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12.侍女アニタのため息
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「アニタ、ちょっとそこの本を取ってくれるかしら?」
「はい、フェリシア様」
すっかり見慣れた瓶底眼鏡をかけ、ダボダボのルームワンピースを着たフェリシア様は、ハンモックに揺られている。
私たちは、王都からリルブロルに戻ってきた。
夏の暑さがやわらぎ始め、フェリシア様は気持ち良さそうに、ますます読書に没頭されている。
あの舞踏会から数日。
「無礼者。立ち去れ」
冷たいお声が、いまも耳に残っている。
あのとき、フェリシア様は、第3王子殿下を軽蔑しきっていた。
私はというと、
――もっと、言ってやれ~っ!
と、興奮していた。
私の知る公爵令嬢……、ううん、女公爵フェリシア・ストゥーレ閣下は、こうでなくてはいけない。
最高にカッコよくて、侍女にしてもらえたことが、無限に誇らしく、おもわず賞賛のため息を漏らした。
そして、フェリシア様は、本当に王家に対して抗議した。
――わが族子、ディアナ・ストゥーレに対する理不尽なふる舞い。王家からの弁明を求める。
王家からは正式な詫び状が届き、ストゥーレ公爵家は王家に貸しをひとつ作った形だ。
第3王子殿下は謹慎となり、いずれ他国に婿として出されることが決まった。
事実上の国外追放だ。
「王侯貴族の結婚が打算と駆け引きだけだとしても、麗しい愛情を装って包み隠さないと、高貴な身分を保つ気品に欠けるというものよねぇ?」
と、フェリシア様はこともなげに笑われた。
この達観し過ぎた結婚観は、いったいどこから学ばれたのだろう。いつも甘々の恋愛小説を読まれているというのに……。
そして、フェリシア様は、ディアナ様に新しい縁談の斡旋を約束された。
ディアナ様は悲痛な表情で、フェリシア様に心からの感謝を述べられた。
「私、フェリシアに……」
「なにも言わないで、ディアナ。終わったことよ。貴女は立場が変わってもマティアス殿下に誠を尽くした。立派だわ」
と、舞踏会でディアナ様の手を握りしめたフェリシア様の横顔は、慈愛に満ちていて、まるで女神さまのようだった。
ディアナ様は、フェリシア様をずっと誤解していたのだと思う。
フェリシア様は、誰よりも情に厚く、誰よりも責任感の強いお方だ。
そして、リルブロルでは、相変わらず読書三昧の日々を送っている。
ヒョロガリメガネな、リラックスし切ったお姿で。
叔父君が、政界工作のためにつくった公爵家の莫大な借金が発覚したというのに、少しも慌てず、こうして本を読んでいる。
もっとも、フェリシア様のことだから、何か考えがあってのことだとは思う。
それでも、やはり心配で、私はつい小言を言ってしまう。
「フェリシア様、少しは領地経営のことも考えてください」
「あら、考えてるわよ?」
「考えているようには、とても……」
「まあまあ、そう焦らないで。なんとかなるから」
フェリシア様は、そう言って微笑むと、また本に目を落とした。
傍らには、フェリシア様を護衛するバネル家の従士、ラグナル様と……、レオン様がいる。
舞踏会の直後。私の口を両手で押さえたまま、抱き抱えるようにしたラグナル様に、王宮の大広間から外に出された。
うら若き乙女に対し、許可もなく、距離が近すぎる。
「アニタ殿。レンナルト様のことで、お願いがあるのですが……」
そう言って、「もがもが」と抗議する私に、ラグナル様が耳打ちした。
だから、近いって。
「従士レオンが、レンナルト様だということは、フェリシア様には絶対に内緒にしてください」
「もが?」
「レンナルト様が、そう望んでおられるからです」
「もが……」
私は、言葉を失った。
レンナルト様は、なぜフェリシア様に正体を隠しているのだろうか?
