と、当然じゃん。私だけでどうにもならなかったんだし。それに、サキがいなくなったら寂しいじゃない」
「さみ、しい? コーディが?」
サキは眉をひそめた。その反応にコーディがムッとしながら立ち上がる。
いつまでも対等になれない仲。コーディの中で嫉妬や歪んだ恋愛感情が燻ぶって仕方がない。
作家なのに、どう表現したらいいのかわからない。それもこれも、鈍感なサキのせいだと思っていた。だが、今はその要素が増えてしまった。コーディはその要素に向き合う。就寝前に洗面台で歯を磨き、顔を洗おうとしていた。そこにはミエーナがいた。
ミエーナはコーディの邪魔になっていたのに気が付いた。
「あっ、すみません。今、退きますね」
洗剤の爽やかな匂いがする。ちゃっかりと居座る形になってしまったが、何かの助けになろうと気を利かせ、自分にはないものをたくさん持っている。コーディはミエーナを少し疎ましく思っていた。軽く顔を洗って埃を洗い流す。
その様子を見て、ミエーナがじっとコーディを見ていた。
コーディはタオルに顔を埋めながら反応した。
「な、何?」
「あ、すみません。綺麗な髪の毛だなって」
「へっ? 金髪ならあなたも一緒だし。大差ないでしょ?」
コーディは話題作りにわざとらしく振ったのかと思った。ミエーナは頭を左右に揺らし、ポニーテールを見えやすくした。
「見ての通り、毛量が多くて重いんです。すぐぼさぼさになってしまうので綺麗とは?えっと、コー……」
「私? コーデリア。でも、そうね、コーディでいいわ。と、言うかそんなに長いの手入れ大変でしょ」
そんなつもりはなかったが、コーディから歩み寄った。邪険にするほど、悪い人ではないのはわかっている。だが、どうもまだ信用ならない。
ミエーナは振られた話題に対し、苦笑いをしている。
「なかなか合うシャンプーがなくて」
「ウッソ、めちゃめちゃいい匂いがしてるのに!!」
「それはさっき間違えて使った洗剤かも?」
ミエーナの視線の先にふんわりフローラルの香りと書かれた柔軟剤のラベルが見えた。近くには染み抜き洗剤や強めの中性洗剤が見える。間違えたということだろうか。
髪ではなく、洗濯の話だ。ミエーナがシャンプーを間違えていたらもっと笑っていただろう。コーディはそれも含めて笑ってしまった。本当はミエーナが手にしているものが気になって仕方がない。
「ぶっ、これ間違える? あなたドジね。ジェフリーお兄ちゃんの服からこんないい匂いがするなんて、想像したら笑っちゃう」
「わわっ、アタシ、ミエーナって言います。エルリミエーナ」
ドジを否定しない。少し落ち込んでいるし、リアクションが薄いのかと思ったがそうでもなく、少し安心した。ミエーナも怖い人だと思っていたのか、空気が和んでよかったと感じていた。
もしかしたら、仲良くなれるかもしれないと思っていたのはお互いであった。
静かな通りになったものだ。もうすぐ日付が変わろうとしている。街の明かりは少なくなりつつある。壱子は付いて来た二人と二匹に声を掛けた。
「こんな大所帯で歩かなくてもよろしいですのに」
ハーターはともかく、ジェフリーはなぜ来たのだろうか。壱子は疑問に思っていた。
「ジェフリー坊ちゃん、差し出がましいのではございますが、彼女のお傍にいなくてよろしかったのですか?」
ジェフリーはほんのり笑っていた。
「多分、行くところは船着き場だろうし、忘れ物があるだろうから」
着丈が合わずに短いマントを手繰り寄せながら歩く。寒いのか、使い魔の二匹がジェフリーの懐で身を寄せていた。
壱子は『忘れ物』とは何だろうかと思った。
船着き場に差しかかろうとした境目で見付けてしまった。壱子は驚きの声を上げる。
