13 / 16
13.従士ラグナルは諦めたくない
しおりを挟む
レンナルト様が、本拠の邸宅に戻られてから、早数日。
積み上げられた書類の山。王国内外各地からの報告書、王都からの通達、そして、各方面への指示書。
普段は従士レオンとしてフェリシア様の側にいるレンナルト様だが、溜まりに溜まった仕事を片付けるために、こうして時々、本拠に戻ってくる。
「ラグナル、リンドベリ伯爵家領の税率引き上げの件だが……」
「はい。報告の通り、リンドベリ伯爵夫人の贅沢三昧が原因かと」
「宰相……、いや、財務卿に注進しろ。リンドベリ伯爵は財務卿に昔、罪をもみ消してもらったことがある。財務卿から税率引き上げを止めさせるんだ」
「承知いたしました」
「……わずかな税率引き上げでも、大地主であるバネル家への影響は大きい。財務卿で事態が動かないなら、次は宰相を動かして締め上げさせろ」
「そのように手配いたします」
「次に、西方山脈の鉱山の件だが……」
と、相変わらず、凄まじい勢いで仕事を片付けていかれる。
――フェリシア様のこと以外では、ほんと、しっかりしてるんだけどなぁ……。
心の中で、小さく呟く。
レンナルト様の仕事ぶりは、実に的確で、無駄がない。その手腕は、王都政界に深く食い込むバネル家の跡取りとして、申し分ない。
リンドベリ伯爵家領の税率引き上げの件。あれは、表向きは領地経営の悪化が原因とされている。しかし、実際は、リンドベリ伯爵夫人の浪費が原因だ。
レンナルト様は、その情報をいち早く掴み、財務卿を動かして圧力をかけ、税率引き上げを撤回させようとしている。
しかし、フェリシア様のことになると、途端に人が変わる。
「フェリシア様の護衛は、老従士のゲオルグに任せています」
「ああ、愛妻家で知られるゲオルグか。……なら、安心だな」
レンナルト様は、フェリシア様を溺愛している。それは、もはや愛情というより、信仰に近い。
「……はぁ」
ため息をつきながら、レンナルト様の指示に従い、財務卿への書簡を作成する。
バネル家がただの富豪の資産家ではなく、王政を裏で操る黒幕であることは、当然のことながら、あまり知られていない。
有名な黒幕など、黒幕ではない。
ただの有名人だ。
財務卿が秘密にする弱みを知っているぞと匂わせ、思い通りに動いてもらう文面を書き上げる。
第3王子の国外追放も、おなじようにして決めさせた。
フェリシア様を2度に渡って傷つけた第3王子に、レンナルト様が激怒したのだ。
「……最初のは、まあ、お陰で、結婚できた訳だしな……」
と、モゴモゴ言われていたレンナルト様の差配とは気付かないまま、第3王子は遥か東方の蛮国で生涯を終える。
私の書いた書簡に目を通されていた、レンナルト様が、ニヤリと笑った。
「ところで、ラグナル。犬のイェスペルだが……」
「はい?」
「あの犬種とブナ林……。何か思い出すことはないか?」
「……え?」
私は、レンナルト様の言葉に、一瞬戸惑った。しかし、すぐに思い当たることがあった。
「……まさか」
「ああ。フェリシア様の明敏なところを、また見せていただけるのかもしれんな」
レンナルト様の表情は、うっとりとしていて、もはや信仰は崇拝の域に達している。
正直なことを言えば、
――あのヒョロガリメガネの、どこがいいのか!?
という気持ちはある。
ドレスアップした姿の美貌を考えても、やはり私には理解できない趣味だ。
満ち足りた表情のレンナルト様が、私に目を向けた。
「私が力になれる場面もあるかもしれない。調達部門の長と、いつでも連絡がつくよう手配しておけ」
「はっ。かしこまりました」
レンナルト様のフェリシア様への執着は、常軌を逸している。というか、歪んでいる……。いや、それも何か表現がちがう。
正妻に名乗らず、認識されず、偽名を使って側にいられるだけで幸福。
私はレンナルト様の側近でありながら、その思考と心情を理解することを諦めかかっていた。
フェリシア様もフェリシア様だ。他人に興味がなさすぎる。優れた社交術は、ほんとうにただの〈術〉だ。
いや、人間への興味を突き詰め続けたら、あのようになってしまうのか……?