私には、さっぱりわからなかった。
ただ、ラグナル様が、レンナルト様から固く口止めされていることだけは、よくわかった。
私が、コクコク頷くと、ようやくラグナル様は手をどけてくれた。
「……意味が解りません」
「私にも解りません」
「……そんな、……胸を張られても」
「いつかレンナルト様がご自身で打ち明けられるか、フェリシア様がお気付きになられるまで、そっとしておいていただけませんか?」
「う、う~ん……」
「そのときには、私がアニタ殿に口止めしたと証言いたします。……アレはアレで、レンナルト様の……純愛……、なのだと思うのです……。意味は解りませんが」
純愛という言葉に頬をすこし紅くしたラグナル様も、充分にどうしようもない夢見がちな少年だと思う。はた迷惑だ。
だけど、意味不明な主君にふり回される気持ちには共感できた。
「わかりました。誰にも言いません」
「ありがとうございます」
まったく、この人たちは、いったい何を考えているのだろう?
私は、ため息をつきながら、ハンモックに揺られるフェリシア様と、そばの野原で犬のイェスペルと戯れるレオン様とを見比べた。
テーブルを囲んでいるのは、私とラグナル様のふたり。思わず目が合った。
「この辺りでは、珍しい犬種です」
と、ラグナル様は、私が聞きたい本題とは別の話をしてきた。
「……そうなのですね。王都では見かけませんから、こちらの地方の犬種なのかと思っていました」
「小型ですが、嗅覚に優れ、猟犬に使われる犬種なのですが……」
「……よくご存知ですね」
「仕事柄……」
というラグナル様が、いつ働いているのか不明だ。レオン様もだけど。
まったく。爵位を継承しても、家が破産してはどうしようもないのに、ゆらゆら読書を続けるフェリシア様のお気持ちも、
バネル家嫡男の立場にありながら、正妻に正体を隠して犬と戯れているレンナルト様のお気持ちも、私にはさっぱり分からない。
ため息が止まらない。
「はい、フェリシア様」
すっかり見慣れた瓶底眼鏡をかけ、ダボダボのルームワンピースを着たフェリシア様は、ハンモックに揺られている。
私たちは、王都からリルブロルに戻ってきた。
夏の暑さがやわらぎ始め、フェリシア様は気持ち良さそうに、ますます読書に没頭されている。
あの舞踏会から数日。
「無礼者。立ち去れ」
冷たいお声が、いまも耳に残っている。
あのとき、フェリシア様は、第3王子殿下を軽蔑しきっていた。
私はというと、
――もっと、言ってやれ~っ!
と、興奮していた。
私の知る公爵令嬢……、ううん、女公爵フェリシア・ストゥーレ閣下は、こうでなくてはいけない。
最高にカッコよくて、侍女にしてもらえたことが、無限に誇らしく、おもわず賞賛のため息を漏らした。
そして、フェリシア様は、本当に王家に対して抗議した。
――わが族子、ディアナ・ストゥーレに対する理不尽なふる舞い。王家からの弁明を求める。
王家からは正式な詫び状が届き、ストゥーレ公爵家は王家に貸しをひとつ作った形だ。
第3王子殿下は謹慎となり、いずれ他国に婿として出されることが決まった。
事実上の国外追放だ。
「王侯貴族の結婚が打算と駆け引きだけだとしても、麗しい愛情を装って包み隠さないと、高貴な身分を保つ気品に欠けるというものよねぇ?」
と、フェリシア様はこともなげに笑われた。
この達観し過ぎた結婚観は、いったいどこから学ばれたのだろう。いつも甘々の恋愛小説を読まれているというのに……。
そして、フェリシア様は、ディアナ様に新しい縁談の斡旋を約束された。
ディアナ様は悲痛な表情で、フェリシア様に心からの感謝を述べられた。
「私、フェリシアに……」
「なにも言わないで、ディアナ。終わったことよ。貴女は立場が変わってもマティアス殿下に誠を尽くした。立派だわ」