「おぉ、そういうことでしたか」
大きく削られた船着き場に目も行ったが、細身の剣が落ちている。
壱子が拾おうとする。だがハーターに遮られ、止められた。誰の剣なのか、持ち主を把握したからこそ、わざわざ止めたのだ。
剣に近寄るジェフリーを圭馬が見上げる。
「忘れ物って、それ、お姉ちゃんの剣じゃん? よくないってわかったね」
「あいつの持ち物にはポーチと鞘はあった。だが剣は入っていなかった。だからここにあると思ってな?」
圭馬は感心しているようだ。
「あぁ、そっか。お姉ちゃんのこと、よく見てるね」
ジェフリーもよく気が付いたものだ。拾い上げて確認すると、ミティアが持っていた剣で間違いなかった。細い剣だがどこも折れてはいない。少なくともいい剣だったのだろう。やや刃こぼれしている。真ん中より少し刃先に向かったところに大きな削りを確認した。
ミティアが握った跡が残っているわけでも、血が付いているわけでもない。それでも懸命に闘ったのだという『感覚』が残っていた。剣に宿った意志とでもいうべきだろうか。握って感傷に浸ってしまいそうなところだった。
そこへ、ハーターがランタンを差し出した。その顔は少し笑っている。
「よく見たいだろう?」
「いや、もういい。ありがとう先生」
ジェフリーは剣を下げて軽く辺りを見渡す。入り乱れた跡もあるし、血が飛んだ跡も確認した。
ランタンの明かりで気が付いたのは、黒くうごめくもの。壱子がそっと近寄る。
「何でしょうね」
壱子が鋏に手を掛けると、黒い影がわっと散った。『カァーカァー』と騒がしく散ったのはカラスだった。警戒心が解けたと思ったら、動じずに残ったカラスたちが何かを引き摺っている。金属の音がした。
ハーターが近寄ってランタンで照らした。すぐに嫌な顔をした。
「うえぇ、カラス君さぁ」
明らかに人の手だと思われるものをカラスたちはつついている。
フィリップスのカラスたちは、飢えているのだろうかと疑問が浮かぶ。この街はよく整備されている。残飯を漁ることは難しいだろう。近くに森もがあるので普段はそこで腹を満たすのだろう。
すぐ傍にはマスケット銃が落ちていた。銃口の真中から先がない。鋭い物で斬られた綺麗なものだ。これを芸術と呼ぶ者がいるかもしれない、斬り口が鮮やかだ。
野鳥に荒らされてしまったのは仕方がないが、銃は回収しておきたい。
ジェフリーが無神経にもそのまま拾おうとする。壱子が止めた。
「あぁっ、そのままはよろしくありません、こちらをお使いください」
何があるかわからない。壱子が燕尾服のポケットからハンカチを取り出した。
ジェフリーは何かとこういったことに縁がある。壱子を見て、眉間にしわを寄せた。
「ご心配なさらなくても、鋏の油取りでございます」
ジェフリーはそれもどうかと思った。だが、受け取って壱子をさらに見る。理由はとてもそんな粗末な布ではないからだ。
「嘘、だろ?」
「眼つきも言い方もケーシス様そっくりですねぇ」
「あのなぁ」
「出した物を引っ込めろと仰せですか?」
しっかり触ってしまった。ジェフリーは面倒なやりとりが増える前に素直にいただくことにした。何かの形で返せばいいだろうと軽い気持ちだ。
銃の回収で、今一度、確認したいことがある。ジェフリーはその場にいた圭馬に質問をした。
「これは兄貴の斬り方か?」
「そうだよ、ボク見てたし。あの変態がすんごい叫んでたのも聞いたよ」
「ここまでしたのに……」
ジェフリーは、竜次がとどめを刺せなかったと悔いていたの思い出した。実際に自分が立ち会ったらどうだろうか。ルッシェナはミティアを救う方法は自分が持っていると言っていた。それを都合よく聞きだした上で、戦い、息の根を止める。そんなことができるだろうか。