ご自分に敵意を抱いていた従妹のディアナという令嬢を一瞬で籠絡され、第3王子への復讐の道具にしてしまわれた。
ディアナ嬢にかこつけた王家への抗議がなければ、第3王子の国外追放もなかった。
あれを、ディアナ嬢への単純な好意だと受け止められるほど、私は人間がまっすぐに出来てはいない。後で話を聞いて思い浮かべたフェリシア様の微笑みに、背筋が凍る思いがしたものだ。
――ま……。主君とご正妻とはいえ、所詮は他人。他人の恋路など、理解しようという方が無理な話か……。
ただ、フェリシア様への崇拝こそが、レンナルト様の類稀なる能力とバイタリティを引き出す原動力なのだと、私は薄々理解し始めていた。
それでバネル家が栄えるのであれば、私としては文句を言うべき筋合いではない。
だから、あのブナ林で何が起こるのか、私は静かに見守ることにした。
おふたりの、そしてバネル家の未来をも左右するかもしれない〈お宝〉を手に入れられるのかどうかを。
積み上げられた書類の山。王国内外各地からの報告書、王都からの通達、そして、各方面への指示書。
普段は従士レオンとしてフェリシア様の側にいるレンナルト様だが、溜まりに溜まった仕事を片付けるために、こうして時々、本拠に戻ってくる。
「ラグナル、リンドベリ伯爵家領の税率引き上げの件だが……」
「はい。報告の通り、リンドベリ伯爵夫人の贅沢三昧が原因かと」
「宰相……、いや、財務卿に注進しろ。リンドベリ伯爵は財務卿に昔、罪をもみ消してもらったことがある。財務卿から税率引き上げを止めさせるんだ」
「承知いたしました」
「……わずかな税率引き上げでも、大地主であるバネル家への影響は大きい。財務卿で事態が動かないなら、次は宰相を動かして締め上げさせろ」
「そのように手配いたします」
「次に、西方山脈の鉱山の件だが……」
と、相変わらず、凄まじい勢いで仕事を片付けていかれる。
――フェリシア様のこと以外では、ほんと、しっかりしてるんだけどなぁ……。
心の中で、小さく呟く。
レンナルト様の仕事ぶりは、実に的確で、無駄がない。その手腕は、王都政界に深く食い込むバネル家の跡取りとして、申し分ない。
リンドベリ伯爵家領の税率引き上げの件。あれは、表向きは領地経営の悪化が原因とされている。しかし、実際は、リンドベリ伯爵夫人の浪費が原因だ。
レンナルト様は、その情報をいち早く掴み、財務卿を動かして圧力をかけ、税率引き上げを撤回させようとしている。
しかし、フェリシア様のことになると、途端に人が変わる。
「フェリシア様の護衛は、老従士のゲオルグに任せています」
「ああ、愛妻家で知られるゲオルグか。……なら、安心だな」
レンナルト様は、フェリシア様を溺愛している。それは、もはや愛情というより、信仰に近い。
「……はぁ」
ため息をつきながら、レンナルト様の指示に従い、財務卿への書簡を作成する。
バネル家がただの富豪の資産家ではなく、王政を裏で操る黒幕であることは、当然のことながら、あまり知られていない。
有名な黒幕など、黒幕ではない。
ただの有名人だ。
財務卿が秘密にする弱みを知っているぞと匂わせ、思い通りに動いてもらう文面を書き上げる。
第3王子の国外追放も、おなじようにして決めさせた。
フェリシア様を2度に渡って傷つけた第3王子に、レンナルト様が激怒したのだ。
「……最初のは、まあ、お陰で、結婚できた訳だしな……」
と、モゴモゴ言われていたレンナルト様の差配とは気付かないまま、第3王子は遥か東方の蛮国で生涯を終える。
私の書いた書簡に目を通されていた、レンナルト様が、ニヤリと笑った。
「ところで、ラグナル。犬のイェスペルだが……」
「はい?」
「あの犬種とブナ林……。何か思い出すことはないか?」
「……え?」
私は、レンナルト様の言葉に、一瞬戸惑った。しかし、すぐに思い当たることがあった。
「……まさか」
「ああ。フェリシア様の明敏なところを、また見せていただけるのかもしれんな」
レンナルト様の表情は、うっとりとしていて、もはや信仰は崇拝の域に達している。
正直なことを言えば、
――あのヒョロガリメガネの、どこがいいのか!?