と、舞踏会でディアナ様の手を握りしめたフェリシア様の横顔は、慈愛に満ちていて、まるで女神さまのようだった。
ディアナ様は、フェリシア様をずっと誤解していたのだと思う。
フェリシア様は、誰よりも情に厚く、誰よりも責任感の強いお方だ。
そして、リルブロルでは、相変わらず読書三昧の日々を送っている。
ヒョロガリメガネな、リラックスし切ったお姿で。
叔父君が、政界工作のためにつくった公爵家の莫大な借金が発覚したというのに、少しも慌てず、こうして本を読んでいる。
もっとも、フェリシア様のことだから、何か考えがあってのことだとは思う。
それでも、やはり心配で、私はつい小言を言ってしまう。
「フェリシア様、少しは領地経営のことも考えてください」
「あら、考えてるわよ?」
「考えているようには、とても……」
「まあまあ、そう焦らないで。なんとかなるから」
フェリシア様は、そう言って微笑むと、また本に目を落とした。
傍らには、フェリシア様を護衛するバネル家の従士、ラグナル様と……、レオン様がいる。
舞踏会の直後。私の口を両手で押さえたまま、抱き抱えるようにしたラグナル様に、王宮の大広間から外に出された。
うら若き乙女に対し、許可もなく、距離が近すぎる。
「アニタ殿。レンナルト様のことで、お願いがあるのですが……」
そう言って、「もがもが」と抗議する私に、ラグナル様が耳打ちした。
だから、近いって。
「従士レオンが、レンナルト様だということは、フェリシア様には絶対に内緒にしてください」
「もが?」
「レンナルト様が、そう望んでおられるからです」
「もが……」
私は、言葉を失った。
レンナルト様は、なぜフェリシア様に正体を隠しているのだろうか?
私には、さっぱりわからなかった。
ただ、ラグナル様が、レンナルト様から固く口止めされていることだけは、よくわかった。
私が、コクコク頷くと、ようやくラグナル様は手をどけてくれた。
「……意味が解りません」
「私にも解りません」
「……そんな、……胸を張られても」
「いつかレンナルト様がご自身で打ち明けられるか、フェリシア様がお気付きになられるまで、そっとしておいていただけませんか?」
「う、う~ん……」
「そのときには、私がアニタ殿に口止めしたと証言いたします。……アレはアレで、レンナルト様の……純愛……、なのだと思うのです……。意味は解りませんが」
純愛という言葉に頬をすこし紅くしたラグナル様も、充分にどうしようもない夢見がちな少年だと思う。はた迷惑だ。
だけど、意味不明な主君にふり回される気持ちには共感できた。
「わかりました。誰にも言いません」
「ありがとうございます」
まったく、この人たちは、いったい何を考えているのだろう?
私は、ため息をつきながら、ハンモックに揺られるフェリシア様と、そばの野原で犬のイェスペルと戯れるレオン様とを見比べた。
テーブルを囲んでいるのは、私とラグナル様のふたり。思わず目が合った。
「この辺りでは、珍しい犬種です」
と、ラグナル様は、私が聞きたい本題とは別の話をしてきた。
「……そうなのですね。王都では見かけませんから、こちらの地方の犬種なのかと思っていました」
「小型ですが、嗅覚に優れ、猟犬に使われる犬種なのですが……」
「……よくご存知ですね」
「仕事柄……」
というラグナル様が、いつ働いているのか不明だ。レオン様もだけど。
まったく。爵位を継承しても、家が破産してはどうしようもないのに、ゆらゆら読書を続けるフェリシア様のお気持ちも、
バネル家嫡男の立場にありながら、正妻に正体を隠して犬と戯れているレンナルト様のお気持ちも、私にはさっぱり分からない。
ため息が止まらない。
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