圭馬はジェフリーが黙っている理由を察した。
「人が人を殺すの、無理だと思うよ」
ジェフリーはただそれだけが理由ではないと首を振る。
「兄貴は命を扱う仕事をしているんだから無理だろうな。人の死に関しては人一倍敏感だ。そんな兄貴に人は斬れないと思う」
懐が軽いと思ったら、いつの間にかショコラがいない。
ジェフリーは血の付いたマスケット銃を持ちながら辺りを見渡す。すると、ショコラは埠頭の先で海を見ていた。哀愁の漂う猫背だけが見える。
ハーターは別のものが落ちていないかを探索していた。
「他には何も落ちていないようだね」
「破壊しまった分は補填か弁償か。ギルドから話を回しておかないといけません。事後処理も大変ですね」
ランタン片手のハーターと壱子が波打ち際も見ているが、目ぼしいものがない。何となく意味深な会話になる。
「そのギルド、信用していいのかな。と、ぼくは不信感を抱いているよ」
壱子は背筋を伸ばし、ゆっくりと息を吐いた。
「奇遇ですね。わたくしもですよ」
「同盟でも組みますかい?」
「前向き検討と言ったところですね。わたくしが御一行に長いことお世話になるのもいけませんので」
「ん? そうなのかい? 別にいいじゃないか。ぼくだって新入りだよ」
「わたくしはケーシス様にお仕えしておりますので」
ハーターは軽い気持ちでスカウトしてみた。だが、この場ではフラれた。その気がないわけではないが、主従関係はどうしても崩さない。商売敵なのだから仕方がないことだ。
二人は話しながら探索している。
その会話を耳にしながら、ジェフリーはショコラに声を掛けた。
「ばあさん、どうしたんだ? 博士の家でもそうだったけど、ずっと海だか空だか気にしてるよな? ばあさんのことだから何かあるんだろうけど」
「のぉん」
ジェフリーはしゃがみ込んでショコラを撫でる。懐っこい野良猫のように頭を下げて気持ちよさそうにしているが、耳をピンと立てて質問に答えた。
「何か大きなものが渦巻くような変な感覚がするのぉん」
「変な感覚?」
「気持ちが悪いんじゃよ。気のせいじゃといいのぉん」
ショコラは寒いのか、ぶるぶると震えている。ジェフリーは抱き上げて懐に押し込んだ。他に何もないのだったらこのまま帰りたい。探索をしていた二人に確認をした。
「何かあったか?」
答えたのは壱子が先だった。
「いえ、特別何かと言うか、足跡と言うか、入り乱れは見受けられますね」
「先生は、何かあったみたいだな?」
壱子はいつの間にかペンライトを持っていた。だが、ここで使わず、時折しゃがんで目を凝らしていた。ハーターがランタンを持っているのだから一緒に探索すればいいかもしれないが、あまりにも効率が悪い。
ハーターはランタンに何かをかざして小難しい顔をしている。
「あぁ、これ何だかわかるかい? 宝石かな? そこの亀裂の溝に落ちてたから引っ掛けて取ったんだけど」
黒くて宝石のようなものを持っている。圭馬がハーターの肩に飛び移り、じろじろと見ている。
「魔石の欠片じゃない? ハーちゃん見せて!!」
圭馬は見覚えがあり、そして心当たりがあった。
「あ、これ、強化魔石、ブースト石の欠片だね」
「市販の物かい? あんまり見ない色だけど」
「セットのおまけに入ってるだけのレアな凝縮石だよ。主はこれを持っていなかったから。じゃああれ、本当に撃ち落とすつもりだったんだ。こわっ!」
「何か心当たりがあるのか。もしかして『あの男』がこれ使おうとしたのかな?」
「そそそっ」
圭馬はこくこくと頷いている。証人としてついて来たが、遊びかと思ったら意外としっかりと対応している。先程だって説明を施してくれた。
『カーンカーン……』
遠くから日付が変わる鐘の音がする。大体鳴らすのは城の鐘だろう。
壱子はこれが気になっていたようだ。
「日付が変わりましたね」
意味深な言葉を言って思い出した。三人して警戒をする。研究所の破壊に失敗していたら、人を壊す『何か』が撒かれると解読していた。
圭馬は動揺している。
「え、何? どったのみんな」
できれば時間が過ぎるまで黙っていてもらいたい。鐘の音が増えるたびに警戒は強まった。十二回目が過ぎて、静けさが戻ると安堵の息を漏らす。
一番安心していたのはハーターだ。
「よかった。ぼくがしくじったらどうしようかと思ったよ」
何も起こらないし、静かな空気。波の音。遠くから聞こえる歓楽街の声。よからぬものがこの街に撒かれる。それは種の研究所の破壊によって防げたようだ。
緊張を解くようにジェフリーも大きく息をついた。
「戻ろう。みんな無事だったんだ。これからの相談は後日に回そう。みんなくたくただし、怪我人もいる。まずは体勢を立て直さないといけないな」
思うことはあるが、今は休みたい。安心と共に緊張が解け、どっと疲れが増した。
壱子が少しそわそわとしている。
「あ、わたくしは、その……」
まだ一緒に行動には戸惑いと言うか、遠慮と言うか、一定の距離を取っている。いい加減にしろと言わんばかりに、ジェフリーが強めに言った。
「片付いたが落ち着いてはいない。だから一緒に行動したっていいじゃないか」
「ふーむ、しかしですね」
「命令しないといけないのか?」
半分は冗談だが、握った情報を変にばら撒かれても困る。ジェフリーはケーシスとやりとりできる手段として、何となくだが壱子を野放しにしたくない。
壱子はキョトンとしながら、ハーターにも視線をおくった。
「ぼく? 今は仲間でかまわないよ」
ハーターは手を差し出した。握手のつもりか、同盟の約束か。
壱子は諦めてジェフリーに向き直った。
「では、今はジェフリー坊ちゃんに従いましょうか」
「勝手にフラフラするな。とでも言えばいいのか?」
「まぁ、坊ちゃんシビレますわ」
壱子はハーターの手を取ることはなく、くねくねと体をよじりながらジェフリーの言葉に酔っている。
「ケーシス様にそっくりです。いやぁ、本当に魔導士狩りで落命なさらずによかった。あのときはどうなることかと」
不意に重要なことを言われた気がした。ジェフリーは壱子の言葉に食らいつく。
「俺が魔導士狩りの場にいたことを知ってたのか?」
「当然です。だってあの事件の際、ケーシス様とフィラノスに……」
壱子は言いかけて口を塞いだ。もう遅い。疑惑は確信になった。
「お喋りな情報屋だな」
「い、今の発言は、お忘れください!!」
安心した勢いで吐いた事故だ。ここで吐かせるか、いや、そんなことはしない。ジェフリーは一度冷静になった。
「あんな地獄を知っているのか」
ジェフリーはいったん話を逸らした。聞きたいのはこのことではない。この旅に身を置くまで、父親のケーシスには会ったことがないと思っていた。だが、ケーシスは一方的にジェフリーに会っていたのかもしれない。
今は警戒をしないでもらいたい。演技に自信はないが、今は壱子をこちらに抱え込んで、真相をケーシスの口からどうしても聞きたい。やり方は汚いが、ケーシスが素直に答えてくれるだろうか。
魔導士狩りで何を見たのか。魔導士狩りの記憶があやふやなのも、もしかしたらケーシスが関わっているのではないのか。それ以上に、気になって仕方がないのは、自分は本当に『ジェフリー・アーノルド・セーノルズ』なのだろうか。
ジェフリーは自分の存在に疑問を抱いた。
0
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