という気持ちはある。
ドレスアップした姿の美貌を考えても、やはり私には理解できない趣味だ。
満ち足りた表情のレンナルト様が、私に目を向けた。
「私が力になれる場面もあるかもしれない。調達部門の長と、いつでも連絡がつくよう手配しておけ」
「はっ。かしこまりました」
レンナルト様のフェリシア様への執着は、常軌を逸している。というか、歪んでいる……。いや、それも何か表現がちがう。
正妻に名乗らず、認識されず、偽名を使って側にいられるだけで幸福。
私はレンナルト様の側近でありながら、その思考と心情を理解することを諦めかかっていた。
フェリシア様もフェリシア様だ。他人に興味がなさすぎる。優れた社交術は、ほんとうにただの〈術〉だ。
いや、人間への興味を突き詰め続けたら、あのようになってしまうのか……?
ご自分に敵意を抱いていた従妹のディアナという令嬢を一瞬で籠絡され、第3王子への復讐の道具にしてしまわれた。
ディアナ嬢にかこつけた王家への抗議がなければ、第3王子の国外追放もなかった。
あれを、ディアナ嬢への単純な好意だと受け止められるほど、私は人間がまっすぐに出来てはいない。後で話を聞いて思い浮かべたフェリシア様の微笑みに、背筋が凍る思いがしたものだ。
――ま……。主君とご正妻とはいえ、所詮は他人。他人の恋路など、理解しようという方が無理な話か……。
ただ、フェリシア様への崇拝こそが、レンナルト様の類稀なる能力とバイタリティを引き出す原動力なのだと、私は薄々理解し始めていた。
それでバネル家が栄えるのであれば、私としては文句を言うべき筋合いではない。
だから、あのブナ林で何が起こるのか、私は静かに見守ることにした。
おふたりの、そしてバネル家の未来をも左右するかもしれない〈お宝〉を手に入れられるのかどうかを。
144
あなたにおすすめの小説
銀狼の花嫁~動物の言葉がわかる獣医ですが、追放先の森で銀狼さんを介抱したら森の聖女と呼ばれるようになりました~
川上とむ
恋愛
森に囲まれた村で獣医として働くコルネリアは動物の言葉がわかる一方、その能力を気味悪がられていた。
そんなある日、コルネリアは村の習わしによって森の主である銀狼の花嫁に選ばれてしまう。
それは村からの追放を意味しており、彼女は絶望する。
村に助けてくれる者はおらず、銀狼の元へと送り込まれてしまう。
ところが出会った銀狼は怪我をしており、それを見たコルネリアは彼の傷の手当をする。
すると銀狼は彼女に一目惚れしたらしく、その場で結婚を申し込んでくる。
村に戻ることもできないコルネリアはそれを承諾。晴れて本当の銀狼の花嫁となる。
そのまま森で暮らすことになった彼女だが、動物と会話ができるという能力を活かし、第二の人生を謳歌していく。
【悲報】氷の悪女と蔑まれた辺境令嬢のわたくし、冷徹公爵様に何故かロックオンされました!?~今さら溺愛されても困ります……って、あれ?
放浪人
恋愛
「氷の悪女」――かつて社交界でそう蔑まれ、身に覚えのない罪で北の辺境に追いやられた令嬢エレオノーラ・フォン・ヴァインベルク。凍えるような孤独と絶望に三年間耐え忍んできた彼女の前に、ある日突然現れたのは、帝国一冷徹と名高いアレクシス・フォン・シュヴァルツェンベルク公爵だった。
彼の目的は、荒廃したヴァインベルク領の視察。エレオノーラは、公爵の鋭く冷たい視線と不可解なまでの執拗な関わりに、「新たな不幸の始まりか」と身を硬くする。しかし、領地再建のために共に過ごすうち、彼の不器用な優しさや、時折見せる温かい眼差しに、エレオノーラの凍てついた心は少しずつ溶かされていく。
「お前は、誰よりも強く、優しい心を持っている」――彼の言葉は、偽りの悪評に傷ついてきたエレオノーラにとって、戸惑いと共に、かつてない温もりをもたらすものだった。「迷惑千万!」と思っていたはずの公爵の存在が、いつしか「心地よいかも…」と感じられるように。
過去のトラウマ、卑劣な罠、そして立ちはだかる身分と悪評の壁。数々の困難に見舞われながらも、アレクシス公爵の揺るぎない庇護と真っ直ぐな愛情に支えられ、エレオノーラは真の自分を取り戻し、やがて二人は互いにとってかけがえのない存在となっていく。
これは、不遇な辺境令嬢が、冷徹公爵の不器用でひたむきな「ロックオン(溺愛)」によって心の氷を溶かし、真実の愛と幸福を掴む、ちょっぴりじれったくて、とびきり甘い逆転ラブストーリー。
【完結】婚約破棄された令嬢の毒はいかがでしょうか
まさかの
恋愛
皇太子の未来の王妃だったカナリアは突如として、父親の罪によって婚約破棄をされてしまった。
己の命が助かる方法は、友好国の悪評のある第二王子と婚約すること。
カナリアはその提案をのんだが、最初の夜会で毒を盛られてしまった。
誰も味方がいない状況で心がすり減っていくが、婚約者のシリウスだけは他の者たちとは違った。
ある時、シリウスの悪評の原因に気付いたカナリアの手でシリウスは穏やかな性格を取り戻したのだった。
シリウスはカナリアへ愛を囁き、カナリアもまた少しずつ彼の愛を受け入れていく。
そんな時に、義姉のヒルダがカナリアへ多くの嫌がらせを行い、女の戦いが始まる。
嫁いできただけの女と甘く見ている者たちに分からせよう。
カナリア・ノートメアシュトラーセがどんな女かを──。
小説家になろう、エブリスタ、アルファポリス、カクヨムで投稿しています。
女嫌いな騎士が一目惚れしたのは、給金を貰いすぎだと値下げ交渉に全力な訳ありな使用人のようです
珠宮さくら
恋愛
家族に虐げられ結婚式直前に婚約者を妹に奪われて勘当までされ、目障りだから国からも出て行くように言われたマリーヌ。
その通りにしただけにすぎなかったが、虐げられながらも逞しく生きてきたことが随所に見え隠れしながら、給金をやたらと値下げしようと交渉する謎の頑張りと常識があるようでないズレっぷりを披露しつつ、初対面から気が合う男性の女嫌いなイケメン騎士と婚約して、自分を見つめ直して幸せになっていく。
傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ
悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。
残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。
そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。
だがーー
月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。
やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。
それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。
【完結】「私の寿命をもらってください」~余命少ない私と、“命喰らい”のお医者様の契約結婚~
夏芽みかん
恋愛
余命わずかな私に持ち込まれたのは、“命喰らい”の異能を持つ、お医者様とのお見合い話だった――。
心臓が石になる病「石心病」を患う凛は、父に勧められた縁談で帝都大学病院の心臓外科医・継宮 朔弥(つぐみや さくや)と出会う。
「形だけでも結婚が必要なんです。けれど……必ず、あなたの病気を治します」
命を操る一族の末裔ゆえに背負った、特別な結婚。
けれど「形だけ」のはずの夫婦生活は、やがて互いの心を溶かし合う温かな日々へと変わっていく。
2人が本当の夫婦になるまでのはなし。
【完結】教会で暮らす事になった伯爵令嬢は思いのほか長く滞在するが、幸せを掴みました。
まりぃべる
恋愛
ルクレツィア=コラユータは、伯爵家の一人娘。七歳の時に母にお使いを頼まれて王都の町はずれの教会を訪れ、そのままそこで育った。
理由は、お家騒動のための避難措置である。
八年が経ち、まもなく成人するルクレツィアは運命の岐路に立たされる。
★違う作品「手の届かない桃色の果実と言われた少女は、廃れた場所を住処とさせられました」での登場人物が出てきます。が、それを読んでいなくても分かる話となっています。
☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ていても、違うところが多々あります。
☆現実世界にも似たような名前や地域名がありますが、全く関係ありません。
☆植物の効能など、現実世界とは近いけれども異なる場合がありますがまりぃべるの世界観ですので、そこのところご理解いただいた上で読んでいただけると幸いです。
【完結】さっさと婚約破棄が皆のお望みです
井名可乃子
恋愛
年頃のセレーナに降って湧いた縁談を周囲は歓迎しなかった。引く手あまたの伯爵がなぜ見ず知らずの子爵令嬢に求婚の手紙を書いたのか。幼い頃から番犬のように傍を離れない年上の幼馴染アンドリューがこの結婚を認めるはずもなかった。
「婚約破棄されてこい」
セレーナは未来の夫を試す為に自らフラれにいくという、アンドリューの世にも馬鹿げた作戦を遂行することとなる。子爵家の一人娘なんだからと屁理屈を並べながら伯爵に敵意丸出しの幼馴染に、呆れながらも内心ほっとしたのがセレーナの本音だった。
伯爵家との婚約発表の日を迎えても二人の関係は変わらないはずだった。アンドリューに寄り添う知らない女性を見るまでは……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる